【068】大尉、転がる
蒸気機関車は軽快に線路を走り隣国で鉄道を乗り換えて、アディフィン南側を通過中 ―― わたしはディートリヒ大佐の従卒として、大佐の一等客室に寝泊まりしている。
他の二人は二等客室 。あの二人は一人一室が割り当てられていて、少し羨ましいけど、護衛付き生活に慣れるための練習でもあるので、仕方ない。
わたしは大佐の空き時間に、ブリタニアス語とルース語を教えて貰っている ―― ブリタニアス語は想像通り英語にとても近かったので、前世の記憶が大活躍。
完璧とは言えないが、すぐに日常生活を送るのには不自由ない程度になった。
記憶を取り戻して初めて転生ボーナスもらった気分! ……でもよくよく考えたら、英語は自分が努力した結果であり、記憶を取り戻した時に一緒についてきただけで、べつにボーナスでもなんでもなかった。
モブに転生特典ボーナスとかないですよねー。言語関係転生ボーナスって、普通は自動翻訳機能ですよねー。やはり、モブ!
前世で覚えた英語とブリタニアス語が似ているのはいいのだが、いまのわたしは前世ではまったく関係してこなかった専門職。
軍の専門用語とか、政治的な言い回しとか、外交担当者に必要な知識などは、前世の知識ではまったく賄えないので勉強は続いています。
でも日常生活言語はすぐにマスターできたので、その分の時間をルース語講座に。ルース語は覚えておいて損はないかなーと言うことで。
その他にも、色々と大佐に教えてもらっていたのです。
が、そろそろ大佐は別の任務に ―― その任務については、全く聞いておりません。話さないってことは、わたしに関係ないことなんだろうから、聞きはしない。そこら辺はね。
どこかへ任務を果たしに向かう大佐と、交代で同行者がやってくるのだそうだ。わたしはその人の従卒を務めつつ、ブリタニアス君主国を目指すのだという。
「本気で従卒しなくていいからな」
「そうなのですか?」
「表向き大尉はテーグリヒスベック女子爵の従卒だが、実際は女子爵が大尉の小間使いだ」
女子爵閣下を小間使い扱いとか、庶民には無理ゲーというものです。乙女ゲームでは子爵とか下端扱いですが、庶民にとっては子爵閣下です。
「無理ですって」
「いずれ使うことになるのだから、今から慣れておけ、大尉」
「どういうことですか?」
「テーグリヒスベック女子爵は、リリエンタール閣下の親族で家臣にして、バイエラント大公領の領主代行者。大公妃である大尉に仕えるのは当然ということだ」
聞けば聞く程、小間使い扱いできるわけないじゃないですかー! そんな血筋でしたら、乙女ゲーム界でも強キャラクターポジションじゃないですか!
あとまだ結婚してませんから、大公妃じゃないです! そもそも大公妃とか……サイズ的にはたしかに大ですが……。
領主代行をなさっている、テーグリヒスベック女子爵ブリュンヒルト閣下。
閣下の異母姉の娘さんなんだそうだ。
異母姉は前妻の子ではなく、たくさんいた愛人の一人が母親なんだって。
異母姉は愛人の子だけど、皇子の娘さんですので、良き嫁ぎ先は無数にあったのですが、平民士官に恋をしてしまったそうです。
ゲオルグ皇子、さらには母親である愛人も許さなかったのですが、士官も異母姉に恋をし二人は駆け落ち。
幸い士官は有能だったので、他国でも仕官することができ、慎ましやかに生活していたそうだ。ただし、閣下のお父上ゲオルグ皇子も優秀な人なので、婚姻を許可する聖教側に手を回し二人の婚姻を阻止した。
さすが神聖皇帝の息子だなー、閣下の父上。
これを覆すのは駆け落ちした二人を受け入れた国側でも不可能、二人は内縁の夫婦のまま過ごすことに。それでも夫婦は子宝にも恵まれ ――
「ゲオルグ大公亡き後、閣下はバイエラント大公領で働くのであれば、婚姻を許可しようと持ちかけ、夫妻はバイエラント大公領へとやって来た」
どうやって聖教の総本山に働きかけ大陸全土での婚姻を阻止するのか? またそれを解除したりするのか? わたしのような庶民には全く想像も付きません。
婚姻を認められた二人は、よく働いた。そして夫妻の一人娘は、領主としての才を見せ始め、閣下が領主代行として認められたのだそうだ。
「テーグリヒスベック女子爵は更なる知識を求めて、ブリタニアス君主国に留学したいと常々考えていたのだが、両親が渋ってな」
「自分たちは結婚で苦汁をなめたのにですか?」
自分がしたいことをさせてもらえなかった経験があるのだから、子供にはある程度理解を見せてもいいんじゃない? 浪費とか犯罪なら止めるのは当然だが、留学して勉強するんでしょ? 閣下から領主代行を任されるくらいなんだから、とても優秀なんだろうし。
「閣下もそう仰っていた」
「それ以外の感想を持ちようがありませんので」
「両親が留学を渋っているのは、テーグリヒスベック女子爵の年齢がな」
「十代前半とかですか?」
それなら両親も心配だろうね。でも留学させる余裕があるのなら、させてあげるべきだと思うよ。
「いいや、今年二十九歳だ」
「いい年した大人じゃないですか。よほど世間知らずなんですか?」
「いや、かなりしっかりしている」
「えっと、留学費用が出せないとか?」
「それは心配ないだろうな」
「なにが問題なんですか?」
「テーグリヒスベック女子爵は独身なんだ」
「留学にはなにも関係ないのでは? むしろ独身のほうが身軽でしょう」
分からん? 独身のなにが問題なんだ?
「親としては娘が二十九歳になると、勉強より結婚を優先して欲しいと考えるようだ」
あーそういうことですかー。
「閣下のご親族で爵位までお持ちの女性ならば、引く手あまたでしょうから、そんなに焦ることなどないのでは」
大佐が眉間に皺を寄せて、そしておもむろに ――
「大尉は鉄道技師のマイク・グリフィスを知っているか?」
なんです、大佐。いきなり鉄道談義ですか? 小官は鉄道技師とか知りませ……マイク・グリフィス? 聞き覚えがあるな。ああ! ワルシャワについてデニスに聞いた時に語ってくれたおまけ……まあ、本体より、おまけのほうが長かったけど。あの時たしか聞いた!
「大陸縦断鉄道計画の際、ロッセ~ファブロウ区間を担当した人物でしょうか?」
デニスがそう言っていました。
「そうだ。そのマイク・グリフィスの写真を見たことは?」
「あります。正面と横顔の写真を見せてもらいましたが、かなり特徴的な顔だちですね」
デニスが「特徴的なんだよ」と言いながら見せてくれたマイク・グリフィスの写真だが、目は細くて埋もれ気味で、お目に掛かったことがないほど立派な鷲鼻。頬骨は高めだが、頬は肉付きがよく尖っているというよりは盛り上がっているが相応しい。
それよりも目立つのが瘤が目立つ額。
横顔を写した写真も見たが「こ、こぶだい?」と呟きたくなるほどに、ぼこっとしていた。
「テーグリヒスベック女子爵はマイク・グリフィスの内孫で瓜二つなんだ」
「うちの弟が大喜びしそうですね」
マイク・グリフィスの息子は士官の道を選んだから、デニスの記憶の宮殿には「一人息子は普通の軍人」しか書き込まれてなかったな。
「そういう返事が返ってくるとは思わなかった」
大佐が苦笑したが、どんな返事が返ってくると思ってたんだろ……ん? 大きな汽笛が鳴って……急ブレーキ!
暴力的な鉄と鉄が擦れる音が続き、体の自由が利かなくなる。
「大尉!」
床の上をごろごろと転がっていたわたしの二の腕を大佐が掴んで、頭の辺りを胸元に引き寄せられた。
大佐に庇われる体勢で、蒸気機関車がなにかと激突する音と衝撃を全身で味わった。
胸元で抱かれる形になっているわたし……大佐? 左腕がだらんとしていますけれども。
「大佐、左腕が」
「ただの脱臼だ」
そう言うと大佐は立ち上がって、左肩を壁に二度ほどぶつけて、はめなおした。
す、すげえ……。脱臼って痛いらしいよ。わたしは脱臼したことないけど。そして壁にぶつけてはめるとか。
左手を握ったり開いたりしている姿の玄人感。
「済みませんでした」
「なにがだ? 大尉」
「大佐の左肩が外れたのは、小官を引っ張ったからですよね」
大佐は急ブレーキを受けてすぐに、車体に溶接されている手すりのような部分に右手で捕まっていた。そしてごろごろしているわたしに手を伸ばして、引き寄せてくれたのだが、運動エネルギーが容赦なく加わっていたわたしを、片手で引き寄せたのだから、その負担は計り知れない。
「任務だ。気にすることではない。大尉も護衛任務で肩が外れたところで、相手に謝罪は求めないだろう」
それは仕事ですからね。
「はい。でも感謝されると嬉しいですね。ありがとうございます、大佐」
「それはありがたく貰っておく」
そして二人で現状確認のため、窓から外へと出たら ―― 惨状としか言えない光景が広がっていた。




