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服の下を透視する能力を得たら、あなたは何をしますか?  作者: メモ帳ぱんだ


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第13話 梨状筋症候群

 俺の家まで綾辻先輩の車で送ってもらった。

 鍼灸院の扉の前で、先輩がわざとらしくモジモジしている。


「きゃっ! ヒノくんに部屋に連れ込まれちゃう!」


「最初っから鍼灸院はアパートの一室でやってるって言ったでしょ」


 この人は昔から、俺をからかって遊ぶのが好きだった。

 更衣室で施術着に着替えてもらう時も、その癖は変わらない。

 覗かないでね、と言いながら、逆にカーテンの隙間からチラチラと顔を出してくる。


 先輩にベッドに横になってもらい、触診しながら詳しく診ていく。


「綾辻先輩、ランニング始めたと思うんですが、靴は変えた方がいいですよ」


「なんで分かるの? 最近勉強ばっかりで、運動しなきゃって思ったんだけど」


 能力を使うまでもない。

 くるぶしの周りの筋肉を触っただけで、足底腱膜炎になりかけているのが分かる。

 このまま放っておけば、いずれ歩くのも辛くなるだろう。

 もっとも、若いから一週間ほど安静にしていれば、すぐ良くなるはずだが。


「あと、高校の頃より腰痛が悪化してますね。ちょっと待ってください」


 梨状筋なら、針の長さは六センチくらいでいい。

 お尻側、仙骨の少し上あたりから入れるのが基本だ。


「先輩の腰痛は梨状筋の凝りです。坐骨神経の走行を避ける角度で刺入します」


「梨状筋かぁ……。仙骨から大腿骨につく筋肉だよね」


「はい、そうです」


 梨状筋は割と存在が薄い筋肉だ。志望分野でもないのに覚えているなんて、さすが四年生。


「先輩の腰痛は、医学的にいうと梨状筋症候群って呼ばれるものですね。

 本当は僕、医者じゃないので診断しちゃいけないんですけど」


 そんな病名、習ったかも……と、先輩は首を傾げる。


 梨状筋症候群はかなり稀な病態だ。

 先輩は整形外科志望でもないし、国試直前でもなければ覚えていなくて当然だと思う。


 医師というのは建前としてはすべての病気を診断できればならない。とはいえ、それは現実的ではない。

 だから専門医制度がある。


 この病態は、スポーツを本格的に行っている若い女性に多いことが知られている。

 男がなることは皆無ではないが、少ない。発症の男女比はおよそ一対六だ。


 先輩に仰向けになってもらい、少し足を動かしてもらう。


「左足の裏を、少し外に向けて持ち上げると……痛みが消えませんか?」


「あ、本当だ」


 これは梨状筋症候群の診断の一つだ。

 この姿勢だと、梨状筋の緊張が抜けて、神経の圧迫が和らぐ。


 ちなみにこの病気は、誤診が多いことで整形外科の間では悪名が高い。

 熟練した整形外科医でなければ、梨状筋症候群と診断するのは難しいと言っていい。


 理由は、症状が腰椎椎間板ヘルニアと非常によく似ているからだ。

 MRIでヘルニアがないことを確認せずに、この診断名をつける医者はヤブ――

 ……というのは言い過ぎか。でも、それくらい難しい。


「この梨状筋という筋肉は地味なんですが、結構曲者なんですよねー」


「へぇ、そうなんだ……」

 

 ただ、原因さえ分かってしまえば、治療自体はそれほど難しくない。

 

 整形外科的にはブロック注射で症状を緩和できるし、理学療法のストレッチを併用すれば、より効果的だ。

 もちろん、重症例では手術という選択肢もある。神経を圧迫している梨状筋の一部を切除する方法だ。

 もっとも、この程度の腰痛でそんな手術を選ぶ整形外科医はいない。

 立ち上がれないほどの重症例でなければ、医療事故として訴えられるだろう。


 俺が躊躇なく臀部に鍼を入れると、先輩の身体がびくりと跳ねた。

 刺した鍼を上下させる。


 綾辻先輩は、気が抜けたような変な声を出しながら、ベッドの縁を掴んでいる。


「今の何……。鍼一本刺さっただけで、こんな衝撃くるの?」


「固まってた梨状筋が、一気に緩みましたから」


 右の梨状筋にも一本。

 先輩の身体がピクピクしていて、正直ちょっと面白い。


 やはり、この症状には鍼がよく効く。

 ただ、それでもまだ不満が残る。筋肉は緩んだが、骨格に残る緊張が目につく。

 近くにある双子筋も処置しておくか。大元はすでに緩めたし、蛇足かもしれないが。


 双子筋は名前の通り、左右に二本ずつある。四本の筋肉それぞれに、鍼を一本ずつ入れた。

 俺の目には、筋肉が一瞬大きく動いたのがはっきり見えた。


 うん、いい感じだ。


 腰だけで六本も打ってしまった。

 だが、中途半端に終えると、施術後に一時的な負荷がかかる。

 かといって、緩めすぎてもいけない。

 この加減は、俺が専門学校と実務で叩き込まれたものだ。


 腰に六本は、かなり多い方だ。

 患者の負担を考えて、最大でも四本程度に抑える鍼灸師もいる。多くても十本くらいだろう。


 ついでに、他に悪そうなところがないか探る。

 肩にも何本か打っておこう。


 この人はなぜか肩凝りもそれなりにあるんだよなぁ。胸が大してないのに不思議だ。

 そんなことを考えていると、綾辻先輩がうつ伏せのまま振り返った。


「ヒノくん。今、変なこと考えなかった?」


「気のせいですよ。どうしました?」


「そうかなぁ……」


 そう言って、先輩はまた元の姿勢に戻る。

 危ない危ない。女の勘、というやつだろうか。


「はい、施術完了です」


 合計で十本の鍼を打った。スポーツ選手には、こんな施術はしない。

 彼らは常にどこかに不調を抱え、怪我を庇うためにフォームを固定している。

 そんな状態で全身を一気に緩めれば、かえってバランスを崩す。


「急に動くと転びやすいので、数分待ってから起きてください」


 綾辻先輩はベッドの上でモゾモゾしている。

 力が抜けて、うまく身体を動かせないらしい。


 しばらくして、ベッドの縁に腰を下ろし、立ち上がって身体を動かす。

 そして、またペタリと座り込んだ。


「なんか、体が別物みたいに楽なんだけど。ヒノくん、前よりすごく進化してない?」


「一応、プロになりましたから……」


 先輩が顔を近づけてくる。

 高校時代は意識していなかったが、この人は本当に美人だ。

 よく分からないが、ファッションもどこか洗練されている。


「でも鍼ってすごいんだね。こんなに効くとは思ってなかった」


 あ、そういえば――

 何かを思い出したように、先輩が言った。


「大学で噂を聞いたんだけどさ。鍼師がこの前、心筋梗塞を見つけたらしいんだよね」


「あ、それ、多分俺です」


 そう答えると、綾辻先輩はクリクリした目を見開いて、俺の顔をじっと見てきた。

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