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【041】代表、走る

 馬を乗り換えるのは往来 ―― もちろんマラソンコースすぐ側ではなく、少し奥まったところ。


「水飲んで休めよ」


 馬の首をぺちぺちと軽く叩きながら走らせていると、わたしが向かう先から、なにかこう……困惑した雑踏が。

 角を曲がると人々が上を見てい……人がぶら下がってる! って、アウグスト陛下だ!


「フォルクヴァルツ大公陛下!」


 なんでここでぶら下がってるの!

 アウグスト陛下は飛行船(ツェッペリン)に乗船して、監視の指揮を執る……という名目でマラソン観戦をしているのではなかったのですか!

 もしかして、偽物……なわけないか。


「おお、来られたか! アントンの大天使よ!」


 いやっ! ”来られたか!”じゃなくて!

 四階建ての雑居ビルの屋上柵に、背負っているカラフルな布 ―― おそらくわたしが提案したパラシュートだろうが、それが引っかかって吊されている……あれほどパラシュートの落下実験、とくに初期実験はダミー人形にしてくださいと言ったのに! ダミー人形の作り方も伝えたのに! 初期実験はまだ行われていませんよね? 初期実験に立ち会って改良点を指摘してくれって仰ってましたよね? 実験しないで飛び降りるような真似はしないで下さいと、念を押してから教えたのに。それなのに! 何故アウグスト陛下が街中のビルに吊されてるんですかあああ!


「救助いたします!」


 それはともかく救助をせねばと、馬から飛び降りる。


「わたくしのことは、気になさる必要はありませぬ」


 大量の布で雑居ビルからぶら下がってるフロックコート姿……落下してきたはずなのに、何故かシルクハットを被っている、異国の紳士を放置したままは、ブリタニアスの人たちに悪いので降ろさせてください! 最上階まで駆け上ってアウグスト陛下を引き上げてロープを切ってから、換えの馬に乗ってコースに戻っても大丈夫……あれ? 馬がいない。


「フォルクヴァ……」

「時間がないので急ぎお伝えいたすが、アントンのジーク(ディートリヒ大佐)が、敵と遭遇して拐かされたのだ。馬はアントンのジーク(ディートリヒ大佐)の機転で逃れたが、どこかへ行ってしまった」

「へ?」


 アントンのジークってディートリヒ大佐のことですよ……ね。大佐が拐かされた? 誘拐されたってこと? 真っ昼間の往来で? 人気が全くない山道なら昼でもあり得るでしょうが、大通りから少し入ったところとはいえ、雑居ビルからぶら下がっているアウグスト陛下を遠巻きに見ている人が集まるくらいには、人通りがあるここで?


「わたくしめが落下してきたのは、上空でそれを見ていたので、そのことをアントンの大天使に伝えるためでございます」

「あ、ありがと、うございま、す?」


 感謝すべきことなの……か?

 それよりも大佐を助けにいかなくては! いや、その前にアウグスト陛下の救助を!


「アントンの大天使よ。急ぎコースに戻られよ。救出部隊はすでに動いている。わたしの救助もこちらへ向かっているはず(・・)だ!」

「はず……って」

「上空からアントンが直接指揮を執っているから、心配することはない。アントンの大天使、あなたがすべきことは団長としてカイタイネン兵長を補佐することだ! それができるのは、あなただけです」


 すごく聞きやすく、堂々と自信に満ちた演説を思わせる喋り方なのですが……カラフルな布で雑居ビルに吊されているので、台無し感しかない。


「……本当にすぐ救助が?」

「もちろんにございます。そうは言ってもご心配でしょうから、カイタイネン兵長が優勝し表彰式を終えてから、ここに戻ってきてくだされ。アントンの大天使の顔見知りで、事情を知っている者を配置しておきますので。それと一緒に動かれよ」

「……分かりました! ですがそのままでは危険です」


 周囲にまだ救助部隊が見えないので、わたしは雑居ビルに飛び込み階段を駆け上って……屋上に出る扉は施錠されていた……がっ!


「弁償させてもらう!」


 蹴り飛ばして侵入させてもらった。蹴り飛ばした扉は蝶番がふっとんで……気が急いているので、ちょっと力加減を間違ってしまったが、弁償するので許してほしい。弁償するなら壊してもいいのかよ? というお叱りは受けるが、人命第一なので。腰のナイフを抜きながら駆け寄り、


「フォルクヴァルツ大公陛下」

「おお、アントンの大天使」


 アウグスト陛下を引き上げると、見ていた人たちから”助かった、助かった。良かった、良かった”との歓声が ―― うん、どう見ても危険だったよね。

 絡まっているロープをナイフで切り、


「ジャックのことを含め、あとは頼みます」


 腰にナイフを戻して雨樋を伝い降りて、二階あたりから飛び降りる。見ていた人々が「なんだこの大男?!」という感情が言葉にならない言葉で漏れていたが、わたしは気にしている暇はない!

 ここまで乗ってきた馬・ジャックからカイタイネン兵長の給水ボトルが入っているリュックサックを降ろし、


「あとはフォルクヴァルツ大公陛下の言うことを聞くんだぞ、ジャック」


 肩に担いでコースに戻ることにする。


「アントンの大天使、馬がもうす……」


 屋上からアウグスト陛下の声が聞こえたが、先頭集団を追いかけなくてはいけないので、申し訳ございません、無視させていただきます!

 全力で走っていると、前方に騎乗のエサイアスとシベリウス少佐を発見 ―― 発見する前に、シベリウス少佐の声を拾っていましたけれどね。

 二人は人間の速度に合わせて馬を走らせているので、


「イヴ、どうした?」


 シュレーディンガー博士を乗せているエサイアスが、追いついたわたしに声をかけてきた……そりゃ声も掛けたくなるよな。馬に乗って戻ってくるはずだったのに、何故か全力疾走してるんだから。


「諸事情により、かえの馬がいなくなった。だがジャックにこれ以上走らせるのも可哀想だから、残り半分はわたしが走る!」


 シュレーディンガー博士が「はぁぁぁ? 何言ってんの?」って顔したけど気にしない。気にする必要はないんですよ。事実、


「そうか。イヴならこの距離くらいは、全力疾走できるもんな」


 エサイアスは特に気にしていない。


「まあな。じゃあな、エサイアス!」

「ああ。気を付けろよ、イヴ」


 わたしは先頭集団よりも先に次の給水ポイントに向かわなくてはならないから……本気出す!

 ……本気出して給水ポイントに先回りし、カイタイネン兵長にボトルを渡し、予備の水でわたしも水分を補給してから、追いかける!


「クローヴィス少佐、速いですな!」

「走るのは結構自信あるんだ!」


 シベリウス少佐の声を受けながら先頭集団を追い抜き ―― それを繰り返し、カイタイネン兵長はトップに躍り出てそのまま独走態勢に。

 最後の給水を済ませたわたしは、競技場へと急いで観客席へ。トラックで到着を待っているキュロ上等兵に、人差し指を立てて「一番だぞ!」と叫ぶと、両手のサムズアップで返してきた。

 あとは何ごともなく……ところでディートリヒ大佐は何に巻き込まれたのだろう? まさかかつてのように「良い男だから監禁する」事件再び? あーそっちの警戒怠ってたからなあ……いっつも怠ってるような。

 ……オリュンポス(オリンピック)が大変だったもので。

 わたしの能力ではこれが限……ああ! カイタイネン兵長が来た! トップだ! トップのまま我が国のカイタイネン兵長がやってきました。

 独走ですよ!

 観客席から、軍で鍛えた大声で声援を送り ―― 見事、優勝いたしました! ゴールでキュロ上等兵とハグして喜びを分かち合っております。

 良かったなあ!

 キュロ上等兵は水筒を手渡し、カイタイネン兵長が飲んでいる間に国旗を取り出して広げ、優勝したカイタイネン兵長はそれを受け取り背負うようにしてトラックを一周する。

 わたしは笑顔で拍手を送るが……このパフォーマンスがいつの間にか「クローヴィスのウィニング・ラン」と名付けられ、広まり訂正不可能になってしまったのは、非常に不本意である。

 不本意はともかく、カイタイネン兵長の表彰式を見届け、シュレーディンガー博士が持っていた経口補水液を一本飲み干し、


「用事ができた。副団長(シベリウス)、あとは任せた」

「分かった」


 シベリウス少佐にあとを任せて、わたしは来た道を戻る……ショートカットしているので、厳密には来た道ではないが。

 競技中はブリタニアスの軍が「何人の通行も許さぬ」と目を光らせていたので使えなかったが、もう警戒は解かれたので先ほどの三分の一くらいの時間で元の場所にいける予定だ。

 ガス坊ちゃんに頼まれて、不正阻止計画に携わっていて良かった。

 そうでもなければ、異国の複雑な街中のショートカットなんて、知らなかったからなあ。

 公園を斜めに突っ切り ―― なんか落ち着いた、いい雰囲気の公園だ。閣下と一緒にお散歩したいなあ。あとでお願いしてみようかなあ。でも閣下お忙しいから……でも……そんなことを考えながら全力疾走していたら公園を抜け、先ほどアウグスト陛下を見つけた時とは反対側から、指定のポイントへ。

 上を見上げている人はいなくなり、まばらな人通りにが戻っている中、シルクハットを被った一人の紳士が立っていた。

 この通りに不似合いな格好をしているので、アウグスト陛下が手配してくれた、わたしの案内役だろう。でも、誰だ?

 身長が高く筋肉が綺麗についている手足がすっと伸びていて、通り過ぎた女性が振り返るような……ん?


「レオニードォォ!」


 まさかのレオニード!

 ここで会ったのが貴様の運の尽きだ! わたしの渾身の蹴りを食らえぇぇ!

 ……と思ったのですが、ウィンクしながら手に持っていた何かをわたしにつき出した。おそらく(・・・・)プラチナ台に、双頭の鷲とR.V.Lが埋め込まれたダイヤモンドで象られている。


「閣下の!」


 何でコイツが閣下の徽章を持ってるんだよ!


「ブリタニアスにはイヴが顔を知っている軍人は少ないだろう? だからわたしが選ばれたんだ。イヴはわたしのことを、良く知っているし、わたしもイヴのことを良く知っているから」


 またウィンクしやがった。要らん、貴様のウィンクなんて要らん!


「……」


 それにしても本当か? 本当なのか? 本当に貴様が配置されたのか? ムカつくほど綺麗で、上機嫌さが分かる笑みを浮かべているレオニード。その顔、拳でぼこぼこにしたいわ! 閣下のイニシャルが刻まれた徽章を掌で弄びながら、


「これは本物ですよ」


 余裕の表情で小首を傾げ……くっそー! 似合うわ! 大男のくせに、わたしが小首を傾げるよりずっと様になってる!


「……分かった。それで?」


 考えても分からないので、その後どうなったのかを聞いて判断しよう……と思ったら、事件は無事解決したそうです。


「あの人が直接指揮を執っているのですから、当然の結果ですね」

「……大佐は無事だったのか?」

「はい。イヴが心配するからと、あの人の命で念のために病院に運ばれ、診察を受けています。イヴが来るまでは病院待機とのこと。さぁ、一緒に向かいましょう」


 白い手袋をはめた手を差し出してきたので、ぺしっと叩いて払いのけ、


「行くぞ」


 叩かれた手を揉みながら、レオニードは笑っている。

 笑うのをやめろ! そろそろその顔殴らせろ!


「では、馬車を待たせていますので、一緒にきて……っ!」


 問答無用で襟首を掴んで、足を掛けて転ばせる。


「いきなり、なんのつも……」

「貴様と同乗なんてするか! 馭者が買収されていない保証はないからな」


 前回、失敗しましたので! いくらわたしが脳筋とはいえ、失敗から学ぶことくらいはできるのです!


「それは……失礼しました。ですが今回は」


 だれが貴様の言うことなど聞くか!


「走るぞ」


 こいつと二人きりで乗り物に乗るのは危険だが、往来を走って移動なら危険の度合いは下がるというもの。


「はい?」

「走るんだよ! ほら、さっさと案内しろ!」


 レオニードを引き起こしてから、押すように離して走れと ―― わたしが走り出したらレオニードが付いてきた。


「遅いぞ、レオニード。三十キロ近く走ってるわたしに、易々と追いつかれるとは何ごとだ」


 走り出したはいいが、レオニードが遅いので併走状態。お前のその長い脚と筋肉は飾りか! レオニード。


「エナメル靴は走りづらいんですよ」

「泣き言を言うな!」


 言ってもいいけどな! わたしは聞かないけれど! さあ、走れレオニード! 全力で走れ! 走れ! エナメル靴で、靴擦れを起こすがいい! わたしができる、貴様への唯一の嫌がらせだ!


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