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【034】代表、タオルで軌道を変える

 イソラ兵長がメダルを取った翌々日、ピューサロ伍長が出場するボクシングの試合が始まる。

 ヘビー級一階級しかないし、出場選手も二十二名なので競技は一日で終わる。

 意外といっては失礼だが、ボクシングのグローブはしっかりとした国際ルール規定があり、検査員が調査して許可が出たグローブしか使うことができない。

 またグローブは一試合ごとに新品でなくてはならない……など、様々なルールがある。

 ここではわたしが何らかの知識をもたらすことはできないか? と思ったが、一つだけ、怪我を減らせる知識があった ―― ワセリンである。

 目の上など皮膚が薄いところにあらかじめ塗り、切り傷を防ぐ。

 グローブは革製なので、掠っただけで痛いし切れるし大変なんだ。

 ワセリンはわたしも額の傷が治りかけのときは、ぐりぐり塗ってた。

 あまりにも力強く塗りすぎてたらしくて、見ている方が「治りかけの傷が裂けるのでは」と不安だったと……完治してから言われた。

 わたしの顔、丈夫だからあのくらいは……。ただそのように言われるわたしがセコンドについて顔にワセリンを塗るのもどうかなーと考え、誰か上手く塗れる人はいないかと捜したところ、トロイ先輩という薄く均一に、更に素早く塗れる人がいた。


「弟の一人が皮膚が弱くていつも荒れていたんだが、うちは貧乏だから軟膏(クリーム)を買うのも大変でな。やっと買った軟膏(クリーム)をいかに長持ちさせるか、だが効かせなくてはならない……という切実な問題があってな」


 弟さんはとくに背中の肌荒れが酷かったそうで、実家にいたころはトロイ先輩が塗っていたそうだ。

 軟膏(クリーム)は貴重品なので、上手く塗らなくては……という意識とトロイ先輩の生来の器用さから、薄く均一に塗る技術が身についたらしい。

 トロイ先輩の塗り方は、皮膚科にかかってこんな塗り方してくれる看護師さんいたら、通うわーという雰囲気。

 ちなみにトロイ先輩の前で「こんな感じで塗ってた」と額に傷があった当時の塗り方を見せたら「同じところに配属されていたら、代わりに塗らせてくれって頼み込んでた」って言われた。


 周りを不安にさせるほど、すっごい力強い塗り方していたようですね! 


 そんなわたしは、トロイ先輩とともにセコンドにつくことになった。

 セコンドのライセンスに関してですが、軍人なので一応持っている ―― 格闘術を習いいずれ教える立場になるので、持っていたほうがいいということで取るのだ。

 ちなみにわたしのセコンドとしての仕事は、タオルを投げ入れること ―― ピューサロ伍長がマズイ状態になったらタオルを投げ入れテクニカルノックアウト・棄権を表明する立場だ。

 余談だがテクニカルノックアウトの略字TKOを見るたびに、TKGー卵かけご飯ーが頭を過ぎり辛い。

 生食できる卵も醤油もないので諦めるしかないのだが ―― 


「優勝して欲しいが、マズイと思ったらすぐにタオルを投げ入れるからな」

「わかりました、クローヴィス少佐」


 TKGは頭から追い出して、わたしはピューサロ伍長のセコンドに。


「怪我をしなければいいのだが」


 近くには我が国のドクター、カロリーナ女医も控えてはいるが、格闘技系は怪我が怖くて……医療技術があまり発達していないこの時代ですので、眼底骨折などが怖い。もちろん殴られたからってすぐにタオルを投げ入れたりはしないが……この手の判断は責任重大で気が重い。

 だが少佐として判断を下さなくてはならないのだ!


「そうですね、少佐」

「タオルを投げるより先に、間に割って入りたくなるが」

「少佐なら出来るでしょうが」


 トロイ先輩は中尉としてそれ以上は言わなかったが、目が完全に「それやったら失格になるぞ」と物語っていた。

 分かっております ―― でもヤバイ! と思ったら、体が動きそうで。

 ピューサロ伍長の実力は知っている。パンチ力は食らったことはないので分からないし、知りたくないが(痛いから)速さはわたしより劣る。

 食らったことのないパンチ力に関しては、見たところ親衛隊隊員の下位相当……パンチ力のみで見た場合ね。

 「強い」というだけなら、キース大将の身辺を守っている親衛隊隊員のほうが上なのだが、親衛隊隊員たちはスポーツ選手ではなくガチ勢とでもいうべきか……ルールを守って殴り合うというのが出来ない。

 格闘技なのでピューサロ伍長も殺すつもりでパンチを繰り出すのだが、親衛隊隊員たちにボクシングのルールを教えやらせてみても、男性急所を狙うし蹴りは出る、ダウンしたらマウントとって拳を振り下ろす……どいつもこいつも実戦経験が豊富すぎて、ルールなどすぐに頭から飛び、流れるように敵を無力化する。

 要人の身辺警護という職務上、その場で息の根を止めることもあり、そっちが身についてしまっている。

 ピューサロ伍長は強いだけではなく「最低限のルールを守れる」ため代表選手に選ばれたのだ。

 もちろん最低限なので、もしかしたら熱くなってルール違反をするかもしれないが、それは許容範囲内。

 親衛隊隊員たちは初手からルール違反するのも辞さない、勝つためには手段を選ばない……親衛隊隊員としてはそれでいいけどね。元親衛隊隊長だったわたしも、勝つためには手段を選ばないね、きっと。ルールを覚えたとしても勝ちを取っちゃうね!


 ピューサロ伍長はルールを守って殴り合えるスポーツ紳士といっても良い。スポーツ紳士ってなんだ? だが。


 本日閣下は私人としてピューサロ伍長の試合観戦にいらっしゃっている。本当は一緒に試合を見たいのですが、タオル投げ入れ判断力は、選手団と海外出張組の両方の中でわたしが最も優れているということで……これに関してはわたし自身、そう思うので引き受けた。

 次の試合はわたしの射撃なので、またもや一緒に観戦することはできないが射撃は閣下がメダルをかけてくれるので頑張る!


 …………ガス坊ちゃんが「クリフォード公爵殿下が王族として出席してくださるのは嬉しい」といいながら、すっげー悲しそうな顔していたのが………………ごめんよ、ガス坊ちゃん。まさかガス坊ちゃんが大会の責任者だなんて知らなかったから。

 でも譲るつもりはないんだ! 済まない、ガス坊ちゃん! いや、ここで無用な優しさを見せるのはかえっていけないことだ! そう自分に言い聞かせ ―― セコンドに専念しよう。


 試合はトーナメント方式。出場選手は二十二名なので、そのまま勝ち上がると三人が決勝、更に一人は試合数が少ない……となってしまう。

 試合数が同数のAとB、そして試合数が少ないのをCとして、Cの選手はA、Bに二回戦で負けた選手a、bと試合を。もちろんここでCが負けたら敗退。

 その後、リーグ戦となり勝者が決まる。

 なんか微妙にCの選手が大変なような気もするが、ルールだから仕方ない。それとこの試合は、三位決定戦を行わなくても三位が決まる。……いいのか悪いのかよく分からない。

 ちなみにピューサロ伍長はわたしの勝手な分類ではB。


 ……で、勝って欲しいとは思うのだが、Cに属する選手の一人が頭一つ抜けている気配がある。

 このわたしの見立ては当たっていて、Cに属していた選手ジョゼ・ゴメスという新大陸の選手が勝ち上がってきた。

 Bに属していた我が国のピューサロ伍長も勝ち上がったが……勝てないな。

 パンチの質が違うというか ―― トロイ先輩も同じことを思っているようで、


「タオル投げ入れの用意を」


 試合前からぼそぼそとそんな会話を。

 なにせジョゼ・ゴメスはここまで1ラウンドでKO勝ちしている、ちょっと異質な強さだ。

 KOはボクシングの華なのは認めるし、見ていて爽快だが ―― 同僚がノックアウトされるのは御免です。なにより危ないし。ピューサロ伍長のこの先のことを考えると、KOになるパンチが出る直前にタオルを投げて、安全策を採る。

 ジョゼ・ゴメス選手は四試合目だというのに、一試合目と変わらず見事なフットワークを見せ、


「させるか!」


 ピューサロ伍長の顎を捉えたのを感じたわたしは、タオルを全力で投げ入れ……いやぶん投げてジョゼ・ゴメス選手のパンチの軌道を微かに変えて、ピューサロ伍長のノックアウトを阻止した。

 ジョゼ・ゴメス選手のパンチはピューサロ伍長の頬を掠り、タオルがリングにふわりと落ちる。試合終了が告げられたジョゼ・ゴメス選手はわたしに鋭い視線を向けてきた。全試合KO勝ちを狙っていたのかもしれないが、選手団団長として選手に大怪我を負わせたくはないので。

 ピューサロ伍長にもまだ闘志は充分残っていただろうが……あのパンチは食らわないほうがいい。


 結果ピューサロ伍長は三位の銅メダルに。ジョゼ・ゴメス選手は金メダル ―― ピューサロ伍長以外は全員KOを決め、病院送りにした。


 全試合を観て思ったのは「オディロンなら圧勝だっただろうな」―― ジョゼ・ゴメス選手は強いが、オディロンには及ばない。

 オディロンならあのタイミングでわたしがタオルを投げても間に合わなかった。

 オディロンとやり合ったわたしが言うのだから間違いない。


 でもオディロンは絶対に出場しないだろう。修道士は出場する権利がないのもあるが、オディロンは人を殴るのは嫌いなのだそうだ。

 厨二病的な言葉遊び「人を殴るのは嫌い。でも蹴りは好き」や「人は殴らないが殺す」などではなく、本当にオディロンは人を殴るのは嫌いなのだそうです。

 この上なくお前とやり合ったわたしはどうしたらいいんだ? ……ですが、あれは「やむを得ず」とのこと。


 人を殺すのは嫌いだが、教義に反している人たちは「彼らのために」自らの感情を封じて殺害する、それがオディロン・レアンドルという人間。


 ……別に殺さなくていいんだぜ。そんな無理しなくていいんだぜ、オディロン。


 ピューサロ伍長に「銅メダルおめでとう」と声をかけていると、


〔エンペラトリース〕


 ジョゼ・ゴメス選手がなにか喋っていた……聞き覚えのない単語だが”皇帝(エンペラー)”っぽい響きで…………もしかして、皇后? 



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