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【024】代表、弟と誓う

 朝から重たい内容に触れはしましたが、今日のわたしはその程度で元気を失ったりしない。

 なぜなら今日は、家族と親戚がこのシャール宮殿にやってくるから!

 もちろん別行動を取っていたデニスも合流して……本当にやってくるのかどうか、デニスに関しては心配しかないのです。

 デニスだけでも心配なのに、デニスのような蒸気機関車君たちが一緒に行動しているから。

 来なかったら探しに行っちゃうからな!

 そんなことを考えながらドレスに着替える。親戚に会うのにドレスを着るのは改まりすぎて恥ずかしいのだが、一応シャール宮殿の女主人ですから……なにもしてないけれど。なによりしっかりとした格好をしていないと、両親が恥ずかしい思いをしてしまうだろう。

 ちゃんと育てたはずの娘が、宮殿で「ドレス恥ずかしい」などと言い、庶民の格好で出てきたら……間違いなく親の恥になるな、うん。

 ブリタニアス貴族……か王族かは分からないが、それらの階級に属する女性が来客を出迎える際に着用するらしい、袖はロング丈で首元までぴっちりと締まっていて、ドレスはまあまあのボリューム。

 夜会に着ていったドレスよりは遙かに地味だが、庶民目線では見事なドレス。

 貴婦人の嗜みである手袋は、普通は一人では着用不可能なほどフィットする革製のものでなくてはいけないのですが、本日わたしが着用するのはレース製。

 レース製は見た目は綺麗だが、ここでは邪道らしい。


「身内の方ばかりですので。むしろここはマナーを破ったほうがエレガント……上流階級ではマナーを完璧に網羅し、それを崩すのが格好良いみたいなところがあるので。貴族ってちょっとよく分かりません」


 仮眠から目覚めたディートリヒ大佐が、肩をすくめてそう教えてくれた。


「本当に面倒ですね」

「妃殿下、正直すぎます。概ね同意ですが」


 マナーを知っていて敢えて外す(・・)のが(いき)

 それを(いき)と周囲が解釈してくれるのは、外しているこの人物が間違うはずがないという前提がすり込まれてこそ。

 ようするに閣下と一緒にいるわたしは、それが許される ―― 単独ですと、ただの勘違い大女になってしまうわけだ。

 実際ちゃんと知らないしね……。

 手袋と並び称される貴婦人アイテムである帽子も被り、準備は万端。

 わたしが両手を広げても切れることがないほどの幅と、高さのある鏡の前で最終チェックをしていると、こちらに近づいてくる足音が微かに聞こえる。

 建物の作りが重厚なので、あまり室内に足音が響いてこない。いや、床に耳を付けたら聞こえるとは思うが、この格好でそれをするわけにはいかないので。

 ドアがノックされ、ディートリヒ大佐が開ける。


「わたしの妃の着替えは終わったか」

「はい」

「イヴ、入ってもいいか?」

「もちろんです、閣下」


 ディートリヒ大佐がドアを開け放ち、いつも通り昼の正装を完璧に着こなしている閣下が。


「イヴは本当に美しい」

「どんなドレスも着こなしてしまうが、ドレスがイヴの美しさを引き出せていないな」

「この美しい娘に口づけすることができるとは」

「本当に美しいよイヴ。うっすらと頬を朱に染めたイヴもまた美しい」


 閣下が怒濤の賛美を! まっすぐ目を見て褒めて下さる閣下。嬉しいのですが、恥ずかしさも。


「キスしたいが、口紅が取れてしまってはいけないからな」


 閣下はそのように仰り、右の耳朶を甘噛みした!


「イヴは冴え冴えとしているが、どこもかしこも美しく甘やかで、わたしの心はいつも乱される」


 耳元でそのように囁くと、指先で耳朶を触ってからもう一度甘噛みした! 嫌じゃないけど、いやぁぁぁぁ! ディートリヒ大佐の前で恥ずかしい!


 ディートリヒ大佐? ああ、すっごい真顔だったけど、目が合ったらすっごい笑顔になった。

 ちょっと顔貸せよ! って言いたくなるレベルの綺麗な笑顔でした。


「本来であれば腕を組むのが正式だが、手をつなぎたい」


 閣下のご要望とあらば!


「腕を組むのとはまた違う良さがありますよね」

「そうだな」


 こうしてわたしたちは来客を持てなすために、用意が整っている庭へと向かった。本来、閣下クラスの主催者ともなれば、わざわざ客を出迎えるために先に会場入りしたりしないのですが、


「イヴの実家は大事な客人を、主人であるクローヴィス卿自ら出迎えるであろう。ならばわたしも婚家の流儀を取るまで」


 ……とのことです。

 だって閣下、我が家には執事も従僕もいませんので。ここは執事もいらっしゃ……ああー執事も王子さまだったー。

 閣下でもベルナルドさんでも、父さんにとってはあまり変わりなかったー。


「ご招待ありがとうございます、リリエンタール閣下」


 正装してやってきた父さんを、閣下がお出迎え。


「良く来てくれた、クローヴィス卿」


 ヒューバートさんの案内でやってきた、わたしの親戚一行……あ、ちゃんとデニスもいたわ。正装しているテーグリヒスベック女子爵閣下のお姿も見える。

 良かった良かっ……ん? なんだろう、蒸気機関車小隊の数が増えているような気がする。

 一人、二人、三人………十一? 見覚えない人が三人ほど混ざってるんですけど。

 不審者……ならヒューバートさんが排除するはず。ということは……まさか、また(・・)数を増やしたのか、蒸気機関車小隊!


「姉ちゃん!」


 どういうことなのか、デニスに尋ねようと思ったのですが、可愛らしいドレスを着たカリナが、髪を結っている大きな白いリボンを揺らしながらかけよってきたので、それは後回し。


「カリナ! 会いたかった」

「カリナもだよ!」


 抱きついてきたカリナをぎゅっと抱きしめる。

 そうしてカリナを抱き上げてから、両親に挨拶をし ―― カリナを腕に乗せたまま、会場の案内をする。

 案内といっても、トイレに行くときは、案内してくれる専門の使用人がいるので、その人に声を掛けること……くらい。


「案内なしで宮殿に入ったら、迷子になって最悪なことになるからな。あとギリギリまで我慢しないように。一番近いトイレでもかなり遠い」


 人間にとってもっとも重要なことを伝えてから、親族たちとの会話を楽しむ。そうしていると選手・出張組も正装でやってきた。


「お姉さまがた、お綺麗です」

「カリナちゃんのドレスも可愛いわ」

「ありがとうございます」


 うちの妹の笑顔が眩しい。

 今日のパーティーは内輪的なもので、すっごい気が楽……あ、デニスたちのこと聞かなくちゃ。

 ざっと見渡すと、デニスは興味深げにトーストサンドイッチを分解していた。



 気持ちは分かる。



 だがそいつはいくら分解しても、パンだ。パン以外のものは一切隠れていない、正真正銘のパンだ。


「デニス」


 一枚に剥がしたパンを口に運び、手に持っていた紅茶を飲んでいるデニスへと近づく。


「姉さん。その黄色と若草色のドレス、似合ってるよ」

「ありがとう。ところで、なんで蒸気機関車の専門家が増えてるの」


 返ってきた答えですが「意気投合」……お前なあ。でも色々言われるより蒸気機関車君たちらしくて、なにも言葉が出てこない。


「姉さん、ちょっとトイレいってくるね」

「待てデニス……わたしが少し遠いところまで案内する」


 庭を見渡すとトイレ案内専門の従僕(男性専用)とメイド(女性専用)がほぼいない。ということは近場のトイレは全て埋まっているということ。


「分かった」


 わたしはデニスを連れ会場から外れた回廊から邸内に入り、階段を登って二階のトイレに案内した。

 勝手に会場を離れたわたしですが、


[レアンドルさん、久しぶりです]

[弟君も元気そうでなによりだ]


 オディロンがずっとついているので ―― 会場で人の輪入りはしていませんが、建物の影からずっとわたしを見張って……ではなく護衛しているので、わたしは好きに動いて大丈夫なのだ。


[姉の身辺警護、ありがとうございます]

[わたしはわたしのつとめを果たしているだけだ]


 わたしは「真面目にお祈りしないと、襲撃されるのかな」という気持ちがちらつき、人生においてかつてないほど、正確な時間でお祈りさせてもらっている。


「デニス、礼拝堂で軽くお祈りしてから戻ろうぜ」

「いいよ」


 たとえそれがパーティーの最中であろうとも! いや、今廊下の時計を見て「ふぁ! お祈りの時間」と気付いただけですが。

 オディロンもつれ、礼拝堂でお祈りを捧げ ―― 聖職者ではないわたしたちは、そんなに複雑なお祈りを捧げたりはしないのですが、オディロンは本職なので、もう少しかかる。


[礼拝堂のドアを開け、突き当たりのバルコニーにいるから、しっかりとお祈りしてこい]

[ですが]

[気にするな。お前以外にも、護衛はついている。なあに、その護衛が一瞬だけ時を稼いでくれれば、お前なら届く距離だ]


 本当にオディロンなら走ればすぐの距離。


[では]


 お祈りができずにオディロンが欲求不満になってはいけないので ―― 普通はならないが、オディロンは俗に言う狂信者ですので、この配慮は必要かなと。


「というわけで、少し時間を潰すのに付き合ってもらえるか、デニス」

「うん」


 二人でバルコニーに出ると、会場の八割ほどが見渡せた。

 音楽が流れる会場で、お菓子や飲み物を手に笑顔で歓談している。

 腹の探り合いなどない砕けた……要するに庶民のホームパーティーだね。会場が豪華すぎるけれど、どう見てもホームパーティーだ。


「みんな楽しそうだね」


 デニスは大理石を刳り抜いて作った手すりに肘をつく。


「楽しんでもらえて良かったよ。わたしは全く準備に携わっていないけれど」


 わたしは手すりに腰をかけ ―― 庭から聞こえてくる軽快な音楽と、礼拝堂から漏れ聞こえてくるオディロンの祈りの両方を聞きながら、しばらく眺めていた。


「なあ、デニス」

「なに、姉さん」

「ここにさ、デニスの実父(オスカー)もいてくれたなら……って思うんだ」


 オスカーさんが亡くなったから、わたしとデニスは姉弟になったのだ。だからそれは絶対に無理なのだが、いて欲しいと心から思う。会ったこともない相手なのだが。


「ありがとう。実は俺もいま、ここに姉さんの実母(イネス)がいたら良かったのになって、言おうとしてたんだ」

「……ん、ありがとう。でも継母(ライラ)にもいて欲しいんだよなあ」

「うん、分かる。分かりすぎて困る。俺は継父(ポール)がいない人生なんて考えられない。でも実父(オスカー)がいる人生が、なんとなく想像できて、これはこれで楽しい」


 またしばし楽しげな庭を眺め ―― 軽く握った拳を差し出す。


「これからも、この先もずっとよろしく、デニス」


 デニスも同じように軽い拳を作り、軽く触れる。


「こちらこそ。いままでも、そしてこの先もありがとう、イヴ」


 そうしていると芝生をかけてくる足音が近づいてきた。


「ずるーい! 姉ちゃんと兄ちゃんだけ、そんなところに居てずるい!」


 カリナがバルコニーの下までやってきた。


「姉さん、実母(イネス)が生きていると想像したときでも、絶対カリナはいるでしょ」

「いるな。そして何故かデニスも弟として、当たり前の顔している」

「俺もその想像するとさ、普通にカリナと姉さんがいるんだよね」

「ぶっ……ははは! ま、そうなるよな。カリナ、怒らないで。姉ちゃんたち、いまそっちに行くから!」


 祈り終えたオディロンがデニスを担ぎ、わたしたちはバルコニーから飛び降りる。ちょっとお怒り気味のカリナのご機嫌を、デニスと一緒に取るのは楽しい。


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