第二話「家政婦じゃないよ。モブ高生は見てた」
土曜日の昼下がり。
三ヶ月かけて貯めた八千円を握りしめ、俺は新宿にいた。
目当ては【王国戦争物語 拡張パッケージ版】。発売日から三週間も品切れが続いていた人気作だ。新キャラ追加、シナリオ大幅増量。ネットの評判も上々で、ずっと欲しかった。
バイトをしていない高校生にとって、八千円は大金だ。毎月のお小遣いをコツコツ貯めて、ようやく購入資金を確保した。まさに血と汗の結晶。
休日の新宿は人の波だった。汗ばむ人混みをかき分け、事前に調べておいた穴場の店を目指す。
何度か道に迷い、雑居ビルの三階でようやくゲームを発見。最後の一本だった。危なかった。
「いいゲーム選んだね」
店長のおじさんが、おまけに攻略本までつけてくれた。常連になってて良かった。
足は棒だが、気分は最高だ。
紙袋を抱え、鼻歌まじりに駅へ向かう。早く帰ってプレイしたい。今夜は徹夜だ。新シナリオはどんな展開だろう。新キャラはどんな能力を持っているだろう。想像するだけでワクワクする。
明日は日曜日。多少夜更かししても問題ない。久しぶりに、心の底からゲームを楽しめそうだ。
*
あれ、駅はどっちだ。
浮かれすぎたらしい。気づけば、さっきまでの商業地区とは空気が違う。薄暗い。重い。
呼び込みのパンチパーマ。ピンクのネオン。昼間から路上に立つ派手な女たち。黒いスーツに金のネックレス、サングラスをかけた威圧感のある男が、通行人に声をかけている。
——歌舞伎町だ。
テレビでよく見る、あの歓楽街。高校生が来る場所じゃない。
母親に「新宿の繁華街には近づいちゃダメよ」と言われていた理由が、今になってよくわかる。
踵を返す。
「そこの兄ちゃん、いい子いるよ」
野太い声を無視して、小道に逃げ込んだ。「え、どんな娘ですか?」と聞き返したい衝動を必死に抑える。
今度はラブホテル街だった。
休憩四千円、宿泊六千円。「プリンセス」「ロイヤル」「エデン」——メルヘンな看板が並ぶ。建物は妙に豪華で、中世ヨーロッパの城みたいな外観のホテルもある。
値段を見ると、思ったより安い。高校生のお小遣いでも手が届きそうだ。もちろん、俺には関係ない話だが。
通行人はカップルばかり。手を繋いで、幸せそうに笑っている。大学生らしき二人組、サラリーマン風の男とOL風の女。みんな、これからいいことをするんだろう。
リア充爆発しろ。
そう思いつつ、つい目で追ってしまう。いろんなタイプの女の子がいて、目の保養だ。黒髪ロングの清楚系、茶髪のギャル、ショートカットのスポーティ系。世の中には、こんなに可愛い子がいるのかと感心する。
そして——
サイドポニーの子が目に入った。
今日一番の美少女だ。透明感のある肌。人形みたいに整った顔。笑ったときのえくぼが可愛い。アイドルのセンターでもおかしくない。清楚なワンピースが似合いすぎている。
その子が、嬉しそうに男と腕を組んでいる。二人の距離の近さから、恋人同士であることは明らかだ。
くぅ〜、うらやましい。こんな美少女とこの後しっぽりできるなんて、人生の勝ち組だ。俺も生まれ変わったら、こんなイケメンに——
相手はどこのどいつだ。
足が止まった。
心臓が、一拍飛んだ。
嘘だろ。
目を凝らす。チャラい服装。無造作な髪。シルバーのピアス。学校とは全然違う。黒いタンクトップにダメージジーンズ。まるで別人みたいなギャル男スタイル。
でも、あの顔は見間違えない。
紫門だ。
小金沢紫門。クラスの王様。そして——麗良さんの恋人。
学校ではいつも制服をきちんと着こなし、髪型も清潔で、優等生の見本みたいな外見だった。それが今は、こんなチャラい格好をしている。
変装か。知り合いにばれたくないんだろう。
いや、もしかしたら——これが紫門の本当の姿なのかもしれない。学校で見せている優等生こそが、演技なのかも。
なんで、こんなところに。
しかも、麗良さんじゃない女と。
咄嗟に物陰に隠れた。心臓がバクバクしている。見つかったらまずい。何がまずいのかわからないが、とにかくまずい気がする。
電柱の影から、そっと様子を窺う。
二人はイチャイチャしながら話している。紫門が何か言うと、ポニーテールの子がけらけら笑う。時折、堂々とキスしていた。周りの目も気にしていない。ポニーテールの子も、くっついて離れない。
どう見ても、カップルだ。付き合いたてのカップル特有の、甘ったるい空気が漂っている。
胃のあたりが、きゅっと縮んだ。
見たくない。でも、目が離せない。
二人が歩き出した。距離を取りながら、後をつける。ストーカーみたいで気持ち悪い。でも、確かめたかった。本当に、そういうことなのか。
二人は「プリンセスパレス」というラブホの前で止まった。やたらと豪華な外観で、入り口には噴水まである。まるで本物の宮殿みたいだ。
入り口でまたキス。長い。深い。見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、濃厚なキス。
そして、手を繋いで中に消えた。
しばらく、動けなかった。
頭が真っ白になっていた。
浮気だ。
紫門は、麗良さんがいるのに、別の女とホテルに入った。
言い訳のしようがない。従姉妹でも親戚でもない。あんなキスをする関係が、友達なわけがない。
血が頭に昇る。拳を握る。爪が掌に食い込んだ。
麗良さん。学年一の美少女で、俺が密かに憧れている人。あの人が、こんなクズに騙されている。
許せない。
あいつは学校では誠実な恋人を演じている。優しくて、紳士的で、麗良さんを大切にしているふり。クラスメートの前では、模範的なカップルを装っている。
でも裏では、こうやって女遊びだ。
麗良さんは知らない。何も知らずに、あんな奴を信じている。紫門の優しい言葉を、紫門の笑顔を、本物だと思っている。
騙されているんだ。
教えてあげたい。紫門の正体を。あいつがどんな人間か、本当のことを。
でも——どうやって。
俺が言って、信じてもらえるか。
証拠もない。写真を撮ろうなんて、咄嗟に思いつかなかった。スマホは紙袋と一緒にリュックの中だ。今さらホテルの前で待ち伏せするわけにもいかない。
それに——
陰キャが学園の王様にケンカを売る。誰が味方してくれる。
むしろ、嘘つき呼ばわりされるかもしれない。「白石が麗良さんを狙って、紫門を陥れようとしている」なんて噂を立てられるかもしれない。紫門に目をつけられて、今より酷い目に遭うかもしれない。
今だって、クラスマッチから外されたり、陰口を叩かれたりしているのだ。これ以上、状況を悪化させてどうする。
でも、黙っていていいのか。
麗良さんが弄ばれ続けるのを、見て見ぬふりしていいのか。
あの完璧な彼女が、裏切られているのに、俺だけが真実を知っているのに——何もしないのか。
頭がぐちゃぐちゃだ。
紙袋の中のゲームが、急にどうでもよくなった。さっきまでの浮かれた気分は消え失せていた。徹夜でプレイするつもりだったのに、今はパッケージを見る気にもなれない。
重い足で、新宿駅に向かう。
来た時とは全然違う気分だ。足取りも重い。空も曇ってきた気がする。実際には晴れているのに、世界が灰色に見える。
電車の中でも、あの光景が頭から離れない。紫門と女。イチャイチャしながら歩く姿。キス。ホテルに消えていく後ろ姿。
目を閉じても、瞼の裏に焼きついている。
月曜日、学校であいつの顔を見たら、俺は平気でいられるか。
きっとまた、麗良さんの前では誠実な恋人を演じるんだろう。優しい言葉をかけて、さりげなく手を繋いで、周りから羨ましがられるカップルを演じる。
そして麗良さんは、何も知らずに笑っている。紫門を信じて、幸せそうに笑っている。
その光景を想像するだけで、胸が詰まった。
家に着いても、ゲームをする気になれなかった。
紙袋を机に置いたまま、ベッドに倒れ込む。三ヶ月も楽しみにしていたゲームなのに、開封する気力もない。
天井を見つめながら、同じことばかり考えている。
どうすればいい。
黙っているのか。それとも——麗良さんに、伝えるのか。
答えは出ないまま、夜が更けていった。




