第三話「告げ口は男らしくないこともない」
ばらしてやろうか。
週が明けても、あの光景が頭から離れない。紫門と知らない女。腕を組んで、キスして、ホテルに消えた。
麗良さんは何も知らない。あんな屑に騙されている。
日頃の恨み、嫉妬、理由はいくらでもある。
ただ、告げ口って——普通にダサいよな。
嫉妬で動くのは醜い。俺にも男のプライドくらいある。紫門に文句があるなら、堂々と主張すべきだ。
でもな。
ちらりと背後を振り返る。案の定、紫門たちが俺の陰口を叩いている。
昨日の体育で、紫門の「恩情」により練習試合に出たが、ミスを連発した。それをまだ根に持っているらしい。
「白石のおかげで負けるとこだったよな」
「次からは大人しくスコアブックつけてろって」
いつもは無視する。だが今日は機嫌が悪い。
思わず睨んでしまった。
紫門たちの目が丸くなる。一瞬だけ。すぐにいつもの調子に戻って、にやにや笑いながら睨み返してきた。
やばい。
すぐに目を逸らす。心臓がうるさい。
俺がすぐ引いたのが面白かったんだろう。紫門たちが高笑いを始めた。
もういい。無視だ。あんな奴らより——麗良さんだ。
麗良さんは机で携帯をいじっていた。ただそれだけなのに、目が離せない。
しばらく眺めていると、紫門が麗良さんに近づいた。麗良さんが顔を上げる。ぱっと表情が明るくなった。
あの演技に騙されてる。
ちっ。
紫門が優しく誠実な男なら諦めもついた。麗良さんが幸せになれるなら、それでいい。
でも、あんな屑が麗良さんと付き合うのは納得できない。しかも浮気までしている。
告げ口は男らしくないと思っていたが——場合による。
あいつと付き合って、麗良さんが幸せになれるはずがない。救えるなら、意味があるんじゃないか。
よし。機会があれば、告発しよう。
*
決意を固めて数日後。
日直だった俺は、図書室に資料を取りに行った。奥をぶらぶら歩いていると——麗良さんがいた。
人目につかない一角。一人で本を読んでいる。金髪が窓からの光を受けて、淡く光っていた。
周囲を見渡す。誰もいない。
これは——チャンスじゃないか。
心臓がうるさくなる。手のひらが汗ばむ。声をかけるべきか、やめるべきか。
やめとけ。ビビってる自分がいる。でも、今を逃したら次はいつだ。
意を決して近づく。喉がからからだ。
「あ、あの、く、草乃月さん」
麗良さんが本から顔を上げた。
「ん。誰? あ~同じクラスの……」
名前を覚えていなかった。一年近く同じクラスなのに。
胸の奥がずんと重くなる。いや、麗良さんは高嶺の花だ。何を期待してるんだ。へこたれるな。
「白石だよ」
「で、その白石君が何の用? 今忙しいのよ」
素っ気ない。本を置こうともしない。
「紫門だけど」
麗良さんの目が変わった。
「紫門君! 何か言付けでもあるの?」
本を置いて、こっちを向いた。笑っている。さっきまでの素っ気なさが嘘みたいだ。
「違う。紫門は関係ない」
笑顔が消えた。
「じゃあ、なんの用?」
「あいつを信用しないほうがいいよ」
「……なぜそんなことを言うの?」
冷たい声。睨まれている。
胃がきゅっと縮む。証拠がないのが痛い。でも、ここで引き下がったら麗良さんを救えない。
「紫門、この前、他の女の子と歩いていたよ」
「……それで? 紫門君にも女友達の一人や二人いるでしょ」
予想と違った。冷静で、当たり前のような口調。
「友達じゃないよ。腕を組んで、キスして、ホテルにも入ったんだ」
「出鱈目を言わないで!」
麗良さんが立ち上がった。青い目が据わっている。
「い、いや、本当に俺は見たんだ。ラブホテル街で——」
「嘘ね。クラスメートを陥れるようなこと言って、恥ずかしくないの?」
陥れる? 俺は麗良さんを心配して言っているのに。
「嘘じゃない」
「最低ね、あなた」
胸の奥がぎしっと軋んだ。
「い、いや、本当に——」
「これ以上私に話しかけないで」
麗良さんの声が、さらに冷えた。
「あなた、気持ち悪いわ」
——気持ち悪い。
耳の奥で、その言葉だけが反響する。
視界がぼやける。音が遠い。自分の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえる。
足から力が抜けていく。床が傾いたような気がする。何か言おうとしたが、喉が詰まった。
頭が真っ白になる。
麗良さんの視線に耐えられなくなって、俺は引き下がった。逃げるように、図書室を出た。
足が重い。一歩ごとに床にめり込んでいくような感覚。
勇気を振り絞って声をかけたのに。結果、嫌われただけだった。
麗良さん、性格きつい。いくら紫門が好きだからって、あんな言い方しなくてもいいじゃないか。気持ち悪いってなんだよ。
少し幻滅した。でも、それでも好きなんだから始末に負えない。
*
それから数日後。
何事もなく過ごしていたら——
「よぉ」
肩を掴まれた。振り返る。紫門だ。目が笑っていない。
「麗良から聞いたぜ」
その一言で理解した。
あの女、しゃべったのか。俺の立場なんて、どうでもいいんだろう。
「少々つき合ってもらうぜ」
背中を押され、よろめく。
紫門たちに校舎裏まで引きずられた。すれ違うクラスメートは誰も目を合わせない。見て見ぬふり。助けを求めても無駄だと、わかっている。
校舎裏に着くと、佐々木と宮本に両腕を掴まれた。振りほどこうとしたが、びくともしない。
「迂闊だったよ。お前みたいなドン臭い奴に目撃されるなんてな」
紫門が近づいてくる。いつもの爽やかな顔じゃない。
「く、草乃月さんから何を聞いたか知らないけど、俺は何も——」
言葉が途切れた。
腹に、衝撃。
何が起きたかわからなかった。
鳩尾を殴られた。そう理解したのは、息ができなくなってからだ。肺の中の空気が全部抜けた。吸おうとしても、吸えない。口がパクパク動くだけ。
視界がちらつく。膝から崩れそうになるが、腕を掴まれているから倒れられない。
「嘘をつくな。もうばれてんだよ」
髪を掴まれ、顔を上げさせられた。紫門の目が間近にある。
「麗良はお堅いからよ、なかなかさせてくれねぇんだ。でも男だし、溜まるものは溜まる。わかるだろ?」
吐き気がした。麗良さんをそんなふうに言うのか。
こんな奴が麗良さんと付き合っている。腹が煮えくり返る。
「白石、また告げ口してもいいぜ。ただ、誰もお前みたいな底辺の言うことなんて信じないだろうがな」
紫門が笑う。宮本と佐々木も一緒に笑う。
くそ。むかつく。
「お、お前こそ、麗良さんにふさわしくない」
気づいたら口に出ていた。もう我慢の限界だった。
「麗良さん、だぁ? 底辺が気安く麗良の名を呼んでんじゃねぇ!」
脛を蹴られた。
激痛。膝が折れて、地面に崩れ落ちる。
「あ~あ、紫門さんを完全に怒らせちまった」
宮本たちの笑い声。地面に転がる俺を、上から見下ろしている。
「雑魚に構うのは沽券に関わるから無視してたがよ。舐めた真似するなら容赦しねぇ」
紫門がしゃがみ込んだ。顔が近い。
「お前は今後、俺のおもちゃだから」
もう一度、鳩尾を殴られた。
息ができない。視界が暗くなる。意識が遠のきそうになる。
紫門たちが去っていく足音。地面に唾を吐く音。
しばらく、動けなかった。
今日、俺は紫門に敵認定された。
でも——間違ったことをしたとは思わない。真実を伝えようとした。それだけは、胸を張れる。
痛む身体を引きずって立ち上がる。
夕日が校舎の影を伸ばしている。蝉の声だけが響いていた。
明日から、本当の地獄が始まる。




