【042】代表、やはり騙されていたことを知る
レオニードに連れて来られたのは住宅街の一角にある家。
立ち並ぶ家の大きさは、わたしたち選手団が借りた家よりも少し大きいことから、高級住宅地と推測できる。もちろん庭はなく、玄関へのアプローチもないに等しいが、ブリタニアスの首都の地価で言えば当然のこと。
「ここです」
「……」
医者が自宅で開業というのは普通のことですが……看板が出てないんだよなあ。郵便受けに「ここ病院ですよ」くらい書いていて欲しいのだが。
「患者は貴族だけなので、わざわざ人目につくところに”医者”と出さなくてもいいのです」
「……」
人が思っていること、勝手に当てるんじゃねえ! レオニード。
レオニードが言っている通り、貴族相手の往診医ならこの佇まいでも、何ら不思議はない。さらに言えば富裕層のみ相手にしているのならば、この高級住宅街の一軒家に住んでいるのも頷ける……がっ! わたしはこいつのことが、信用できない!
この家の中に、敵が潜んでいる可能性も考えられる。
わたしそのものは取るに足りないが、閣下のつ……つ……妻なので! 人質としてそれなりに有効なのだ!
もちろん黙って捕らえられるつもりはないが!
「よし」
「分かってくれた、イヴ」
貴様にイヴ呼ばわりされたくはない! ……と、走行中に言ったら「ではカラリエーヴァで」と……ルース王妃呼びはもっと嫌なので、黙ってイヴ呼びされることにした。ただ走っている途中で気づいてしまったんだ。こいつにリリエンタール夫人と呼ばれるのは御免被りたいし、クローヴィスと呼ばれるのは断固拒否! というか、殺意が芽生えることに。
うん、イヴと呼ばれるしかなかったんだ。
「レオニード、靴と靴下を脱げ。もちろん両足だ」
「はい?」
「聞こえなかったのか? 靴と靴下を脱げと言ったのだ」
「いや、なんで」
「なんでは愚問だな。お前ならわたしが何をしようとしているかくらい、分かるだろう」
戦いにあまり興味のないお嬢さん方には分からないかもしれないが、靴と靴下は戦いにおいて重要な役割を持つ ―― 人間、足が無防備だとろくに戦えないのだ。
靴も靴下も脱いだレオニード相手なら、撃破できる確率が格段に上がる!
「分かりました。嗚呼イヴに信用してもらえなくて、悲しい」
そういいレオニードはしゃがみ込み、靴紐を緩め始めた。なにか不穏な動きを取ったらすぐに対応できるよう、拳をすぐに出せる体勢を取る。
そもそもわたしは、貴様を信用したことはない!
若干汚れたエナメル靴を脱ぎ、靴下をガーターから外す。ふくらはぎに回されているガーターは特殊仕様で、拳銃のホルターも兼ねていた。
「拳銃も渡しましょうか?」
往来でモーニングコート姿でありながら素足という、恥ずかしい姿になったレオニードだが、全く気にする素振りはなく、むしろ向こうから拳銃を見せてきた。
貴様の足なんざ、見ても嬉しくな……ちっ! 靴擦れ起こしてない!
きっちり足型を取って、いい職人が作り上げたエナメル靴履いてたんだな、レオニード!
「それは取り上げない。撃ちたければ背後から撃ってこい」
くっそー。靴擦れにしてやるという野望が!
「入ってくるなよ!」
「分かりました」
レオニードが脱いだ靴に靴下を入れさせ、そのエナメル靴を持って家へ侵入。レオニードって思っていた以上に足大きい……身長高いから当然か ―― 幸い玄関の鍵は開いていたので、忍び込むことができました。
ドアノッカーなかったのか?
ありましたが、使いませんでした! 要するに不法侵入。相手に撃たれても仕方ないのですが、わたしはレオニードのことを信用していないので!
ここで本当にディートリヒ大佐が治療されているのかどうか?
更に言うと本当に事態は片付いたのか ―― レオニードの話しぶりから、勝手に閣下が指揮を執ったと解釈してしまったが、走っている途中に「あれ? レオニードのやつ”あの人”としか言ってなかったなあ」と気付き”あの人”がどの人か知らないので、警戒レベルを引き上げた。
できるだけ気配を消し、足音にも注意を払い、壁に額に入った小さな絵が、所狭しと飾られている廊下を抜け、人の気配がする部屋の前に。
少しだけ気配を探り……一人のようだ。
ドアノブをゆっくりと回すと、ここも施錠されていないので、少しだけドアを開けてから……勢いよくドアを開けて室内にいる人にレオニードの靴を投げつける!
室内にいたのは白衣を着ている若い男性で、懐から何かを取りだそうとする動きはせず ―― ただただ驚き、悲鳴を上げることもできず、そのまま気を失った。
演技ではないようだが……。
『どうした!』
「ディートリヒ大佐!」
若い男が倒れる際に器具を倒したので、大きな音が響き ―― 拳銃を手にやってきたディートリヒ大佐と無事に再会。
『妃殿下!』
「あの、ディートリヒ大佐。わたし、レオニードの案内でここに来たのですが、案内はレオニードで間違いない……」
わたしが言い終えるよりも先にディートリヒ大佐は家から飛び出し、わたしも後を追うが往来にはすでにレオニードの姿はなかった。
裸足にモーニングコート姿でどこいったんだ?
この時代はその格好を「個性」とかいって許容してくれるほど甘くはないぞ。あと道は結構ゴミが落ちているから、足の裏怪我するかもしれないぞ。
「追いますか? 大佐」
「…………いや」
本当は追いたいのは気配で分かりますが、我慢したようだ。
「裸足ですので、今なら追いつける筈です!」
「はだし? ……もしかしてあれか……少佐、一体なにを?」
ディートリヒ大佐はレオニードを追うのをやめて、わたしが襲撃した医師の家へ。
わたしの威嚇攻撃で気を失ってしまった若い男 ―― 助手だそうだが、彼はこの家の主である医師にアンモニアを嗅がされ、目を覚ました。
彼は裏に精通している人でもなんでもない、完全に一般人でした。済まん、驚かせてしまって。
『申し訳ありません』
『こちらこそ、申し訳ございませんでした。人が来るのが分かっているのだから、もっと注意を払えといつも言っているのですが。これときたら、自分の世界に没頭して』
謝ったのですが、医師は若い男を叱っていた。
『馬車で来ると思っていたので。玄関前で馬蹄が聞こえ車輪が止まる音が聞こえたら、気付きました!』
『わたしは妃殿下が馬車でお越しになるなどとは聞いていないが? それはお前の思い込みだろう』
レオニードは馬車に乗ろうって言ったのですが、あいつと馬車に乗るのは御免といいますか……申し訳ない気分で、若い男にも謝らせてもらった。
怖い目に遭わせて済まなかったな。
『貴族の主治医を務めておりますと、そのくらいは日常茶飯事ですので、お気になさらずに』
わたしの父親より十歳は年上に見える、口ひげを蓄えている堂々とした医師が、穏やかにそのように……高給取りでも、貴族の主治医なんてやるもんじゃないな……。まあ、階級社会だから拒否もできないんだろうけれど。
唐突に現れたレオニードに対処すべく、早々に医者のもとをあとにし、レオニードが閣下の徽章を持っていることなどを伝え ―― わたしとディートリヒ大佐はカイタイネン兵長のお祝いに参加することができた。
ディートリヒ大佐には体調が悪かったら、無理なさらなくても……と言ったのですが「どこも悪くはない」と返されたので。
「ランニングしたあとの酒は美味い!」
「ランニング……」
「ランニング……」
宴席を囲んでいたスタッフが「えええ」みたいな表情になったが、
「イヴにとっては、ランニングだよな」
「少佐にとっては、そうですよね」
軍人は”そうだよね”で。ディートリヒ大佐は、目を細めて笑ってた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
我が国のカイタイネン兵長が優勝したマラソン。
その裏で起こっていた大佐誘拐事件……の前に、わたしに靴と靴下を奪われたレオニードですが、医師の家の三軒となりの老夫婦が住む邸に忍び込み、靴と靴下を盗み出し逃げ果せたらしい。
閣下の徽章についてですが、あれはもちろん本物で、本来わたしを大佐のもとへ案内する、ブリタニアスの諜報員・ブラッド青年が持っていたのですが、レオニードに襲われ奪われたのだそうです。
ブラッド青年の他にも二名ほど一緒にいたものの、評判通り強かったレオニードが三人を無力化してしまった。
諜報員は戦う必要はない……とはいえ、護身術の一つくらいは覚えているはず。そんな彼らが手も足も出なかったのだから、文句なしに強いなレオニード。
ブラッド青年を含む三人は、アウグスト陛下が吊された雑居ビルの、はす向かいの建物の地下に監禁されていたとのこと。
実力の差があったためか、もしくはレオニードに何か考えがあったのか分からないが、三人は負傷したが命に別状はなかったのは幸いだ。
これから行われる会合のあと、ブラッド青年のところにお見舞いに行く予定です。
彼らが無事だったのは幸いだったが、だが閣下の徽章が盗まれたことは、ブリタニアス政府にとっては大打撃。盗んだ相手がよりによって、共産連邦の幹部レオニード。
「済みません閣下。取り上げておくべきでした」
「イヴが気にする必要はない。それにあの場では、徽章は優先されるべきものではないからな」
そもそも徽章が本物かどうか分からなかったので、徽章にこだわり続けるわけにもいかない……やはり蹴りを決めておくべきだったのかも。でも大佐の居場所が……。
「気にする必要はない」
マッキンリー首相が頭を下げているが、閣下は気にしていらっしゃらないご様子。
『昨日、百貨店で……』
マッキンリー首相によると、靴と靴下を盗んで逃走したレオニードは、そのまま逃げたのではなく、閣下の徽章で有名百貨店で買い物をしていた。
大量のチョコレートに、婦人・男性両方の夜会用の小物を「この棚にあるのを全て」をしたり、宝飾品も「ここにあるのを全て」し、お届け先はシャール宮殿宛て。
閣下の徽章で届け先がシャール宮殿で、買い物にきたヤツがしっかりとした格好が板についており、王族の使用人としての風格が漂っていたこともあり、誰も疑わなかったそうだ。
わたしもレオニードのこと自分の国の貴族と間違ったことあるから、何も言えませんがね!
それらの買い物のあとレオニードは、自分用に燕尾服一式を買い、高級ノーセロート料理専門レストランで、その店でもっとも高額なワインを二本ほど開けて、豪勢なディナーを楽しんだのを最後に行方が分からなくなったとのこと。
自由気ままだな、レオニード!




