【015】代表、待望の料理を口にする
馬の世話をしながらディートリヒ大佐に話を聞く ――
「ここはアイヒベルク閣下の異父姉の従姉妹の邸だ」
「……」
でた! 閣下の複雑な家系図・王家の血筋じゃない方!
「アイヒベルク閣下には異父姉がいて、異父姉の父親の妹の子が先ほどのご婦人」
「詳しい説明ありがとうございます。理解いたしました……わたしの感覚ですと親戚ですが、その認識で大丈夫なのでしょうか?」
皇子の婚外子と前夫の妹の子は、どのような認識なのか、はっきりと聞いておかなくては!
「全員爵位を有していないが貴族なので、ぎりぎりアイヒベルク閣下の親戚筋にはなる。もちろん閣下の親戚ではない。他に伝えておくとしたら、それほど高位貴族ではない」
高位貴族のラインが分からないわたし。
単純に伯爵から上が高位貴族とか? そんなに単純じゃないのかな? ……貴族は難しくて分からない。
今度閣下にお尋ね……閣下は「偉い貴族などいない」とか仰いそう。でも貴賤結婚という言葉が存在する国の王族クラス目線では、貴族など庶民と同じようなものらしい。
「分かりました。先ほどのご婦人のことは、なんとお呼びすればよろしいのでしょうか?」
「呼び方はヘンウッド夫人だが、少佐が呼びかけることはないぞ。向こうだって絶対話し掛けてこないからな」
「……身分的に?」
「ああ。アイヒベルク閣下の親戚筋だ。なにか失態を犯したらアイヒベルク閣下にもかかってくる。少佐になにか失礼なことをしたら、閣下はアイヒベルク閣下ごと切り捨てるのは確実だ」
「……」
閣下の馬をブラッシングしていたのだが、その手が止まってしまった。
「そんなに心配することはない。ヘンウッド夫人は貴人のもてなしに関しては、かなりの技量を持っている。それを知ってアイヒベルク閣下が命じたのだ」
「そうなんですか」
ヘンウッド夫人の父親は外交官だったこともあり、子供の頃から上流階級の社交というものに触れ、貴族女性として貴人相手の社交を熟知しているのだそうだ。
「それほど熟知しているのなら、教えを請いたいのですが」
「ヘンウッド夫人の社交は貴族。少佐は王族、全く違う」
「はあ……」
馬の世話を終えてディートリヒ大佐とともに邸に戻ると、風呂が用意されていた。浴室は広く、大理石で作られた猫足の浴槽は、その部屋の中心に置かれている。
蛇口などは金鍍金。壁に掛けられている大きな楕円の鏡のバロック調の枠も、同じように鍍金が施されている。
大きな窓から明かりが差し込み ―― もちろん視界を遮るように、浴室の白さとは種類の違う、シフォン製の白いカーテンがかけられている。
浴室の壁側にはこれまたバロック調のテーブルとソファー。もちろん安物ではないのは一目で分かる! ……わたしなのでかなり目利きは怪しいが、きっと高価なはず。
テーブルにはガラス製のアイスペールが二つ。
両方とも氷はぎっしりで、片方にはシャンパンが。もう片方にはこれまたガラスの器に入った白い塊が。
他にも大きなピッチャーにレモンとミントのフレーバーウォーター、そして静物画のように飾られた果物。
体を拭くタオルは別の机に、ぴっちりと同じサイズでたたまれたものが積み上げられ、その手前にノーセロート製の高級石鹸と、洒落た小瓶が数種類。
「バスオイルだ。これはローズの香りで、こちらはゼラニウムで、こっちはイランイランと書いている。他はベルガモットにラベンダー、ネロリもあるな」
バスオイルもノーセロートからの輸入品で、品名はノーセロート語で読めないわたしのために、閣下が読んでくださった。
”ついで”と言っては言葉は悪いが、アイスペールの酒じゃない方はなにか? を尋ねたところ、菓子職人が作ったバニラアイスとのこと。
側にあるミルには黒胡椒と、ピンクの岩塩。そして隣にはスライサーと黒トリュフ。
「バニラアイスにかけて食べるといい。シャンパンを注いで飲むのも楽しいぞ」
なんというセレブセット!
庶民の中の庶民たるわたしがバニラアイスにかけられるのは、黒胡椒くらいかと。きっと黒トリュフはかけても首を捻ることしかできないはず。
もちろん用意して頂いたので、きっちりと食べますが!
「シャンパンを注ぐときは、声を掛けてくれ」
「?」
「わたしは浴室ドアの側にいる。イヴへの給仕はわたしの特権だからな」
浴室にまで閣下を呼びつけるのですか!
……ん? ということは、
「風呂上がりまで待っていてくださるということですか?」
「もちろん。外の警備はディートリヒに任せているから、覗かれるようなことはないから安心してほしい」
「覗きそうな人、いるのですか」
「道ばたにいた輩」
ブリタニアスの要人が、わざわざ覗きに来るとは思えないのですが。
「ロドリックと同じようなことをする可能性もある」
「あー」
「平民の妃は許さぬといいつつ、機嫌を取れそうだからとな。もしかしたら脅しにくるかもしれぬ。もっともそんなことをしたら……」
閣下が語尾を濁されたのですが、そんなことをしたら…………ま、考えないでおこう!
「あのですね、閣下」
「なんだ?」
閣下はわたしの両頬を手で包み込む。
「イヴより優先する用事などないから、気にせずに言って欲しい」
「閣下、一緒に入りませんか?」
「…………風呂にか?」
「はい。その……」
「喜んで。そうだな、一緒に入るのならば、バスタブの水面を薔薇の花びらで覆ってもいいか? イヴと薔薇風呂に入りたかったのだ」
「はい! じゃあ、バスオイルはローズにしましょうね」
―― 薔薇の花びらを用意するのに、少し時間がかかるとのことで、閣下と一緒に浴室でバニラアイスを堪能することに。
黒胡椒と塩に黒トリュフ、全部かけて食べてみた。……やはりわたしは、黒胡椒が一番口に合った。次に合ったのは塩。……うん、庶民ですから!
「閣下と一緒に入ってくださるんですって?」
赤やピンクの薔薇の花びらがつまった籠を、ベルナルドさんが運んできてくれた。
「はい」
「妃殿下が薔薇風呂はお美しくていいのですが、あなたはねえ」
「イヴが薔薇の花びらと戯れているのを堪能するだけだ」
「思う存分、堪能なさるといいですよ。妃殿下、お湯はたっぷり用意しておりますし、長風呂でも大丈夫ですから。それでは…………<ふふ、精々頑張ってください、閣下。なにかあったら、すぐ主席副官に連絡しますから>」
薔薇の花びらが足りなくなったら使ってくださいね ―― と、まだ花びらが半分ちかく入っている籠を浴室において、ベルナルドさんは出ていった。
「まったく、ベルナルドのやつめ」
「?」
最後の方はちょっと異国語だったので分からないけれど、和やかに笑っていらっしゃったし、閣下も同じような雰囲気なので……王族同士の挨拶みたいなものだろう。
閣下とお風呂 ―― 水面は完全に薔薇の花びらで覆われました。閣下のお望み通り! そしてわたしの望みは ――
「あまり触れあえていなかったので」
「イヴから誘ってもらえるとは」
恋人握りにして、浴槽に一緒に入り、楽しい時間を過ごしました。
風呂から上がり、水を飲んでいると ――
「道で頭を下げている輩を連れてきた馬が心配になったのであろう」
さすが閣下! わたしの考えなどお見通し。
そうなのです。馬はけっこう水を必要とするので……
「馬に関してはギブス牧場のほうに指示を出しているので、もう飼い葉も届いたであろうし、水はくれてやる。馬糞もギブス牧場が回収してゆくので道の汚れは心配ない」
さすが閣下。手配は万全だった。
良かったな、馬たち。人間のほうは……水くらいはもらえるのではないのだろうか?
「水とビスケットはくれてやるから心配することはない」
閣下がお優しい。
「あとで食事代として高額請求してやるが」
「ぶふっ!」
高額請求はきっと閣下のご冗談でしょう ―― 外の偉い人たちには悪いのですが、わたしは閣下と夕食を。
もちろん本日も閣下と二人きり。
将来の息子を誘ったのですが「まだ息子じゃありませんし、いまは大佐だ」と断られてしまいました。
息子になった暁には、毎日三食一緒に食べるからな!
そんな野望を胸に秘め ―― テーブルクロスがかかった丸テーブルに向かい合って座り、食前酒を楽しんでいると、料理が次々に運ばれてきた。
食べ終わったら次の皿……という形式ではないらしい。わたしとしては、そのほうが気楽で好きです。
「閣下、これは」
様々な料理がテーブルに所狭しと置かれたのだが、その一つが白く煌めいていた。
「ルース料理で、ビーフストロガノフという」
ストロガノフさん、ありがとう! この世界にもいたんだね! ありがとう!
テーブルに並べられたビーフストロガノフは、白米が添えられていた。ただの白米。ほんと、炊いただけの白米。
ご飯のおかずと一緒に白米を食べられる日が、まさか訪れるとは!
「口に合ったようだな、イヴ」
「はい! この白米と最高に合います!」
米料理はあるんですよ、ライス・プディングという名前で。
米を牛乳とグラニュー糖で煮て、バニラエッセンスを足す ―― デザートとしての地位を確立している。
ライス・プディングはもちろん美味しいのですが、米があったら白米で食べたいと思ってしまう ―― 前世の記憶のせいで。
実家でもたまにライス・プディングは食卓に上ったので、米そのものはあるのですが……白米を食べるという文化がないため、メイドに「米をそのまま炊いて」といっても通じない。きっと炊けないと思う。それはメイドのスキルが低いわけではない。サーモンのグリルと白米というメニューに憧れたが ――
「まさかそんなに気に入るとは。お代わりは?」
「したいです!」
「白米で食べていたが、フライドポテトと一緒に食べたりもするが」
閣下が折角お勧めしてくれているが……今回だけは!
「白米がいいです!」
「分かった。ベルナルド」
閣下が手を叩かれ ―― アイヒベルク閣下が頭を下げるはめになった。理由はわたしが「白米にビーフストロガノフを添えて」を食べきったこと。一回目のおかわりは出来たのだが、そこで用意されていた分を食べきったことを知らず、再びお代わりをしてしまい「準備不十分で申し訳ございません」と。
「いえいえ、謝っていただかなくても……あの、本当にお気になさらないでください」
申し訳ありません。本当に美味しかったんです、白米とビーフストロガノフが。




