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【096】大尉、事情を聞きに出向く

 空になった水差しを持ったキース中将と、ヴェルナー大佐を庇って水を被ったわたし。


「お前の反射神経には驚かされる、クローヴィス」


 なにこの状況? 更に力一杯庇ってしまったので、ソファーごとヴェルナー大佐を押し倒してしまいました! わたしとソファーの間に挟まったヴェルナー大佐の表情が辛そう。済みませんヴェルナー大佐。思いっきり乗ってしまって。

 女性にあるまじき体重ですからね!

 そして後頭部から肩にかけて冷たい。水を被ったから当然ですが。


「いきなりなにをなさるのですか?」


 中将(キース)大佐(ヴェルナー)に水を掛けるのを妨害してしまった大尉(わたし)なる図式ですが、庇うなという命令を下されていないからセーフ。

 キース中将が水差しをテーブルに置き、ヴェルナー大佐はそのまま。あ、済みません、いま避けますねー。


 軽口聞けるような空気じゃないんだけどさ。


「クローヴィス、付いて来い」

「はい」


 水を掛けたり掛けられたりするような会話、してなかったと思うんだが。そもそもヴェルナー大佐、ほとんど喋ってなかったし。ドアを閉じる前に室内にいるヴェルナー大佐に、


「ヴェルナー、あとでな」


 キース中将はいつもと変わらない口調で声を掛けた。いま、水を掛けようとしていましたよね? っていうか、水掛けたよね! わたしが代わりに被りましたけど。理由はなに? なんなの? 背中冷たいですよ。


「お前の反応の良さを甘く見ていた。よくあれほど咄嗟に人を庇えるものだな。それに関しては尊敬する」

「ありがとうございます」


 その反射神経なら弾丸避けられるんじゃね? とは言われたことがある。もちろん試したことはない。


「俺がヴェルナーに水を掛けた理由だが、後日ヴェルナーの口から直接話させる」

「はい」


 とにかく理由はあるらしい。教えてくれるというのだから、その時まで黙って待とう ―― 私服のスーツに着替え帰宅した。

 現在わたしが住んでいるのは実家。

 士官学校入学以来家を出て九年近く。休暇の時期は帰宅していたが、実家に腰を据えて職場に通うのは初めてのこと。


「イヴお嬢さま、洗濯物をお預かりいたします……この濡れは?」

「水だから普通の洗濯で大丈夫だ」

「畏まりました」


 メイドに軍服を渡し、カリナに勉強を教えて家族で食卓を囲む。

 なんかカリナのテンションが高い。


「姉ちゃん。本読んでくれる?」

「いいよ。寝ちゃったら部屋に運んでおくから、安心して眠りな」


 眠る時間となりパジャマに着替えたカリナはわたしのベッドに入り、ちょっと難しめな本を開き読んで聞かせる。二十分もしないうちに、カリナの頭が本に落ち ―― カリナの部屋へと抱きかかえて連れて行き、本人のベッドに寝かせる。

 なんでカリナのベッドで読まないの? ベッドのサイズがね……。


「本当にいいの?」

「もちろんだ。もともと独身寮ではなく、実家から通って欲しかったくらいだからな」


 カリナが寝た後、父さんに結婚するまで実家に住んでいいかどうかを尋ねたら「当たり前だろう」と ―― わたしの部屋は今日帰ってきたら、綺麗に掃除され、シーツも枕カバーも新しいものに取り替えられており、新しい服まで用意されていた。

 父さんはわたしの部屋に勝手に入ることはないし、メイドたちも指示されない限りは立ち入ることはない。きっと継母(かあさん)が整えてくれたのだろう。


「でも深夜に帰宅したり、夜明け前に呼び出されたりすることもあると思うんだ」


 親衛隊隊長という役職上、急な呼び出しは避けられない。家の前に迎えが来ることにもなるだろう。そうなると騒がしい。

 ご近所迷惑もそうだが、十代始めの睡眠が重要なカリナが、騒音によって睡眠を妨害されるとか、姉さんとしては避けたい。

 いやね、当初は独身寮に戻ろうとしたのだ。

 女性士官の独身寮は常時空きがあるので、いつでも入寮できる。

 だから今朝登庁後、すぐに書類をキース中将に提出したら「お前は馬鹿なのか、クローヴィス」と。

 折り合いの良い家族なのに、結婚前に寮に戻るなんてのは、両親が悲しむと言われてしまった。

 「結婚しても同じ首都在住ですし」と言ったが「そういうもんじゃない」ともね……独身で子供もいないキース中将の言葉に「えー」と思ったら、すぐに内心読まれてしまいましてね。「俺はお前の両親と年齢が近い。だから俺の考えのほうが、お前の親の考えに近い」そう言われたら抵抗できませんし、なによりキース中将が許可してくれないと独身寮入れないし。


「カリナが一番楽しみにしてるのよ」 

「カリナが物心ついた時には、イヴは家から出ていたからな。近所には事前に話をしておく。もっとも総司令官閣下の親衛隊隊長の呼び出しに、文句を言うような人はいないだろうがね」


 カリナと一緒に住んでいたのは二年くらいだもんな。それもカリナが生まれてから二歳まで。物心がついているどころか、独り立ちしてもよい年齢だったわたしとは違い、カリナはほとんど記憶ないだろうな。そうか……まあ、一緒に生活できるのは楽しいな!

 自宅住みってことで明日書類を提出しよう。


 翌日登庁すると、ヴェルナー大佐が休んでいた。

 仕事中毒(ワーカホリック)として有名なヴェルナー大佐が!

 昨日話をしている間は体調悪くなさそうだったが……水掛事件か? 水が掛からなかったから体調崩したのか? いや、まさか……わたしが庇ってダメージを与えてしまったのか?

 さらにはキース中将まで休んで……あれ? 仮眠室に住み着いてるんじゃなかったんですか? キース中将。休暇を取るのはいいことですが、一体どこにいらっしゃるんですか? 休暇なら何処にいてもいいだろ……とはいかない。なにせキース中将は公人ですから。ひりつくような近隣諸国の情勢の中、重要人物が行き先も告げずにいなくなるなどというのは、許されないことなのです。


 副官、もしくは親衛隊隊長(わたし)くらいには行き先教えてください。


「ヴェルナー大佐の官舎にお出でだそうです」


 同期だが職場ではわたしのほうが階級上なので、エサイアスが丁寧な口調で……笑いがこみ上げてくるが、我慢しなくては。


「そうか」


 ヴェルナー大佐の官舎か……隊長として警護に向かいたいところだが、わたしが単身で向かって警護させてくれるか? 無理ですよね。

 ぽっかりと時間が空いてしまったわたしは、キース中将の仮眠室に預けた荷物を実家に運び、住所関連の書類を提出して、あとはリーツマン中尉とエサイアスの仕事を手伝った。

 昼過ぎにキース中将から「明日ヴェルナーの官舎にクローヴィスが迎えにくるように」との通達が入った。

 明日事情を聞かせてくれるのか。

 なんだろう……。とにかく明日迎えに上がるので、その手はずを整える。


「リーツマン中尉はヴェルナー大佐の官舎を訪れたことがあるのか」

「はい。北方司令官時代、キース閣下は夜会に出席する際、ヴェルナー大佐の官舎をホテル代わりにしておられまして、小官も一度宿泊させていただきました」


 キース中将がホテルに泊まらない理由など、聞く気にもならない。むしろ安心できる空間があってよかったですね! と、全力で労りたくなる。


「ではヴェルナー大佐の官舎()、通いのメイドはいないのか」


 キース中将が定宿にするってことは、女っ気がないってことだからね。


「いないそうです。自宅は眠るだけなので、とくに人手は必要ないとのことです」


 仕事中毒(ワーカホリック)なヴェルナー大佐らしい。もしかしたら、キース中将の官舎並に殺風景なんかね。


「五、六人が泊まり、コーヒーや酒を飲む食器は揃っています」


 キース中将の住居よりはマシってことですか。


「食糧品らしいものはなかったです。以前麦を買ったが、気付いたら虫が湧いて副官が泣きながら片付けて以来、食糧品は買わないようにしているそうです」


 リーツマン中尉の語る状況が簡単に想像できる。


「迎えに上がる際に、差し入れくらい持って行くか」


 必要なかったら、わたしの昼食にしよう。


「じゃあこの書類届けて、そのまま帰るな」

「手伝い感謝します、クローヴィス大尉」


 リーツマン中尉に感謝されたが、届け先が臨時政府庁舎なので。閣下のお姿を拝見できたらいいなーという、私的が過ぎる野望からですので感謝は不要。

 臨時政府庁舎といっても、もともと閣下が職務で使用なさっていたベルバリアス宮殿、将来の大統領府なんですがね。

 不純な動機で書類を届けたわたし ―― 残念ながら閣下のお姿を拝見することはできなかった。

 閣下にお会いしたいし、ディートリヒ大佐の容態も知りたいのだが、新聞記者が大勢たむろし、政府職員たちが紙束を持って走り回っている状態ではさすがにね。

 書類を秘書官に渡し、帰り道に食料品店を見て歩き、見た目からは想像もできないほどずっしりとしている黒パンにサーモンとトナカイ肉の燻製。玉葱にディルとクリームチーズ。あとはオレンジを買って帰宅した。持参する差し入れはサンドイッチです。

 明日の朝、継母(かあさん)の台所を使わせて欲しいと頼むと快諾がもらえた。


「明日は姉ちゃんが作った朝ご飯食べられるの!」


 カリナが目を輝かせて ―― 断れないよねー。断る理由がないよねー。ということで、夜のうちに下拵えをし、持参しようと思っていたものより、彩りよく種類も豊富になりました。

 最初は黒パンにクリームチーズを塗り、スライスした玉葱とディル、燻製を挟むだけのつもりだったのですが、人参のラペを作ったり、ゆで卵を作っておいて、朝に潰してマヨネーズや塩胡椒、牛乳などと混ぜて具材にしたり、トマトをスライスしたりベーコンを焼いたりと ―― 朝からカリナと継母(かあさん)が手伝ってくれました。


「美味いよ、姉さん」

「そりゃあ、良かった」


 極論買ってきたパンに、切った具材を挟んだだけなんだが、そう言ってもらえて嬉しいよ、デニス。

 サンドイッチを作って鞄に詰め、迎えの公用馬車に乗り込みヴェルナー大佐の官舎へ。初めての場所ですし、以前のように馭者が買収されていたりすると困るので、しっかりと地図と標識で道を確認し、無事にヴェルナー邸に到着。

 馬車を往来で待たせヴェルナー大佐の家のドアをノックした。

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