無念無想 四
奇妙なふたり組が、武家屋敷の前で座り込んでいる。
両方とも、髪は短めのざんぎり頭だ。日雇い人夫のような胴着を着ており、片手には草刈り用の鎌を持っている。傍からは、武家屋敷に使われている下男としか見えないだろう。
もっとも、ふたりの会話は恐ろしく失礼なものであった。
「右京の奴、遅いなあ。どうせ出世なんかしないんだから、適当にやってさっさと帰って来ればいいのに」
正太のぼやきに、お鞠は真顔でうんうんと頷いた。彼女は手に木の枝を持ち、話を聞きながら地面に絵を描いている。
このふたりは、今日も西村右京の家に来ていたのだ。お鞠も正太も、妙に世話焼きでまめなところがある。特に正太は、困っている者を見ると放っておけない性分であった。その性分ゆえ、彼だけには気を許している……という者は少なくない。
しかも正太は、地下室にいる千代の姿を見てしまった。見てしまった以上、西村家に手を貸すのは自分の義務……と、わけのわからない使命感を持っていたのである。
対する右京はというと、料理だの掃除だのといったことは苦手であり、しかも世間知らずなところがある。正太からすれば、頼りないことこの上ない。そのため、最近では暇さえあれば押しかけるようになっていた。いずれ、住み込んでしまいそうな勢いである。
そんな正太が一方的に語り、お鞠は絵を描きながら耳を傾けている。だが、彼女の目は妙なものを捉えた。表情が変わり、目つきが鋭くなる。
正太はというと、お鞠の変化に気付かず語り続けていた。
「だいたいさ、あいつは役人には向いてないんだよ。役人ってのはさ、上役におべっか使って胡麻すって、それで上手く出世していくように出来てんだよ。だけどさ、あいつ堅物だし真面目すぎんだろ。いっそ、俺たちと一緒にこっちの世界でやればいいんだよ」
勝手なことを一方的に喋り続けていたが、お鞠の様子がおかしいことにようやく気付いた。
「お鞠、どうしたんだ?」
尋ねると、お鞠は木の枝で地面に文字を書いた。
(へんなやつ いる)
「えっ? お前、字を書けたのか……いや、んなこたぁどうでもいい。どこだよ?」
下を向いたまま、正太は尋ねた。すると、お鞠は目だけを動かす。左手の方角だ。
正太は、さりげなく立ち上がった。伸びをしつつ、そちらを見る。
ぼろ切れで頬かむりをしたふたりが、こちらを見ていた。薄汚い着物を身につけ、股引きを履いていた。傍らには、野菜を積んだ荷車が置かれている。
一見すると、野菜を運んでいる途中の下働きという雰囲気である。だが、ふたりともこちらをじっと窺っている。時おり、ひそひそと耳打ちしていた。動く気配はない。このあたりは、休むに適した場所とも思えない。
「ありゃあ変だな。ちょいと行ってみるか」
誰にともなく呟くと、正太はそっと近づいて行った。見れば、片方は中年の女だ。しかし、目つきや動きからして、ただの人夫とは思えない。近づいて来る正太を見るなり、目を逸らし下を向く。
次の瞬間、荷車を引いて去っていった。
正太は首を捻る。いったい何者なのだろう。まさか、右京に用があったのだろうか。
「何だろうね、あれは」
元のようにお鞠の隣に座り、さりげなく話しかける。と、彼女はまたしても地面に文字を書いた。
(あいつら ずっと みてた)
それを見て、正太はまたしても首を捻る。右京は、手抜きで有名な同心だ。そんな男の家を見張ってどうしようというのだろう。
いや待てよ、片方は中年女だった。となると、違う可能性もある。
「さっきの奴ら、片方は女だったんだよ。もしかしたら、町で右京の奴に出会い、一目惚れして跡をつけて来たのかもしれねえな。うん、それは有りうるぞ」
ひとりで言って、うんうんと頷く正太。それを見たお鞠は、それは違うんじゃないか……とでも言いたげな顔でかぶりを振る。
すると、正太はふふんと鼻で笑った。
「わかってないなあ、お前は。一目惚れってのはよう、見た瞬間にびびびってなっちまうんだ。そうなったら、もうどうにも止まらないもんなんだよ。俺も一度や二度や三度や四度、そんなことがあったなあ」
わけのわからないことを、したり顔で語る正太には、お鞠も苦笑するしかなかった。と、そこでようやく待ち人が現れる。
「なんだ、今日も来たのか」
そんなことを言いながら歩いて来たのは西村右京だ。顔には、嬉しさと照れくささの入り混じった表情が浮かんでいる。
「旦那、遅いじゃんか。何してたのよう。それよりさ、今とんでもないことがあったんだぜ」
そんなことを言いながら、右京とともに屋敷に入っていく正太。お鞠も後に続き、入っていった。
・・・
その夜。
八郎と女房のお菊は、自宅にて苛立った表情で顔を突き合わせていた。傍らには、小柄な中年男が座っている。
「はあ? どういうことだよ?」
尋ねる八郎の声には、怒気がある。
「だから、西村右京の屋敷の周りを、変な奴らがうろうろしてたんだよ。こっちをちらちら見てやがった。仕方ないから、引き上げてきたんだよ」
対するお菊の方も、不機嫌極まりないといった表情だ。
「岡っ引きか?」
なおも尋ねる八郎に、お菊はかぶりを振った。
「いや、違うね。なんか下働きって感じだったよ。それも、ふたりもいやがったのさ」
「妙だな。俺の聞いた話では、奴は女房とふたり暮らしのはず。下働きをふたりも雇えるような身分とは思えねえがな」
「そんなこと知らないよ。とにかく、いたものはいたのさ。しかも、ひとりはこっちに歩いて来やがったんだよ。仕方ないから、ずらかったけどね」
「そうか。何者だろうな」
顎に手を当て、思案げな表情になる八郎。すると、お菊が懐の短刀を抜いた。
「こうなったら、まだるっこしいこたぁやめて、最初の計画通りいこうよ。寝込みを襲って殺っちまおう。夫婦一緒に、地獄に送ってやろうじゃないか」
言った直後、畳に短刀を突き刺す。その時、ずっと黙り込んでいた中年男が口を開いた。
「八郎さん、俺もあちこちで聞いてみたよ。あの西村右京ってのは、どうしようもない奴らしい。肩書は定町見回りだけど、やる気が全然ないんだよ。揉め事を見ても、知らん顔してどこかに消えちまう。あれは、大したことないよ。いちいち見張る必要もないだろ。あんたらが寝込みを襲えば、確実に殺せるだろうさ」
語っているのは、鼠の権六だ。子年の生まれであり、背中には鼠の彫り物を入れている。かつては、八郎やお菊らと組んで裏の仕事をやっていた。
足を洗った夫婦とは違い、権六は今も裏の仕事で飯を食っている。専門は空き巣や押し込み強盗だが、必要とあらば殺しも請け負う。
「なんか、また腹立ってきたよ。そんな野郎に、章吉は斬られたってのかい。ふざけやがって、必ずぶっ殺してやる」
お菊は短刀を振り上げ、またしても畳に突き刺した。当然ながら畳は傷だらけだが、八郎に止める気配はない。
「仕方ねえな。だったら、やるか」
お菊に向かい言った後、八郎は権六の方を向いた。
「権六さん、世話になったな。あんたは、ここまででいい。あとは、俺たちだけでやるよ」
そう言うと、懐に手を入れた。中から小判を一枚取りだし、権六の手に握らせる。
「少ないが、取っといてくれ」
「ありがとよ。で、いつ右京を殺るんだ?」
権六の問いに、八郎はちらりと天井を見た。
「そうだなあ……奴だって役人の端くれだ。役人を仕留めたら、もう江戸にはいられねえ。旅のための準備もあるから、三日後だな」
「三日後てえと、寅の日だな。寅の日に右京を殺るんだな」
「ああ、そうだ。必ず殺す。章吉の仇を討ってやる」
八郎が言い、お菊も頷いた。




