【185】隊長、幼年学校に在籍していた頃の話を聞く
超高級ワインと庶民のサンドイッチをテーブルに広げ ――
「わたしの幼年学校時代?」
「はい」
閣下のことを知りたいので教えてくださいと頼んだ。
「構わぬが」
「鉄道の貴公子である閣下については、我が家の愚弟という情報源がありますし、表舞台での活躍は書物があるので分かるのですが、そこから外れているところの情報が手に入らないので、是非とも閣下に教えていただきたいなと。あ、幼年学校では主席だったというのは存じております」
軍人としての閣下をまとめた資料に「幼年学校を主席で卒業」という一文がありましたが、この一文くらいしか書かれてないの。
「そうか。まあ主席といっても、実科は競う相手にイヴのような逸材はおらず、座学も他の者が苦手としていたので、取りこぼしがなかったわたしが主席になっただけだが」
いや、絶対そんなことない。
「そうであろう? リーンハルト」
側に控えているアイヒベルク閣下にそのように声を掛けられた。
「実科に関しては閣下が仰る通り、妃殿下が同学年に在籍していらっしゃいましたら、閣下も間違いなく後塵を拝したことでしょう。ですが座学は他の者が苦手としているのではなく、閣下がお得意だったが正しいかと」
ですよねー! 絶対、そうですよねー!
「実科に関しては、イヴが巻き起こした土埃を見ることすら敵わなそうだがな」
「それに関しては否定いたしません。閣下、一つよろしいでしょうか?」
「なんだ? リーンハルト」
「アウグストより閣下が妃殿下に幼年学校時代のことを語る際”あいつらは愚鈍だ”、それに類することを語った場合は、是非とも全力で訂正して欲しいと頼まれておりまして。閣下が何時そのことを妃殿下に語られるのか分からないので、この場でさっさと依頼を果たしてもよろしいでしょうか?」
「あいつらということは、ヴィルヘルムも含まれるのか?」
「はい」
「愚かではないが馬鹿だった記憶しかないが。お前とてそうであろう? 密輸密航騒ぎに小火という名の大火騒ぎ。この二つだけでも、紛うことなき馬鹿だと思うが」
密輸密航に大火って、尋常じゃない単語ですが。……アウグストとヴィルヘルムって誰だろ?
「勉強は出来たとお伝えできれば、依頼達成なので」
「そうか。ああ、イヴ済まなかった。これはリーンハルト・フォン・アイヒベルク。父の愛人の子で、わたしの三日年上。幼年学校時代からの付き合いだ」
「初めまして、アイヒベルク閣下。イヴ・クローヴィスと申します」
本当は立って挨拶をしたいのですが、ここは座ったままのほうが相手にとっていいはず。あんまり空気読めないわたしですが、この位の空気は読めますとも。
「ありがとうございます、妃殿下。ただわたくしめには、敬称は不必要でございます」
そこは分かっているのですが、
「一応公表されるまでは、敬称を付けて呼ばなければ、不審に思われてしまいますので。時と場合により使い分けるということが上手くできないので、婚約発表までは敬称を付けて呼ばせていただきたいのです」
切り替えが上手くできないのが目に見えているのです。自分のことは自分が良く知っているのです。
「リーンハルト、よいな」
「はっ!」
閣下の一声で、しばらくアイヒベルク閣下に敬称を付けて呼ぶことが許されました。でもいずれ自分よりも年上の大将閣下を呼び捨てしなくてはならないとか……いまは考えないでおこう。
「閣下とアイヒベルク閣下は、同時期に同じ学校に通っていらしたんですね」
「そうだ。リーンハルトはなかなかに、優秀な成績を修めた」
主席の閣下がそれを言うのは、どうなんでしょう……。
「イヴ、リーンハルトから言伝を聞いてくれるか?」
「はい」
「それでは失礼いたしまして”わたしたちが馬鹿なのではない。そいつが図抜けて賢いのだ。その名の通り神の恩寵を持っているため、常識外れに賢い。あまりに賢すぎて嫌になることがあるかも知れないが、そいつが賢いのは生まれつきなので我慢してやってくれ。そいつの親友から言えるのはそれだけだ”……とのことです」
「ぶっ……」
駄目だ! 笑ってはいけない! でも笑いがこみ上げてくる。
知人から「賢すぎて嫌になる」言われるって、閣下、どれだけ賢いんですか。
「わたしが賢いのではなく、あれたちが馬鹿なだけであろう。それと、いつの間にわたしとあいつらが親友になったのだ」
なんか、以前も聞いたことがありますよ、閣下のその台詞。そうだ! デ・ボナヴェントゥーラ枢機卿の時だ。
寮の窓の鍵を十回に一回だけ開けていただけで、親友認定されたと……。閣下はそのように仰いましたが、それ以外にもきっと色々としたのでしょう。
聖職者時代の閣下のことを知りたいけれど、知ってそうなのが、次期教皇と目されているボナヴェントゥーラ枢機卿、そして閣下のことを導いてくださった教皇猊下、そして司祭のシャルル・ド・パレ殿下……どう考えても気軽に聞ける相手ではない。
司祭のシャルルさんは聞けば教えてくださるとは思うのですが、相手は殿下ですからね、殿下。
なんかわたしも妃殿下と呼ばれたりしてますが、後天的な殿下ですから。生まれた時からの殿下とは全く違うわー。
ちなみに教皇猊下について閣下は「ババアと友人であることが唯一の瑕疵」と仰っていました ―― もっとも友人なので、ババア陛下さまの要請に応えて、ブリタニアスまで出向いて幼い閣下を抱き上げ教皇領へ戻られたそうです。
勿論この当時は枢機卿閣下だったそうですがね。話を聞いた時、理解するのに苦労したのは言うまでもない。登場人物の地位がおかしいから!
「それは平行線のまま終わる事柄かと。親友ですが……まあ、あれだけあいつらを助けていたら、親友だと思われても仕方ないかと。閣下がいなければ、あいつら五回は死んでおりますので」
「……そうか。そうそう、イヴ。アウグストはフォルクヴァルツ選帝侯で、ヴィルヘルムはアディフィンの軍務大臣フォン・リトミシュルだ」
知ってるー! その二人、知ってますー! 特にフォン・リトミシュルはアディフィン政界のフィクサーとか呼ばれている人だ。馬鹿っていう単語とは無縁の筈。
「お二人とも存じております」
幾らわたしが政治に疎くても、そのお二人は超有名な大臣ですのでお名前は知っております。どのような人となりかは存じませんが。
「そうか。この二人も幼年学校の同期なのだが、素で馬鹿だった。未だに馬鹿が治っていなくてな。イヴとの婚約を伝えたところ、二人とも驚き”アントンが結婚? これは夢なのではないか?”と、互いに拳で顔面を殴り合い確かめ合ったのだが、その場にいたが事情を知らぬ両国の外交筋は青ざめたそうだ」
失礼ながら、瞬間的に馬鹿なんだなーって思ってしまった。四十にもなろうかという二国の重鎮が、何をなさっていらっしゃるのですか?
アイヒベルク閣下のほうを見ると、目を細めて頷かれた。きっとフォルクヴァルツ選帝侯とリトミシュル辺境伯のいつものやり取りなのでしょうねえ。
「閣下。折角ですので、密輸密航騒ぎや大火騒ぎを教えていただきたいのですが」
閣下も絡んでいるっぽいので、興味があります。
「構わぬが、語ると長くなるので、どちらかしか語りきれぬと思うが」
「語りきれなかったほうは、次回お願いします」
「そうか。分かった……だが、単にアウグストとヴィルヘルムが馬鹿だった、という話にしかならぬのだが」
閣下はそう前置きされてから、密輸密航騒ぎについて語って下さったのだが、王侯貴族少年たちの若さ故の無謀っぷりに、普通に度肝を抜かれた。
それとアイヒベルク閣下の合いの手「閣下がいなければ、あいつらはここで死んでました」が絶妙で面白い。
更に言うと両閣下とも、すっごい冷静。言っちゃ駄目なんだろうけれど、兄弟(三日違い)なのだなーと、血の繋がりを感じもした。
アイヒベルク閣下の合いの手「死んでました」ですが、密輸密航騒ぎ途中までで、余裕で二十回越えてました。
さきほど五回ほどと……
「先ほどの五回は、政争や継承に関わる事柄だな。これは馬鹿であることは関係ないものなので、カウントとしては別なのだ」
「なるほど。この騒ぎでご苦労された閣下に言うのは失礼かもしれませんが、閣下がご無事なのを知っているので、話を聞いているわたしは、とても楽しかったです」
本当に閣下がいなかったら二人ともバカンス先で死んでたと思う……っていう位の出来事でした。選帝侯も辺境伯も肝が据わっている事で有名ですが、この経験が大きいような、もともと度胸があり過ぎたので、こんな騒ぎを起こしたのか? そこは分からない。
「そうか? 楽しんでもらえてよかった」
「まだ時間残ってますね」
閣下からいただいた懐中時計で時間を確認してから、キース中将が戻ってくるまで ――
「次はイヴの学生時代の話が聞きたい」
「基礎学校、ギムナジウム、士官学校どれがいいでしょう?」
「そうだな……」
閣下に言われて話をしたのですが、基本わたしの話って小さいんですよ。
閣下のように国家のみならず、大陸を跨ぐような話はないのですが……
「可愛らしい話だが、その時わたしも側にいて、力を貸したかった」
楽しんでもらえたみたい。
そして閣下がその時側にいたら、事件そのものが起こらないと思います。




