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【039】幕間 ―― 新聞紙の行方

 オリュンポス(オリンピック)とは縁遠いロスカネフ王国だったが、今回の大会は初めての盛り上がりを見せていた。

 やはり金メダルを取った選手がいると違う。

 イソラ兵長のロスカネフ王国初の金メダル、ピューサロ伍長の銅メダル、そして世界初の女性金メダリスト、クローヴィス少佐。


「隊長がレスリングに出てたら、優勝しただろうなあ」


 親衛隊隊員が掲示板に張られた結果を見て”心から”そう言う ――

 残念なことにレスリングは銅メダル。結果としてはあと一歩及ばずだったが、ロスカネフ選手団は今までにない好成績を収め続けている。


「隊長はなあ……容赦なく持ち上げて、たたき落としてくるからなあ」


 一緒に掲示板を見ていた親衛隊隊員たちが頷く。


「おだてて落とすことはしない隊長だったけど、戦闘訓練はほんと持ち上げてたたき落としてくれたよなあ」


 クローヴィスは”受け身をとれ!”と言いながらたたき落とす ―― 落とす速度が速すぎて、受け身をとれない隊員たちがほとんどだったが、体勢を整えるまで待ってもらっていては訓練にならないと、誰もが覚悟を決めて叩きつけられていた。


「わざわざ分厚いマットを用意してたのが、隊長らしかったよなあ」


 実は用意ではなく特注だったのだが、そのことを隊員たちは知らない ―― いきなり分厚いマットを作って欲しいとクローヴィスに頼まれたのは、もちろんカミュ。

 宝石、名画、調度品などは取りそろえていたカミュとモルゲンロート財閥だったが、クローヴィスが希望するようなマットの用意はなく、カミュは焦った。それでも大財閥、急ぎ三日後には分厚いマットを用立てた。


「隊長は優しかったからなあ……強かったけど」

「強いと言えば……女たちは、なんか知らないけど総司令官閣下のこと”守ってあげたくなるの”って言うだろ」


 親衛隊隊員たちは、全員男なのでキースが儚く見えるようなことはない。

 むろん格好良いとは思うが、守りたくなるような頼りなさなど皆無。むしろ「付いていきます、閣下!」なのだが ―― そこは性差なので仕方のないこと。


「ああ……あの総司令官閣下のどこに儚げと頼りなさがあるのか、まったく分からんが」

「むちゃくちゃ強ぇよな。ユルハイネン隊長がつんのめるくらいの勢いで殴るし」

副官(リーツマン)が開けられないで困っていた蓋を、表情一つかえずに即開けるくらい力強いし」

「大体あの体格のどこに儚さが? 実働部隊の俺たちと変わらない体格じゃねーか」

「二の腕の筋肉なんて、完全に”殴ったら殺れる”硬さだよなあ」


 話を聞いている、あるいは耳に入った男たちは、大小の差はあるが全員「分かる」とばかりに頷く。


「女にはそう見えるらしいよな。事実、隊長もそんなこと言ってたからさ。でも……隊長だけは、そう言っても良いんじゃないかなと、俺は思ってた」

「そうだな。隊長は総司令官閣下を守れるだろうな。隊長なら」

「強いもんなあ、隊長」


 その場にいた全員が深く頷き ―― 各々持ち場へと帰っていった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 会議に参加するためにやってきたヴェルナーだが、少し早くに到着したためホールのソファーに腰を下ろし、従卒が持ってきたコーヒーを飲み、


「閣下、到着したばかりのブリタニアスの新聞がありました」


 副官のオクサラから、ブリタニアスの新聞を受け取った。

 一面にはオリーブ冠を被ったクローヴィスの写真。粗い印刷なのでクローヴィス本来の美しさは損なわれているものの ―― それでも、この被写体の美しさは並ではないと分からせる迫力が充分にあった。

 ヴェルナーは長い脚を組み直し新聞に目を通す。

 ブリタニアスの新聞にはクローヴィスの偉業が、煌びやかな言葉とともに書きたてられているが、”女性としての淑やかさに欠ける”といったことを、遠回しに書いている記事も所々にあった。

 もっともそんな記事を書いていても、クローヴィスの美しさに関しては「それに関しては完敗」「認めるしかない」なる敗北宣言が書き添えられていた。


―― スポーツの大会だ、容姿に触れなくてもいいじゃねえか


 ヴェルナーはコーヒーを飲み干してからさらに新聞を読み進めると、クローヴィスのインタビュー記事が載っていた。

 記者から「誰に感謝を伝えたいですか」という問いに対し、クローヴィスは「小官に射撃を教えてくださったヴェルナー閣下に」と答えていた。

 父は公認会計士という中産階級の家庭に生まれ育ったクローヴィスは、士官学校に入学するまで銃に触れたことはなかった。

 士官学校に入学してから銃に触れ ―― 並み居る経験者たちを抜き去りトップに躍り出る。


「……よぉ」


 入り口がざわついたので視線を向けると、ユルハイネンを連れたキースがやって来た。


「早いな」


 キースはそう言い、テーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろす。


「お前、これに目を通したか?」

「ああ……その記事」


 飲み物を持ってくるよう命じようとしたユルハイネンに、要らないと指示を出したキースは、ヴェルナーが指さす記事に視線を向け、


「読んだ。クローヴィスらしいな」

「本当にな」


 二人は苦笑いした。

 その理由だがクローヴィスのインタビュー記事には「夫のおかげです」という答えが一つもないのだ。

 このインタビュー記事を載せている新聞社は、リリエンタールの所有。その関係でクローヴィスへの独占インタビューが許された。


「記者としては、一つでいいから”リリエンタール閣下のおかげです”が欲しかっただろうに」


 リリエンタールが持つ多くの会社の社員の一人としては、リリエンタールの気分が良くなるようなコメントが欲しかったであろうが、そういった意図を全く理解していないクローヴィスは、ことごとく「世話になったのはヴェルナー閣下」と正直に答えた。

 実際、射撃と乗馬に関して、クローヴィスを鍛え上げたのはヴェルナーなので「恩があるといわれたらヴェルナー閣下」「世話になったのはヴェルナー閣下」「勝利を伝えたいのは故国にいる陛下、キース閣下とヴェルナー閣下」という答えになっても仕方ないのだが ―― 最後の問いである「勝利を伝えたい人物」に関していえば、家族は全員ブリタニアスにおり既に勝利を伝えているので、クローヴィスは「それ以外の人」という意味でキースやヴェルナー、ガイドリクスなど軍で世話になった人の名をあげただけなのだが。


「クローヴィスの側に通訳として控えているのがリリエンタール閣下では、嘘の記事を書くわけにもいかないしな」


 妻の返答を曲げるなど許さない会社の最高権力者を前に、記者は何もすることができず。


「ヴェルナー」

「なんだ? キース」

「いい顔してるぞ」

「……そうか。行くか」


 ヴェルナーは新聞を雑にたたんで放り投げ、キースと共に議場へと向かった。彼らが出席する会議の議題はオリュンポス(オリンピック)選手団について。

 今までぱっとしなかったロスカネフ選手たちが、クローヴィスの指揮(チート)の下、ブリタニアス大会で猛威をふるっている ――


「好成績ばかりで、気分が弾む」

「一回戦敗退ばかりだった我が国とは思えぬ快進撃だ」


 国際大会での結果に対する栄誉。メダリストに対して階級を上げることも、年金額を増やすことも問題ではないのだが、


「クローヴィスの大佐(・・)の地位についてだが」


 クローヴィスの大佐(・・)昇進に関しては、異を唱える者が数名いた。ほとんどが女性の昇進を快く思っておらず、結婚後の女性が軍に残るのも否定的な面々。

 そんな彼らだが、射撃の優勝で中佐昇進が内定したクローヴィスが、乗馬で優勝することは認めていた。

 乗馬に関しては天才的という言葉で済ませられないほど、クローヴィスは優れている。とくに素晴らしいのは、どんな馬であろうともすぐに心を通わせられること。

 騎兵隊のどの馬でも軽く乗りこなすのは、広く知られていた。


「さすがに若すぎると思います、キース閣下」


 射撃で優勝をおさめた以上、乗馬の優勝は確実なので、大佐昇進も間違いなし ――


「若かろうが、規律に則り昇進させるべきだろう」


 庶民ながら若くして出世したキースでも、大佐に昇進したのは三十五歳を過ぎてから。それよりも十歳ほど早いが、キースとしてはクローヴィスの昇進に関してはなんら問題はないと判断していた。


「ですが」


 オリュンポス(オリンピック)に出場している女性選手たちは、全員軍に属しているが、クローヴィス以外は名誉職。たとえ優勝して昇進したところで、仕事内容は慰問やイベント参加、ポスターのモデルなどで軍を率いることなどないが、職業軍人であるクローヴィスはそうではない。

 軍高官として業務に携わることになる。


―― クローヴィスは優秀で、実績もあるからな


 射撃と乗馬だけ(・・)の軍人ならば、誰も異議を唱えはしなかったのだが、キースが内心で呟いた通り、若さの割に実績がある。階級を上げると更に結果を出すのではないか ―― 反対派たちの気持ちを一言で表すと「面白くない」のだ。


「そもそもオリュンポス(オリンピック)の射撃と乗馬の女性出場は、リリエンタール閣下が無理矢理ねじ込んだという噂もある。そのような競技で優勝したからといって……」


―― 相変わらず語尾を濁して誤魔化しやがるな、ゾンネフェルトめ


 女性の昇進を快く思わない筆頭のゾンネフェルト少佐の発言に対して、キースはいつものこと過ぎて「つまらない」と思いながら、


「噂ではない。リリエンタール閣下当人が”オリュンポス(オリンピック)は、わたしの妃のお披露目の舞台だ”とはっきり言った」


 本当のことだと教えてやった。

 はっきりと言われたゾンネフェルトは、少しばかり言葉に詰まり ―― 彼が再び言葉を発する前に、


「わたしの妃の素晴らしさを、人民(・・)どもに知らしめてやろうとおもってな……と、ご機嫌で仰ってたぞ。まあ人民の部分が臣民だったのは、訂正しておいてやる。なにせ洒落にならんからな」

「ぶっ……」


 キースの発言にヴェルナーが笑いを漏らし、昇進反対派ではない人たちも、あの抑揚はないが支配者そのものの喋り方をするリリエンタールが「臣民」と言っている姿を想像し、あまりにも皇帝で ―― 俯き肩を震わせて笑いを堪える。

 クローヴィスのための大会にしたことを、全く隠していないリリエンタールの発言に、更にゾンネフェルトは言葉を失う。彼はそういったことは、裏に隠れて誤魔化すタイプなので、正面きって堂々と言うリリエンタールの思考が全く分からないのだ。

 何も言えなくなってしまったゾンネフェルトの隣に座っていた、若い軍官僚が手を挙げ ―― リーツマンが発言許可を与えると立ち上がり、階級と名を名乗ってから発言する。


「階級は中佐で、大佐昇進の代わりに爵位を授けるというのはどうでしょう? 我が国初の女性有爵貴族ならば、大佐の地位に相当するかと」


 軍官僚の発言は一般的(・・・)ではあるのだが、


「クローヴィスの夫がリリエンタール閣下でなければ、それも良かったかもしれない。女男爵の地位を与えて、次の大会で優勝したならば子爵へ陞爵という手段を取ることもできたが、ロスカネフがクローヴィスを叙爵したら、ロスカネフは滅ぼされる」

「え……」


 議場に相応しくない声を上げた若手の軍官僚に、キースは説明をしてやる。


「ロスカネフがクローヴィスを叙爵したら、クローヴィスは国王夫妻よりも下になってしまうのは分かるな」


 貴族というのは王に封じられた存在ゆえに、王族よりも下になる。若手の軍官僚もそのことは分かっていた。


「はい、閣下(キース)

「リリエンタール閣下は現在、個人的(・・・)某帝国(・・・)を滅ぼそうとしているが、それ以外の国とも拗れていてな。その拗れている国とは神聖帝国で、理由はクローヴィスに対し”バイエラント大公妃と名乗ってもいい”と上から言ったことが原因だ。バイエラント大公妃というのは、世界の王家の中において神聖帝国皇后よりも序列が下だ。リリエンタール閣下は”余の妻を下風に立たせるとは何ごとだ”と怒り拗れた。わたしは王侯貴族に関してあまり詳しくないので陛下にお尋ねしたところ、バイエラント大公妃といえば歴史は浅いが格の高さは大陸有数だそうだ。格はリリエンタール閣下のものだがな」


 提案した軍官僚は察しよく頭もよいので ―― ゆえに若手ながら、会議の場に出ることが許されたのだが ―― 叙爵が危険なことははっきりと理解した。


「洒落にならないほど爵位を持つリリエンタール閣下だが、リリエンタールを授爵以来、爵位は受けていない。その理由はこのリリエンタールという爵位を授けたのが教皇猊下だからだ」


 議場にいる知らなかった人たちは、キースの顔を凝視し ――


「……」

「……」

「……」


 ”猊下による授爵って、それ世間で言うところの戴冠式ですよね”と。誰も言葉にはしなかったが。


「陛下がリリエンタール閣下のことを”リリエンタール”と呼ぶのは、そういう理由だ」


 リリエンタール当人の意を受けて敬称を省略しているが、猊下により授けられた爵位に対して閣下と呼ぶのは……と、事情を理解しているのでガイドリクスは敢えてリリエンタールとしか呼ばない。


「神聖帝国は古西帝国の後継国として教皇により認定されたのは、皆も知る所だろう。古東帝国は異教徒に滅ぼされはしたが、全てを異教徒に支配されてはいない。一部はルース帝国の前身、バミラーチ大公国となった。それを踏まえて、古東帝国の後継者として教会が認定するとしたら……これ以上は言わないが、リリエンタール閣下は自称伯爵だ」


 キースの説明を受けて、反対派も国を危機に陥れたいなどという気持ちはないので引き下がった。


「陛下が叙爵を打診していない時点で気付け、ゾンネフェルトめ」


 若手官僚がゾンネフェルトの意を受けての発言だったことも、キースは分かっていたが特に触れはしなかった ―― 彼の昇進に関しては別だが。


「黙って大佐に昇進させるのが、もっとも楽なんだっての」


 会議終了後、キースとヴェルナーは二人で”無駄な説明させやがって”と、軽く愚痴を言いながら水を飲み、


「ヴェルナー。今日、お前の官舎に行く」

「分かった」


 そこで別れ ―― 仕事を終えたキースは、ヴェルナーがホールで読んでいたブリタニアスの新聞を土産に官舎を訪れ、部下たちの頑張りを肴に二人で美味い酒を飲んだ。


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