第18話 商売繁盛を司る妖精
今日は二週間ぶりに、常連の莉子さんの予約が入っていた。
というか、俺の店はマッサージだけでも四千円するのに、よく通えるものだな。凝っている筋肉を教えたから、他の整体に行っても同じような治療はできると思っている。
整体なら健康保険を使えるから、支払いは五百円程度だ。
莉子さんは、ドアが閉まる一瞬に、奥の部屋に座っている綾辻先輩の横顔が見えたらしく、目をぱちぱちさせている。
綾辻先輩は奥の部屋で、ファシアを肩に乗せながら事務作業をしてくれている。
莉子さんは俺の耳元に口を寄せて、小声で聞いてきた。
「ヒノくん、芸能人を監禁しているんですか? 今なら間に合いますから、一緒に自首しましょう」
「僕は監禁なんてしていません。新しく事務員として働いてくれる綾辻さんです」
莉子さんは疑わしそうに俺を見ていたが、しばらくして何かに気づいたように手を叩いた。
「こんなに閑古鳥が鳴いてるのに、事務員の人まで雇ったってこと?」
『ダメだ、この人。私が隔日で通って支えないと』と気合を入れている莉子さん。ウチはホストクラブじゃないので、そんなに頻繁に通わなくてもいいです。
今日はいつもお世話になっている莉子さんに、サービスをしようと思っている。
「この前、新規のお客さんを紹介してくれたんで、今日は無料で鍼をさせていただきますよ!」
えー、鍼怖いんだけどぉ、と言う莉子さんを十分ほど説得して、ようやく同意を得た。
マッサージもできるんだけど、やっぱり俺の差別化ポイントは鍼だし、症例的にもそうしたい。
この後は特に予約もなく暇なので、施術方法を細かく説明する。
俺が渡した鍼を、まじまじと眺める莉子さん。
「なんか、鍼ってビニールの筒みたいなんだね」
「それは鍼管ですね。鍼を刺すときのガイドチューブです」
日本の鍼というのは、ガラパゴス的な進化を遂げてきた。
中国の伝統的な鍼は非常に太い。それに対して、日本の鍼は髪の毛よりも細い。
江戸時代に発明された鍼管を使う方法によって、鍼が極めて細くても皮膚を破れるようになっているのだ。
「細すぎて、刺さった感覚なんてほとんどわかりません」
「やっぱ、鍼ってのはツボに打つの? 秘孔『人中極』! みたいな感じで」
「そうですね。鍼の世界では経穴といいます」
人中極って経穴は知らないな。また後で勉強しておこう。
鍼灸師になるには、東洋医学や経絡経穴と呼ばれる気の流れ道を覚えて、試験に合格しないといけない。
漫画風に言えば、いわゆるチャクラというやつである。
「ここまでで、他は何か質問ありますか?」
「チャクラって本当にあるの?」
「医学的には無いっすよ」
即答に少し落胆した様子の莉子さん。
どちらかというと、俺は経絡経穴とかは全く気にせずに、症状が出ている筋肉に鍼をブスブス刺すタイプだ。
現代中医、つまり中国の鍼治療に近い治療を行っているかもしれない。
結局、経絡経穴ってのは、安全に刺すことができる場所を経験則的にまとめただけなんだよなぁ。
実際、筋肉が透視できる俺が内臓を避けて刺そうとすると、既に名前がついたどこかの経穴になることが多い。
ただの実用的な刺す場所の目安で、気やチャクラを信じている鍼師はほとんどいないのではないだろうか。
「じゃあ、そろそろ打っていきますね」
というわけで、寝転がってもらって鍼をブスブス刺す。
今刺している場所は、経穴の考え方では肩井、曲垣、天宗という、かっこいい名前が付いている。
まぁ、ぶっちゃけ太い血管と神経さえ避ければ、どこに刺してもいいとは思うけどね。
「なんか、すごい変な感じ……。全然痛くない。でも鍼って、結構響くのね」
「初めて受けられた方は、そう言われることが多いですね」
ちなみに、刺すとマジで痛い経穴もある。基本的には神経が近くにあると痛い。
刺した後に鍼を上下に動かす。これによって刺激が強くなる。
筋組織に微細な傷をつけることで、反射的に血が集まり、血行が良くなる。それが鍼の原理だ。
莉子さんに初の鍼治療の感想を聞いてみると、
「なんか、体の奥の方がポカポカする不思議な感じ」
やっぱり、インナーマッスルへのアクセスは鍼が一番だな。
鍼をしていると、奥から綾辻先輩が見学に来た。
莉子さんには施術着に着替えてもらって、必要な場所しか肌は出していないが、それでも見られているとちょっと気まずい。
なんだか、親が授業参観に来たときみたいだ。
莉子さんは、鍼が終わってからも『マッサージしてほしい!』とご不満な様子。
個人的には、これ以上血流が活発になると術後の反動が強くなるから嫌なんだけど、駄々をこねる莉子さんに屈して、マッサージをする流れになった。
「イタ……あれ、痛くない?」
まぁ、鍼で筋肉を事前に解しておきましたからね……。
普段なら激痛が走るマッサージも、痛くないはずだ。
硬い僧帽筋を押し除けて、インナーマッスルにピンポイントで刺激しているので、普段はかなり痛い。
今回は事前に筋肉を鍼で動くようにしたので、気持ちいい範囲に収まっているはずである。
「痛いのが、この店のいいところだったのに……」
莉子さんは、M丸出しのセリフを呟いている。
心なしか、綾辻先輩の笑顔が引き攣っているように見える。
うつ伏せで気づいていないかもしれませんが、僕以外にも人がいますよ……。
施術終了後に、莉子さんはベッドから降りようとしては失敗し、ベッドの上でばたばたしている。
腰を緩めすぎたかな。カエルみたいで面白い。
「なんか、腰が変な感じなんだけど……」
「ついでに治しておきました」
まぁ、そのうち慣れるっしょ。
「ヒノくん、起きられない! 起こしてー」
「綾辻先輩、あとはお願いしますー!」
そう言って事務室に戻る俺に、「ヒノくんの鬼! 鬼畜!」と声をかけてくる莉子さん。
次からはお望みの激痛マッサージをしてあげよう。前よりは楽にマッサージできるだろう。
今回は、マッサージだけじゃ全く歯が立たなかった腰を解せたのが大きい。次回の治療に活かせるはずだ。
ドMでめんどくさい相手を綾辻先輩に任せ、俺は事務作業に戻ることにした。
それにしても、莉子さんにはいつもお世話になっている。
犬飼選手も、元をたどればテニスの山本選手の紹介。
莉子さんの紹介だ。
単発的に入る仕事も、莉子さんの紹介が多い。
莉子さんには足を向けて眠れない。
さしずめ、商売繁盛を司るMの妖精だな。




