【059】大尉、任務を果たす
大佐と二時間ほど打ち合わせした後、本来の仕事へと戻り ―― 仕事終了後、ロッカー室代わりに与えられている小部屋で、持ってきたフロックコートに着替える。
前世とは違いフロックコートは昼の礼装ではなく、背広扱いなので着ても大丈夫。……女が着るかどうか? だが。
黒に近いワインレッドのロングフロックコートに、同色のズボン。白いシャツに黒いネクタイ。
大きな鏡で全身を映して確認する……我ながら男だなあ。これは知らないと、本当に男にしか見えないよなあ。
制服は小部屋に置き、軍用のロングフレアコート着て全身を隠して、招待状に書かれていた場所へと向かう。
目的地には数台の馬車が停まっていた。
その一台の馬車のドアが開き、シルクハットを被ったレオニードが、笑顔で手招きする。要らぬ! 笑顔は要らん!
「乗ってもよろしいのでしょうか?」
「もちろん。君を迎えにきたのだからね、イヴ」
自分で志願しておきながら言ってはいけないことだが、面倒だなあ。
馬車に乗り込み、レオニードの向かい側に腰を下ろす。わたしに笑顔を向け……内心は分からないが、やたらと気障で格好良いが、わたしの嫌いな笑顔でこちらを見ている。
なのでわたしもじっくりとレオニードを観察する。
黒髪、黒い瞳で白い肌。
手配写真のレオニードは、髪は下りているが、いまは特務大使を名乗っているので、きっちりと撫でつけられている。
それで顔が露わになっているのだが、うん、なかなかいい男だ。いや、かなりいい男だ。まっすぐな鼻梁に、形の良い眉、目元は少しつり目で切れ長。
切れ長といってもアジア系とは違うタイプだけれど。
唇の形もいいし 。だれが見ても綺麗なパーツが、綺麗な輪郭に、綺麗に収まっているというだろう。
女王が惹かれたのも分かる。きっと、周囲にはいないタイプだったのだろう。
たしかに容貌はいいのだが、貴公子の空気はない。あれだ、ガイドリクス殿下や閣下が纏っている、貴人特有の高貴な空気はまったくないよ、こいつ。ただ下品ではなく、どちらかと言うと上品なほう。
女王からすると上品だけど高貴さがないレオニードが、特別に見えたんだろう。お嬢さまが不良に惹かれる的なものがあったんじゃないかな。
さらに禁断の恋ってのが燃え上がらせたんじゃないかな……そうなっていたのは、女王だけだけど。
「わたしの顔、気に入ってくれたかな? イヴ」
「不躾な視線を向けて、申し訳ございませんでした」
じろじろ見るのは礼儀がなってないよねー。レオニード相手に礼儀も何もない気もするけれど。でも一応特務大使だから、俯いておこう。
「俯かないでくれ、イヴ。わたしは君の顔が好きなんだ」
変わった趣味だな、レオニード。
だがわたしの顔でいいのなら、いくらでも見るといいさ。減るもんじゃないし。
「本当に君は美しいなイヴ」
「そ、そうですか」
お前に言われても嬉しくはないが、恥ずかしくもないので。
それでレオニードに連れて行かれたのは、ホテルのレストラン。もちろん個室ありのレストランだよ。こいつ、目立つからな。
「おや、イヴのドレスアップした姿を見られると思ったのに」
個室についてからコートを脱いだら、そう言われた。……女だって分かってるんだ。わたしを女だと知って誘ったのか! お前の趣味が分からん!
男だと思って誘われたほうが、幾分マシというか……思考が自爆してる、考えるのを止めるんだ! とにかく、こいつが仮面の紳士だったんだな!
わたしとしては、女だと理解していることが分かったので、もう満足なのですが、ここまで来たからには最後まで頑張る。
「ドレスアップ……ですか?」
「ああ。その格好もとても似合っているけれど、やはりドレスを着た姿を見たかったな」
男と間違ってるんじゃないか? という確認作業のために来たのだ、ドレスなんか着てくる筈ないだろ。
「申し訳ございませ……」
「だが用意してきたドレスが無駄にならなかったのは嬉しいな。着てくれるね、イヴ」
手を取られ、顔を近づけてきた。
不用意に触るなレオニード! 思わず殴りたくなるじゃないか!
破壊衝動を抑えながらレオニードに手を引かれ、個室についているパウダールームへ連れていかれたら、ダークグリーンのドレスが用意されていました。
どこからどう見ても、わたしサイズ。どこからわたしのサイズ、漏れたんだ。
サイズ漏洩については後回しだ……ドレス着るの嫌だな。
だがドレスを着たほうが、ダンス誘われる可能性高いよね。最悪誘われなかった場合、こちらから誘う口実にもなる。
右手薬指だって、最悪手袋を外すまでに至らなかったとしても、ぎゅっと手を握れば感触の違いが分かるだろう。そうなるためには、ドレスに着替えたほうが……くっ! 背に腹はかえられない。
「では着替えますので」
「手伝うよ」
「…………」
ドレスってほとんど背中に留め具がついてるのよねー。着ようと思ったらレオニードに頼むしかないのかー。メイドとか……。あまりレオニードと接触しているところを、他人に見られたくもないし。
ぐだぐだして、必要な情報が手に入らなかったら困るから、ここはあまり時間をかけていられない。
さっとフロックコートを脱ぎ捨て、ドレスに袖を通す。マーメイドラインでフリル袖。背中がレースアップで、レオニードが締めてくる。
「思った通り、綺麗な肌だね、イヴ」
開いている襟ぐりにレオニードが触れてきた。もちろん、手袋を脱いで。ただし左手のみ。右手を! 右手を!
もちろん両手で触られたくはないのだが、右手薬指を確認したいんだ。
……右手薬指っていうのが確認し辛いよね。これが左手薬指なら、婚約指輪をはめる仕草とか、結婚指輪がどうのとかでなんとかなるが、右手なんだもん。
「そうですか?」
触られたくはないんですがね。
着替えている時側にいたので、もちろん拳銃は取り上げられましたよー。
拳銃を取り上げるために着替えさせたんだろうけどね。
着替えて戻るとテーブルに料理が並べられていて、向かい合って食事を取ることに。
「イヴ、グラスを」
ワインボトルを持ったレオニード。どうやら注いでくれるらしい……聞いた話によると、薬を入れて昏睡させ性行為に及び、そこから引きずり込むのがレオニードがよく使う手法なのだとか。
……ま、大丈夫だろう。
「先に特務大使閣下に注がせていただきます」
「薬でも入っているのではと、警戒しているのかな?」
「警戒するのは癖のようなものです。不快に思われたのでしたら謝罪いたします」
「意地の悪い質問をしたね」
いや、別に。実際疑ってるから気にすんな!
レオニードがワインボトルを渡してくれたので、注意深くグラスに赤ワインを注ぐ。わたしとしてはレオニードに注いでもらう謂われはないのだが、ここは黙って大人しく注がれておく。
「ではディナーを楽しもう」
そう言ってレオニードは手袋を脱ぎ、テーブルに置いた。
もちろん両手ね。
マルムグレーン大佐、わりと簡単に確認できましたよー。うん、間違いなく義指ですね。マルムグレーン大佐が言っていた通り、右手の薬指の第一関節から上がないようです。
金属製の指サック的なものをはめているよ。
「気になるかい? イヴ」
わざわざ金属製の指サックを外してくれた。本当に第一関節から上がない。……マジックだったら笑うけど。
「戦傷でしょうか?」
「そうだね」
「小官の額の傷と同じですね」
「イヴの戦傷ほど名誉あるものではないけれど。不快だったら手袋をはめるよ」
「戦傷を不快などという軍人はおりません」
断言したけど、いるかもしれないね! でも今はそういうことじゃないから。
「そうか。イヴは心が清らかだな」
訳分からん。お前、特務大使って肩書き持ってるんだから、不快に感じるような発言するわけないだろー。一応わたしだって大人なんだから。
わたしを女だと知っていることと、指の有無の確認も済んだので、このままダッシュで逃げたいが、そうもいかないのが仕事というものである。




