009 交渉?
「コレット先生。あの人とお友達なの?」
「いいえ。馬車を見て勘違いしてしまったみたい」
中へ入るか戸惑っていると、川の方からラッヘさんとレンリが談笑しながら戻ってきた。
「レンリっ。あっちもこっちも大変なのっ」
「……ラシュレ公爵家の馬車ですね。もしかしてフィリエル様ですか?」
「それが、自称メルヒオール様がいらしたの」
「自称? メルヒオール様と面識はないのですか?」
「古い記憶の彼しか知らないわ」
「僕は、顔を見れば分かりますよ。馬車は本物のようにしか見えませんけど。……ですが、何故メルヒオール様が?」
レンリにも心当たりはなさそうで、馬車を物珍しそうに見ていたエミルが声を上げた。
「ボクを迎えに来たんだって。母様の弟だからって」
「はい? あー。あれは噂では無かったのですね」
「噂?」
「まぁ、その事は後程。中にいらっしゃるのですか?」
「いるよ。ちょー怖い顔したおじさん」
エミルの言葉に、ラッヘさんとレンリは顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
◇◇
食堂にはゲインズ夫妻とメルヒオール様が向かい合って座っていた。
テーブルには一通の手紙と、ラシュレ家の紋章入りの剣が置かれている。
その剣の柄には、大きな四角いタンザナイトが輝いていた。
あれは代々ラシュレ家の当主が受け継ぐといわれる宝剣。
子供の頃に一度だけ見たことがあるから分かる。
あれは本物だ。
レンリに目を向けると、彼も小さく頷いていた。
メルヒオール=ラシュレは、何処で何を間違ったのか知らないが、強面の狂人に成長したらしい。
結構ショックだった。
彼に憧れて、私は剣を取ったのだから。
私達が納得したのが分かったのか、メルヒオールは剣を腰に戻して口を開いた。
「その手紙は、姉のラミエルの死後、そちらのゲインズ夫妻が俺に送った手紙だ。姉は自分が亡くなった時の為に手紙を用意していたのだ。エミル。母の字なら分かるだろ」
「…………母様の字だ」
「姉の願いだ。お前をラシュレ公爵家に迎え入れる」
「……いやだ」
エミルは畏縮し、メルヒオールの視線から逃れるように俯いて呟いた。
「ふん。臆病なのだな。――別に、俺はお前に何の期待もしていない。姉の願いを叶えたいだけだ。だから来てもらう。帰りたくなったら好きに帰るといい。縛り付ける気はない」
「え?」
「人には自分の居るべき場所というものが何処かにあるのだ。俺はお前が何処に在るべきか、何処に居たいのか、何も知らない。それはお前自身もそうではないのか? この手紙には、身寄りのないお前が自分の足で歩いて行けるべく育てて欲しいと書いてある。頭ごなしに嫌だとごねる前に、最善の道を選ぶべく己に問いかけ答えを導きだせ」
戸惑うエミルに、メルヒオールは追い立てるように容赦なく言葉を羅列した。大人相手に交渉でもしているかのように。
「あの。エミルはまだ五歳です。そんな難しい言葉を並べても――」
「だったら行くよ。でも、ボクのお願い二つあるんだけど、聞いてくれる?」
しかし私の心配を余所に、エミルは勇敢にも交渉に乗った。しかも、条件まで出して。
メルヒオールは面食らった様子で尋ねた。
「何故、願いを聞かなければならないのだ?」
「だって、おじさんはボクの家族なんでしょ? 家族には甘えて良いって母様は言ってたから」
「……内容による」
「金貨五十枚貸してください。悪い奴に、このお家も教会も壊されちゃうんだっ。でもお金があればねっ――」
「却下だ。この家にそれ程の価値はない。無駄なことに金は出さないし、お前に金を貸すつもりはない。それに金を借りようとする奴も、金で解決しようとする奴も嫌いだ。さて、二つ目の願いはなんだ?」
何の慈悲も感じさせないメルヒオールの言葉に、エミルはぐっと奥歯を噛み締めて目に涙を浮かべた。
「で、でも、そのお金がないと、教会のみんなのお家もなくなっちゃうんだよ? 母様と住んでたお部屋も、みんなと遊んだ……ぐすっ」
「メルヒオール様。エミルは自分の帰る場所を守りたくて言ったのです。そんな冷たい言い方をしなくてもよろしかったのではないですか?」
私が口を挟むと、メルヒオール様はため息を吐き、呆れたように小さく首を横に振った。
「これだから子供は嫌いだ。泣けば大人は何でも聞いてくれると思っている。そんな奴、同情するだけ無駄だ。それに、法外な金を要求してくる下衆に、何故金を払わなければならないのだ? そういう相手は、二度と歯向かう気を起こさせないように身体に刻み込み社会から抹殺するべきだろう?」
エミルは涙をピタッと止めてメルヒオール様に目を向けた。
思考回路がエミルの母親と同じだって、気付いたのだろう。
でも、五歳児の前で抹殺なんて言わないで欲しい。




