【276】花嫁、終わらせる
猊下がミサを行うため、港に祭壇が作られている。
一段高い場所が作られ、周囲の地面は赤い絨毯が敷かれ、猊下が海風に晒されないようにするために、祭壇の後ろにはコンテナが積まれ、それを白く美しい大きな布で覆い隠している。
「お待たせいたしました」
ボイスOFFはわたしの指示通りに、
「久しぶりだな、バックリーン軍曹」
「お久しぶりです、クローヴィス少佐」
わたしと非常に仲の悪い男をすぐに見つけ、連れてきてくれた。
このバックリーン軍曹は、わたしと射撃大会で優勝を競い合っており、非常に敵視されている。
バックリーン軍曹は軍の専科学校で射撃を専攻していたこともあり ―― 士官学校出と専科学校出の溝っていうか「士官学校出のエリートはエリートらしく指揮だけしてろよ」という……まあ、そういう訳だ。
もちろん下剤を盛ろうとしたり、愛人を送り込んだりして勝とうとしないだけ、遙かにマシな人である。まー最近はピンクも反省したようなので、わたしも言いませんがねー。
わたしとバックリーン軍曹の関係はともかく、才能や職務に対する態度は間違いはない。
「バックリーン曹長、その銃を貸せ」
他人のライフル銃を借りるのは、銃を知っているものからすると非常に怖い。
しっかりと整備されていなければ、暴発する恐れがある……など危険が先に頭を過ぎるからだ。
「なにか」
「周囲に注意を払うなよ、バックリーン曹長。敵がいる」
だがバックリーン曹長が装備している銃に関しては信頼ができる。彼の整備に間違いがないことは、わたしがよく知っている。
「ポイントさえ教えていただければ、小官が撃ちますが」
「分かっていたらお前に頼むさ。わたしはお前の腕前を良く知っているからな。だが依頼できないのだ。先ほど一瞬だけ感じた、後方からの殺気だけが頼りだ。お前も狙撃手なら分かるだろう? 口では説明できない、感覚でだけで捉えている標的というものを」
正確にどこに居るとは言えないのだが、銃を構えて振り返ったら、どこに居るか体が見つける。野生動物を狩る時なんかは、目で見て撃つというより、この気配を察知し、それがどう動くかを感じ取って撃つ。
「分かりました。では」
バックリーン曹長もそれを人に口頭で伝えるのが難しいことは分かっているので、銃を貸すことを認めてくれた。
バックリーン曹長は銃を握る手を緩め、取りやすいように僅かにこちらへと差し出してきた。
「ウィルバシー。裾を直すふりをして、わたしの靴を脱がせろ。右足からな」
「分かりました」
ヒール付きの靴でも出来るのだが、足跡が付くと困るので。
跪いたウィルバシーが靴を上手く脱がせてくれる。もちろん脱いだのを万が一にも気取られないように、つま先だちで靴を履いている時と同じ高さを維持する。
「クローヴィス少佐。好きなタイミングでいけ。後のことは、わたしたちに任せるといい」
「では参ります、閣下」
わたしはそのまま、バックリーン曹長のライフル銃に手をかけて構え、壁へと向かって駆け出した。
「うおぉぉぉ!」
コンテナを覆う滑らかなシルクと、素足に近い絹のストッキングという最悪の組み合わせだが壁は走れる!
壁の頂点に達し ―― 銃を構え、場所も階層も誰なのかも分からないが、標的は捕捉した。あそこだ! と思える所へ照準を合わせて引き金を引く。
大勢の人たちと青空の間を弾丸がまっすぐ「そこ」へ。足を止めることなく端まで走りきり、わたしは体を横回転させて、赤絨毯が敷かれている地面に着地する。
多分、いや間違いなく仕留めた。何者かは知らないけれど。
……で、いきなりドレスを着ている男にしか見えない大女が壁を横走りしてライフル銃を発砲という、訳の分からない状況に、多くの人々は「なにが起こったのだ?」と。もちろん警備を担当している軍人たちも「おい、なんだ?」状態に。
「教皇よ。ロスカネフを代表する射撃の名手の技、とくとご覧になられたかな」
閣下がそれはよく通る声でそのように。
猊下は頷かれ、ボナヴェントゥーラ枢機卿閣下の耳元に囁くようにし ――
「教皇は姉妹であるイヴ・クローヴィスの美技にいたく感動なされ、ブリタニアス君主国で行われるオリュンポスに足を運び観戦なさることを望まれている。女王よ、いかがかな?」
閣下にお任せしたら、ヤバイ方向に転がって行っているような。でもグロリア陛下が望む通りに、オリュンポスが万博に勝てる可能性が出て来た!
グロリア陛下も通訳を通して聞き、笑顔でスカートの端を掴み、軽く会釈をなさって ――
『お待ちしておりますわ。観戦種目は射撃と馬術でよろしいわね?』
グロリア陛下の言葉に猊下は頷かれた。
……猊下の御前で競技することになった! 猊下がオリュンポスを観戦するのって初めてのことでは? 他の奴ら、済まんな! いや、この時代ならみんなテンション上がるか!
すっとジークムントが靴を持ち近づいてきたので、素知らぬふりをして履き、
「相変わらず手入れが行き届いている、いい銃だな」
「お褒めに預かり光栄ですよ、クローヴィス少佐」
ライフル銃をバックリーン曹長へと返し、ジュリアさんから聖典と扇子を受け取って、猊下にかなり近い場所でカーテシーをして聖典を開く。
ミサの間、カーテシーしてるの?
うん、してるよー。猊下に敬意を払いたいので、カーテシーさせていただく所存です。
出だしにイレギュラーなことが起こり……起こしたのはわたしですが! とにかく猊下のありがたいミサが終わり、熱狂している人々の間を抜けて、わたしがドレスに着替えた邸で、来賓の皆さまは休憩を。
「少佐」
ヒースコート少将に呼ばれて別室へと向かうと、そこには死体があった。
「……これは」
「驚いただろう?」
死体は光沢を押さえた茶色いデイ・ドレス姿に癖の強い黒髪をまとめ、マリアベールを被った、一見するとボイスOFFの妻ジュリアさんにしか見えなかった。
「お前さんが仕留めたヤツだ」
「これは一体……」
「詳しい事情は、射殺体と同じ空間にいたヤツに聞く。同席するだろう? 少佐」
「はい」
少将と共に同じ空間にいたヤツと会ったのですが、
「ユルゲン!」
「イヴ!」
まさかの同期。
同期の中でも体格がよく、ダンス練習の際にいつもわたしの相手を務めてくれた三人のうちの一人、ユルゲンだった。
そのユルゲンは後からやって来たボイスOFFとジュリアさんを見て、
「え、死んでない? あ? ええ?!」
心底驚き ―― そこから何があったのかを聞くと、今回の港の警備には北方司令部の軍人たちと、ボイスOFFが携わっていた。
北方司令部の司令官がヒースコート少将で、ヒースコート領もこの辺り。貴人を迎える際に北方司令部から人が駆り出されることも、ヒースコート家の貴族が対応するのも、良くあることだった。
ボイスOFFはヒースコート家の跡取りとして、北方司令部の軍人たちとやり取りをし、猊下と陛下の出迎えのために奔走した。
「女王陛下を迎えるために、ヒースコート家の女主人であるジュリアさまにも、ご尽力いただいたのです」
ユルゲンたち警備にあたる者たちは、ここでジュリアさんと面識を得た。特にユルゲンは、
「夫が世話になったので、クローヴィス少佐になにか贈り物をしたいので……などの会話なども」
ジュリアさんの方を見ると、彼女は覚えがあると頷き、
「トーデンダル少尉は、決して妻と二人きりで会うことなく、礼儀に則り対応してくださいました」
ボイスOFFも肯定してくれた。
ユルゲンはヴェルナー少将の教え「貴族と二人きりで会うとか、肢体を切り落とされて下水に流され、糞にまみれた肉塊になりてぇならやれよ!」を守り、美しい人妻のお誘いに乗るとかいう、浮かれポンコツみたいなことはしなかったようだ。
そして本日 ―― ユルゲンはミサの警備を終えてからボイスOFF夫妻と共に、わたしたちが乗ってきた車両で一緒に首都へと向かうことになっていた。
そう、わたしの結婚式に出席してもらうためにね。
ユルゲンの仕事は建物内に人が居ないかどうかの確認で、わたしが撃ち殺した人物がいた建物内を確認中、
「ご夫妻が現れたのです」
その時、わたしと一緒にいた筈のボイスOFF夫妻が、何故かユルゲンの前にも現れたのだそうだ。
「ご夫妻は軍人ではありませんので、規定の場所以外のところにおられても、不審には思わず」
ユルゲンの意見はもっともだ。
そしてユルゲンは夫妻に話し掛けられ ―― 気が付いたら頭を殴られ、倒れたのだそうだ。ただユルゲンも軍人、気を失ってなるものかと必死に意識を保った。
もちろん拘束されてしまったのだが、
「痣や擦過傷ができないようにと、シルクで拘束したようだ」
どうもユルゲンに傷を残さないようにしたかったようで、手足をシルクで拘束したそうで、証拠物件を見せてもらったのだが、
「それはどちらも、わたしのスカーフ……です」
ジュリアさんの私物だった。
なにこの、ジュリアさんに罪を着せようとしている感。
「お前さんじゃないことは分かっているが、怖ろしくはなるよな。ウィルバシー、手を握ってやれ」
色男な舅が不甲斐ない息子に、さらっと促しております。
ボイスOFFはジュリアさんの華奢な手をぎゅっと握りしめ ――
「あのフロアに運ばれたのですが、その時点ですでにライフル銃はありました。そして女性の方は残り、小官を運んだ男性はどこかへ。二人の会話ですが、ロスカネフ語ではありませんでした。頭を殴られてぼうっとしていたのと、ご夫妻はたまにルシタニア語を使われると聞いていたので、それなのだと」
ユルゲンが拘束を解こうとしていると、ジュリアさんの扮装をしていた女が倒れ、ヒースコート少将がやってきて解放された。
「ウィルバシーの扮装をしていた男が気になるな」
気になるっていうか、指名手配犯ですよ!
「ところでユルゲン。お前はあの二人を、この二人と見間違ったんだな?」
「はい」
「変装の名手か。厄介だな。ユルゲン、お前はもう休め」
「少将閣下。あの、男はたしか”ダ・スヴィダーニャ ヴィーセ……”と。ヴィーセの後がはっきりと聞き取れなかったのですが」
ユルゲンが必死に思いだそうとしていると、ドアがノックされ閣下がお越しになった。
そしてユルゲンが最後に聞いた”ヴィーセ……”なんとかだが、
「絞首台」
「それです!」
閣下はさらっと当てられた。
閣下凄いー!
「あの女の名はツェツィーリア・マチュヒナ。共産連邦に追われていた女だ。トーデンダル少尉の実力を疑うわけではないが、これはわたしとセルゲイ・ヤンヴァリョフが片付ける案件でな。四日後のパーティーを楽しみ、全てを忘れることを勧める」
ああ……あれヒロインの片割れだったのかあ。
そっか! ヒロインだったのか。エリーゼには生前一度だけ会ったっぽいけど、ツェツィーリアには一度も会うことなく終わってしまったわ。いや、終わらせたのわたし自身なんだけどね。
やっぱりモブってモブなのねー。




