【091】大尉、二代目について教えられる
「そこまで楽観視はしていませんでしたが」
ヴェルナー大佐は優秀な人です。
ガイドリクス陛下直属の部下で、前線指揮官を務めている。フォルズベーグでセイクリッドを、速やかに捕らえられたのはヴェルナー大佐の作戦によるものだしね。
「明言しておこう。選挙結果にもよるが、わたしは二期八年大統領を務めてやってもよいぞ。もちろんイヴが退役していても、ロスカネフから立ち去りはせぬ」
「……」
「わたしへの陳情に、わたしの妃を使うな。二度目はないぞ、分かったか? ロスカネフ」
「御意にございます」
個人名じゃなくて国家名ってあたり、圧が凄いです閣下。
声荒げているわけじゃないし、大声でもないのになあ。
「もっとも、女性士官が結婚、妊娠、出産しても辞めずに済む軍を作りたいだけならば、協力してやってもよい」
「できることなら……」
「そうか。では、大統領に就任できた暁には協力してやろう。下がれ」
退出命令が出たので、わたしはヴェルナー大佐と共に喫煙室を後にした。
「ああ、済まん。下がるよう命じたのはヴェルナーだけだ。大尉はここに残れ」
「そうでしたか」
「その辺りは察しろよ、クローヴィス」
呆れたような声で、ヴェルナー大佐に言われてしまった。
「呼び出された時、一緒だったので」
「この話の流れで、どうして俺と一緒に退出しようとするのか分からん。お前らしいと言えばお前らしいがな、クローヴィス。失礼いたします、リリエンタール閣下」
わたしの鼻先でドアが閉まり、ぎこちなく振り返ると閣下は足を組み、新しいパイプに火を付けていた。
先ほどまで座っていた席に戻り腰を下ろす。
「大尉。前例や慣習を排除して考えて欲しいのだが、仕事を続けたいか?」
パイプをくわえている閣下が、やや身を乗り出してわたしに尋ねてきた。
それと同じくしてドアが開き、コーヒーの香りが漂う。執事のベルナルドさんが、コーヒーとチョコレートを持ってきてくれた。
それらを各自のテーブルにセットすると、すぐに退出する。
「周囲にいないので考えたこともありませんが、続けられるのであれば続けたいと思いますが」
本当は前世の記憶があるので、復帰したいという考えですが、現状それは難しい。あと大統領夫人……というのも、大変そうだしね。
前世は普通の人間だったので、大統領夫人なんて知らん。何をするのかすら興味なかったし。
いや閣下が大統領になるかどうか分からないんですが……なるよね! 間違いなく大統領だよね。
「そうか。嫌ではないのだな」
「はい」
「体調が許す限りでよい、ぜひ協力して欲しい」
「結婚後も軍務を続ければよろしいのですね」
「そうだ」
「分かりました」
「実はな大尉。わたしには初代と二代目の大統領に心づもりがあるのだ」
「初代の予定はガイドリクス陛下でしたね」
「そうだ。ガイドリクスは即位したので、初代はわたしが肩代わりしてもよい。問題は二代目だ」
わたしなんぞ、来年の大統領選挙ふああああ……状態なのですが、閣下は九年先を見据えているのですね。この辺りの視野の広さって凄いなあ。
「二代目は誰を?」
「アーダルベルト・キース」
「…………!」
「今年の末、共産連邦と戦うが、その理由の一つはキースを大統領にするために、派手な軍功を一つくれてやることにある」
キース中将は堅実な成果を挙げているが、閣下のような派手な戦功はない。いや、まあ、閣下が派手過ぎるだけであって、キース中将の手堅い功績だけでも、凄いんですけどね。
「それ、キース中将は……」
「知らんな。あれは大統領になるのには、結婚が必須ということで、自分はまるで関係ないと思っておる」
「それは」
一生独身って顔してますからね、キース中将。幸せになって欲しいとは思っておりますが、その幸せが結婚かと問われると……。難しいところです。
「無理矢理結婚させるわけではない。大統領の条件に二十五年以上公僕として奉職したものは、独身でも可……とすればよいだけのこと。法に余白は残している」
「あ……」
大統領の条件を定めたの、閣下だった。その閣下が終生独身と思われるキース中将を二代目大統領にしようと、法を定めるより以前から考えていたのだとしたら……そりゃあ上手いこと余白残しているわ。きっと誰も気付いてないんだろうなあ。
捨て身離婚したガイドリクス陛下も気付いてない。無意味な離婚……でもなかったか……ちょっとそこは複雑。
「最初は王侯貴族のほうが混乱が少なくてすむ。だがそれが続いては意味がない。だから二代目は必ず平民から選ぶ。貴族の庶子ではない、貴族の婿でもないアーダルベルト・キースが、おのれの才覚だけで国のトップになる。市民にとって、これ以上ない大統領であろうよ」
たしかにいきなり全部庶民で構成されたら国の政治は麻痺するな。
うまく段階を経ないと、混乱しかない。実際ノーセロート帝国はシャルルさんの親族を処刑し、革命を成功させたが、貴族官僚を軒並み排除した結果、外交が酷いことになり、国力の低下まで引き起こした。
そういったことの引き継ぎは、しっかりしないと。まあ、ノーセロートは底力があるからなんとかなったが、小国である我が国は、一度たりとも失敗できない。
「時間をかけて、施政を完全に市民の手に渡すということですか」
「その通りだ大尉。あれが初代大統領は外交の混乱もそうだが、わたしと競うとなると、おそらく負ける」
おそらく……ではなく、絶対負けると思います。キース中将だって出馬しないと思います。
「来たるべき年末の戦いでも、わたしのほうが名声を稼いでしまうので、それらも落ち着くであろう八年後に大統領に就任させる」
「それは」
「軍の指揮はわたしでもできるが、キースに共産連邦との停戦を含む条件交渉は無理だからな」
それは絶対無理です。満場一致で無理ですわ、それ!
「向こうもキースが相手では、交渉のテーブルにはつかぬしなあ」
「閣下は共産連邦とどのような交渉を?」
停戦を含むということは、それ以外のことも交渉するわけだよね。
「大陸縦断貿易鉄道計画の再開。貿易も一部再開するつもりだ。驚いているようだが、勝ち目はある」
「いえ、あの、規模が大きすぎて。どれほど勝てば、その条件を引き出せるのか」
まずは殴り合って、そこから条件を提示して講和に持ち込むわけだが、その条件を飲ませるとなると、我が国が相当勝たないと無理ですよね。
もちろん敗北はしませんよ。勝てはしないけれど、負けなければいいだけですから。なにせ一回でも敗北したら、国消し飛ぶから。国力の差は残酷なんです。
「心配する必要はない。計画通りに進んでいる。あいつらはわたしが敷いた地獄行きの軌条の上を、楽しげに走っている。その無邪気さは、愛おしさを覚えるほどだ」
共産連邦、ご愁傷様でした。共産連邦最大の敵は、ますます磨きがかかっております。閣下、格好良い!
「それは」
「全てを事細かに語ると長くなりすぎるので要約すると”二十年間に及ぶ経済制裁が功を奏した”ということだ」
二十年間の経済制裁……共産連邦できたときから、経済制裁を仕掛けていたのですか。壮大ですが、あのルース帝国を引き継いだ共産連邦が相手ですから、そのくらい時間掛かるでしょう。アディフィンやノーセロートなら十年くらいでやり合えたかもしれませんが、我が国は小国ですからね。
「ところで閣下。キース中将の大統領就任と、わたしが不文律を破り軍に残ることの関係は?」
「あれの政治能力を見たい。あれとは長いこと一緒に仕事をしているので、政に関しても一定以上の水準を満たしていることは知っているが。まあ十年掛けて、政治に関する力を育てたということもあるのだがな」
「もしかして、我が国に来た当初からキース中将を?」
「そうだ。ただあれとわたしで、政治関連で意見が対立したことは一度もない。いつも足並みを揃えているからな」
閣下に隠れて政治的なことをするのは、初めてということですか……バレてるけど。さらに本人が知らないところで、九年後の大統領に定まってるけど。初代大統領が閣下だから、憲法もさくっと変えられて、就任間違いなしだけど……閣下のほうが、五枚も六枚も上手ですわ。キース中将頑張れー。
「今回のことはキース中将が大統領になるための、最終試験というところですか」
「そうなるな」
厳しすぎませんかね、閣下。いくらキース中将でも、閣下がラスボスでは。政治のみならず、軍事でも閣下に勝てそうな気はしないのですが。
「難しいのでは」
正直無理なんじゃないかなー。
「いまのままでは無理であろうな。そこで大尉、帰国後にキースたちに協力を申し出てやってくれ」
「キース中将たちから頼まれるのではなく、わたしのほうからですか」
「本来であれば、大尉の協力なしで、この難しい法案を通させるのが筋だ。大尉を上手く使うのは賢いが、あれの真の実力が分からぬ。だから大尉の協力を得た場合、わたしが最大の難関を務める」
そっかー。わたしは閣下と結婚するから、閣下に大統領を務めてもらうためには、わたしを国に縛り付ける必要がある……という感じで結婚離職の不文律を排除できるが、それだと簡単過ぎて駄目なんですね。だからこそ閣下が最大の敵となられるのですね。
「……一つだけ」
「なんだ? 大尉」
「上流階級の方は妻を働かせるなど以ての外、もしくは甲斐性なしと言われますよね。上流階級に属される閣下は、わたしが軍務を続けることにより、甲斐性なしと言われることになるのでは? そしてわたしは、それを甘受できないのですが」
正面きって言えないだろうからきっと陰口。それを小耳に挟んだら、反射的に腹パンしちゃいそう。
閣下はパイプをくわえたまま、動きを止められ、少し間をおいて笑われた。
「閣下……あの」
「ああ、大尉。嬉しくてな。わたしのことを心配してくれてありがとう。そうか、わたしがそう言われるのは不愉快か」
「もちろんです」
笑う閣下を見ていたら、わたしも楽しくなったのは言うまでもない。国に帰ったらキース中将に協力すべきかな、でも閣下が甲斐性なしって言われるのは嫌だしなあ。




