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黒い亀から子狼に変身した総合室のかわいい居候は、キッシュを口にしながらパタパタと尻尾を振っている。
ジョンが注意深く観察しながら口を開いた。
「クロは、精霊なのか?」
『いや、獣人国バーントシェンナの狼獣人だ。本当の名前は、クロード・ルー・ノワール』
「ノワールって、バーントシェンナの有力貴族で、最強と名高い騎士団長の一族じゃないですかぁ!」
『ああ、俺は今の騎士団長の長男だ。俺自身は、騎士団じゃなくて傭兵部隊に所属しているけどね。そうだ、ボスポラス国の言葉を教えてくれてありがとね。ローラさんの子供の学習本とか、めっちゃ役立ったよ』
「それで、どうして黒い亀や今の姿になったんだ?」
『それはねぇ、説明すると長くなるんだけど……ああ、女の子のおしゃべりよりは短いから安心して』
バチリと片目を閉じてニヤリと笑った。子狼の姿なのでただ可愛いだけなのだが、傭兵部隊所属ということは、本当のクロ……クロードはどうやら成人を越しているらしい。
チャラチャラした軽い男のような言い回しに取り合わず、ジョンはひとまず先を促すことにした。
「わかったから、早く話してくれ」
『ジョンは冗談が通じないなー。恋愛小説を熟読したって、女の子の心がわかるものでもないんだぞ! 総合室に一人でいるとき、俺に恋愛相談してただろ。全部覚えているんだからな』
「ぐっ……」
「そんなことより! 話を聞かせてくださいよ!」
動揺を隠せないジョンだったが、ルーカスはまるっと流してクロードに詰め寄る。
クロードが簡潔に語った話によると、街の飲み屋で美人な狐獣人の女性と知り合い、酒が進んでいい雰囲気になってきたところで、意識を失う。酒に薬が混ぜられていたようで、気付いたら子供の狼の姿になっていて、かわいい人間の女の子に抱き締められていた。状況が理解できないでいると、見たことのある虎獣人の貴族が現れた。
『かわいこちゃんがバーントシェンナの魔女で、国内外で強さに定評のある狼獣人たちを妬んだ虎の貴族が誘拐事件を画策したんだ。張本人が得意気に話し出したんだけどさ、魔女ちゃんは知らなかったみたいで、取り乱しちゃって。魔法が暴発して、気付いたら俺が亀になってたってわけ。何とかその場から逃げ出したんだけど、すぐに海鳥に捕まって、この国に連れてこられちゃったんだ』
満月になるたびに、力がみなぎって何とか子供の狼の姿に戻るが、クロードはボスポラス語を話せない。何とか助けを求めて声を出すものの空腹で力がでないため、唸り声になってしまう。
唯一バーントシェンナの言葉がわかるハーフのマリーならば、理解できたかもしれないが、彼女はあいにく満月の夜は休みを取って実家に帰っている。
唸り声の正体もわかり、クロードの紆余曲折な半年間には同情するが、いかんせん軽薄な話し方のせいで、深刻なのにそうでもないように聞こえる話だった。
ジョンもルーカスも半目でじとっと黒い子狼に視線を向ける。
「自業自得なところもあるな」
「チャラ男の末路って感じですねぇ」
『うぐ……否定できないけどさ、俺ももう今までの俺じゃないから! だって、彼女のおかげで真実の愛を見つけたから!』
「カメリーンのこと?」
カメリーンとは偶然出会ったそうだ。食料を求めてふらふらと南の中庭まで遠征したら、きれいな白い甲羅の亀が仰向けになっていたので、気の毒になりひっくり返してやったところ、なつかれたのだという。
『違う違う! 色々世話してあげたけど、妹みたいな存在だから。そもそも精霊なんでしょ。カメリーンちゃんも俺のことは、兄みたいに慕ってくれてるし。そうじゃなくて、エレナちゃんのことだよ。彼女を愛しているんだ!』
「何だと?」
まるで劇の舞台に立つ役者のように、月の光を浴びた狼の子は小さな腕を精一杯広げ、うっとりと金色の瞳を閉じた。
ジョンが低く唸る。ルーカスは隣の上司のまとう空気が一気に重たくなったのを感じ、背中に冷や汗がつたった。
『華やかな容姿じゃないけど、献身的に世話をしてくれて、笑いかけてくれて、頭の回転も早くて、可愛らしくてさ。しかも俺の名前、クロードなんて知るよしもないのに、クロって名付けてくれたとき、本当に嬉しかったんだ』
「困っているときに親切にされたから、感謝の気持ちを好意と勘違いしているだけじゃないのか」
ジョンの冷たい言葉に、「室長だって同じような流れで好きになったんじゃ……」とルーカスは突っ込もうと口を開きかけたが、話が更に脱線するのでやめた。
クロードは両腕を組んで、やれやれ、とばかりに首を横に振る。
『いいや。俺、モテてきたから女の子なんてみんな同じだったけど、エレナちゃんへの気持ちだけは本物だって思える』
「エレナくんが魅力的なのはわかるが、それは駄目だ」
『別にジョンの恋人でもないんだから、止める権利なんてないでしょ。エレナちゃんって、恋とか愛とか縁がないって諦めてるみたいだから、俺が元の姿に戻ったらうちの国に連れていくんだ!』
「お前の方こそ、彼女の気持ちも考えずに勝手なことばかり……」
ジョンは額に青筋を浮かべた。
さつまいものマフィンを口に放り込んだルーカスは、上司と子狼のどっちもどっちな言い合いを生暖かい目で見守る。




