【192】少佐、説明を開始する
アーレルスマイアー家の一件がありましたが、説明会の期日が変わるわけでもなく、予定通りに開かれました。
場所は司令本部の第二十一会議室。
大きなテーブルを囲んで……というタイプの会議室ではなく、肘掛けのある一人がけの革製ソファーと、マホガニーのサイドテーブルがセットになっている少人数用。
他にも少人数会議室は複数あるが、調度品が高級なので、高官会議に使用される ―― 本日の説明会出席者は、総司令官閣下に主席宰相閣下、情報局局長(室長)、人事局局長、近衛大隊隊長と、そうそうたるメンバーなので……なぜ彼らの前で、わたしの覚え書き帳の説明をしなくてはならないのだろう。図画工作までも……。
そうは思うが命令されたら実行するのが軍人というもの。説明会当日、会議室を自分でセッティングし、サイドテーブルに資料を一部ずつ置き、最終的に資料を見直していると笑顔の室長が一番にやってきた。
「仕事増やして御免ね、クローヴィス大尉」
ベックマン少尉とロヴネル准尉を伴って。そりゃあ室長がお一人で来るとは思っていませんでしたが、二人も伴ってくるとは思いませんでした。
会議室の性質上、ソファーの後ろに人が立てるようにはなっていますけど。
ん? なんだ? オルソンのやつ眦が切れるのではないか? というほど目を見開き固まってる。
……えっと、もしかして、室長? なにかあったの? あったんだろうな……恐いから詳細どころか概略すら聞く気ないけどな!
「小官の仕事が推薦に値しなかった場合は、どうぞ取り下げてください」
兼務はする気はありますし、積極的に失敗するつもりはありませんが、それに値する能力がないと判断なさった場合、すぐに取り下げてくださいね、室長。
「クローヴィス大尉なら、大丈夫だよ。明日には少佐昇進が発表されるんだよ。頑張ってね」
なにが大丈夫なのか不明ですが、頑張らせていただきます。
そして明日人事が発表されるんですよねえ……。
わたしの昇進はほとんどの人に知られております。ほら、コールハース少佐が亡くなったから。その穴を埋める大尉はやっぱりオディロンを捕らえたヤツだろうと。
わたし一人で捕らえたわけではないのに……と思っていたら、聞いた話ではハインミュラーやトロイ先輩も昇進するらしい。
おめでとう! ハインミュラーは好きじゃないが、おめでとうを言うのは吝かではない。そして司令本部に賊の侵入を許したということで、もちろん降格する人もいる。
そんな訳で人事局、すっごく忙しかったらしい。いや、現在進行形で忙しい。帰宅途中に会った人事局勤務の先輩の、目のハイライトが消えるくらいに。お疲れさまです。
まあ局長クラスになると、もう仕事は終わっている。
「あれが一番に来るなんて、初めてのことじゃないか」
次にやってきたのはヴェルナー大佐で、副官のオクサラ中尉と近衛二名と騎兵隊隊員二名を伴っていた。
騎兵隊隊員は来ると聞いていたので、説明を手伝ってもらおうと事前に連絡をしていたが、近衛が来る通達は届いていなかった……メモを捲っても、そういう連絡の記載はない。
「資料はこれか」
「はい、ヴェルナー大佐」
ソファーに腰を下ろす前に、サイドテーブルの資料を手に取り、わたしに確認してから腰を下ろして資料を捲りだした。
気が早いと言いますか、ヴェルナー大佐らしいと言いますか。
そして、こそこそと逃げるなハインミュラー! ヴェルナー大佐の視界から隠れるな! 大尉になる男が逃げるな! 名誉の負傷が泣くぞ! もっとも、気持ちは分かるが。ヴェルナー大佐に思いっきりしごかれたんだろう? 教官時代のヴェルナー大佐は容赦なかったよなー。
でもハインミュラー、お前は仕官してからはヴェルナー大佐の下についたことないから知らないだろうが、ヴェルナー大佐は仕官後も容赦なくしごいてくれたよ。
それはもう……。
あ、エサイアスまでヴェルナー大佐の視界に入らないように動いてる。
決して嫌われているわけじゃないのだが……恐いんだよな、ヴェルナー大佐。美形で男前で美声のドS中年とかいう、どこに出しても恐い人だからなあ。
「クローヴィス大尉」
勝手に座って資料を読み始めたヴェルナー大佐と共にやってきた近衛のルイス・アルテナ少尉が、近づいてきて深々と頭を下げてきた。
頭を下げられる覚えは、全くないんですけど? どうした? アルテナ少尉。
「射撃競技会終了後、お世話になりました。本当に大尉がいなければ、どうなっていたことか」
??……ああ! 陛下暗殺未遂事件のことですか!
気にすることじゃないよ。わたしなんて、ちょっと馬を走らせぱしゅぱしゅと二発撃っただけだから!
「ありがたいが、気にすることはない」
陛下を守るのは、軍人として当たり前のことだからね。
「ヴェルナー大佐が代表して礼をしたので、個別で伝える必要はないと言われたのですが、どうしても言いたくて。予定が合わずかなり遅くなってしまいましたが、あの時は本当にありがとうございました」
アルテナ少尉と話をしていると、人事局局長のヒースコート准将がお出でになった。ご自身の腕に自信があるからだろう、お一人でのおこしだ……いや、せめて副官を伴ってくださいヒースコート准将。
強いのは存じておりますが!
「おう、クローヴィス大尉」
「ヒースコート閣下」
アルテナ少尉が礼をして、定位置であるヴェルナー大佐の後ろへと戻る。
「説明会後、食事に行くぞ」
意地でも一緒に食事するつもりらしい!
「説明会終了後すぐにですか?」
「そうだ」
「午後の職務が残っておりますので」
「総司令官閣下も誘えば問題はなかろう。プリンシラ、返事はまだか?」
「もうしばらく」
問題しかねーよ、色男! キース中将にも予定というものがあるのですよ!
そしてボイスOFFは忙しくて、養子についてまだ考える時間持ててないから! 急かさないでください! 人生の一大事なんですから!
「昇進の前祝いだ、クローヴィス大尉」
お祝いされるほど、親しくないと思うの。
「閣下の午後の予定が」
「軍務副大臣との会合だろ? そんなもの、どうとでもなる」
ならないから! 絶対にならないからー!
ヒースコート准将と話をしている間に、リーツマン副官とネクルチェンコ少尉たちと共にキース中将がやってきて、
「構わんぞ」
色男に誘われた儚い詐欺は、午後の予定をあっさりと変更。
偉い人がそんなに簡単に予定変更すると、下っ端が苦労するのー!
「副大臣から実りない報告を受けるくらいならば、まだお前の顔を見ながら昼食を取ったほうがましだからな、ヒースコート」
「わたしは総司令官閣下のお顔を拝見しながら食事は、ご遠慮したいのですが」
「言ってろ、ヒースコート。リーツマン、トルンブロムに具体的な打開策を持って三日後の11:00に来いと通達しておけ。今日は下らない報告は聞かんともな」
「御意」
なんの打開策かは知りませんが、色々とあるのでしょう。頑張れ、トルンブロム副大臣! むしろ今日、実りのない報告をしに来ようとしていた、あなたの度胸に敬意を表する! キース中将にそんな報告したら、穏やかな表情のまま「あ゛?」って……。ヴェルナー大佐と気が合うわけだ。
「うわ……本物だぁ……」
リンデン准尉が小声を上げ ―― 最後にお越しになった閣下は、軍人の中では浮くフロックコート姿。
形もそうだが、仕立てが良いといいますか、布地が間違いなく最高級品。黒のエナメル靴は周囲が映り込むほど磨かれて輝いている。
眩しいほど白い手袋をはめた手が持っているのはステッキ。紳士たる閣下は何時でもステッキをお持ちなのだが、今日のステッキはグリップ部分は黄金製の双頭の鷲。その鷲だが、目や王冠部分には宝石が散らされていて、きらきらしている。
双頭の鷲を紋章として使っている国は複数あるが、あしらわれている王冠ではっきりと国が分かるのだが……不勉強なので、わたしは分かりません!
ただ今日の閣下、背後に百万近い兵士が「陛下万歳」と叫び、数十万の国旗がはためいている幻が見えます。国旗がどこかは分かりませんが……貴族というより王族、いや支配者感が凄い!
ちなみにわたしはデニスが閣下に対し奇行を働かぬよう、腰のベルトをしっかりと掴んでおります。
閣下はわたしの方を見て頷き、ソファーに腰を下ろされ、伴ってきた五名の秘書官のうちの一人から資料を受け取られた。閣下の随行は他に兵士四名とシュレーディンガー博士の合計十名。エサイアスは博士をちらちらしている。
シュレーディンガー博士って、注射器を発明した偉人なんだって。知らなかったわー。それは医者の息子に尊敬されますわ! たしかに両親は「わたしたちが若い頃は、注射器がなかった」と言っていたが、それは単に病院に掛かっていなかったからだとばかり……。
「クローヴィス、始めろ」
煌びやかな閣下の格好にどきどきしていたのですが、キース中将の一言で現実に戻り ―― なんだかよく分からないのですが、説明会が開催されました。
閣下ー! 実は今日リップの色を少し明るめなものにしてきたのですが、いかがでしょう? どんなに女性らしいローズ色を使用しても、わたしの男顔は揺るぎませんが、ちょっとお洒落してきたんです。
さて、内心の叫びはここまでにして、最初は履歴書。
欄の仕様は前世とほぼ同じ。違うのは名前や住所に「ふりがな」を振る欄がないことと、瞳の色を記載する欄があるところ。もちろん電話番号やE-mailの欄などない。
そこには現在の階級、他に身長と体重、他は視力や靴のサイズを記載するようになっている。
志望動機や好きな学科などを書く欄は、家族についての記入欄に変更。
本人が未成年の場合のみ記入する欄は、傷病歴を記載する欄に。
それと隊ごとに用紙の色を変え、一目で何隊の履歴書か判別できるようにしたのさ。
「写真を添付することで、本人確認がさらにし易くなります」
写真が高価な時代なので、下士官の書類にわざわざ撮影して貼り付けるなどという行為を思いつく人はいなかった。
それと傷病歴もね。ほとんどの隊員は「怪我した記憶はあるけど覚えてないです……」と。初めてのことなので、その反応は分かっていたから、骨折などの大きな怪我、外科手術(わたしの額の怪我含む)などに絞った。
アナフィラキシーショックの代名詞、蜂毒アレルギーについても調べたかったのだが、蜂に刺されるなんて日常茶飯事な時代なので……。
麻疹や風疹などの既往歴も記載したかったのだが、みんな「子供のころ罹ったような気がする? あれ兄弟だったかも?」程度にしか認識していないので、これまた無理だった。必要性が周知されていないので、親だって覚えていないしねー。
そもそも風疹とか、独立した疾患って認知されてるのかな?
説明をしながらこの時代の医学がどのような水準なのか、気になってきた。
シュレーディンガー博士ほどの人じゃなくてもいいから、ちょっと聞いてみたいな。
もしかしたら前世の記憶がお役に……医学的な疑問はいいや。とりあえず今は全力で履歴書と経歴書、そして簡易経歴書について説明をしなくては。




