第24話 球場観戦 後半
静かな関係者用の通路から外へ出ると、そこは急に人の声とユニフォームの波だった。
さっきまでの静けさが嘘みたいに、空気が一気にざわつく。
待ち合わせ場所で立ち止まっていると、外向けのしっかりした服装をした綾辻先輩が、こちらに気づいて小走りで駆け寄ってきた。
「ヒノくん、遅くなってごめんね」
この人、本当にオシャレだなぁ。
同じ服を着ているところを見たことがない。少しずつアレンジして、いつも違うコーデにしているらしい。
「ヒノくん、今日はユニフォームなんだね! 犬飼選手の名前が書いてある!」
私も後で買いたい!
そう言ってはしゃぐ様子が、素直に可愛い。
「ご飯はどうするのー? 球場の中で売ってるのかな」
今日はナイトゲームだ。夕食は球場内で済ませることになる。
実はこのドーム、球場としては素晴らしいが、グルメは個人的に微妙だ。
消防法の関係で、このドーム内の飲食店は火が使えない。
だから出来立てを楽しめない、という致命的な欠点がある。
「このドームには付属のイオンがあるんです。
通は混む球場飯を避けて、先に買い物してから入るんですよ」
そう言いながら、さっきスタッフに手渡された封筒を開く。
中に入っていたチケットを、綾辻先輩に差し出した。
スーパーエグゼクティブシート。
聞いたことがない席だ。入場門の位置的に、バックネット裏っぽい。
名前的に、たぶんいい席なんだろう。
「でも、このチケット、『飲食付』って書いてありますね」
飲食付のチケットって、なんなんだろう。
考えても仕方ない。とりあえず中に入ってから判断しよう。
ドームへ向かう途中、綾辻先輩がきょろきょろと周囲を見回し始めた。
どうやらユニフォームを売ってる場所を探しているらしい。
グッズ売り場まで案内する。
プレゼントしようとしたが、丁寧に断られた。
「自分で買うから大丈夫」
そう言って、笑いながら財布を取り出す。
ユニフォームとキャップを、なんだかオシャレに着こなす先輩。
犬飼選手、背番号6のユニフォームがとても似合っていた。
「どう? 似合ってるかな?」
「お似合いですよ。ユニフォームの着方もオシャレですね」
前を少し開けて、アウターみたいに着ている。
「ヒノくんと同じ緑色のユニフォームが良かったんだけど、売ってなかったんだよね」
「これは去年のイベント限定なんですよ。
犬飼選手のユニフォームは、これしかなくて」
案内表示に従ってゲートをくぐると、スタッフが席への通路を案内してくれた。
入った席は、とてつもなくいい席だった。
バックネット裏の少し高い位置で、グラウンド全体が一望できる。
席の幅が広く、ゆったり座れる。
専用ラウンジもあり、中継を見られて、食べ放題のメニューとドリンクバー付き。
このドームに、こんな席があったんだな。
ただ、料理はソーセージやフライドポテト中心で、正直ラインナップは微妙だ。
言っちゃ悪いが、安っぽいバイキング。ビジネスホテルの朝食みたいだ。
「先輩、どうします? 別で弁当買ってきましょうか?」
「これでいいんじゃない? バイキングってワクワクするよね!」
食べ物をつついていると、照明が落ち、BGMが変わる。
モニターがド派手に点滅し、スタメン発表が始まった。
『五番、背番号6、DH、犬飼 勇!』
球場全体が爆発するかと思えるほどの歓声。
応援団の熱量が段違いだ。
一度は終わったと思われていたベテラン打者の復活。
球団のお情けで出場していた生え抜きが復調し、五番までのし上がってきた。
他の打者の不調もあり、今は一番輝いている。
「わぁー! 演出すごいね!」
そう。今のプロ野球の登場演出は本当にすごい。
テレビでしか野球を見ない人は、正直もったいない。
ウチの球団の演出は、球界でもトップクラスだと自負している。
カッコいい映像で流れる選手紹介、そして球場全体の一体感。
そして、試合が始まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
試合は投手戦になっている。
六回裏。ここまで両チームの先発は無失点だ。
犬飼選手の名前がコールされる。
『犬飼ぃー!』『打ってくれー!』
応援団の熱狂。
大歓声の中で打席に立った犬飼選手は、一球目、二球目の変化球をじっと見ているだけで、振りもしなかった。
そして、追い込まれた三球目。
捉えた打球が三遊間を抜ける。
球場が歓声に包まれた。
彼の肩が、どれだけ悪い状態かを俺は知っている。
きっと酷い痛みの中でプレーしているはずだ。
俺の治療は、彼の残りわずかな選手生命を削る行為でもある。
本当にやってよかったのか。
俺は何度も何度も、自分に問いかけている。
それでも――
一塁で観客の声援に応える彼は、
この数万人の中で、一番輝いて見えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
正直、試合の細かい展開はほとんど覚えていない。
俺の中に残っているのは、犬飼選手のあの一打だけだった。
試合が終わり、先輩と一緒に電車に揺られる。
「初めての野球観戦、どうでしたか?」
座席ではしゃいでいた先輩が、帰り道では少し落ち着いた声になる。
「なんか、いい意味でイメージと違ったよ。盛り上がり、すごかったね」
それに、ヒノくんが泣いてるところ、初めて見れたしね。
なぜか嬉しそうに言う。
ユニフォーム姿の俺たちは、少しだけ目立つ。
でも先輩は、それすら楽しんでいるみたいだった。
「今日は誘ってくれてありがとね!
明日は朝イチからファシアちゃんに会いに行くからー」
別れ際、先輩は一瞬、俺の口元に視線を落とした。
何か言いたげな顔。
でも最後は笑顔で、電車の中から手を振ってくれた。
……さっさと告白した方がいいんだろうか。
筋肉人間に恋ができなかった高校生の頃とは違う。
可愛いと思うし、一緒にいると楽しい。
手が当たっただけで、ドキッとする。
でも今の、この心地よい関係を壊すのが怖い。
俺みたいな人間が、あんな素敵な人を幸せにできるのか、自信がなかった。
家に戻ると、ファシアが玄関まで出てきて俺を迎えてくれた。
「ファシアちゃん、どう思う?」
「ニャン!」
俺の悩みなんて知ったことじゃない、と言わんばかりに尻尾を振る。
俺の手をぺろぺろ舐めるのに夢中だ。
まったく。猫というのは気楽な生き物だ。
テレビでは、今日の試合の結果が流れていた。
画面の中でガッツポーズをする犬飼選手。
その姿が、俺の脳裏に焼きついて離れなかった。




