第20話 試合観戦
今日は部活も、鍼灸院の予約も入っていない日だ。
俺は帰宅後に贔屓球団の中継を見ることにした。
ファシアに、新しく買った猫用ユニフォームを半ば強引に着せ、そのまま膝の上に乗せる。これで応援準備は完了だ。
愛猫は服を着せられて嫌そうにニャーニャー鳴くが、軽くマッサージすればすぐに黙る。対処は楽なものだ。
犬飼選手は今日はDHでスタメン出場している。
彼はあれから頻繁に鍼灸院へ通ってくれた。
四回ほど施術を重ねた結果、あれほど酷かった肩の筋肉も、なんとか一般的な萎縮レベルまで戻ってきた。
『犬飼選手、打った! 打球はライトへ――右翼手はすでに落下地点に入っています!』
一打席目は、粘った末のフライアウト。
解説によると、崩れていたフォームが最近はかなり戻ってきているらしい。
「ニャ!」
そんなことを考えていると、膝の上で撫でられていたファシアが、ぴょんと床に飛び降りた。
隣の仕事部屋の鍵が開く音がする。
ファシアは尻尾をピンと立て、壁の穴から向こうへ消えていった。
どうやら、綾辻先輩が『無料猫カフェ』を利用しに来たらしい。
「あら、可愛い! ファシアちゃん、今日は服を着てるのね!」
「ニャン!」
穴の向こうから、楽しそうな会話が聞こえてくる。
……完全に愛猫を取られてしまった。
しばらくして、今度は壁の穴から先輩の声が響いてきた。
「ヒノくん、なんでファシアちゃん、ユニフォーム着てるのー?」
「今日は犬飼選手がスタメンで出る試合なんで、一緒に応援してたんですよ」
「あ、そうなんだ! 私も混ぜてー」
返事を待つ気はないらしく、先輩の足音がそのまま遠ざかる。
そして、仕事部屋の鍵が閉まる音。
……この人、男の部屋に上がり込む気なんだろうか。
玄関に行って鍵を開けると、すぐに先輩が入ってきた。
「あれ、ヒノくんの部屋、意外に綺麗だね! 合格!」
そう言うなり、ベッドの下を覗き込み、つまらなさそうな顔をする。
エロ漫画はクラウドに置いてるんで。そこにはないですよ。
ファシアが壁の穴から戻ってきて、先輩の足に抱きつく。
俺が隣にいても、この子は先輩のほうへ行ってしまう。
やっぱり、綺麗な女の人のほうが好きなんだろうか。
「ベッドの上、座ってもいい?」
「あ、はい」
ベッドの縁に並んで腰掛け、一緒にテレビを見る。
先輩は、相変わらず楽しそうだ。
表情だけを見れば、この人はいつも明るく、誰にでも愛想がいい。
場の空気を和ませるのが、自然にできるタイプだ。
――だけど。
多感な思春期を、人の表情を見れずに過ごしてきた俺には分かる。
先輩は、感情を隠すのが上手い。
志望校に落ちて浪人が決まったときですら、声だけは明るかった。
「きゃっ、ヒノくんの部屋に連れ込まれちゃった!」
……勝手に入ってきたのは、あなたのほうです。
ちなみに今は、多分、人をからかって楽しんでいるだけ。
長い付き合いだ。先輩の考えは大体読める。
この人は言葉とは裏腹に、襲われる心配など微塵もしていない様子。
この人は、自分の容姿を分かってこんなことをしているんだろうか。
……しているんだろうなぁ。
ファシアを撫でていた先輩が、ふとこちらを見る。
「ねぇねぇ、犬飼選手って、今日はどこ守ってるの?」
「今日はDHです。守備にはつかず、打つだけのポジションですね」
俺の言葉に頷きながら、あまり分かってなさそうな先輩。
あ、そういえば。
「先輩、犬飼選手から本拠地のドームに招待されてるんですが、今度行きませんか? 球場裏も見学できるらしいですよ」
ペアチケットをもらったのだ。
彼女さんと一緒に、と言われた。実は彼女じゃないんだけど。
「その日、予定どうだったかな……」
先輩はスマホを取り出し、予定を確認する。
スマホの壁紙が俺のネコなのは、なんか複雑な気持ちだ。
「うん、その日大丈夫!
ヒノくんがデートに誘ってくれるなんて、嬉しい!」
デートという言葉に、自分でも分かるくらい、顔が少し熱くなる。
たぶん揶揄われているな。
そんな話をしていると、ファシアが俺の足元に来た。
どうも、餌が欲しいらしい。足をテシテシ叩いてくる。
高級ペットフードを皿に出す。
最近はこれしか食べなくなり、正直かなり困っている。
カリカリを出しても、そっぽを向いて食べてくれない。
「ファシアちゃん、最近高級ペットフードしか食べなくなって困ってるんすよね……あんまりお金ないのに」
「じゃあ、買ってきてあげようか!
ファシアちゃん、私の飼い猫でもあるし!」
違います。俺だけの飼い猫です。
……でも助かる。
いつも揶揄われているし、ここらでリベンジするか。
ベッドに置かれていた先輩の手を、両手で握る。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「……もう! どういたしまして」
不意打ちだったのか、先輩は珍しく恥ずかしそうにしていた。
顔は真っ赤だ。
ふふ。
いつもドキドキさせられているお返しだ。
「ニャン!」
なぜかファシアも、繋いだ手の上に乗ってきた。
『遊んでるなら入れてほしい!』と言わんばかりだ。
甘い空気は、一気に猫を愛でるモードへ切り替わった。
全く、ファシアは可愛いなぁ。
「あ、犬飼選手の打席みたい」
先輩の声で我に返る。
場面はツーアウトの一、二塁。
チームは一点差で負けている。
『犬飼選手、しっかり振り切れるようになってきましたね』
解説が、犬飼選手のフルスイングに言及する。
確かに、前よりも勢いがある。
本人はスイングスピードが一割ほど上がったと喜んでいた。
肩の負担もあるので、喜んでいいのかは分からないが、施術の効果自体は確実に出ている。
画面では、犬飼選手が大きなフライを打ち上げた。
今日は交流戦、甲子園での試合だ。
甲子園は広い。入るだろうか。
「あ、これホームランじゃない!?」
「行くかな……あ、行きましたね!」
打球は浜風に乗り、レフトスタンドの浅いところへ吸い込まれた。
犬飼選手にとって、今季初ホームラン。
しかも、試合の流れを決定づける、一打千金の一発だ。
今季は不調が続いていた犬飼選手。
功労者ゆえ表立った批判はないが、記録のための出場に疑問の声があるのも事実だ。
そして、それを本人が一番気にしていることも、俺は知っている。
試合はそのまま、二点リードで終了。
ヒーローは、もちろん犬飼選手だった。
お立ち台に上がる犬飼選手の目には、はっきりと涙が浮かんでいた。




