【045】中尉、甘やかされる
閣下の顔色は悪いのではなく、若干唇の色が落ち着いているからであって! それに頬が薔薇色の成人男性より、赤みのない成人男性のほうが、わたしは好みです!
わたしの好みはどうでもいい……良くないような、いいような……とにかく浴室隣の暖かい部屋へ ―― 浴室の隣がこんなにも暖かい部屋なのだから、こちらで待っていて下さってもよろしかったのですが。
「誰が覗きにくるか、分からんからな」
閣下が伍長殿のようなことを。
覗く人なんていないと思いますよ……きっと……多分。ちょっとシュテルンのことがあったので、言い切れないのが辛い。
「見張りがいたほうが、安心できるであろう?」
「閣下を見張りにするのは」
「わたしが中尉の柔肌を誰にも見せたくないだけだ」
あう……あう……。なんて返せばいいのか分からない。
赤と金で飾られた、くるんとしたアーム付きのバロック調のソファーに腰を下ろす。
「もう少し、近づけ、中尉」
「あ、はい」
すぐ隣りまで移動すると、閣下がアームに背中を預け、両手を広げられた。
「中尉で暖を取りたいのだが、いいか」
「だ、暖を……ですか?」
大人の意味的な”暖”なのでしょうか? それはその、覚悟が出来ていないといいますか……。
「触れたりはせぬよ。ただ抱きしめていたいだけだ」
「あ、は、はい」
閣下はほぼわたしが考えることなどお見通しなのでしょう。
そしてこの感じからすると、撓垂れかかれ……なのでしょうけれど、わたし大柄なんですよ。筋肉量もありますし。その……貴族のお姫さまみたいな、羽毛のような軽さとは正反対でして、閣下の胸部を圧迫してしまうような。
「中尉一人、胸に乗せたところで、どうということはないぞ」
内心を見透かされている。これが室長の言ってた世界最強のリディメストの能力というやつですかね。
「中尉は非常に分かりやすい」
全部顔に出てしまって、済みません!
「それもまた、美しさの一つだがな」
閣下、もうやめて! わたしのなにかはもうゼロよ!
耳まで赤くなったのを自覚し、照れた顔を隠すために閣下の胸にぐりぐりと押しつける。
「可愛らしいな」
やめて閣下、わたしが恥ずかしさのあまり死んでしまいます!
ぽんぽんと背中を叩かれ……子供扱いされている感が半端ないのですが。
「気を張っていなくていいぞ」
どういうことだろう? 閣下の胸から顔を上げて見つめると、やはり子供にするように頭を撫でられた。
「気を張る……ですか?」
「もう制服は脱いでいるし、ここは私的スペースだ。楽にするがいい」
「あの! 充分楽といいますか!」
「中尉は文句なく強いが、弱さがあっても良いのだぞ。強かろうが大柄であろうが、女性は女性だ。あのような性犯罪に直面したのだ、怖かったら怯えてもよい、恐怖を感じたら泣いてよい。もちろん、わたしの腕の中でだけだが」
「……」
「人を撃ち殺すことができようが、怖いものは怖いのだ。そういう時は泣いてすっきりするがいい」
「閣下……」
閣下にそう言われたら、なにかがぶわっとこみ上げてきて ―― 閣下に抱きつき、自分でも意味不明な泣き言を喋りながら泣いた。
明確な不快感や、表現仕切れない感情が、涙と共にぼろぼろと零れ落ちる。
シュテルンの奇怪な行動、悪いことはしていないのに国外追放になってしまったシーグリッド。そして女王に裏切られたこと。裏切ったが、それは公表されなかったこと。女王がなにをされたのか分からないけれど、許せないような許せるような ―― この短期間に身の回りで起きた出来事。それがなんだ? と問われたら、答えられないが、わたし自身感情を整理しきれていなかったらしい。
「……ん?」
目を開けると白い布? 緒飾が……将校の軍服。
「目が覚めたか、中尉」
「あ、あれ……もしかして、寝て……」
閣下の胸元で泣いてそのまま寝落ちしてた! あれ? なんか、白いブランケットが掛けられてる。この体勢のままだったのだから、誰かが入ってきてブランケットを掛けた……全く気配に気付けなかった。
「気配に気付かなかったのは、わたしが許可したからであろう。わたしが敵と見なせば、中尉は即座に反応したはずだ」
「あの、その、済みません。すっかりと寝てしまって」
「胸の上で泣いて、安心して眠ってくれたのだ。それは至福の時であったが」
「あの、その、小官は重いので」
……って、閣下の腹部に体預けたまま喋ってどうする。とりあえず起き上がらないと。そう思ったのだが、思いの外しっかりと閣下が抱きしめていた。
うん! 解けるよ! そりゃあ、全力……じゃなくても、解けるけどさ、重くて悪いなと思う反面、心地が良い。
「まあ、たしかに重いな」
やっぱり! 床に転がして良かったんですよ! 閣下。
「中尉、重いのが悪いわけではないし、全く重くはない、羽毛のように軽いなどと言われたところで、中尉は信じぬであろう? わたしは中尉に嘘をつきたくはない。さらに言えば、この鍛え抜かれた美しい肉体を、否定するなど出来るわけもない」
閣下がわたしの顎の下に手を入れ、くいっと持ち上げ、額から鼻筋にかけてキスを。
「わたしにとって、ほどよい重みだ。信じてくれるか」
「…………ふ、ふあい」
「可愛い返事だな、中尉」
可愛いとか言われると、思考回路が停止してしまうのですよ、閣下! 可愛いなんて、父親にしか言われたことないような女に、そんなに何度も可愛いと言うなんて!
「そ、そんなに可愛くは……」
「わたしは中尉に嘘などつかぬぞ、中尉」
くぅ……。閣下が全力でわたしを……。あ、ドアがノックされた。誰か来たのか。さすがに起きて離れないと。
「座っているのだな、中尉」
「閣下に対応させるわけにはいきません」
なんか変なヤツが押し入ってこないとも限りませんので! ここは本来の意味でのレディファーストを!
立ち上がったら、ばさりと音がして、頭からブランケットを掛けられた。
「白いブランケットを被っただけで、これほど神聖で美しいとは。いまから中尉の花嫁姿が楽しみだ」
「お……ぽふ……」
ブランケットを被った大女が一体いるだけなんですが。
閣下が頬を人差し指でなぞられ、
「涙はもちろん、涙の痕も他の男には見せたくない。だから中尉はここでブランケットを被り待機しなくてはならない」
頬にキスされた。
そ、そうか。涙の痕がついているのか。それは、たしかにあまり人目に晒してはいけないものだよね。
顔を隠すようずるずるとブランケット引っ張るが、でも訪問者は気になる。何時でも飛びかかれるようにしておこう。
「ドアを開けるのを許可する」
いかにも貴族のお屋敷のドアといった、様々な装飾が施されているドアが開く。
「閣下、食事をお持ちいたしました」
オルフハード少佐……ではなく、マルムグレーン大佐とメイドたちのようだ。
「ワゴンはそこに置き、他の者は下がれ。マルムグレーン、薔薇の精油を落としたぬるま湯を、洗面器に入れて持ってこい。タオルもだ」
「畏まりました。ワゴンのほうは」
「わたしが運ぶ」
「然様で。洗面器は今すぐお持ちいたしますので」
閣下がワゴンを押しているのだが、すごく滑らか。閣下くらいになると、ワゴンを押すなんてことないよね。なぜこんなにもお上手なのだ?
見つめていたら、
「幼年学校時代に、上級生の給仕をしていたからな」
すぐに答えが返ってきた。
閣下、幼年学校卒業していらっしゃいますものねー。
……わたしって、そんなに顔に出てるのかな。
「愛する女が望むことは、なんでも叶えたい。だからこそ、動きには細心の注意を払っている」
「……あ、あの! 食事並べますね!」
閣下の意思表示がストレートだ。剛速球でくるよ! この世界はヨーロッパ風だから、頬へのキスやら、派手な愛情表現は当たり前だけど、その中でも閣下は、かなりのストレートだ。
遠回しな表現は通じないと思われているのだろうか。……ああ! 遠回しの愛情表現を、善意と勘違いして受け取っている自分の姿が幻視できる。
「わたしが並べるが」
「閣下ほど身長があると、ソファー前の低いテーブルに配膳するのは、大変かと」
「それは中尉も同じであろう?」
「そうですが、小官は膝を折って並べることもできますので」
さすがに閣下に配膳させてはいけないと思うのですよ。
「ふむ、では任せるか」
「はい」
料理を並べていると、またドアがノックされたので、背を向けて顔を隠すことに。
「お持ちいたしました」
マルムグレーン大佐の声だ。後ろには十名ちかく兵士がいるな。
「状況は?」
「滞りなく。一時間後に伺います」
「新しい軍服を用意しておけ」
「畏まりました」
「下がれ」
ドアが閉じられる音が聞こえたので立ち上がり、洗面器を受け取り、薔薇の良い香りがしているお湯で、顔にこびりついていた涙の痕を洗い落とす。
白いタオルで顔を拭いていると、
「それにしても中尉は、本当に美しいな。化粧をしていなくても、その華やかさだ」
「ありがとうございます」
なんかよく分からないけど、褒められた。
華やかなのかなあ? どこからどう見ても男なので、女性らしい華やかさは皆無だと思うけど。




