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【066】大尉、落涙する

 閣下はお疲れなので、話は明日……じゃなくて、朝に持ち越され、わたしはベルバリアス宮殿で休むことになった。

 仕事に関してだが、戴冠式当日まで閣下の護衛という名目で、側にいることに。

 一眠りして起き、身支度を済ませて部屋を出ると、昨晩ヒースコート准将が「つける」と言っていたネクルチェンコ少尉と部下数名がいた。

 ネクルチェンコ少尉が近づいてきて、何処へ向かうのか尋ねてきたので、空腹なので食堂にいきたいと告げると、食堂ではなく閣下のお部屋でどうぞと、寝室へ連れていかれた ―― 閣下はベッドの上で身を起こした状態。

 執事のベルナルドさんが、寝室に食事の用意をしてくれ、閣下と一緒に食事を取った。閣下は昨日腹パンくらって腹痛のため、食事は進まなかったが。

 朝食後、閣下は着替えられた。

 相当痛そうなので、ゆっくりとお休みになったほうがいいのでは? 思ったのだが、横になっていようが歩いていようが、傷みに差違はないと。

 それはたしかにそうなのですが……。


「大尉に話したいことがある」

「はい」


 小さめな談話室へと移動し、椅子に腰を下ろし向かい合い、


「大尉は皇妃になりたいか?」


 開口一番にそう仰った。


「いいえ」


 わたしは考えるよりさきに、拒否の言葉が口をついていた。

 閣下はいつも通りに微笑まれる。


「即答だな」 

「申し訳ございません。熟考すべき事柄でした」

「いいや。問題ない。言葉にしてしまえば、非常に愚かしいことだが、聞いてみたかっただけだ」

「そうでしたか。あの小官が皇妃になりたいと言ったら、閣下はどうなさるおつもりで?」

「愛する女が望むのであれば、帝国の一つくらい手に入れるが」


 さらっと言われた。冗談と変わらないレベルのさらっと感。でも閣下ならできちゃうー!


「そのように言っていただけるのはありがたいのですが、皇妃とかはちょっと……」

「分かった。大尉に聞きたいのだが、大尉はわたしの生い立ちについて知っているか?」

「一般的に流布されている程度のことならば」


 生い立ちが世間に知られているというあたり、大物ですよね。


「大尉が知っているわたしについて、聞かせて欲しいのだが」

「はい」


 閣下が意図するところは分からないのだが、齟齬などがあっては困るのかも知れないな。

 とりあえず自分が知っている閣下について、当人を目の前にして話すことにした。

 閣下の家庭環境は複雑……らしい。公表されている部分は知っている、いや、デニスから聞いたよ。

 閣下の父親のゲオルグ皇子と母親のエリザヴェータ皇女の年の差は約二十歳。

 ゲオルグ皇子には前妻がいて子供もいた。

 言葉のチョイスが難しいのだが、タイミング良くとしか表現しようのない時期にゲオルグ皇子の前妻が亡くなり、エリザヴェータ皇女が嫁いだ。

 ゲオルグ皇子は愛人多数で庶子も数名いる。

 エリザヴェータ皇女は非常に信仰心の篤い皇女で、本人は修道院に入るつもりだったのに、結婚するはめになり ―― 一人息子を産んだことで、責務は果たしたと別居に。ゲオルグ皇子も引き留めはしなかった。

 信仰に忙しい母親と、政治に鉄道事業に外交、そして女と精力的に過ごしていた父親。

 幼児期の閣下がどこにいたのか、わたしのような庶民には分からない。

 公式に表に出てくるのは、聖教の司祭に就任した五歳の時。

 あれだ。前世において有名なチェーザレ・ボルジアと勝負できそうなくらいの出世スピードで司祭となり、世にその名を知らしめた。

 その後も教皇領で着実に出世していったが、十二歳の時に次期ルース皇帝と定められ、そこから幼年学校に進学し現在に至る。


「……以上です」


 知っていることを語り終えると、閣下は頷かれた。


「わたしの人生はそれで間違いはないが、それはわたしではないな」

「閣下」

「大尉が知るわたしの過去はそれで良いと思っていたのだ。だが、それだけでは、大尉とわたしの距離は縮まらない」


 閣下が言いたいことは分かる。

 わたしの中で閣下は教科書に載っている人の割合が大きい。謂わば偶像に近い。


「偶像に近い感覚なのは否定いたしません」

「それは大尉が悪いのではない。内心をさらけ出さないわたしが悪いのだ」

「あの……小官の察しの悪さが……」


 閣下は小声で笑われて「そうではない」と手を振られた。


「わたしはこれでも、老獪で冷徹な政治家と言われている男だ。大尉のように素直にまっすぐ育てられた若い娘が、内心を理解できぬのは当然だ。悪いのは大尉の前でも、内心を気取られぬようにしていたわたしだ」

「……」


 言われてみれば、閣下ほどの政治家の内心を推し量るなんて、ほぼオープンな家庭で育ったわたしにできるはずない。


「大尉に内心を隠したいわけではないのだが、意識せずに隠してしまう癖があるらしい。これはできる限り直すことを誓うが、四十年ちかくこの性格だったので、少し時間が欲しい。そして、その第一歩として、誰にも言っていないことを大尉に語りたい」

「はい。小官は察しが悪いので、内心を語っていただけるのは嬉しいです」

「楽しい話ではないが聞いてほしい。わたしがロスカネフ王国(わがくに)に居る理由の一つは、ルースからの難民問題を解決するためだった」


 ルース帝国が滅び共産連邦国家が成立した後、多くの人が国を脱出しようとした。

 難民を受け入れなかった国もあるが、我が国(ロスカネフ)はルース帝国最後の皇后が自国の王女だったこともあり、ほぼ全員を受け入れた。

 もっとも我が国(ロスカネフ)は共産連邦とそれほど国境を接していないため、あまり多くの難民はこなかったが。


「閣下が対処してくださったおかげで、我が国(ロスカネフ)は深刻な難民問題が生じることもなく、また難民とのいがみ合いも少なく、治安よく生活できております」


 父さんに「閣下が大統領戦に出馬したら投票するの? 投票するかどうかは教えてくれなくてもいいけど、父さんくらいの年代の人、ルース皇族は嫌いでしょ? それでも圧勝って言われている理由ってなに?」そう尋ね、返ってきた理由でもある。

 難民を受け入れた当時は閣下がいなかったので、国は大変な状況で、治安の悪化もあったそうだが、閣下がお越しになってから、劇的に難民問題が解決したのだそうだ。


「それなのだが、難民を発生させた理由はわたしにある。正直なところ、その名声は自作自演に近いものだ」

「はい?」

「大尉は執事のベルナルドから、わたしとシャフラノフ皇女アナスタシアが婚約していたこと、そしてアナスタシアの身の上に起こったことは聞いているな?」

「はい」

「わたしはシャフラノフ皇族が国家保安省の者たち、今の共産連邦の幹部のことだが、やつらに幽閉されたとの知らせを受け、アナスタシアを助け出すために、ルース帝国に行った」

「え……」

「アナスタシアを妻に迎えて、ルース皇帝の座を継ぎ、国家保安省の暴走を収めるつもりだった」

「それは……」


 そうなっていたら、多分……いいのかな? 閣下がルース皇帝になっていたら、共産連邦はいないが、攻めてこないわけじゃないし……。


「わたしはアナスタシアにルースを取り返す算段があるから脱出するぞと腕を引いたが、拒否された。アナスタシアは言った。”マトヴィエンコは本物の魔術師だったのか”とな」

「それは、どういう意味で?」

「”マトヴィエンコに貫かれる都度、わたしはルース帝国が永遠に繁栄することを願った。だがそれはもちろん本心ではない。滅ぶことを望んでいた。だが滅びを願い、それが叶えばマトヴィエンコの術がもたらしたものになってしまう。あの浅ましい男は不思議な力など持たないただの人間だ。そのことを証明したかった。だから実現不可能な願いをいだき陵辱された”、アナスタシアはそう言った。抵抗できなかったアナスタシアが、自我を保つために、己の心を守るために考えた陵辱される理由(・・)がそれだった」


「最後に”わたしがあなたの手を取ったら、ルースは滅びないじゃないの。マトヴィエンコは本物だったというの”そして泣き崩れた。無理矢理連れ出すこともできたが、シャフラノフの皇女たちは助けにきてくれただけいい、感謝しているからこそ、これ以上は。もうわたしと生きる道は違うから、あなたはあなたの道を進んで欲しいと。それが本心なのは分かったので引き下がった」


 閣下は皇女たちを連れ出すことなく、ルースの地を去ったんだ。当時定まっていた婚約者じゃなくて、かつての婚約者を助けにいった閣下……きっと皇女は嬉しかったと思うんだ。


「どちらの結末でも、願いは叶ってしまったことになりますね」


 国の崩壊は叶った。だが生き延びて閣下と共に国を取り戻したら、それはそれでマトヴィエンコは願いを叶えたことになる。

 きっとそれは願ってはならない事だったんだろうけれど……それ以外、何を願えばよかったのだろう。……なんだろう、上手くは言えないけれど……。


「大尉の言う通りだ。シャフラノフ皇女たちの結末は大尉も知っての通り、そしてルース帝国は滅び、難民があふれ出した。この問題を片付けるのは一度はルース皇帝になろうと決意したわたしの仕事だ。だから、感謝される筋合いのものではないのだ……大尉、なぜ泣く?」

「何故だと思います?」

「分からんな」

「正解です。小官も分かりません」


 袖口で涙を拭っていたら、閣下がハンカチを差し出してくれた。そのライラック色のハンカチで顔を半分覆い隠し思う ―― 皇女には閣下の手を取って欲しかった。拒絶した理由が閣下の未来のためだったとしても。

 そうしたら、閣下がこんな悲しそうな表情を浮かべることはなかったのに。

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