【016】代表、霧の中から現れた人物に驚く
白米とビーフストロガノフを食い尽くしたわたしですが、もちろん他に出されていた料理 ―― ボルシチにカッテージチーズ入りのオムレツ、ビーツサラダも完食いたしました。
そして食後に、
「どうぞ、お飲みください」
「ありがとうございます」
出されたのはカスタードだった。
わたしの認識ではシュークリームのフィリングだが、どうもブリタニアスでは飲み物扱いらしい。郷に入っては……なので美味しくいただきました。
飲めないものじゃないし、不味いわけでもないので余裕です。
「イヴ」
「はい」
「明日の朝食はビーフストロガノフがいいか?」
閣下にビーフストロガノフ好きと勘違いされてしまった! わたしが好きなのは白米でして……いや、ビーフストロガノフはご飯のおかずとして最高でしたが。
「あ、いえ……他の料理もいただきたいので」
「そうか。食べたくなったらすぐに言うのだぞ」
「はい!」
この仰り方からすると……どうやらわたしは、白米食を手に入れたようだ! おかずはビーフストロガノフ限定ですが。
いずれサーモン丼……あ、醤油がなかった。
「本当はイヴと一緒に休みたいのだが」
夕食を取り終えた閣下が「そろそろあの輩を片付ける」と ―― わたしあたりが「片付ける」というと完全に物理ですが、閣下は政治的にお片付けなさるのでしょう。
……政治的なお片付けのほうが怖いと思うのは、何故だろう?
「お待ちしておりますので」
「そうか? それは嬉しいが、眠いのならば無理せずに休んでいるのだぞ」
「はい」
閣下はわたしの額にキスをして、寝室を出ていかれた。
わたしはベッドでごろごろし………………っ!
「閣下、お帰りなさいませ」
寝ていた! いや、うたた寝だった! うとうとしていただけ!
「起こしてしまったか」
「いいえ。起きておりました!」
声がすっかりと寝起きですが、起きていたと言い張る。
「そうか。では休もう」
「はい」
閣下がとなりで横になったところまでは覚えているのですが、あとはぐっすり。
翌日の朝食は水餃子が!
わたしの記憶にあるものとは少し形が違うし、かなり香辛料がきいていますが、間違いなく白い皮に包まれ、餡は挽肉とみじん切りの玉葱で、味付けは塩と香辛料の水餃子。
昨日の白米といい、テンション上がるわー。ビーフストロガノフを選択しなくてよかった。いや白米は捨てがたいけれど ――
「これも口に合ってよかった」
「ルース料理なんですね」
ルースの領土は、わたしの記憶では中央アジアや中国にあたる国とも国境を接しており、国境付近は異国の文化と融合し ――
フォークとナイフで水餃子というのも、不思議な感じではありますが美味しかったです。
なぜブリタニアスのヘンウッド夫人のお屋敷で、こんなにもルース料理が出るのかというと、ヘンウッド夫人の旦那さんは亡命ルース貴族なのだそうだ。
亡命する際に料理人も一緒に連れてきて、雇い続けているので、ルース料理が良く出されるのだそうです。
その旦那さんはといいますと、
「ブリュンヒルトと共にヘル・ヤンソン・クローヴィスたちの出迎えに港へ向かった」
「何故ですか?」
「ニコライは大学教授で専門は鉄道学なのだ」
ヘンウッド夫人の旦那さんは鉄道学の教授。テーグリヒスベック女子爵閣下はこのニコライ教授のもとで鉄道学を学ばれているとのこと。
テーグリヒスベック女子爵閣下の身元を預かっているのもこちら。
「ブリュンヒルトの元に届いたヘル・ヤンソン・クローヴィスのレポートを読み、ニコライがいたく感激し是非とも会いたいと申し出てきたのだ」
テーグリヒスベック女子爵閣下とヘンウッド夫人がアイヒベルク閣下にお願いし、アイヒベルク閣下から閣下へ、そして閣下が直々にデニスに許可を取ったとのこと。
めっちゃ大事になっておりますが……デニスの手紙は大学教授ですら感動するレベルなのか。
そこは素直に尊敬するわ、デニス。
だからね、デニス。その大学教授が会いたがるような、専門的な用語を書き連ねた手紙を姉さんに送ってくるのは止めなさい。
そんな立派なレポートをほぼ理解できないわたしに送るなんて、勿体ないでしょうが! もちろん読むけど。
食後のお茶をいただき、ヘンウッド夫人と邸の使用人全員に見送られ ―― 門の外にいた偉い人たちはいなくなっていた。
道路の片付けをしているのはギブス牧場のブラッド青年。
”迷惑をかけた”と挨拶をしたら、深々と頭を下げられた。
軽快にサラバンドを駆り、昼食はピロシキ。
「まったく、お前がいなければ馬上で昼食を取れたものを」
ベルナルドさんは馬を走らせながら食べるのは苦手とのことで、川沿いで下馬して草原で座って食べることに。
「上着を敷いて妃殿下の隣に座って、妃殿下をうっとりと眺めながら食べている人に言われたくはありません。むしろわたしに感謝してください」
「わたしはイヴと馬を併走させて、見つめながら食べることはできるぞ」
「それは妃殿下が馬の脚を緩めてくれたら、できるだけのことでしょう」
「まあな」
閣下とベルナルドさんが、とっても楽しそう ―― 昼食を終えて再び馬を駆り、夕暮れ時に次の宿泊先に到着した。
ベリソージュ邸よりは小さいがヘンウッド邸よりは大きい。
そんな邸の周囲には、昨日ヘンウッド邸に到着したとき、乗馬の手綱を握り頭を下げていた騎兵がうろついている。
正直騎兵は分からないが、馬は見覚えあるので、おそらくまちがいはない。
「ここも、イヴに危害を加えようとしていた貴族がいてな」
「はあ」
わたしは閣下の後をついて邸に入ったのですが、邸内が完全にメアリー・セレスト号 ―― つい先ほどまで人がいた痕跡があるのに誰もない状況。
室内は真新しい蝋燭に炎が灯されたばかり。溶けた蝋からそれが分かる。
キッチンには温かい料理、さらには焼きたてのパンの香りまでも ―― 普通、夜にパンは焼かない……はず。
テーブルのアイスペールにはまだ角のある氷がぎっしりつめられ、白ワインが冷やされ、瑞々しいチーズが並べられている。
ボイラーによりお湯が沸いており、浴槽にもたっぷりとお湯が張られている。
そして極めつけは、霧が発生しやすいというブリタニアス ―― 夏だというのに本日の夕暮れ時から霧が発生し、あたりが靄につつまれた。
歴史をそこかしこに感じる邸に残る人がいた痕跡、そして濃霧。完全にホラーです!
「……」
「さあイヴ、ゆっくりと食事を取ろうではないか」
アイヒベルク閣下が引かれた椅子に閣下は腰を下ろされ、
「妃殿下と閣下は食前酒をお楽しみください」
ベルナルドさんはワインのコルクを開ける。
「料理はすぐにお持ちいたしますので」
ディートリヒ大佐がキッチン、アイヒベルク閣下は厩舎へ。
「馬の世話をして参ります」
皆さまが何ごともないように動くから、更にホラー感が増す!
ひぃぃー サスペンス! ホラー! ゾンビとかクリーチャーとか出て来ちゃう?!
「ふふ……イヴ、そんなに驚かなくていい。この邸の者たちはブリタニアスの首相が、一時排除しただけだ」
「どうぞ、お座りください妃殿下」
椅子に腰を下ろして、ベルナルドさんが注いでくれたワインを飲む。
閣下のお話によりますと、わたしに害をなすという情報を受け取った首相は、ウォッシュバーン家のほうは間に合わないが、こちらならまだ間に合う! とばかりに、この邸の貴族を一斉に捕らえたのだそうだ。
「貴族はいまだ公の法で裁かれぬが、家法は適応され、それは家長の一存でどうとでもなるからな。ましてや一門の存亡がかかっているとなれば、否応もない」
使用人だが上級使用人は貴族扱いで逮捕、中級・下級使用人は昼過ぎまでここで作業をさせ、わたしたちが来る前に違うところへと連れていったそう。
「上級使用人は貴族も多いからな」
ディートリヒ大佐が運んで来てくれたのはスコッチエッグにコテージパイとチキンスープ。ローズマリーと塩で味付けしたローストラムには、ミントソースが添えられている。茹でた人参とブロッコリーは塩味。それに焼きたてのパンが添えられ ――
「全部毒見をいたしましたので、大丈夫ですよ」
わざわざディートリヒ大佐が毒見をしてくださったらしいのですが、一人で毒見をして、万が一毒が入ってたらどうするんですか! 何かあった時のために、わたしの側で毒見をしてください。
「少佐まで”毒見しますね”と言い出し兼ねないからな」
「……」
思い当たる節しかない!
自分の食事を他人が毒見をしているのを側で見ているとか、ストレス溜まる行為。でも見えないところでしているといわれても、ストレス溜まるわー。それなら自分で毒見したほうが、例え死んだとしてもストレスは溜まらない! それが庶民というもの。もちろん死ぬ気などありませんが。
「念のためだ。毒の混入はまずない。毒見になにかあったら、マッキンリー内閣は総辞職して責任を取らねばならぬし、選挙後の与党党首はブリタニアスの首相として、わたしとやり合うはめになる」
「解散した与党も野党も、絶対勝ちたくない選挙戦の始まりじゃないですか。むしろ勝った方が負けという、新しいスタイルの選挙になりますよ。あ、初めてではありませんね。神聖帝国がすでにそれでリコールされていましたね」
閣下のグラスにワインを注いでいるベルナルドさんのお言葉。
「選挙は必ず行われるからな。可哀想に」
お喋りをしながら閣下はグラスに口を付けてワインを飲まれるのですが、まあ上品なこと。さりげない仕草から溢れ零れる気品が、生まれも育ちも王侯ですと語らずとも分かるというやつです。
「可哀想の元凶がなにか仰っていらっしゃる……こんな感じですので、間違っても毒や薬を盛られることはございませんが……まあ、世の中にはどうにもならないバカというのがおりますので、念のためです」
「はあ」
夕食を取り終え風呂に入り ―― 本日閣下はちょっと所用があるとのことで、一緒に入ることはできませんでしたが、体を洗ってゼラニウムのバスオイルを入れた浴槽にひたっていると、
「…………」
なにかの気配を感じた。
この邸の警備についているという、先日首相とともにやってきた騎兵とも違う。なんか……知っている気配だ。
体を急いで拭き……ユルハイネンとクライブのこと思い出すわー……ではなく、シャツとパンツだけを装備し靴を履いて、できる限り気配を消して浴室から出ると、そこにいるはずの人がいなかった。
ディートリヒ大佐、わたしの見張りをしているのではなかったのですか? 何処に行ったのディートリ……あああああ! 気配がなにか思い出した。あの気配は憲兵大佐マルムグレーンだ!
ということは、なにか共産連邦っぽいものと遭遇した?
屑スパイのフェリクスを前にしたときは、マルムグレーン大佐は出てこなかったよね?
サーシャがマルムグレーンでこの気配って…………4104徽章のときだ! すなわちレオニード!
駆け出し ―― 廊下の窓が一つだけ開いていて、そこから外を窺ったが霧が深くてみえな……格闘している音が聞こえる!
廊下のランプをかざしても霧の向こう側は見えな……ん? あれ? 何かおかしな気配が突然現れ! 二つの物体が外壁にぶつかった。一つはマルムグレーン大佐で、もう一つはやはりレオニード!
この強い二人を同時に吹き飛ばす賊とは!?
[台下、あとはこのオディロンにお任せを]
…………おいてきたはずの、オディロンがぁぁぁ! なんで来たの! どうやって来たの!
異教の神話が発祥で、それシンボルにしているスポーツ大会開催国に、狂信者レベルマックスなお前が来ちゃ駄目だろ!
ちょっとロドリックさん! オディロンが逃げ出してますけど、どうして……むしろロドリックさん大丈夫なのか?




