【254】少佐、炭水車の側面を破壊する
スケッチブックに描かれていた男ルカ・セロフは、言ってはなんだがこれといった特徴のない男だった。
精々特徴と言えば、分け目が真ん中と言うくらい。
髪は撫でつけられ、薄くも濃くもない顔だち。眉毛も同じく。誰かに「どんな容貌?」と聞かれたら、表現として目が二つで鼻が一つで口が一つとしか答えられないような ―― わたしの表現力に難があるのを差し引いても、それが限界。
「身長はヤンソン・クローヴィスさまと同じくらいです」
ヤンソン・クローヴィスさま……ですか。わたしの身内なのでそのように呼ばれるのでしょうが、デニス君でいいんですよ?
「街中ですれ違っても、まず分からないと思います」
デニスの身長は低くはないが、飛び抜けて高いわけでもないのでこれも特徴にはならないので正直に答えた。正直なら良いってものではないが、どうにも……。
「男は下半身を覆い隠す格好をすることはほとんどないので、脚の長さは見分ける重要なポイントなのですが、それすらも可もなく不可もなくでして」
同様に手の長さも普通で、手の大きさも身長に見合った大きさなのだそうだ。
まさに標準、隙の無さが尋常じゃない。諜報員としてパーフェクト過ぎませんかね?
「ちなみに髪はダークブラウンで、瞳も同じ。肌は少佐のように抜けるほど白いわけでもなければ、肉体労働者のように日に焼けているわけでもないので、色で覚えるのもなかなか難しい人物です」
追い打ちをかけられた! なんという諜報員向きな男なんだ!
「これを見分けるのは至難の業でして」
「この地にいる諜報員の方が見つけたのですか?」
「ええ」
「さすがですね。わたしでしたら、見過ごしてしまいます」
「仕事ですので」
「それはそうですが」
「普段であれば、見過ごしていたと思います。シャルル殿下誘拐の一件がありましたので、関連国に派遣されている者たちには警戒するよう指示が出ていたため、運良く見つけられたのです」
「よほど注意していないと見つけられないのですか?」
「はい。それも見かけて記憶に棘が引っかかり、拠点に戻ってからルカ・セロフだったと思い出したという有様でしたので。ルカ・セロフなのは間違いないのですが」
凄いな、ルカ・セロフ。
「覚え辛いことこの上ない男ですが、念のためにと思いまして。覚えられましたか?」
「無理ですね……」
頑張ってみても特徴の欠片も頭に入ってこない。
これなら蒸気機関車を見分けるほうが、余程楽です。
その後、リドホルム男爵はスケッチブックをちぎり、ルカ・セロフの絵を焼いてしまった。特徴はない男でしたが、絵はお上手だったのに、勿体ない。
「こういう奴の絵は、すぐに処分するに限るのです」
勿体ないーという気持ちがダダ漏れだったのだろう。隠すつもりもなかったけどさ。
「ルカ・セロフについては詳しく話すと長いので、かなりかいつまんで説明させていただきます。ルカ・セロフとは実在する人物の名ではありません。元々はリリエンタール伯爵が選んだ狗の登録名でした。リリエンタール伯爵は狗の実名を残すような方ではありません」
ふわっとだが、分かる気がする。狗というのは国内でも暗躍するので、足が付いたら駄目なんだろう。
「リリエンタール伯爵の狗の本名はレオニード・レオニードヴィチ・ピヴォヴァロフで間違いありません。彼こそが狗ルカ・セロフなのです」
やはりレオニードが本物の閣下の狗なのか。
レオニードがレオニードと本名を名乗っているということは、存在しないはずの架空名義であるルカ・セロフとは一体?
「ルース帝国が倒れる寸前、混乱期に何者かが国家保安省よりルカ・セロフについて書類を見つけ、成りすましたのです。リリエンタール伯爵の狗を名乗っても、誰も不審に思わない有能さを持ち合わせているのが厄介ですが」
ルカ・セロフという人物の経歴なんかが記された書類などを手に入れ、成りすましたルカ・セロフ(偽)なのか……そうだとして、なぜここにいるのだろう?
「ルカ・セロフはマーリニキー・ボンバ部隊ではないのですよね? なぜこのような危険な場所にやってきたのでしょうか?」
「残念ながら分かっておりません」
「そうですか」
「ただ個人的には、イリヤ・カガロフスキーを追ってきたのではないかと見ております」
「カガロフスキー中佐を?」
「はい。ルカ・セロフがイリヤ・カガロフスキーの正体を知っていた場合、自分の正体がばれてしまう可能性があると考えたのでは。あくまでもわたしの推論ですが」
リドホルム男爵が言うには、カガロフスキーはマトヴィエンコの息子としてウラジミール宮殿に出入りしていたことがあったのだそうだ。
「生き残った貴族は問題ではありません。貴族というのは、余程特殊な事情でもない限り、調度品類以下としか認識していない庶民のことを記憶するようなことはしませんので。そういう意味ではイリヤ・カガロフスキーはマトヴィエンコに似ているので覚えられている可能性が高い。そのイリヤ・カガロフスキー当人はどうか? となると、彼は人間としての当然の感覚を所有しているため、貴族や皇族を覚えていると同時に、宮殿にいた庶民を人間として覚えている可能性が極めて高いのです」
「狗を選ぶ場に、このルカ・セロフはいなかったと覚えているかもしれないと、ルカ・セロフは考えた?」
「そうです。裏付けがとれていない、わたし個人の考えですので、忘れて下さっても結構です。ただルカ・セロフの目的がなにか分からない以上、警戒をお願いいたします」
「分かりました」
わたしが悩んでも無駄だよね。わたしは自分のすべきことに向けて、準備するだけ!
ライフル銃を整備して、リドホルム男爵とその従卒一名と共に闇夜に乗じて郊外へと向かい、試し撃ちをする。
当てるのが目的ではないが目的 ―― 脳裏に走ってくる蒸気機関車を描き、どこに設置されているか分からないダイナマイトを目視し、それを次々と撃ち抜く。
成功をイメージするというよりは、どこに貼り付けられても撃てる感覚を磨く。「同じようなものでは?」と言われるが、わたしにとっては違うのです。
シミュレーションを重ね ―― 当日になった。
現場には昨晩やってきたフォルクヴァルツ閣下と上級大将閣下がいらっしゃる。
周囲に注意を払って下さるとのことですが、貴人が周囲にいたらわたしが注意を払いたくなるというもの。
わたしのほうが両閣下よりも貴人だといわれても、困るのですよ!
「失敗したらどう動くかは覚えているな? クローヴィス少佐」
「もちろんです」
わたしが炭水車の側面の破壊に失敗した場合、花火を上げてからわたしや架橋爆破部隊は、フォルクヴァルツ閣下が乗ってきた蒸気船に飛び乗り逃げることになっている。
作戦が成功しても、蒸気船に乗って集合場所へ向かうんだけどね!
フォルクヴァルツ閣下は全てのポイントの脱出方法の準備もしてくださったのだそうだ。
ちなみにこの作戦で首都の架橋が三つ落ちることになるのだが、それにかかる責任は全て内務大臣ローデリヒ・フォン・エスティアーカウニス伯爵が負わされるとのこと。
ヒデェ……と思ったが、
「政治家というのは、責任を取るためにいるのだ」とは、フォルクヴァルツ閣下。
「国内に危険分子がいることに気付かないのは罪」とは、リトミシュル上級大将閣下。
両閣下のご意見はそうだった。
そうそう、アブスブルゴル皇族は昨日のうちに逃げた……じゃなくて避難なさったそうです。
ただね、なんか両閣下が浮かべている、獲物の首にナイフを突きつけ切り裂く直前のような悪い笑みが気になるのですが。
いや、両閣下ですので、わたしが表情から感情を読み取るのは不可能なはず。だからきっとわたしの思い違い!
……よく分からんので、わたしは狙撃以外のことは無視しよう。
黒のトラウザーズに白いシャツというシンプルな格好の上に、王さまっぽいマントを羽織り、持っているライフル銃を隠しポイントに立つ。
ギリギリまで周囲を警戒する必要があるので。
上級大将閣下は「馬を用意するか?」と言ってくれたのだが、馬の脚よりぴったりの軍靴を履いた自分の足の方が信用できるので断った。
外すつもりはないが、万が一ということもあるので、従卒の一人が予備のライフル銃を入れた箱を持って側に。箱は蓋はされておらず、布が掛けられているだけで、合図が来たら、布を取ってもらう段取り。
「もうそろそろだな」
閣下からいただいた懐中時計で時間を確認する。
午前十時三十八分 ―― 五分後の四十三分に件の蒸気機関車はここを通過する。時間が少し遅れることはあっても、早くなることはないのは確認済みだ。
前日に降った雨は日が変わる頃には止んだものの、地面はいまだしっとりと濡れている。だが狙い撃つのに問題はない。
鈍色の厚い雲も想定の範囲内。突然雲の切れ間から日が差してきた場合にも対応できるように心構えを。
心構えだけなの? ええ、まあ、基本心構えだけですね。特殊なゴーグルがあるわけでも、雲を思いのまま動かすことができるわけでもないので、いきなり日が差すことがあると想定するだけ。
昨晩、フォルクヴァルツ閣下が届けてくれた見本の粘土に包まれたダイナマイトと目印の赤い棒の位置などを確認しているので、必ずや六個の雷管をすべて撃ち抜いてみせる!
「隊長、来ました!」
アブスブルゴルの蒸気機関車君その3ことエメリヒ君がデニスにポイントを通過したことを投光器で伝え、デニスが叫んで知らせてくれる。
マントを脱ぎ捨て、何度もシミュレーションした通りにライフル銃を構える。
「……」
一つ目の標的を捉え ―― 引き金を引く。
軽微な爆発が起き、水が僅かに漏れ出す。次の標的に狙いを定め撃つ!
同じく爆発が起きると、炭水車の異音の原因を探るために火室から機関士が顔を出した。
わたしはそれを無視し、三つ目の標的を撃ち抜く。
残り三つはわたしの正面、そして通り過ぎたタイミングで撃つ。
「……ああ」
撃てるなと思っていると、火室の窓から身を乗り出した先ほどの機関士の手にライフル銃が。
わたしに銃口を向けようとしているので、引き金を引く手を撃たせてもらった。
機関士はライフル銃を取り落とし ―― わたしもライフル銃を捨て、予備の弾丸が六発込められているライフル銃に持ち替え再び狙いを定める。
わたしが聞いてもおかしいと分かる汽笛の音。
正面に炭水車が差し掛かる。わたしは二つの標的を撃つ。水を大量に漏らしながらも未だ突き進む蒸気機関車。
わたしの前を通り過ぎた炭水車の後部に設置されている、予備を含めた三つのダイナマイトを連射で全て撃ち抜く ―― 炭水車の側面が外れ、積まれている水が一気に放出されて速度が一瞬だが速まる。残っている蒸気と水が失われたことで車体が軽くなるため、ほんの僅かながら速くなるのだ。もちろん蒸気の提供ができなくなるので、すぐに遅くなるが。
わたしは銃を持ち線路へ。そして蒸気機関車を追う。
デニスの計算が間違っているとは思わないが、わたしが側面を破壊するタイミングを間違っていたら、想定の場所で停車しない可能性が。
そうなったら乱戦なので……と思っていたら、蒸気機関車はこれ以上ないポイントで見事に停車した。
デニスさん凄いわ。あそこまで綺麗に停車させるとか、姉さんもさすがに引くわ。
上級大将閣下の部下がダイナマイトの導線に火をつけて遠ざかり、蒸気機関車からマーリニキー・ボンバ実行部隊が降りてきた。
それをわたしが狙い ―― 眉間を撃ち抜いたと同時に架橋の両側が同時に爆発し、ダイナマイトを積んだ蒸気機関車は、架橋とともに川へと落ちていった。
十分ほど確認し、爆発する気配がなかったので、わたしたちは蒸気船へと乗り込む。
【あれを回収していくぞ】
わたしが眉間を撃ち抜いた兵士が浮かんできたので回収し ――
「まさか八個全て撃ち抜くとは、大したものだ」
上級大将閣下が「よーやるわ」みたいな呆れた感じで褒めて下さった。
まだ全ての作戦が成功したわけではないので、大っぴらに喜べないが、架橋を爆破したアディフィン部隊と手をぱしん! ぱしん! とたたき合い、互いの成功を讃えあった。
あとの二つも無事成功しているといいので……いや、成功してるんだ! 成功しないと困る!




