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【050】大尉、内密にする

「キース少将から聞いたのかな?」

「はい。今回のクーデターの件もありますので」

「そうだね。わたしくらいの年代で、リリエンタール閣下に対し、複雑な感情を持たない軍人はいないだろうね」


 第一副官中佐(ヘルツェンバイン)は五十過ぎ ―― やっぱり、その年代の人はルース帝国皇帝になるはずだった人物に対して、いろいろ思う所があるのだろう。


「それでも、リリエンタール閣下を選ぶよ。いや、だからこそかもしれないね」

「だからこそ……ですか」

「ああ。あ、そうそう、大統領選挙は来年の七月になる予定でね。結婚した一ヶ月後には大統領夫人になるだろうから、いまからこころの準備をしておいたほうが良いと思うよ」


 第一副官中佐(ヘルツェンバイン)、閣下の大統領確定みたいな言い方してますが……きっと資格を得たと知られたら、一斉に閣下が祭り上げられるんだろうな。対抗馬もなにもなさそう。実際選挙戦で、閣下に勝てそうな人、知らないなあ。


 第一副官中佐(ヘルツェンバイン)とそんな話をしていると、シュテルンが護送されたとの連絡がきた。

 当たり前のことだが、被告人と証人は法廷以外では会わないように、注意が払われているのだ。

 報告を受けたわたしたちも軍法会議所を出て ―― 証言してくれた同期に先輩、さらには後輩たちに、特殊性癖(いやなこと)は飲んで忘れよう! と連れ出された。

 久しぶりに会ったこともあり、話に花が咲き、楽しい一時に。


「くち、びる?」


 法廷で閣下に呼び出されたあと、頭を下げていたので、頭上でなにが起きていたのか分からなかったのだと言ったところ、見ていたみんなが、閣下が髪を一房 ―― ショートカットなので一房も何もないのだけれど ―― 掴んで、唇でその感触を確認していたのだと教えられた。


「唇で袋とイヴの髪を交互にね」


 思わず頭を抱えてしまう!


「裁判記録に残っただろうな」


 なんてことを! 閣下。


「あれは完全にあの男をあおってたよ」

「リリエンタール閣下の勝ち誇ったような表情。初めてみたけど、あれが王者の微笑ってやつだな」


 閣下、一体なにをお考えにー。

 そして同期が言っている王者の微笑み、見たかったですー。

 ちなみにガイドリクス大将は頬で、他の人は手袋を脱いで手で確認したそうだ。


 適度に酒を飲み、ほろ酔いで独身寮に帰った翌日 ―― わたしは辞令を交付され、大尉に昇進し、中央司令部から参謀本部へと異動になり、キース中将(・・)の第一副官の任を解かれた。

 リーツマン中尉(・・)が第一副官に戻り、第二副官には昨晩一緒に飲んでいた、同期のエサイアス・ウルライヒが。


「一緒に働けるかと思ったのに、残念だったよ、イヴ」


 士官学校時代のエサイアスは、万年主席という化け物くんでした。

 これで性格が悪かったりしたらアレだが、誰もが認めひれ伏すレベルの好青年で、さらに容姿も整っているという、よくある「天は人に二物以上与える」そのもの。

 あと十年もしたら、キース中将の後継者になれそうな気がするよ、軍事においても、女性人気においても。


 ……あ、エサイアスはハーレム体質じゃないか。


「そうだな、わたしも残念だよ、エサイアス」


 リーツマン中尉と互いに昇進を祝い、キース中将に挨拶を。


「明後日にはまた会うがな」


 選定審査会にキース中将もいらっしゃるのですよね。


「その際には、よろしくお願いいたします」

「ああ」


 本部にて荷物をまとめ、顔見知りの職員たちに挨拶をし、大尉昇進の祝いの言葉を貰い参謀本部へ。

 配属は情報局に一時預かり。

 ブリタニアス君主国駐在武官付き補佐武官の選定審査会に参加する者たちが、全員集められている。


 駐在武官というのは、武装している外交官。物語なんかによくある、悪いことしても捕まらない外交特権というものを有している上に武装まで許されているという、怖ろしい存在である。

 特権を有しているので、当然ながら軍高官がつく職。どの国でも大佐、もしくは中佐。我が国は駐在武官は全員中佐。

 外交特権を所有し、外国で視野を広げ、人脈を築き ―― 出世ルートに乗る人は、必ず経験しなくてはならない役職である。

 キース少将……ではなく、キース中将も三十そこそこという若さで昇進し、駐在武官として派遣されたことがある。三十前半で中佐とか、あなたは一体何者なのですか、キース中将。

 そんなキース中将、あくまでも噂だが、駐在した国から、入国禁止を食らったとか、帰還を請われたとか……なにが起こったのか、予想がついてしまう。


 もちろん、御本人(キース)には聞いてないよ。


 キース中将の日常茶飯事はともかく、その特権を有する駐在武官の下で働く補佐武官に相応しいと、キース中将からの推薦を受けてわたしはここに来た……という形。

 駐在武官は補佐武官を経ている人が多いので、出世ルートに乗るには必要な職であり狭き門。さらには大尉以上という規定がある。

 当然エリート職なので室内にいるのは、ほぼ三十前半で大尉という、かなりの出世スピードを誇る面々なのだが……わたしがもっとも若い。


 二十代前半で大尉って、庶民の階級じゃないよねー。


 室内にはわたしを含め三十名ほどが、姿勢を正したまま椅子に座っている状態。

 わたしも同じように座り、その後にやってきた三名も席に付く。

 そうして時計の針が進む音だけが響いていた室内に、情報局の副局長が現れた ―― 局長は憲兵総監ともども、名前以外は謎とされている。史料編纂室にいけば、あまり高くない確率で会えるよ、局長。

 わたしも国家警察の長こと憲兵総監は見たことないわー。あまり見たいとも思わないけど。


 各自に選定審査を受ける時間が書かれた書類が渡された。

 わたしは最終日の最後。審査を受けるわけではなく、親と閣下を引き合わせるのが目的なのでそうなるのは分かる。

 会場入りの仕方や、両親の控え室など、直接本部内を歩き説明を受け解散となった。

 わたしは明後日の最終日なので、その日まで待機……という名目の休みになる。

 明日はなにをしようかなー。

 アレクセイルートの見直しでもしようか。

 そんなことを考えながら、参謀本部庁舎をあとにしようと外に出たら、黒い馬二頭で引く箱形馬車が。車体は黒く、軍の紋が金で刻まれている。

 高官用の馬車……ドアが開き、中にいたマルムグレーン大佐とばっちり目が合った。

 無言なのに”乗れ”と言っているのが、はっきりと分かる。


「失礼します」


 ドアが閉じられ、わたしはドナドナ……こんな大きい仔牛いないけどな!

 馬車の中、二人きりなんだけど、すごい緊張する。

 オルフハード少佐だけなら、仲良くなれたんだろうけれど、マルムグレーン大佐になると知った今では、付き合いにくい。

 憲兵大佐なんだから、付き合いにくくていいのだろうけれど。

 ああ、なにも知らずに、やや軽口叩いていた過去を消し去りたい。


「大尉」

「はい、大佐」

「昇進おめでとう」

「ありがとうございます」


 つい最近、馬車でこれと同じようなやり取りしたような。


「それほど緊張しなくてもいい」

「はい」

「ま、あの姿を見られたら、仕方ないか」


 なんて返せばいいのかなー。


「大佐、伺ってもよろしいでしょうか」

「なんだ?」

「この馬車はどこへ」

「まさか俺が大尉を独身寮へ送り届けるために、馬車を回したとでも?」

「独身寮ではないのは分かるのですが」

「普通に考えて、リリエンタール閣下の元だろう」

「そうでしたか。わざわざ済みません」


 ほんとうにわざわざ……命令下してくだされば、自力で行きましたのに。


「旧モーデュソン邸で仕事があるから、気にするな」

「……」


 なんでみんな、わたしが考えていること、ぴたりと当てるのだろう。

 もしかして、わたしって妖怪(さとり)かなにか?

 心の声、ダダ漏れしてるの? だとしたら……死ねる。


「大尉、一つ頼みがある」

「小官にですか?」

「そうだ、大尉にしか頼めない……というか、大尉だからこそなのだが」


 軍帽に手をあてて、表情を隠すようにしてマルムグレーン大佐が ―― 微妙にオルフハード少佐というかユグノーっぽいというか。なんだろう?


「小官にできることでしたら」

「俺としてはやぶ蛇になる可能性も考えたのだが、大尉のことだから」


 なんだろう? わたし、マルムグレーン大佐をこんなに困らせるようなことしたか?

 マルムグレーン大佐、ついに横を向いてしまった。そんなに言いたくないことなのか? やぶ蛇になる頼みごとって一体なに?


「大尉、俺がナンパしたときのこと、覚えているか」

「はい、覚えております」


 あれからまだ半年経っていないという事実。

 すごく時が流れたような気がするのですがね。


「あの時、俺は酔ったふりをして、大尉にキスをしたのだが、覚えているか」

「覚えております」


 思い出すと恥ずかしいわー。仕事でナンパしにきた人に、軽く引っかかる自分が情けない。そしてあれは、やはり酔ったふりだったのか。


「そのキスは、リリエンタール閣下に絶対に言わないで欲しい」

「……?」


 マルムグレーン大佐は軍帽から手を離し、黒い革手袋をはめている手で顔を覆い隠す。


「その”何を言っているのか、意味が分かりません”といった表情……大尉らしいのだが……上官の妻にキスしたというのは、ちょっとな」


 上官の妻とか言われるの、恥ずかしい! 更に言うと、まだ妻じゃありません! なにより、あの時は閣下に対してなにか感情があったわけでもなければ、閣下だって大女が一体いるくらいの認識しかなかったはず。


「大佐は任務を遂行しただけですので、問題にはならないのではありませんか?」

「ああ、大尉はそう言うと思った。まあ、その……内密にしておいて欲しいのだ。特に閣下にな」

「キース中将に言われたのですが、男心を酌む……ということですか?」


 あまりよく分からないが、男心って複雑だね。


「そうだ。ところで、キース中将がなぜ大尉にそんな言葉を?」


 仮眠室でのやり取りを伝えたら、マルムグレーン大佐が頭を抱えた。さらに聞かれたのでキース中将の看病について伝えたら、軍帽を落とし癖の強い灰色の髪をかきむしってた。


「男心、酌めてませんでしたか」


 マルムグレーン大佐がうめき声を上げる。

 あ、うん。なんか、色々御免なさい。でも男心なんて、分からないのです。

 お詫びというか、あの日のキスについては、内密にしておきますね……わたしが閣下をかわせるかどうか、分かりませんけれど。

 軍帽を拾って、ぱんぱんと埃を払って膝の上に乗せ ―― 非常に居心地の悪い時間を過ごすはめになった。


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