【222】少佐、頬を膨らませる
室長は最後に「仲裁に少佐を使うとリヒャルト、ますます怒るけど、今回のこれは少佐も当事者だから事情を知る権利があるってことで、押し通してくれると嬉しいな」と言い残して去っていった。
裏口とは言え、他人の家の正式な扉から隠れることなく出入りする室長凄い ――
室長に依頼された翌日、わたしは仲裁に入ることにした。こういうのは時間をおくと拗れるからね……もっとも既に、かなり拗れていますがね。きっと拗れすぎて、室長でもどうすることも出来なくなったから、わたしに話を振ったはず。
室長ですらどうすることもできないことを、わたしにしろというのですか! 室長ー! ……そうは思ったが、閣下とキース中将の溝をこれ以上深くするのは、わたしとしても避けたい。そして室長が危険を顧みず? ……本当に危険かどうかは分からないが、とにかく室長が話をわたしに持ってきたということは、わたしは仲裁できる立場にあるということなのだろう。
「イヴお嬢さま。お迎えが来ましたよ」
登庁準備を整え、リビングで新聞を読んでいたわたしに、メイドのローズが迎えの到着を告げる。
「そうか」
立ち上がったわたしからローズは新聞を受け取る。
「いってらっしゃいませ、イヴお嬢さま」
「ああ」
玄関を出ると車が ――
「少佐。お迎えにあがりました」
「おはよう、ジーク」
副官になったリースフェルトさんが毎朝迎えに来るようになった。車はリースフェルトさんの自前で、出勤前にわたしの家に寄っている。
もっともリースフェルトさんが住んでいるのはモルゲンロートホテルで、わたしの実家よりも遙かに司令本部に近く、毎朝わざわざ遠回りしているのだが「惚れた女性に朝から会いたいと思うのは、当然のこと」と……設定を使い送り迎えをしてくれている。
アディフィン製の高級車(ただし屋根はない)に乗り、用意されている毛布を膝に乗せ ――
「今日はどうします? 少佐」
「どう? とは」
「テサジーク侯に仲裁を依頼されたのでしょう?」
この筒抜けぶり、酷くない?
「いつも通り出勤しますよ。仲裁も大事ですが、部下たちとのブリーフィングも大事ですので」
「畏まりました。あ、ちなみにわたしが何故昨晩テサジーク侯が訪れたのかを知っている理由ですが、テサジーク侯じきじきに教えてくれたので。少佐手ずからブレンドしたハーブティーを淹れてもらい、ビスケットまで出してもらったと、リリエンタール閣下にも報告したそうです」
「……室長」
室長ったら! 思う反面、室長らしいなーとも思う。どうしたらいいの、この気持ち!
……別にどうもしないんですけどねー。そんなこと気にしている場合ではないので。
登庁しエサイアスから本日のキース中将の予定を教えてもらい、小隊長たちとのブリーフィングを終えてから、キース中将の執務室へ。
キース中将の執務室にはわたし以外はおらず、入り口の外側にはリースフェルトさんとエサイアスが控えている。
「官房長官より、手紙のやり取りを止めるよう言い付かりました」
喧嘩について聞きましたと告げる。
キース中将は表情を変えはしなかったが、
「……はぁ……そうか」
悔しさを滲ませる溜息をついた。
感情があまりはっきりと出ることのないキース中将にしては珍しいことだ。
これは……もしかして、サロヴァーラ嬢の処刑は決定したと取られた?
「閣下、わたしは仲裁を依頼されました」
「仲裁だと?」
「はい」
「止めろ」
「何故ですか?」
「お前を些事に巻き込み、陳情などしたら、次はないと言われているからだ。お前が直接関わっていないあれの処遇すら妥協しない男だぞ。お前を巻き込んだら国を潰す以上のことをしてくるのは確実だ」
キース中将。残念ながらもう既に閣下には伝わっているのです。
「既にリリエンタール閣下に伝わっております。伝えたの……」
キース中将が机を拳で殴り付ける。
「テサジーク!」
ひぃぃぃ! キース中将が怒った!
滅多に怒らない方なので、怒ると恐い!
だが恐いと言ってはいられない。わたしはこの怒り狂っている総司令官と、我が国を潰しかねない閣下との間を取り持たねば!
なにこの無理ゲー……という単語がわたしの脳裏を過ぎったとしても、誰も責めないはず。
「閣下」
「……これからお前が、仲裁に入るのだな。分かった、主席宰相閣下の元へ出向け」
たしかにそうして欲しいと言うつもりでしたが……話が早い。早すぎて困る。
「その前に一つだけお尋ねしたいのですが」
「なんだ?」
「サロヴァーラ嬢について、閣下は規定通りの処分ならば受け入れられるのですか?」
まずそこをしっかりと聞いておかないと。
「もちろんだ。それはわたしの関知するところではないからな」
キース中将も元々の取り決めに関し、異論はないらしい。
「分かりました。閣下のお気持ちを踏まえて、リリエンタール閣下とお話し合いをしてまいります」
「クローヴィス」
「はい、なんでしょう? 閣下」
「いいや……なんでもない。あまり無理はするなよ」
「はい」
キース中将らしからぬ歯切れの悪い言葉を背に、わたしはリースフェルトさんと共に閣下がいらっしゃるベルバリアス宮殿へ。
「全く……フランシスの奴め」
閣下は時間を作りすぐに会って下さった。
閣下はソファーに腰を下ろし、隣に座るように促して下さったので、軍帽を脱ぎ隣に座る。
「閣下のお気持ちとしては処刑なのですね」
もうオールバックにするには長すぎるので下ろしているわたしの髪を、閣下は手袋を脱ぎ指でもてあそびながら答えて下さった。
「まあ、そうだな。だがイヴに知られてしまった以上、強行するわけにはいかぬな」
「何故ですか?」
「イヴはそういうことをする人間は嫌いであろう」
すっかりと消えたわたしの額の傷跡をすっと指でなぞる。
「好き嫌いでは言い表せません。なにせ今まで周囲にいなかったので」
十代遡っても庶民という、由緒正しい権力無し家系の出であるわたしには、想像もつかない話なので。
「そうか」
「ただ……あの、言って嫌われたくはないのですが……嫌いにならないと誓って下さいますか?」
またわたしの髪をもてあそんでいた閣下の指が止まる。
「嫌い? 何がだ」
「これから言うことが……その……」
「もしかして、イヴの発言を聞きわたしがイヴのことを嫌うと?」
「はい」
閣下はしばらく硬直し、にっこりと笑ったかと思うと、大声を上げて笑われた。正直閣下がこんな大声を上げられるなど思っていなかったので、かなり驚いてしまった。
「ああ、イヴ。驚かせてしまったなあ」
「え、ええ。閣下も大きな声で笑ったりするのですね」
「わたしも驚いている」
「?」
「こんな笑い声を上げたのは初めてだ。いやいや、面白かった」
「面白かった……ですか?」
「そうだ。イヴが奇妙なことを言うから、面白くてな」
「奇妙……」
閣下が両手でわたしの頬を包み込み、唇の端にキスをし ――
「わたしがイヴのことを嫌いになることはない」
「閣下」
「わたし自身は今回のサロヴァーラの処分について、イヴに嫌われることをしている自覚はある」
「…………」
「どうした? イヴ。頬が膨らんでいるのだが……可愛らしいな、イヴ」
「怒り」を表現するために頬を膨らませてみたのだが、閣下に指で軽く押されてしまった……。そうだよなーこんな幼稚な怒りの表現するような女性、閣下の側にはいないよなー。わたしもこの年でこれは恥ずかしかった!
「閣下。頬は怒りを表現していたのです」
「そうなのか」
閣下がとても驚いた表情をなさった。
「閣下はわたしのことを嫌いになることはないと仰いましたが、わたしが閣下のことを嫌いになる可能性があると仰いましたね」
サロヴァーラ嬢の処分について……確かにそれをされたら引きますが、まだ処刑してないのでね。
「ああ」
「わたしも閣下のことは嫌いにはなりませんよ。アントーシャはわたしの愛情を疑われるのですか」
そう言って、もう一度頬を膨らませた。
閣下は恐る恐るといった雰囲気で、膨らんだ頬を両手で包み込み、
「イヴに失礼なことをしてしまったな。ああ、怒らせてしまったのか……どうしたら、許してくれるのだ」
困っているのが一目で分かる微笑み ―― 明らかに困惑の表情を浮かべて、閣下がわたしの瞳をのぞき込んでくる。
「ぷふー……そこは”イヴも疑ったであろう”と返すところですよ、アントーシャ」
頬の空気を抜き、思い切り笑った。
「……ああ、そうであったな」
”喋っても嫌いにならないで”と前置きしたことを閣下は思い出したようで ―― 少しばかり恥ずかしそうに視線を逸らされた。
「それで閣下、嫌いにならないで欲しいというのは、次の発言を……」
「イヴ。アントーシャと呼んでくれるか?」
「ではアントーシャ。わたし個人の希望としては、サロヴァーラ嬢の処分は戦後にしていただきたいのです」
「どうしてか、教えてくれるか?」
「はい。キース閣下がサロヴァーラ嬢に”結婚するとして、リリエンタール閣下にとっての利点は”と尋ね、返ってきたのは”公私共に支える”と回答したのです」
「それは聞いている」
「わたしはサロヴァーラ嬢本人に”わたしがアントーシャを支えるのだ”と、直接言いたいのです。現段階では言えませんでしたが、公表が可能になったら即座に自慢したいのです。あなたではない、わたしがアントーシャを支えるのだと」
昨晩、あの時の気持ちを整理して気付いたのだが、わたしが不愉快に感じたのは、閣下を婿に……という件よりも、閣下を公私ともに支えるの発言だった。
何も知らないのに閣下のことを支えるとか言うな ――
わたしだって閣下のことは少ししか知りません。閣下のことに関してならキース中将のほうが遙かに詳しいでしょう。鉄道の貴公子に関しては、デニスに勝てる日が訪れることはない。もしかしたらサロヴァーラ嬢は色々と閣下のことを調べ、わたしよりも知っていての発言だったかも知れませんし、彼女のほうがしっかりとしているかもしれませんが……
「言い返せるのか?」
閣下から直接お気持ちを聞いたことはないはず。
わたしは閣下から皇女を助け切れなかった時のお気持ちを聞いたこともあるし、その他にも……だから支えるのはわたしだと戦いを挑む。
「アントーシャ。わたしはこれでも部下千人を持つ士官ですよ。自分よりも年上の男性士官をも従える女性士官が、気が弱かったり言いたいことも言えないような柔弱者だとお考えですか?」
基本、士官は気が強い。自己主張もできないような気弱では、士官は務まらない ―― さらに数の少ない女性ともなれば、男勝りで普通。わたしは女性士官の間ではおっとりしていると言われているのだが(なんでか知らんが)、気が弱いわけでもなければ、手が出ないわけでもない。その気になれば殴り返す。
「そうだな……そうか、イヴは言い返したいのか」
「もちろんです。この人はわたしのものだと、堂々と言い返したいのです」
そう言い、閣下の腕に両手で抱きつく……めっちゃ自分の腕、余ってます。わたし腕も長いからなあ。
「そうか。たしかに言われっぱなしは腹立たしいな」
「はい。なのでアントーシャにはサロヴァーラ嬢の処分を一時保留にするよう命じて欲しいのであります」
時機が来たら全力で自己主張するんだ。
「これはわたしのものだと主張するのかな? イヴ」
「はい。存分に主張させて下さいますか? アントーシャ」
「喜んで……今回のことは、イヴの裁量が妥当なのかもしれないな」
「?」
「キースにも遠回しに言われてはいたのだが、どうもわたしは力加減がまずいらしい」
キース中将に遠回しになにを言われているのだろう?
「キースへの手紙を認めるので、それを届けてくれるか? イヴ」
「はい。わたしからも、キース閣下に伝えておきますので」
「そうか、では頼む。イヴが説明してくれたら、きっとわたしの手紙よりも、良いところに落ち着くであろう。ところでイヴ」
「なんでしょう、アントーシャ」
「頬を膨らませてはくれぬか? とても可愛らしいから、もう一度見たいのだ」
「……そ、それは……あれは、子供がする仕草でして。は、恥ずかしいから……」
分かりやすいかなと思って、わざと膨らませただけでして。
「そう言わずに見せてくれ」
閣下がずずっと体に覆い被さるようにして迫ってくる。
「アントーシャ」
「イヴがあれを見せてくれないなら……今回の件の責任をフランシスに」
そこでキース中将やサロヴァーラ嬢と言わないあたりが閣下!
「アントーシャ、はいどうぞ!」
そして閣下に頬を何度も押された。なんか……閣下本当にサロヴァーラ嬢に関して怒っていらっしゃったのかな? ってくらい、どうでも良さそうな雰囲気が……。ま、いっか!




