【064】大尉、未知の領域に踏み込む
ドレスに着替えるシーンまで閣下の前でしなくてはならなかったのが、非常に恥ずかしかった。
レオニードの手袋に関してはわたしが「脱いだ」と言わなかったので、誰も触れはせず。
会話や仕草、動きなどを何度か繰り返し、再現が終わった頃には、すっかり夜が更けていた。
「ありがとうね、大尉」
「感謝いたします、大尉」
室長とベックマン少尉から労いの言葉をかけられ、軍服に着替え、キース中将がいる部屋へ。
「キース中将閣下。クローヴィス大尉です」
「入れ」
ドアを開けて入ると、脱ぎ捨てたタキシードが乱雑に椅子の背もたれに掛けられ、着替え終わったキース中将がいた。
「来たな」
室内にはキース中将一人きり。
「はい」
これから、叱られるんだろうか……叱られるのか……。
叱られるのは、当然のことなので良いのだが、忙しいキース中将の時間を使わせてしまうのは心苦しい。
そう言う意味では、叱られたくないなあ。
「そこに座れ」
指示されたので、ソファーに腰を下ろす。
もちろん背筋は伸ばして、軽い握り拳を作り、膝の上に置く姿勢で。
「殴って悪かったな」
「いいえ」
いきなり謝られた。あの、それは謝る必要はないかと思いますよ。
キース中将は目を細めて、微笑むんですが…………ああ、儚いしか適切な言葉がないや! さすがですね、キース中将。
「あの殴打には、個人的な感情も混じっていた」
「え……あの……それは」
亡くなった恋人に対する感情なのかなあ。さすがに尋ねるのは憚られる。
「そういうことだ。悪かったな」
だがわたしの表情から、大体読み取って下さったようだ。
「いいえ」
むしろ思い出させてしまって、済みませんでした。
「俺はこの作戦には反対だった。大尉が完全に騙されるのは分かっていたからな」
「お恥ずかしい限りです」
「一度、ぐうの音も出ないほど嵌められたら、大尉も危機感を覚えるだろうと言われ、俺は引き下がった」
「……室長ですか?」
「そうだ。リヒャルト・フォン・リリエンタールの妻ともなれば、情報を欲する奴らが、始終付きまとい、4104のように色々と仕掛けてくる。残念ながら、大尉が好きになった男はそういう男だ」
キース中将は口の端を上げて、目を伏せた。
わたしはと言えば、どう返したらいいのか分からず、黙っていることしかできない。
「大尉」
「はい、閣下」
「昨晩のことで、なにか隠していることがあるな?」
ば れ て る !
……むしろ、なんでバレていないと思っていたんだろう。キース中将はわたしの真正面にいたんだ。挙動不審さなんて、すぐに察知して当然だ。
「たしかに隠しごとをいたしました。隠していたのは、レオニード・ピヴォヴァロフが手袋を脱いだことです」
「野郎の手袋? どういうことだ?」
キース中将はレオニードが手袋を脱がないことをご存じないらしい。
隠しきれない場合は喋っても良いとマルムグレーン大佐に言われていたので、まとめて説明をした。
「マルムグレーン……ああ、なるほどな」
レオニードの指についてよりも、マルムグレーン大佐のほうが気になった様子。
「やはり隠し通せませんでした」
「テサジークは気付いていない。参謀長官は分からんが、俺はなにも聞いていない。それでいいな」
「あの……」
「野郎の指があろうがなかろうが、総司令官である俺にとってはどうでもいいことだ」
どのように返事をしていいのか分からない……と思っていたら、ドアがノックされ、迎えの馬車が到着したと告げられた。
正面玄関まで見送りに出ると、馬車にはエサイアスも同乗している。
キース中将が乗った馬車を見送り、宮殿に戻った。懐中時計で現在の時刻を確認すると、既に22:00を回っている。
「…………」
宮殿に戻ったはいいが……えっと、わたし帰っていいのかな?
むしろ帰るべきなのかな?
でも帰宅許可出されていないし。……現在直属の上司である、マルムグレーン大佐に尋ねよう。
「クローヴィス大尉」
「はい!」
入り口ホールでまごついていたら、すっかりと聞き慣れた声に呼び止められた。
声がした方を向くと、憲兵特有の軍帽を被った、マルムグレーン大佐が部下数名と共にやってきた。
「夜更けだが、良い返事だな」
「ありがとうございます」
吃驚しただけですがね。
大佐に付いてくるように言われたので、黙って指示に従う。
連れて行かれた先は、おそらく大佐の執務室だろう。はっきりと分からないのは、扉に名前や階級が書かれておらず、執務室の机にも名札がない。
部屋全体は片付いているのだが、それがなんとなく殺風景に映る。また部屋には誰もいない。
「なにか飲むか? 大尉」
「いいえ」
椅子に腰を下ろした大佐のお誘いだが、とくに飲み食いしたくもないので遠慮させてもらった。
「そうか」
大佐は執務机に肘をつく。
あ、そうだ。キース中将にバレてしまったことは、伝えておこう。
周囲に人はいないが、できる限り聞かれないようにと、大佐の側へと近づき耳元で囁くようにして伝えた。
「中将なら気付くだろうな」
大佐もそこは納得してくれたようだ。
妙な静けさの中 ――
「大尉」
「はい、大佐」
「連絡が届くまで、そこのソファーに座るなり、横になるなりして、寛いでいろ」
連絡? 連絡ってなんですか?
そして大佐の執務室のソファーに横になるなんて、できませんよ。
「連絡とはなんですか?」
「リリエンタール閣下とヒースコート准将の、話し合いが終わったという連絡だ」
「?」
何を言われているのか、さっぱり分からないのですが。
閣下とヒースコート准将の話し合いは分かります。もちろん何を話し合っているのかは、分かりませんが。
お二方の話し合いが終わったら、大佐の元に連絡が来るのも……腹心っぽいので、側で聞いていてもよろしいような気もしますが、あえて人を遠ざけているのだとしたら、分かります。
……で、なぜわたしがここで寛ぐのでしょうか?
「ああ、そうか。言っていなかったな。リリエンタール閣下が大尉に会いたいそうだ」
そうか。閣下にも叱責されるのか。
叱責待ちかあ……仕方ない。それだけのことをしてしまったのだ。
それにしても、閣下に叱られるのかあ。
閣下って滅多に叱責することはないと聞いているのだが、そんな閣下にまで叱責されてしまうとは。
弁明はしないけれど、説明を求められた際には、客観的な視点を保って語らないとな。
あとは……
「大尉」
「はい、大佐。なんでしょうか?」
「大尉はスパイとしても優秀だぞ。キース中将は向いていないと言っていたが、半数のスパイは初めての任務で見破られ任務に失敗し、その多くが命を落とす。だが大尉は、気付かれてもいないし、単独で帰還も果たした。能力は極めて高い」
いつのまにか軍帽を脱いでいた大佐が、そのようにフォローしてくれた。
「ありがとうございます」
そして半数が初任務で失敗して、命を落とす者もいると。
たしかに戦場において新兵の死亡率は高いものですが、あれは徴兵もカウントされているので、訓練不足ということが多々あるため ―― そう思っていたのだが、まさかしっかりと教育されるスパイも、新人は任務しくじるのか。
「ただ、大尉は見た目がスパイじゃないからな」
「分かっております」
女なのに大男に見えるスパイとか、使いどころないわー。
その後、大佐とブリタニアス君主国行きの旅程について話し合った。
そうしていると、閣下の元へ来るようにと連絡があり、
「一人で大丈夫であります」
大佐が付いてきてくれたのだが、さすがに迷子にはならないのですが。
「大尉は優秀で、戦闘においては俺よりも腕は立つが、今後は一人で出歩くことは控えろ。不自由だなと感じるだろうが」
大佐にそのように言われ、閣下がお待ちの部屋へと足を踏み入れた……ら、酷いことになっていた。
室内で局所的につむじ風でも起こったのですか? というくらい。
重厚なテーブルがひっくり返って、バロック調のソファーが倒れ、壁に掛かっている絵画は落下したり、斜めになったり。
壁紙は切り裂かれ、カーテンが引き裂かれている。窓ガラスも割れている。
「大佐。なにがあったんでしょうか?」
「さあな。大尉はここで待機だ」
「はい」
言い残し大佐は室内にいる、ヒースコート准将のもとへと近づいていった。
ヒースコート准将は顔に殴られたような跡が。わたしの再現に立ち会っている時は、怪我なんてしていなかったはずですが。
なにか二、三話してから、割れたガラスを踏みながら、こちらへと戻ってきた。
「リリエンタール閣下は浴室にいらしゃるそうだ。どうする?」
それは、どう言う意味で受け取ればいいのでしょうか?
「リリエンタール閣下が大荒れなのだそうだ」
「はあ」
「ヒースコート准将も、俺も、おそらく局長も、感情を露わにしているリリエンタール閣下に接したことがないので、なにも助言ができない」
「はあ……」
懐刀ですら知らない閣下……この部屋の惨状からして、酷い状態なのだけは分かるけど、会話を交わすようになって三ヶ月程度のわたしに、なにができるというのだろう。




