【226】少佐、決闘を申し込む
クリフォード公爵アンソニー殿下……思い出せ!
思い出すんだ! ……あああああ! 閣下のことだ! 閣下のブリタニアス王子としての爵位とお名前だ!
お前、婚約者の名前忘れるとか、どうなんだ? と言われそう……いや実際言われても仕方のないことだが、言わせていただくとね! 閣下は名前がころころ変わっているから、覚えるの難しいの。
あと閣下の全名前という文章はいまだ暗唱できておりません。デニスは全名前を苦もなく言えるのに……閣下に対する愛情が足りていないのだろうか? 愛情はあるのです、ただ脳が残念なだけで。
いや、デニスの蒸気機関車愛が凄いのであって、決して! ……ちなみにデニスが言えるのはアディフィン語圏発音のみ。鉄道の貴公子=バイエラント大公なので、それ以外の読み方はデニスの管轄外。
さすがデニス、己の趣味まっしぐらなところ、姉さん大好きだよ!
閣下のお名前変遷までつらつらと思い出してしまったわけだが、閣下お怒りなんですか? なぜ閣下がお怒りに?
そう思っていると、ドアがノックされ ―― ワゴンを押したリースフェルトさんが香ばしいパンの香りとともに現れた。
「焼きたてのパンをお持ちいたしました」
キース中将の表情を窺うと、頷かれたので通す。
「リリエンタール閣下もお通ししてよろしいでしょうか」
部屋に入ってきたリースフェルトさんがそう言い ―― 閣下も全くアフタヌーンティーが楽しまれていないこの部屋へ、いらっしゃるのですね。
閣下がお越しになると聞いたドレイク将軍は素早く、キース中将はゆっくりとだが二人とも立ち上がった。
お越しになった今日の閣下は黒のフロックコートに白い手袋 ―― 白は純白で黒は漆黒、くすみ一つない高級品なのが誰の目にも明らか。
ただいつもは紳士らしくステッキをお持ちなのですが、本日は武人よろしく剣をお持ちでいらっしゃる。
閣下は姿勢良く歩き、ドレイク将軍が座っていた椅子に腰を下ろす。
「それで、どうなった」
「まだ何も決まっておりません」
『クロムウェル公への処分はわたくしめが』
ドレイク将軍がクロムウェル坊ちゃんクンへの罰を肩代わりすると言っている……はず。そんなに甘やかすから二十四歳の坊ちゃんクンが出来上がってしまうのですよ。いや、大貴族なので仕方ないのかもしれませんが。
「そうか」
閣下は離れろといった感じで手を振ってから、ぽんっと召使いを呼ぶように手を叩かれた。この場でそれに反応するのは、我関せずでお茶を淹れていたリースフェルトさん。
「お茶を淹れましたらすぐに」
こぽこぽと陶器のティーポットから、白地に青で華が描かれているカップにお茶を注ぎ向き直る。
「イヴ、焼きたてのパンにマーマレードはどうだ?」
リースフェルトさんがブリタニアスの有名なマーマレードの瓶を持って笑顔で頷く。
「職務中ですので」
本来護衛は返事を返したりはしないのですが、閣下に関しては返事をしてもよいとキース中将から許可が出ている。
でも飲食は駄目だと思うのですよ、閣下。
「少佐が食べたがっていたマーマレードですよ」
知っております、リースフェルトさん。ブリタニアスに赴任する時、家族に送るならなにがいいでしょうか? と尋ねたとき、リースフェルトさんが教えてくださった、ブリタニアスの名産。
ロスカネフではマーマレードはほとんど流通していないので、異国情緒溢れていいなー、そして前世の記憶から久しぶりに食べたいなー、赴任したら食べよう! と思っていた一品。覚えていてくれたのですね、リースフェルトさん。
「……」
「リリエンタール閣下、ここは少佐がマーマレードパンを頬張ったら、ドレイク将軍については許すということでどうでしょう?」
リースフェルトさん、なにを言っているのですか!
わたしがパンを頬張ったらドレイク将軍が許されるってどういうことですか?
「お前がサー・ドレイクを許してもいいと思うのなら食え、クローヴィス。スタルッカ、リースフェルトの言葉を訳せ」
ボイスOFFから話を聞いたドレイク将軍がこっちを……見てはこなかった。
うーむ。ここはパンを食べて何事もなかったことにするべき……ですよね!
「では食べさせていただきます」
「そうか。ジーク」
閣下に声を掛けられた懐刀リースフェルトさんは、ワゴンの下から取り出した四斤くらいありそうな食パンを、ワゴンの上に乗せ、
「少佐。お好みの厚さに切りますよ」
パン切りナイフを取り出した。
「分厚くいったほうが、美味しいですよ」
「そうですか。ではこのくらいで」
三㎝ちょっとくらいを希望し ―― リースフェルトさんは、ど真ん中に切り込みを入れわたしが希望した通りの厚みに切ってくれた。
「マーマレードはどの程度で? 個人的にはこっちも大量に塗ったほうが美味しいと思います」
リースフェルトさんのお勧めに従い、大量のマーマレードが白くふわふわな断面に投下され ―― わたしは紅茶とマーマレードパンを手に、
「ではいただきます」
かなり訳の分からないシチュエーションながら、パンにかぶりついた。
焼きたての柔らかなパンと、甘さ控え目で皮の苦みのアクセントがきいたマーマレードの相性は最高だった。リースフェルトさんが淹れてくれた紅茶も美味しく ――
「ごちそうさまでした」
即座に食べきってしまった。本当はもう少し味を楽しみたかったが、そこは職務中なので、士官学校時代に鍛えた早食い能力をもって早々に食べ終えた。
「少佐。もう一枚どうです」
なぜ食べさせようとするのですか、リースフェルトさん。もちろん、もう一枚くらい余裕で食べられますが。
……ここは食べるべき場面であることは、鈍いわたしでも察した!
「ではもう一枚。先ほどと同じくらいの厚さで」
「畏まりました、少佐」
そう言ったリースフェルトさんは、ワゴンの上にある切れたパンの塊を下段にぽいっと……そして新しく手が付けられていないパンの塊を取り出した。
「先ほどと同じ厚さでいいんですよね」
「なにをしているのですか、ジーク」
「パンを切るだけですが」
「なんで新しいパンにしたのですか!」
「真ん中の美味しいところを少佐に。一度切ってしまうと、味が落ちますので」
「……」
こういうとき、わたしはなんと言えばいいのだろう……。
「いや、そちらでも」
「気にするな、クローヴィス。残ったパンは捨てられるわけではない」
たしかにそうなのですが……そうなのですが……。
「イヴ。そんな困った表情を浮かべないでくれ」
頬杖をついている閣下が、少し楽しそうに仰ったのだが、普通は困惑すると思うのです……っ! もしかして!
思っている側でリースフェルトさんが、新しいマーマレードの瓶を開けた。さっきのマーマレード、まだ半分以上残ってるのですが。
「ご安心ください。残ったマーマレードはわたしが夜食としていただきますので」
「……新品のほうがいいのでは?」
「新品はいただけませんよ。なにせドレイク将軍が運んできたこのマーマレードは、すべて少佐への贈り物なのですから」
ちょっ! 海軍大将なにをなさっていらっしゃるのー!
「それは、イヴにマーマレードを運ぶために呼んだのだ」
二枚目のパンを食べている時に閣下がそのように……。海軍大将がマーマレード輸送? いや、これは巧妙な閣下のジョークに違いない。
「ふふ、そうなのですか。あ、閣下、とても美味しいです。閣下は食べないのですか? 一口どう……ぞ」
思わず気安く「反対側一口いく?」と勧めてしまった! 閣下は当たり前だが驚いた表情に! それはそうだろう。
「食べていいのか」
お食べになるらしい。
「もちろんです。はい、どうぞ」
閣下の口元へ運ぶ。きっと閣下は普段、こんな馬鹿みたいに分厚いパン、食わないわー。
「うん、美味しかったぞ、イヴよ」
「失礼なことして、済みません」
「家族や友人とは、こういったことをするのであろう?」
「はい」
「そうか。家族や友人と同じように扱ってもらえるのは嬉しいが、恋人なのだからそこにもう一つ欲しいのだが」
「…………」
「キスしろと言っているのだ、クローヴィス」
キース中将が教えてくれましたが、本当ですか?
「そうなのですか? 閣下」
「そうだ」
上官の前でキスするのも恥ずかしいのですが、上官に恋人の希望を推察し教えてもらうのはもっと恥ずかしい! ……でもする。ちゅっと軽く触れるだけですけど。
もう恥ずかしいなあ。でも室内にいる人、誰も照れていないし、呆れてもいないあたり困る。
『部下をしっかり管理しろ、ドレイク』
『申し訳ございませぬ』
『ところで、クロムウェルはどうするつもりだ』
『できる事ならばご慈悲を賜りたく』
『わたしの慈悲などあてにするな。そうだな……キース』
焼きたてで柔らかなパンをもっふもっふしながら食べているわたしの目の前で、クロムウェル公の処分が決まった。
我らがキース中将がクロムウェル坊ちゃんクンを鍛え直す方向で ―― キース中将はいつも通り穏やかな表情なのだが、「楽には死なせてやらんぞ」的な雰囲気が感じ取れるのは何故だろう。キース中将、名家の坊ちゃん当主ですから、少しは抑えて。ヴェルナー大佐みたいなことしたら、名家の坊ちゃん当主が死んでしまいます。
「ところでイヴは、どうする」
「どうする……とは?」
「あれとどのように和解する? 和解したくなくば、せずとも良いが」
閣下の今の言葉をボイスOFFが伝えると、海軍大将の表情が引きつった。
そんな顔しないでくださいドレイク将軍。わたしとしては別に……でも、なにかしないと和解にならなさそうなので……そうだ!
「クロムウェル公と決闘で決着をつけたいと思います。もちろん命をかけるようなことはせず、剣を吹っ飛ばしたほうが勝ちということで」
腕に自信があるとかそういうことではなく、蹴って剣を吹っ飛ばす予定です。きっと大貴族の矜持高すぎなクロムウェル公は、そんなことされるとは思わず普通に剣を構えるでしょうから。
卑怯だろお前? わたしは貴族ではなく、ただの軍人なので、勝つためには手段を選びません。
「蹴るのなら、お前の勝ちだろうなクローヴィス」
「少佐の蹴りは間合いが広いですからね」
「隊長の蹴りは強烈ですからね。小官も身を以て知っております」
済まんなボイスOFF、腕を折って。そして「蹴る」という選択肢を提示した結果、決闘の許可が出た。よーし、思いっきり蹴る……骨折すると国際的な面倒ごとになったあげくに閣下のお手を煩わせることになりそうだから、折らない程度に上手く蹴るぞ! 待ってろ、坊ちゃんクンことオーガスト・マクミラン!




