【031】代表、菓子で絆を深める
「イヴは紛うことなき天才だ。で、何故お前たちまで食べているのだ」
「こんな美味そうなものがあったら、食べないはずないだろう」
「これは大天使が天で授かり、地上に広めるよう言い付かったレシピなのですかな」
「…………」
朝食の席でヤバイ事件が発生した ―― この世界にレアチーズケーキがなかった! ……ことの始まりはわたしの記憶が戻ったこと。
様々な記憶が戻ったわたしは、実家で食べているレアチーズケーキに不満を持った。なんか記憶と違うのだ。
国も時代も違うので、違っていたとしても仕方ないのは分かっているが、記憶にあるレアチーズケーキを食べたい! と思い立ち約二年が過ぎた。この間一度も記憶にあるレシピでレアチーズケーキを作ってはいない。
時間経ちすぎだろう! との謗りを受けそうだが、忙しかったんです。
乙女ゲームの後片付けが忙しかったんですよ。半数の攻略対象と僅かに接した程度ですが、それでも忙しかったんです。
今現在もオリュンポス代表選手として、大統領夫人として……あとは妃殿下? として公務に邁進しているので、まあまあ忙しい。
だがその忙しさを言い訳にしてはいけない! と、なんか唐突に思い立ち、ディートリヒ大佐に「お菓子作りたいのですが」と告げて、材料と器具、製作場所を確保してもらいレアチーズケーキ作りを開始した。作り始めたのは昨日の朝で昼過ぎには、味見用のレアチーズケーキが完成し ―― 記憶にある味の再現に成功。
成功といっても、クリームチーズと生クリームと砂糖とレモン果汁にヨーグルト、ゼラチンを記憶通りの分量で、順番に混ぜ冷蔵庫で寝かせるだけという簡単なものなので、成功もなにもないのだが。
味見用に作ったレアチーズケーキを、ベルナルドさんと選手の料理担当として派遣されてきているクーラ、そして用意してくれたディートリヒ大佐に味見を頼み、閣下のお口に合うかどうかを聞かせてもらった。
「ご安心ください。妃殿下が作って下さったものが口に合わないなど、あの人に限ってはありませんので。でも味見はさせていただきますよ。二人とも、なんて顔をしているのですか……ま、分かりますよ。あの人のことですから”イヴが作ったものを、最初に食べたかった”と言い出すに違いないと思っているのでしょう。分かりますが、その辺りはわたしが押さえてあげますから、まずあなたたちは妃殿下の依頼をこなしなさい。あの人にも言われているでしょう、妃殿下からの頼みは叶えるようにと」
ベルナルドさんがそのように ―― 二人はその説得を聞き入れ食べてくれまして、
「美味しいですよ。この甘さ控え目なあたり、あの人好みだとおもいます。わたしはもう少し甘いほうが好みですが。いや、それにしても美味しい。これはお世辞ではなく、本当に美味いです。ワンホールは食べられそうだ」
ベルナルドさんから大丈夫という意見をもらった。
「そうですか。ではベルナルドさん用に、砂糖多めのも作りますね」
「ありがとうございます、妃殿下」
「妃殿下、これどうやって作ったんですか!」
「どうやってって……」
クーラが勢い込んで聞いてきたので、説明してやった。その途中で「閣下の兄と義兄の会談に同席しなくてはならないので。ほんとは行きたくないんですけれど」とベルナルドさんは調理場をあとにした。
閣下が兄のコンスタンティン二世と、義兄のコンラート二世と別々に会談するのは教えてもらっていたが、ベルナルドさんが正装して臨席するのは珍しい。普段は少々時代遅れ感のあるジュストコールを着て執事をなさり、公式の場に臨席するさいもその格好で、あくまでも「使用人」を貫くのだが、本日はフロックコート姿。要するに正式に「出席」なさるということだろう。
王族同士、なにか込み入った話がある……んだと思う。聞かないのか? いやあ、これはさ、閣下と生母の関係並に、気軽に首を突っ込んじゃいけない話だろう。とくにリトミシュル閣下とコンラート二世の会談とか、政治的な話になるだろうから、聞いてもなにも理解できない自信がある!
「クラッカーを砕いて溶かしバターを混ぜて敷いてるんですか! この塩味がとても合ってます。妃殿下は軍事全般以外でも、いいセンスをお持ちだ」
「クーラみたいに菓子作りが得意だと、タルト生地を焼いて作っただろうな」
正直わたしは記憶だけを頼りに、タルト生地を焼ける自信はない…………嘘をついたな。わたしは前世でタルト生地を作ったことがない。
「いやいや、これはタルト生地じゃないです! クラッカーを砕いて溶かしバターを混ぜたものが最良ですよ」
「一応バターは無塩バターを使っている。有塩だと塩気が強すぎるので」
「輸血の話といい、妃殿下のものを作り出すセンスは、超一級です。ねえディートリヒ大佐」
やたらとクーラに褒められたが……そりゃそうだ。だって完成された一品だもん。輸血だって、かなり技術や理論が確立されてたから。
もっともそれをかいつまんで話しただけで、半年もしないうちに研究成果を出せるあたり ―― 閣下の豊富な資金力がバックにあるとはいえ、シュレーディンガー博士の天才っぷりは凄い。これが留まるところを知らない天才というヤツか! 閣下たちは藪呼びしておりますが。
「……あ、ああ」
「どうしました? 大佐。お口に合いませんでしたか?」
洗練された未来のレシピであろうとも、口に合わないことはある。ディートリヒ大佐は空になった皿を持ったまま無表情だったのだが、クーラに声を掛けられ口の端を上げて微笑むと、
「逆だ。あまりにも美味しくて、その……皿の残りに気を取られていた。シャルル殿下はワンホールといったが、わたしは三つはいける。味もこれが好きだ」
恥ずかしそうに頭を軽く掻いた……三つというのは、ワンホールが三つということですか。
「食べたいなら食べたいと言ってください。残りもどうぞ。あ、クーラも食べるか?」
「はい。あの妃殿下、今夜リリエンタール閣下用に作られるのですよね。その際に作り方を拝見してもよろしいでしょうか」
「もちろん。作り方を教えるから、シャルル殿下用の甘み強めのほうを作ってくれたら嬉しい」
「分かりました!」
「ディートリヒ大佐。大佐の分も作りますので、楽しみにしていてくださいね」
「ありがとう」
にっこりと笑ったディートリヒ大佐の笑顔は、少年っぽさが残っている本当の笑顔……のように感じた。
ふふふ、義母として義息子にお菓子を振る舞える機会が訪れるとは! このチャンスは逃さない!
試食後、シャール宮殿の庭を借りて、フォーム改造と体に覚えさせるための反復を繰り返し、庭で選手団一行と夕食を取ってから(閣下は晩餐しながら三者会談)レアチーズケーキを作り ―― 夜は閣下とベッドで……そこはどうでもいいんだ!
そして翌朝こと現在、閣下にレアチーズケーキを出した。
朝食の席には三者会談の相手でもあった、アウグスト陛下とリトミシュル閣下もいらっしゃった。わたしは皆さまと一緒に朝食を取ってから、ベルナルドさんが持ってきてくれたレアチーズケーキを ―― 素人の手料理なんて食べるようなご身分の人ではないの……だが、
「天才ですな」
「間違いなく天才だ」
「お前たちは、もう食べるな」
「もう一切れ寄越せ」
「アントンはまた作ってもらえるのですから、ここはわたしに譲るべきですぞ」
「領土はいくらでも譲ってやるが、これは譲らん」
「アントンから領地を譲られても、すぐに取り返されるから要らん」
「イヴが作った菓子は取り返せぬからいやだと言っているのだ」
「美味しいですぞ、妃殿下」
「まったくあなたたちは。あ、妃殿下、わたし用に作ってくださったケーキ、美味しかったです。もう半分食べさせていただきました……あ、はいはい、そんな目で見ないの。わたし用のケーキは、妃殿下が考案してくださったレシピを、菓子職人の一人が作ってくれただけですから。まあ、味見としてあなたたちより先に一切れいただきましたけどね」
「煽りますな、ベルナルド」
「煽ってくるなあ、ベルナルド」
「……」
「そんな顔しないの。妃殿下が作って下さった美味しいケーキなんですから、もっと幸せそうに食べなさい。特にあなたは唯でさえ陰気なんですから。料理人がよく言うでしょう。客の美味しそうな顔がなによりも嬉しいって。妃殿下もあなたに喜んで欲しくて、こうして新しいケーキを作り出したのですから。もっと笑顔……ああ、あなたの笑顔って陰気でしたね」
食卓がわりとカオス ―― 三十代後半と四十代の貴人が、庶民のレアチーズケーキにこんなにも反応を示して下さるとは……などと思っていたのですが、この世界にわたしが作ったレシピはなかった!
わたしが実家でレアチーズケーキとして食べていたのは、クリームチーズにベリーソースをかけただけのもの……肉料理にはベリーソースが基本で、大体なんでもベリーソースをかけるお国柄ではありますが……何故「ケーキ」と呼ばれるようになったのかは不明ですが、まあケーキといえなくも……。道理で砕いたクッキー類が敷かれていなかったわけだ。
クリームチーズ食ってる時点で気付けよ!
いや、ベリーソースがふんだんにかかっているので、お菓子感はあるのだよ。
そりゃあマカロンとかシュークリームとか、手の込んだ菓子とは比べ物にならないが、庶民の菓子はビスケット、ベリーケーキ、パウンドケーキくらいのものなので「あまり手間暇がかかっていないレアチーズケーキ」なのだと……。
菓子類に詳しいクーラによると、なめらかにしたクリームチーズとホイップした生クリームにヨーグルトと砂糖、レモン果汁を混ぜて、溶かしたゼラチンを入れて固めた菓子は存在しないそうです。
材料と作り方を見たクーラに「ババロアから着想を得られたのですか!」と、尊敬の眼差しを向けられた。
まさかレアチーズケーキでそこまで尊敬は……その尊敬を裏切るようで心苦しかったが「そう。閣下のお屋敷で夕食をとるようになってから、ノーセロートフルコースをいただくことが多くなっただろう。そこでババロアに接する機会が増えたから、チーズを固めてもいいのではと思ったんだ」ということにした。「前世です」って言うよりはよほどマシ。いやこれ以下はないけど。
「菓子の名前は、イヴ・クローヴィスか」
閣下とお二方の前に出したケーキは、綺麗になくなった。このお二人に関しては、口に合わなかったら間違いなく残すだろうから、お気に召したと判断してもいいはず。
「ブリタニアスは作った人の名前が菓子名になることが多いですからな」
「でも好んだヤツの名前も多いな」
「リヒャルト・フォン・リリエンタールなんて菓子、食べたいと思います?」
ベルナルドさんがお代わりのコーヒーを淹れ、わたしはミルクを入れて飲む。菓子の名前……ですか? このケーキを世間に広めるの? いや、もちろんいいですよ。レシピはわたしのものではありませんし、秘匿するつもりは毛頭ございません。材料だって庶民でも手に入れやすいものだから……冷蔵庫がないのは痛いが、わたしの故郷でしたら真夏以外なら室内でいけます。
でも名称はレアチーズケーキでいいのではありませんか?
「食べたくなければ食べずともよかろう……ああ、だがキースが苦悶の表情になりそうだな。あれはイヴが考案した菓子なら食べたいと思うであろうが」
リトミシュル閣下は手を叩きながら、
「ツェサレーヴィチ・アントン・シャフラノフって名にしたらどうだ」
その名前は止めたほうがよろしいのでは。といいますか……
「ロスカネフの司令官アーダルベルトの怒りが、アントンに向きますなあ」
その通りでございます、アウグスト陛下。
「あまりあれを怒らせるな。イヴ、とても美味しかったよ。この世界にこんなにも美味しいものがあるのだな。イヴは本当にわたしを驚かせ、そして幸せにしてくれる。こんなにも幸せを与えてくれるイヴがそばに居てくれるこの幸せは、皇帝如き地位では味わえぬ」
「そ、そんなに喜んで頂けるとは」
閣下は笑顔を向けてくださり、コーヒーを一口飲まれた。
喜んでいただけて良かった! ……なんか昨晩、こう……上手に表現することはできないのだが、閣下の心がささくれ立っていたというか…………あくまでもそんな気がするだけなんですけどね。態度や仕草はいつも通りだったしさあ。
実兄と義兄と会うと聞いたわたしが、勝手にそう思い込んだだけなのかも知れないけれど ―― コーヒーカップから口を離した閣下はわたしを再び見て、やはりまた微笑まれる。
「イヴ」
「はい」
「余裕ができたらベルナルド用に作ったという甘みが強いのも、食べさせて欲しい」
「はい! オリュンポスが終わったら、楽しみにしていてください」
「毎日が楽しいのに、更に楽しみが増えるのか」
「良かったですね、閣下。コーヒー、もう一杯飲みますか?」
「ふむ」
閣下の楽しみの一つとして数えてもらえて良かった。
「ベルナルド、わたしにもコーヒー」
「わたしにも、お願いしますぞ」
途中カオスになった食卓ですが、なんとか収拾がついたようです。
そして ――
「どうでしたか? ディートリヒ大佐」
一緒に競技場へ向かう馬車の中、ディートリヒ大佐に味を聞いたら、
「本当に三つ作ってくれたんだな」
「もちろんです」
電動の泡立て器などない世界ですが、わたしの腕の力を持ってすれば、日に五つくらいレアチーズケーキを作るなど、まさに朝飯前。生クリームをホイップするなんて造作もないレベル。
「……」
ディートリヒ大佐は口元を押さえると、都合悪そうに視線を逸らし ――
「昨日、三個は食べられると言っただろう」
「はい」
「あれは嘘だった」
食べられなかったのか?
「いや……構いませんけど」
小中学生でもあるまいし、はやし立てたりしませんが。
「おそらく一度に五個は無理だが、四個は完食できる……本当は取り置きして明日も食べようとしたのだが、気付いたら全部なくなっていた」
そんなにお口に合ったとは!
ディートリヒ大佐のことはサーシャくらいしか知らなかったから……なんか……義母として嬉しいですよ! また幾らでも作るからね! 何時でも食べたいって言ってね!
「まだ親子じゃない」と言われるのでいまは言いませんが ―― 親子になったら祝いの席の端っこにレアチーズケーキ乗せておこう。




