【070】大尉、逆さ吊りで応戦する
ディートリヒ大佐の説明通り、テーグリヒスベック女子爵ブリュンヒルト閣下はデニスが大好きな鉄道技師、マイク・グリフィス(故人・男性)と瓜二つだった。
写真はまだ白黒しかない時代なので、色会いは分からないが、顔の造作は瓜二つ。
それ以外はまったく違うんじゃないかな。
癖の強い茶色い髪を後ろで一本にまとめて、かっちりとした軍服と思われるデザインのものを着用している。
背は高め ―― ただし女性にしては。
凄い高いとか、驚くほど高いとかそういうのではない。普通の身長高め。
大佐はその女子爵閣下の元へと行き、なにやら二人で話をしている。
二人が並んでいる姿を遠目に見ても、うん、大佐のほうが背高い。わたしと大佐? そりゃあ、わたしのほうが背高いですよ。
偉い人たちがお話している間に、救助部隊の人たちの指示をルオノヴァーラ大尉に翻訳してもらい ―― 怪我の重い人たちを順に馬車へと運び込み乗せる。
エーベルゴード大尉も無事に馬車に乗ることができました。
そして各自必要最低限の荷物を持ち、土地鑑のある救助隊に従い、領主の館を目指して歩き出す。
わたしは閣下から借りたトランクを背負い、ライフルを両手で持ち、大佐の隣を歩いている。大佐が離れるなといったので ―― 見た目では大佐を護衛している大尉ですが、実は違うのです。でもわたしとしては、大佐をしっかりと護衛しているつもりです。
「……」
「振り返ってどうした? クローヴィス大尉」
「大佐。あの荷物が気になりまして」
三等客室に乗っていた客は、全ての荷物を持ち出せているのだが、一等客室の客は荷物が多いので、ほとんどをその場に残すことになってしまった。
「回収は依頼するが、置いてここを発つことになるだろうな」
「そうですか」
長期赴任任務なので、わたしたちは荷物も多かった。
あとで送って貰えば? 先に送れば? そういうサービスない……というか、荷物が届く確率って五割くらいなんだよ。
だから大事なものは、自分たちで運ばなくてはならない。
「どうした? クローヴィス大尉。なにか残してきたもので、気になるものがあるのなら、俺が取りに行ってくるぞ」
「止めて下さい大佐。大佐にそんなこと、させられません」
「では、なにを気にしているのだ?」
「服の替えが……小官、この通りのサイズですので」
トランクの中には着替えフルセットが二回分あるのだが、かなり厳しい。
「そこは仕立て屋を呼んでやるから……」
「すぐに発つのですよね。無理ですよ」
一度体勢を調えてから出発するまで、多分一日くらいしか猶予はないはず。
わたしとしても、即任務に戻るのに異存はないのだが、たった一日で型紙から何から存在しない人間の服を、十着くらい作れ……というのは、料金をはずんでも無理である。
「まあ、そうだなあ」
「服は後から送って下さい」
「届くまでどうするつもりだ?」
「人前に出ない時は、全裸かシーツ巻いて過ごします。というわけで、シーツ買って下さい大佐」
女子爵閣下と一緒にブリタニアスを目指すのですから一等客室。その一部屋借りて全裸で過ごします。同性同士だから、少しは許してくれ……るかなー。
「服が出来上がるまで、出発を遅らせる」
「それは申し訳ない……っ!」
着替えをどうしようかなーという話をしていると、右前方から叫び声が聞こえた。何事だ? と銃を構えると……出たよ! 肩の筋肉の付き具合が完全にグリズリーです。
そして……デカい!
特殊な個体みたいでデカい! ヒグマの1.8倍くらいある。
まともに撃っても、絶対に貫通しないだろ、これ!
「木に登れる者は登れ!」
女子爵閣下の指示が飛ぶ。
「閣下も早く、登って下さい」
「わたしのことはいい! 馬の綱を切れ! 早くしろ。怪我人が!」
これだけ体が成長していると、体が重くて木には登ってこられないんだろう。
「クローヴィス大尉! あの樫の木に登れ!」
「了解いたしました、大佐!」
狙撃銃を肩から提げ、大佐に指示された樫の木に登る。背後から悲鳴が聞こえてくるが、もう少し耐えて下さい。
あのグリズリーをどうにかしようと思ったら、上から狙うしかない。
「もっと上まで登れ!」
「はい、大佐!」
大佐がわたしの後を登ってきた。待って下さい大佐、いまもっと登りますので。
五メートルほど木を登り下を見ると、グリズリーの襲撃で興奮した馬が暴れて、馬車に乗せた怪我人が投げ出されている。
そしてそれを助けようとする女子爵閣下。
早く逃げてー! なんて立派な貴族さまなのー! でも早く逃げてー!
わたしは狙撃銃を構えるものの、足下が非常に不安定。グリズリーを狙える位置の木の枝が非常に細い。
もう少し太ければ、安定して狙える……とか言ってる場合じゃない!
ちょっと、子供逃げて! お父さん、一緒に腰抜かしている場合じゃない……って無理か。
腰を抜かしている親子にグリズリーのヤツ、狙いを定めたっぽい。
待て、グリズリー。そっちじゃなくて、こっちを向け!
親子とわたしの間にグリズリー状態なので、わたしからは後頭部しか見えない。こっち向け、グリズリー。いや、本音としてはこっち来て欲しくないけれど、ここで撃っておかないと、安心して山道歩けないから。
「おい! こっちだ」
全く無反応だ! 人間の言葉分かんないもんなー! こっちに来やがれ! 思ったところでどうにもならんので、構えていた狙撃銃のベルトを口にくわえて、背負っていたトランクを下ろして、木の上から全力でグリズリー目がけて投げ、すぐに銃を構え直す。
「貴様! こっちだって、言ってるだろうが!」
見事なラインを描き、グリズリーの後頭部に命中。こちらに興味がむいたようだ。
「何をしている、大尉!」
下にいる大佐から、叱咤激励が ―― 叱責なのは分かってます。後で叱られるのも分かっております。グリズリーがこっちに迫ってきたら、下の大佐が危険なことは分かっております。
大佐の命が掛かってるんだ、絶対に外すなよ自分!
引金に掛けている指を ―――― いまだ!
「あっ!」
引金を引くと同時に、足下の枝が折れた。射撃の反動も相まって、仰向けで体勢を崩す。
「大尉!」
着地体勢を取れば大丈夫ですよ、大佐。レンジャー研修でこの位の高さから飛び降り……。
「ぐおおおおお!」
たしかに目を撃ち抜いたのに、咆吼が! グリズリーのやつ死んでない!
落下したら終わりだ! 木の枝に手を伸ばし掴み、すぐに両膝でぶら下がる体勢に。まさか逆さの状態で、グリズリーとやり合うことになるとは!
「おい、大尉!」
ぶら下がったら、大佐と顔の高さが同じくらいに。
「あとで何十時間でも叱られますから、いまは黙って下さい」
グリズリーは叫んで暴れている。グリズリーでも目を撃ち抜かれると痛いようだ。精々叫んでいるがいい。
残り五発、開いた口にぶち込んでやる!
一発! 上手く当たった。
更にグリズリー暴れ出した! 人間なら即死なんだけどな。
二発! これも開いていた口に吸い込まれた。
グリズリー怒っているようだが……まだ死なないのか。
三発! 口を閉じるという考えはないようだ。
そのまま口を開いて叫んでろ!
四発! できればこれで死んで欲しいな。
何かのために最低でも一発はとっておきたいから。
四発目を口内に打ち込むと、グリズリーが口から血を吹き出した!
そして崩れ落ち地面に俯せに倒れた。
まだ死んだかどうか分からないから、体勢を整えて弾丸を補充して警戒を ―― と、腹筋を使って起き上がったら、なんかバランス崩れた。
あれ? すごく呼吸が速くなってる。
「大尉!」
大佐が腕を伸ばし掴んでくれたのだが ―― 大佐、脱臼が癖になってるでしょう。そんな腕で掴まないで下さい!
わたしを掴んでいた大佐の腕の力が抜け、わたしはそのまま落下。
一応受け身を取ったのだが、どうも全身の緊張がまだほぐれていなくて、随分と下手くその受け身になった。
「いて……」
立ち上がろうとしたのだが、なんだろう、上手く立ち上がれない。呼吸は更に速くなってる。これ、過呼吸か! 極度の緊張から過呼吸になってる!
「大尉!」
体のどこも怪我はしていないのに、体が動かない。
動け! まだグリズリー、死んだと確認されたわけじゃない! この状況で動けなくなるとか、軍人失格だぞ!
「大尉! 怪我はないか」
「はあ……はぁ……負傷、なさて……る……大佐……」
声も出てこない。
そして大佐の左腕がだらーんとしています。早く肩をはめてください。
頭はクリアなのになあ。
「おい、しっかりしろ!」
「グ、リズリー……?」
ヤツが死んだかどうか?
「もう死んだ」
「ほんと……ですか?」
「ああ。もう危険はない。よくやったな大尉。大尉、息を止めろ」
息を止めるのが対処方法なのは知っているのですが、なんか上手くいかない。呼吸止めろ! 止めるんだ!
上手く止められないよ!
ん?
嘆いていたら、大佐の顔が間近に。あ、口塞がれた。
口で口を塞ぐという、わりと良くある対処法……じゃなくて袋を被せ……袋は嫌だー! シュテルンのヤツがあああ。袋は嫌だー!
「大尉! 嫌だろうが、いまは我慢しろ! 暴れるな!」
はい。口でお願いします、大佐。
呼吸が楽になり、大佐の心音が聞こえてきた。なんだろう、だんだんと緊張が解けて、気を失いそう。
……ここで気を失っている場合じゃない。せめて麓の領主の館までは…………。




