【045】代表、国旗を掲げる
ついにオリュンポスも最終日、馬術と閉会式を残すだけとなりました。
試合開始は午前十時からで、馬術競技終了後そのまま閉会式が行われる運びになっています。
「おはよう、サラバンド」
シャール宮殿内のサラバンド専用の厩舎に足を運ぶと、毛艶よく上機嫌なサラバンドが広い厩舎内をゆっくりと歩いていたが、わたしに気付くとサラバンドは嘶き駆け寄ってくれた。
「これから本番だが、調子はどうだ? うん、良さそうだな。よろしく頼むぞ」
相棒であるサラバンドの調子もよく ―― 馬術は射撃と違って、自分だけで決まる競技ではないが……これなら勝てる!
これはもう大見得切って「ただの優勝ではない。完璧な優勝」を狙うべ……
「少佐。電報だ」
サラバンドのたてがみを撫でていたわたしに、ディートリヒ大佐が電報を手渡してくれた。
誰からかな? 差出人の名を確認するとアーダルベルト・キース……キース大将からだ!
なにか事件……なんてあるはずないよねー。あったとしても、わたしに連絡がくるはずがない。精々、ユルハイネン絡みくらい? それはそれで嫌だなあ。
なんだろう? と思いながら、電報用紙を破線から開くと、電報とは思えない分量の単語が目に飛び込んできた。
”気負うな 普段通りで充分勝てる イヴ・クローヴィスに幸運あれ アーダルベルト・キースより”
……なんという絶妙なタイミングで! 遠く離れているというのに、わたしの行動などお見通しですか!
さすがわたしの元直属上官閣下。
ありがとうございます、キース大将。うっかり平常心を失いかけておりました。
本当にありがとうございます。
「どうした? 少佐」
「お金かけて下さったんだな……と」
キース大将が個人として送ってくれた電報。電報にしちゃあ、文章が分かり易いのは、きちっとした文章になっているから。
電報が分かり辛いのは、単語一つ増えるごとに値段が上がるため、懐事情がよろしくない庶民は、単語を最小限に切り詰めるので片言っぽくなってしまうのだ。
それなのにキース大将は、実費で分かり易い文章で……。
「庶民はそこが気になるよな」
「気になりますよね」
ありがとうございます、キース大将。この電報の言葉を胸に頑張って参ります。この……めっちゃくちゃ重たい曇天の元で。
最終日なんだから晴れてくれよーと思ったのだが、ブリタニアスといえば曇天なのだそうで。
ブリタニアスらしい天気で最終日を迎えることができたとも言える。
「分厚い雲ですよね」
「そうだな。でも眩しいより、いいのではないか?」
たしかに障害物の水濠などは、日差しによっては水面がキラキラし過ぎて、馬が嫌がることもあるので曇っているほうがいいかも……でも最終日なので、青空の下が良かったような。
「そう言えば大佐」
「なんだ?」
「大佐はこの後どのように?」
本来なら既に消えている筈だった、ギュンター・ディートリヒ大佐。必要がなくなった架空の人物は、いつの間にか消えてしまうものだが、
「二、三年したら退役して、新大陸で商売を始める……」
「設定ですか?」
「設定だな。だから、もうしばらくは存在することになったので、よろしく」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
がっちりと握手をかわしていると、本日護衛を担当するハインミュラーがやってきたので、わたしたちはゆっくりと競技場へ移動した。
急拵えながら厩舎があり、一つ一つに国名が書かれており、そこにサラバンドをつなぎ、井戸から水を汲んでくる。
少しして会場から一際大きな歓声が上がり ―― 「教皇」「女王」そして「皇太子」という単語が聞こえてきた。
「……」
「どうしました、クローヴィス少佐。なにか異変でも」
異変察知能力はわたしに劣ることを認めたハインミュラーが「なんか異変があるなら言えよ」と ――
「なんとなく、皇太子って聞こえてきたから……どこかの国の皇太子が、教皇猊下と女王陛下のボックスに臨席するって聞いてないから」
そのお二人以外にそのボックス入りするのは、閣下とアウグスト陛下とリトミシュル閣下、閣下の実兄(神聖皇帝)夫妻に、義兄(アディフィン国王)夫妻、そしてガス坊ちゃんとマッキンリー首相だけだったはず。
その中で皇太子呼びされるのは……
「リリエンタール閣下かと」
「だよな」
勝手に閣下のことを皇太子呼びするなー! ……キース大将も偶に閣下のことを皇太子と呼びますが、あれとは違うので。
……いやいや、余計なことは考えるな。
で、貴人の皆さんがいらっしゃったので、選手一同ご挨拶に向かいます。
競技場が見渡せる位置に作られているロイヤルボックスの何名かが、並んだわたしたち選手に手を振ってくださいます。
この見上げる距離感……うん! しっくりくるわー!
そうだよ! この距離感だよ。陛下とか猊下とかお偉いさんとわたしの距離って、近くてもこの位だよね!
もともと最大接近でもこの距離だった人間ですので、この状況落ち着くわー。
昨日ロイヤルボックスの面々とお話していたほうが、実感湧かないもん。
『うわああ!』
『うおおおおお!!』
そんなことを思っていたら、背後の観客席から怒号のような声があがった。なんだろう? と再び顔を上げてロイヤルボックスを見ると、閣下が手を振っていらっしゃった。
……閣下こっちを見ている?
見てるよね!
……残念ながらここで手を振って返すわけにはいかないので、小さく頷く。きっと閣下なら分かって下さるはず。
やはり通じたようで、閣下は小さく頷き手を下ろされた。
ロイヤルボックス前での一礼が競技開始の合図。競技番号が早い人たちは急ぎ戻り ―― わたしは最終の十五番なので、競技場の端っこから他の選手の競技を眺める。
……出だしから、えげつないバンケット設置してるわー。
乗馬の国、ブリタニアスが本気を出した? って、ブリタニアスの選手がそこで躓いてるぞ! いいのかブリタニアス。
そんな気持ちで眺めていたのですが、いやいや! あまりに本気出しすぎて、拒止(障害物の前で馬が止まる)三回で失格乱発じゃねーか!
競技見てる場合じゃない。
すぐに準備に入らないと! サラバンド、頑張って行こうな!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『クローヴィス少佐と愛馬サラバンドは落ち着いており
駈歩で競技場を一周した
その駈歩だけでクローヴィス少佐の技量は並々ならぬものだというのが
一目瞭然だった
―― 中略
射撃でもミス一つせず金メダルを取った極北からきた美貌の女性少佐は
乗馬でも減点0という快挙を成し遂げたのであった (高級紙より抜粋)』
『最終十五番で出場したクローヴィス少佐は
競技を終えた十四選手全員が落下した第七障害を
いとも容易く飛越する
そのとき空を覆っていた灰色の雲に切れ間ができ光が差し込んだ
光を背に第七障害を飛越している姿は物語の一幕を見ているようであった (大衆紙より抜粋)』
『第一障害にして難関のバンケットを苦もなく飛越したクローヴィス少佐は
そのままの勢いで全ての障害を易々とクリアしていった
クローヴィス少佐が最初の障害を飛越したときは歓声があがったが
徐々に歓声は消え人々はその完璧な競技を固唾を飲んで見守った
最後の障害を飛越したとき乗馬サラバンドの蹄の音だけが響き
会場にはしわぶき一つ聞こえなかったほどである(大衆紙より抜粋)』
『幅四メートルの水濠障害を飛び越えるとき
空からもっとも強い光が降り注ぎ
水面は眩しく輝いたが
クローヴィス少佐は光の中を水しぶき一つあげることなく飛び越えた
―― 中略
女性出場選手の中で唯一女性用の乗馬服を着用していなかったクローヴィス少佐だが
乗馬姿は決して女性の品位を損ねることはなかった (中級紙より抜粋)』
全紙に載ったコメント
『競技中の写真が、クローヴィス少佐付きのカメラマン、ノア・オルソンが撮った一枚しかないのは残念なことである』
『我々はこの世でもっとも威厳あるカーテシーを見た』
ノア・オルソン氏のコメント
『わたしは知っていただけです。どのタイミングでシャッターを押しても、被写体がクローヴィス少佐である限り、稀な写真が撮影できることを』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
サラバンドは見事に第一障害を飛び越えてくれました!
一番目を上手に飛び越えたサラバンドは、調子よく他の障害もバンバン飛び越えてくれた。
サラバンドは賢い馬だからね!
ぱっかぱっか駈けていたら、いきなり薄明光線攻撃食らった!
薄明光線って、雲の切れ間から光が差し込んできて、何かが降臨してるのか? となるアレ。
大きく雲が切れたっぽくって、いきなり眩しくなって焦った。
特に最悪だったのが水豪。幅が四メートルもあるので、気合いを入れて飛び越えないと減点対象になっちゃうというのに、向かう先が眩しすぎて目が開けられない。
くっ! 何でこんなに眩しいんだよ! …………運に恵まれなかったか!
仕方ない一か八かで、目を閉じてタイミングを取って飛び越える。
あとは任せたサラバンド!
……というアクシデントがあったものの、無事に全ての障害を飛越することができました。
とりあえず失格にならなくて良かった。
あとは減点が幾つか審査され……って? なに?
〔おめでとう! クローヴィス〕
【感動した!】
『お見事です!』
[優勝おめでとう!]
競技を終えていた選手たちが、笑顔で駆け寄ってきたんだが……どうした?
「お前等、あんまり近づくな」
走ってきたピンク……ではなくハインミュラーが間に入り、押しとどめているが十四人を制するのは難しいっぽい。
ただの暴徒なら殴る蹴るもできるが、どうも……わたしはサラバンドから降りて、握手を求める。
するとみんな笑顔で握手をしてきた。
分からない言葉のほうが多いのだが、表情や声の感じから「良かったぞ」と言われているようだ。
「ありがとう」
褒めてもらっているのだから、感謝を返す。もちろん言葉は通じないが、こっちも表情と声で感じ取ってもらう。
[素晴らしかった]
【少佐の馬術を見ることができて、本当に幸運だった】
〔素晴らしい。少佐が愛馬と飛越している姿を、もっと見ていたかった〕
『ありがとう! ありがとう! 感動をありがとう!』
何故わたしが感謝されているのか分からないのだが……なんだ? 聞き取れてない部分ある?
よく分からんが、全員と握手をしていると、審判が審判台に立って、結果発表を ――
『一位、ロスカネフ王国イヴ・クローヴィス。減点……ゼロ!』
「よっしゃああ!」
握り拳を掲げて勝利の雄叫びをあげても、許されると思うんだ。
もっともわたしの雄叫びは、ありがたいことに観客の皆さんの歓声と拍手でかき消されてしまったが。
「ありがとう! サラバンド! サラバンドのお陰だよ!」
声を掛けるとサラバンドは嘶き心持ち「当然だろ」と自慢げな感じに。
わたしは再びその背に乗らせてもらう。
「クローヴィス少佐、これを」
ハインミュラーが差し出してくれたのは、我が国の国旗。これを持って競技場を一周しろと……クローヴィス本人がクローヴィスのウイニング・ランするのか!
まあいいさ! 射撃の時は出来なかったので、させてもらうよ。
ということで両手で旗の両端を掴み、駈歩で風を受けてたなびく国旗とともに競技場を一周することに。
人々から拍手と歓声を受けながら競技場を一周するのって、気持ちいいものですよ! 優勝してるから気持ち良くて当たり前なんですが。
途中ロイヤルボックス前でサラバンドから降り、両手を広げ国旗を掲げたまま、カーテシーを取らせてもらった。
ロイヤルボックスの皆さんは拍手してくれ、あとで閣下からも「美しかったよ」と言われたのだが ――
翌日の新聞に「極北の戦女神の威厳あるカーテシー」って書かれて掲載されるとは思わなかった。




