濃密な接触が必要な魔力伝達の実験相手を探しに行きたいのに、先輩が邪魔してくる
王立魔術院・研究塔の午後は静かだ。
紙の擦れる音と羽ペンの走る音だけが響いている。
私は先輩の助手をしている。先輩は学院始まって以来の秀才で、すでに多くの論文を発表している超優秀な、研究者だ。
眼鏡の奥の瞳は鋭く、白衣のボタンはすべてとめられている。手元の羽ペンは特注で、インクが切れないようになっているらしい。
節ばった細い指で、癖のある字で、いつものように難しい式を書き連ねている。
固い横顔はよく見ると綺麗で整っているけど、仏頂面で愛想がないので、それに気が付く人は少ない。
その後ろで私は、魔力伝達の実験をしていた。
淡い光の粒が手の周りで揺れて──マウスに触れるとふっと消えた。
「……あれ?」
予定では、消えずにマウスに移るはずだった。
おかしいな、うちの猫には上手く行ったのに。
他に実験できそうな生き物はいないかな、と部屋を見渡す。
この部屋の生き物は、用意した実験用のマウスの他には──先輩しかいない。
(ちょっとだけ、いいかな)
忙しそうなので、声を掛けるのも悪い。
気づかれないように、そっと背中に指を近づける。
淡い光の粒は、私の指先から先輩に移ると、パッと光った。
「!?」
成功した。何なのかな。触れた面積? 場所?
「……僕は忙しい。邪魔をしないでもらえるかな」
振り向いた先輩は、心底迷惑そうな顔をしていた。
「先輩、魔力って、接触すると伝わりやすいんですよね? もしかして、触る場所によって効率が違うんじゃないですか?」
「……君。突然何を言いだすんだ」
「少し試させてください!」
私はひとさし指に魔力を込めて、彼の腕や肩を、ちょん、ちょん、とつついた。
「うーん」
「な、な、」
先輩は協力してくれるのか、動かずにじっとしている。少しぷるぷる震えている気もする。
うーん、なんだろ。心臓に近いところ? それとも脳……頭部?
「お、おい、」
顔に手を伸ばしたら、ついに先輩に手を掴まれてしまった。
いけない、やりすぎた。
「すみません。夢中になっちゃって……これ以上濃密な接触は良くないですよね」
「の、濃密」
先輩が持っていたペンが、からん、と音を立てて倒れた。
これ以上、忙しい先輩の手を煩わせるわけにもいかない。今なら休憩室にエレナがいるかも。
「ちょっと、友達に協力してもらってきます!!」
「は、ちょ、待っ」
部屋から出ようとした時、先輩が椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、後ろからばん、と、ドアに手を突いた。
……これではドアが開かない。
「どうしたんですか?」
「い、いや」
先輩は動揺を隠すように目をそらして、眼鏡をくいっと上げた。
「……それには倫理審査委員会の査問が必要だ」
「は?」
「魔力伝達の実験は危険だ」
「え、ちょっとつつかせてもらいたいだけなのに」
「それが!危険なんだ!!」
珍しく顔を赤くして、吐き捨てるように言う。お、怒ってる?
「君にはまだ早い、僕にはわかる。いいか、……君が、その……だ、男子に触れるという事は、研究塔全体の、そうだ、研究効率の低下を招く」
この研究塔には女性が少ない。実は私とエレナが女子一期生だ。
なので、私がその辺の男子を捕まえてつつくと思ったのだろう。
「エレナに手伝ってもらおうかと思ったのですが」
「エレナ君だと!……いや!それでもだ! 君とエレナ君がつつきあうとどうなるか考えてみたまえ!!」
「……??」
私は私と、仲の良いエレナがつつきあっているのを想像するが、まったくわからない。
「──百合の花が、咲く」
「え」
「そういう仮説が、提唱されている」
すでに仮説が!?
「で、ではすぐに実験を……」
「余計なことはするな! 今はその時ではない」
先輩はまた、くいっと眼鏡を上げた。
そうだ。研究には優先順位と言うものがある。
私はどうも、目の前のことに飛びついてしまうことがあって、よく先輩に注意されるのだ。
「すみません。さすが先輩、勉強になります!」
「……あ、ああ。だろう。だから、その」
「?」
先輩は思いつめた表情で固まってしまった。
沈黙。
私はドアと先輩に挟まれて動けない。
先輩は私を見つめたまま、石になったように動かない。
「……先輩?」
沈黙。
「せんぱーい?」
目の前で手を振ると、ようやくハッと我に返り、先輩は赤くなって目をそらした。
そして、物凄く小さい声で、早口でつぶやいた。
「君の研究の為ならば僕が犠牲になるのはやむを得ないよな」
「え? ぎ、犠牲!? そんなに危険なのですか! そんなことに先輩を巻き込むわけにはいきません!」
「け、研究塔では、指導に当たるものが責任をもって補助すべきと! 指導要領に記載がある!」
「そうなんですか!?」
「ああ! 僕の記憶にはしっかりと刻まれている!」
指導要領まで暗記しているなんて、さすが先輩!
「でも、それなら、担当教員のカイン先生におねがいしたほうが……」
「歳が近い二人のほうが!効率的だと!純度が高いと!仮説を立てた!」
「え、誰が?」
「僕が!」
「先輩そんな論文書いてました?」
「今頭の中で書いている!」
そうなんだ……いつでも研究熱心だなあ先輩は。
「でも、歳が近いなら、同い年の……」
「僕は魔力伝達の最適温度を保っている。平均魔術師よりも効率が良い」
「実験趣旨、変わってません?」
「そ、そうだろうか」
先輩の目が泳ぐ。魔力伝達の場所の実験だったはず……
「あ」
ふと見ると、目の前に、ふるふると震える、先輩の薄い唇があった。
それを見てぴんと来た。
「もしかして、粘膜接触……?」
呟いたら、先輩は「うぐっ」とうめいて口を押さえた。
そして立て板に水のごとく、早口で語り出した。
「そ、そこに自力でたどり着くとはさすが君だと言わざるを得ない。しかし、その。その実験は、わかるだろう、とても危険で」
「先輩」
「僕も実は理論のみ学習したが実践したことはない。だが興味深い事であることは確かだ。つまりだね、君と僕、双方の知的好奇心を満たすべくお互い実験と研究に協力するのも研究塔の存在意義であり」
「先輩」
「こ、これは仕方がない事なのだ、魔術はその歴史から見ても現在の常識的倫理観では解き明かせない……」
「先輩」
「だ、だから、こ、この実験については今後の僕達の関係から検討するに避けては通れないので」
「先輩!もういいですから!」
私が大きな声で制止すると、先輩は冷水を浴びせられたように、いつもの真顔になって止まった。
「あの、私とは嫌な事は分かりましたから、また、他の方法を考えてみま……」
「そうは言ってない」
きっぱりと言う先輩はまるで、不本意な意見に反論する時のように、真剣だった。
「そうは、言ってない」
先輩はふう、とため息をついて、いつも指導してくれる時のように話し出した。
「ここに至るまでの背景を考えてみたまえ。僕は、今まで他人がそばにいるのがたえられず、助手はすぐに追い出していた。しかし、君だけは、同じ部屋にいても気にならない。……いや、いた方が、良い。安心する。研究効率も上がっている。それは数値を見ればわかることだ。
──で、あるから、それは伝わっているものだと思っていたが」
「そ、それは、気づきませんでした」
「今後は注意するように」
……あの塩対応でそれに気づけというのは相当高レベルでは。
「あの。では先輩は、その。つまり、私の実験に付き合ってくださる、と?」
先輩はごくりと喉を鳴らした。だんだん顔が赤くなる。
そして、意を決したように、真剣に私の目を覗き込み、少しずれた眼鏡をくいっとあげた。
「君が、その実験をする相手は──僕しかいない、と言っているだろう」
……言ってるかなあ。
そして実験は滞りなく、繰り返し、行なわれた。
やがてこの研究室から、それは場所ではなく感情により結果が異なると、新たな論文を発表することになる。
──先輩と、私の、連名で。
お読みいただきありがとうございました!!




