【261】花嫁、花婿を朝食に誘う
ヴェルナー大佐に話したいことは色々とあるのですが、
「臨時政府が解散したから、仕事が山積みなんだよ」
ヴェルナー大佐はとても忙しい……臨時政府が解散したということは? 臨時政府の主席宰相を務めておられた閣下は?
「わたしは臨時政府の主席宰相は辞している。式に全力を傾けるためには、役職など引き受けてはいられない」
「まぁ、そういうことだクローヴィス。そこの優雅な独裁者が大統領になったら、少しは話をする時間ができるから、その時にな」
「わたしが大統領に選ばれるかはまだ分からぬが」
閣下はそのように仰ったのですが……きっと閣下が選ばれると思います。
忙しいヴェルナー大佐は「失礼します」といい、所長室を後になさった。
「イヴ。ちょっと耳を貸してくれるか」
「はい」
閣下に呼ばれたので耳を閣下の口元へと寄せると、閣下は口元を手で隠し、
「ジークに診察と休養を与えたいので、睡眠を誘発する薬を飲ませたい。これから運ばれて来るティーセットに使用人用のカップを用意させ、そこに薬を仕込んでいる。イヴに給仕の真似をさせるのは心苦しいのだが、紅茶を注いでジークに飲むよう勧めてくれ」
「畏まりました」
リースフェルトさんを休ませることに関しては同意です閣下。お任せください!
きりっとした気持ちで待っていると、給仕がアフタヌーン・ティーのセットを運んできた。ケーキスタンドのお菓子もいいけど、ローストビーフも美味しそう。いや、きっと美味しい!
給仕がティー・コージーを外し、紅茶入りのポットを手に取ろうとしている。よし!
「あの、閣下! わたしが淹れてもよろしいでしょうか?」
「ん? 構わんよ」
白い手袋をはめた手を軽く動かし、給仕に離れるよう指示を出される。
「ジークも飲みましょう」
「なにを仰っているのですか?」
「ジーク、紅茶好きじゃないですか。あとお菓子もあるので」
副官として一緒に過ごして分かったのだが、リースフェルトさんはコーヒーよりも紅茶のほうが好きなので不自然ではない。
「妃殿下」
「今朝もあまり食べていませんでしたよね!」
「ジーク、飲め。給仕、カップの用意はしているな?」
わたしたちのやり取りを閣下が制する。
「御意」
閣下に命じられると素直に従うんですよねー。
「こちらです」
給仕が差し出してきた、模様のない白いティーカップに紅茶を注ぎ、行儀は悪いがソーサーに小さな焼き菓子を乗せて手渡し ―― 閣下のカップにも注いで手渡した。
「ジークのおかげで、イヴが手ずから淹れた紅茶を飲む機会を得ることができた。褒美を取らせようではないか。なにか欲しいものでもあるか?」
閣下がそのように仰ると、リースフェルトさんは首を振った。
「そうか」
わたしと閣下が紅茶を飲み、サンドイッチを食べていると、リースフェルトさんはカップを手から落とし ―― 倒れかけましたが、さっとアイヒベルク閣下が支え、さくっと抱き上げ、博士と退室した。
「一週間ほど休ませる」
ドアが閉じると閣下がそのように。
「一週間だけですか?」
「それ以上は無理であろう。ジークもヴェルナーに似て仕事好きだからな」
「然様ですか」
アイヒベルク閣下が戻ってきた頃には、ケーキスタンドもローストビーフが乗っていた皿も空になっていたのでわたしたちは医学研究所を出て、
「ずっと連れ歩きたいが、ご家族も待っているはずだ」
「そうですね」
実家へ帰ることにしたのだが、閣下が「少しばかり遠回りしたい」と。
わたしとしては、何ら問題ありません!
馬を走らせ到着したのは、九番街に最近建った邸。庶民の家が建ち並ぶ界隈にあって、庶民の住宅の十戸分くらいありそうな敷地に、優美な曲線を使った建物は目立っていたのだが、誰のものなのか? 近所の奥さまネットワーク(継母含)を以ってしても判明しなかったものの、厩舎が見えたので半端ではない金持ちなのだろうと噂されていたのだが、
「結婚式の準備用だ。ドレスの打ち合わせのために、わたしの邸まで来ていては、移動時間が掛かるからな」
実際、大金持ちでした。
「内部は明日、案内しよう」
「はい。あの閣下、結婚したらここに住むのでしょうか?」
「いや、ここは普通の使用人に合わせて作ったものゆえ、イヴには住み辛いから住まぬぞ」
この邸は閣下が「ウエディングドレスと続くパーティー用のドレスの製作工場」として建てたものであり、住む場所じゃないらしい……わたしのような庶民からすると、豪邸なんですけどね!
「イヴの実家の近所では、ここがもっとも敷地が広かったので、ここにしたのだ。本当はもう少し近いほうが良かったのだが」
「はあ……」
閣下がドレス用に建てた邸を通り過ぎ、わたしの実家近く ―― 実家玄関を出て道を渡り左に家三軒進み、角を右へと曲がり四軒目にある下宿前で閣下は馬を止めた。
「わたしは式直前まで、ここの下宿を拠点とする」
「ふぁ?」
閣下が何を仰っているのか、全く分かりません。
ここは確かに下宿ですが、超庶民派の下宿。閣下が住むようなところでは……。
下馬した閣下がわたしに手を差し出してきたので、手を乗せてからわたしも馬から降りる。
入り口ドアをアイヒベルク閣下が開け、わたしは閣下に手を握られたまま下宿へ。後からはオディロンもついてきている。
下宿を経営しているおじさんがいる部屋へと向かい、
「女性を同室させるが、不埒な真似はせぬ。信用ならぬのであれば、大家もくるがいい」
めっちゃ顔見知りのおじさんと再会。
「信頼しております、リリエンタール閣下」
「そうか」
「おお、イヴ。結婚おめでとう……本当だったんだな」
「ありがとう、おじさん。そして本当だよ!」
「本当におめでとうな」
みんなにも知られているのだ……と実感し階段を上る。
「三階の一部屋を借りているのだ」
「はあ」
閣下が借りた部屋がどこなのか? 三階に到着したらすぐに分かった。だってドア前に衛士が二人立ってるんだもん!
下宿代よりもその衛士二人の人件費のほうが高いよ!
閣下が戻ってきたことに気付いた衛士は頭を下げてからドアを開け ――
「ドアは開いたままにしておけ」
「御意にございます」
こうしてわたしは、閣下の下宿先に ―― 室内の壁紙が貼り替えられており、家具の光沢がおかしい!
「なぜ閣下が下宿に?」
「イヴから離れたくないからだ」
「……」
「離れがたくて、どうしたものかと考えた結果、イヴの自宅にもっとも近い賃貸住宅に住むことにした」
なんの含みもなく、そういう理由なのだそうです。
「ということは、わたしは閣下に毎日のように会いに来てもよろしいのですか?」
「イヴはいつも嬉しいことを言ってくれるな。わたしも会いに行ってよいか?」
「もちろんです! いつでもお待ちしております」
「本当に可愛らしいな」
そう言い頬を撫でられ、軽くキスをされた。
”このままイヴを部屋に滞在させていたら、わたしの理性が保たない”という閣下の一言の後 ―― 再び手を繋ぎ階段を下りた。ちなみに階段は並んで下りているわけではない。この下宿の階段はそんなに幅はないので手を繋いだまま縦列状態で下りているのです。
「妃殿下」
「ベルナルドさん」
下宿を出ると馬車から降りてきたベルナルドさんと鉢合わせに。
「ほんと、この人我が儘で済みません。わたしとヒューがいなかったので、誰も止められなかったんです。まったくイワンが全て悪いんですよ。イワンの罪ですね」
アイヒベルク閣下が頷く ―― イワンの罪が積み上がってる! イワンだからいいけど!
「ところでベルナルド、お前は何をしにきたのだ?」
「わたしはあなたの執事ですからね」
「部屋が狭いのだが」
「あのドレス用宿舎に寝泊まりしますからご安心を。執事として通いますから」
下宿に王子執事が通いでやってくる……状況があまりよく飲み込めないのですが、下宿人に使用人が付いていてはいけないという決まりはないので……。
勢いに飲まれたまま閣下に手を引かれ自宅へ。
玄関先で閣下はアイヒベルク閣下から封筒を受け取り、
「クローヴィス卿に渡して欲しい」
わたしへと手渡した。
「はい」
「イヴと明日出かけたいので許可が欲しいということと、フロイライン・クローヴィスにドレスの縫製で手伝ってもらいたい箇所があるので、外出許可をいただきたいという内容だ」
閣下は何時だって手間暇を惜しみません。
「はい。必ず父に渡します。これ渡さないと、遊びに行けないなんて嫌ですから」
「それではな、イヴ」
閣下を見送り、自宅に入るとメイドたちが「お帰りなさいませ、ご無事でなによりです。夕食は腕によりをかけ、早めに準備いたしますのでお待ちください……あ、ご婚約おめでとうございます」と ―― 少しすると父さんが帰ってきたので手紙を渡す。
「明日出かけてもいい?」
「いいよ。イヴ、リリエンタール伯爵閣下を明日の朝食にお誘いしてきなさい」
「?」
「親族になる相手とは、共に食卓を囲みたいじゃないか。ベンノに聞いたら、リリエンタール伯爵閣下は下宿の通常メニューでも食べてくださるらしいから、お招きしても大丈夫だろう」
ベンノとは下宿のおじさんのことです。
「そっか、じゃあ閣下をお誘いに……あ、カリナ帰ってきた」
玄関から元気な「ただいまー」が聞こえ、リビングへとやってきたカリナは鞄を投げ捨ててわたしに抱きつき、ハグとキスを満足ゆくまで繰り返した。カリナに「明日の朝、閣下を朝食に招待してもいい?」と尋ねるとOKが出た。
そこで誘いに行ってくるねと告げると、
「カリナも一緒に行く!」
手を繋ぎ、閣下の下宿へ朝食のお誘いに。もちろん父さんが認めたお誘い状も持ってるよ。
「喜んで」
手紙を渡しお誘いしたところ、閣下から良い返事がいただけた。
「姉ちゃん、ベルさんお誘いしてもいい?」
「一人増えるくらいなら、大丈夫じゃないかな」
ベルナルドさんは帰国までの間、高級食材じゃなくても文句言わずに食べてくれたし。イワンの野郎は死ぬほど煩かったけど。あそこまで騒ぐなら、食わないで餓死でもなんでもすりゃあいいのに、文句言うだけ言って全部食べるんだよなあ、あいつ。
「ベルさんもいかがですか?」
カリナが首を傾げるようにして笑顔で尋ねたら、ベルナルドさんも誘いに乗ってくださった。
もちろん家に帰ってから父さんに聞いて了承を得たよ。
「これが食べたかったんだ!」
夕食はわたしの帰宅を祝いサーモン尽くし料理に舌鼓を打ち ―― きっと二匹分くらいは食べた! 成り行きで骨折が治ってもまだわたしの実家にいるボイスOFFが向けた眼差しは、ガチで驚愕していた。
「そう言えばデニスは?」
心ゆくまでサーモンを食べたあと「今日はどこかに出かけているの?」と聞いたら、
「兄ちゃん今日は休みを取って、ハールさん家のオスカーと二人でお酒飲んでるよ」
「へえ……デニスは休みを取ったの? 休暇じゃないの?」
デニスも国外の作戦任務に従事したので、わたしと同じ代休が与えられてる筈なのだが?
「国外任務による代休は、姉ちゃんのオリュンポスを見に行く時に使いたいから、仕事に復帰したよ。ブリタニアスは鉄道先進国だからね」
カリナから満点回答が返ってきた。さすがカリナ。
「教えてくれてありがとうカリナ」
「姉ちゃんが帰ってくる大事な日だけど、”オスカーが初恋に破れてうち拉がれているから、付き合ってくる”んだって。姉ちゃん、オスカーの好きな人知ってる?」
失恋、それも二十代後半まで引きずった初恋に破れた男とさしで飲みとか……。尊敬するぜ、デニス!
「知らないなあ」
「兄ちゃんは知ってたみたいなんだけどね」
「ふーん。あのデニスがなあ」
蒸気機関車関係の女の子だったのかな? 自分で言っておきながら、蒸気機関車関係の女の子って……。




