【184】隊長、黒パンのサンドイッチを持参する
今日は閣下に会える!
会う場所は山中……すごいアバウトに思えるかもしれませんが、事前に合流するポイントが書き込まれた登山地図が届いているので大丈夫です。
「日帰りできる距離だな」
「ご迷惑をおかけいたします」
キース中将の山歩きのお供という形を取って向かうのです。
日帰りで遠くへは行かないので、お供はわたし一人。
「いいや。わたしも二時間ほど独りで散策できるしな」
閣下とわたしは二時間ほどお話をし、その間キース中将は単独山歩き。山歩きに慣れているとは聞いておりますが(情報源・同期)山ではなにがあるのか分からないので……一応「大まかにここら辺にいる」と登山地図で範囲を指し示してくれましたが。
「わたしがなんらかの事情で動けなくなったとして、助けに来るのは陸軍実働部隊の雄クローヴィスで、場所を推理するのは主席宰相閣下だ。これで助からなかったら、即死しているのだから仕方ない」
仕方ないで片付けないでいただきたいのですが。
遭難者がどこにいるのかを推測するのは、非常に難しいことだ。でもキース中将のことをよく知っている閣下なら、たちどころにあたりを付けることが可能なのかも。閣下なら知らない人でも、すぐにあたり付けそうですけれど。
そして陸軍実働部隊でもっとも優れていると評価されるのは、嬉しいことです。
「わたしも即死を避けるくらいの注意力はある。戻ってこなかったらよろしく頼むぞ、クローヴィス」
何ごともないに越したことはないのですが、あった場合はご信頼にお応えいたします!
「はい!」
閣下に食べてもらうつもりで作ったサンドイッチと水、あとは山を舐めてはいけないので行動食にミニ松明とライターに、火炎攻撃用にウオッカを充填した携帯水筒。
ライフルと拳銃、もちろん手製の弾帯を腿に巻き、ガーターで吊し弾数を充分に確保。
登山用ナイフを五本と、狩猟用ナイフと鉈状ナイフを二本。あとは万能兵器として名高い剣先型の鉄製スコップを担ぐ。
「隊長、ソロで熊狩るんですか?」
「それはバイエラント近辺の古の森でやった」
オルフハード少佐の左肩という多大な犠牲が支払われたが ―― 完全武装ぶりに部下たちにそんなことを言われるくらい。
「キース閣下との散歩、楽しんできてください」
「お気を付けて」
「保養所の守りは心配ありませんので」
隊員たちに見送られ、わたしはライフルを手に持ったまま、キース中将と並んで歩く。閣下にお会いするの楽しみ。
「クローヴィス」
「はい、なんでしょう? 閣下」
「重くはないか?」
「全く重くはありません。なんなら、このまま山頂まで駆け上ることができます」
「……そうか。それならいいのだが」
ははは、キース中将。これでもレンジャー研修を終えた身ですので、ご心配は無用です。
と、体力は有り余っているが、念のために水分と行動食補給は忘れない。
ちなみに行動食はクーラが作ってくれたキャラメルナッツ。高カロリーのナッツと、すぐエネルギーに変わる糖が組み合わさった行動食。仕上げに砂糖とバターと塩をまぶしているので、塩分まで補給できる優れもの。
静かな山中をぼりぼりと音を立て食べ歩くこと一時間半 ――
白樺の木々隙間に濃紺のテントを発見! 人の気配も察知! ただし閣下かどうかは分からないので、慎重に近づかなくては。
キース中将を狙ったやつらという可能性も……なかった。アイヒベルク閣下が見えた。そして……閣下? 多分閣下だと思う。
いつもしっかりと撫でつけられている髪が、下りているのです。
髪型が少し変わっただけで見分けつかないとか……言われそうだが、着衣も戦闘服っぽいから。
多分戦闘服なんだと思う。”っぽい”とは、デザインが若干違うから。
……アディフィン軍の戦闘服かな? 我が国はアディフィンとは戦争したことがないので、そちらの戦闘服に馴染みがないので。
閣下と思しき人物は、額に掛かっている前髪をかき上げ ――
「イヴ。久しぶりだな」
「お久しぶりです、閣下」
閣下だったー。正直戦闘服が全く似合っていらっしゃいませんが、閣下だった!
もちろん似合わないと言っても、常識の範囲内。デニスの新感覚フロックコート姿みたいなことにはなっていません。
両手を広げられた閣下に抱きつき、挨拶のキスをかわす。
軽く唇を触れ合わせたあと、キース中将が閣下を連れて少し離れたところへ。二人の会話の内容だが『女性関係の話と、隠し子の噂について、わたしから簡単に説明しておく。お前は他愛のない話を楽しめ』 ―― キース中将が気遣ってくださったのだ。
わたしがそれらについて語ったら二時間まるまる時間を使っても、まだ説明が終わらないでしょうからね。
二人を眺めていると、アイヒベルク閣下が椅子とテーブルを組みたて始めたので、
「お手伝いいたします」
手伝いを申し出たのですが、
「妃殿下はごゆるりと景色をお楽しみくださいませ」
断られてしまいました。
そうですね。わたしのことを妃殿下と呼んでいる人が、設置の手伝いを受けるわけないですよね。
アイヒベルク閣下はマットを敷き、そこに手際よく組みたてたテーブルと椅子を設置して、さらにはキャノピーまでセットしてくれました。
ほんと手際がよろしいのですが、大将閣下ですよね? アイヒベルク閣下って。
キース中将と閣下の話は本当にすぐに終わり、最後にはまた閣下のふくらはぎを蹴っていた。話が終わると蹴らなくてはならないのですか? 連合軍時代の作法かなにかなのかな?
キース中将はそのまま手を軽く振り、山歩きへと戻り、わたしは戻ってきた閣下と共に椅子に腰を下ろした。
向かい側に座った見慣れない閣下。
ただし髪を下ろしていようが、一般兵士の戦闘服を着ていようが、高貴な人なのだなーというのは、節穴同然のわたしの目でも分かる。閣下だと知っているから……というのではなく仕草が完全に王侯。
これでも二年半、王弟殿下の副官をしていたのだ、王侯の気品溢れる仕草というのは知っている。
「イヴ」
「はい」
「不快な思いをさせたな」
「いいえ」
噂に一人、もだもだしていただけですので。
「委細はキースの休暇が終わってからでいいだろうか?」
「はい。一応キース閣下から事情は伺いましたので、今は特には」
「そうか」
微笑まれた閣下が手を伸ばしてきて、わたしの額の傷に触れる。
すっかりと治っているのですが、閣下にそこを触られると、なんとも言えない恥ずかしさが。顔が赤くなっているのが分かる。
閣下、なんでそんなに楽しそうに、ほぼ消えてしまった傷跡に触れるのですか!
もちろん、恥ずかしいけれど、触れられるのは嫌じゃないので。
「イヴは本当に可愛らしいな」
「か、可愛いとか」
世界で一番その形容に反している見た目だと思いますが。
「あっ! あの、閣下! 簡単なものですが、昼食作ってきたんです。食べませんか?」
「ありがたくいただこう」
作ってきた昼食だが、もちろん大したことはない! 胸を張って言うべきことではないのだが、リュックサックに入れて運ぶことと、常温にさらされることが前提なので ――
「ハムのマリネをサンドしたものです。一応マリネもわたしが作りました」
黒パンにチーズを乗せ、ビネガーと砂糖とオリーブオイルを混ぜたマリネ液に浸した、スライスしたハムと玉葱を挟んだもの。ビネガーを使っていれば食品の安全は保たれる……と思ってる。
「ほぅ。これは赤ワインが合いそうだな」
そう言うと閣下は手を叩いて召し使いを呼ぶ ―― ここにいるのアイヒベルク閣下だけなのですが。よろしいのでしょうか?
アイヒベルク閣下はテント脇の荷物の中から、大きな木箱を二つ抱えてやってきた。しっかりと釘打ちされた木箱を開けると、厳重に梱包された赤ワインと、さらに厳重に梱包されていたクリスタルガラス製(だと思う)のワイングラスが二つ。
更にアイヒベルク閣下は荷物から木箱を取りだし、釘を抜き蓋を外すと、先ほどと同じく綿とシルクに包まれたデキャンタが。
人気がなく山深い場所で、デキャンタに移した赤ワインを大国の大将閣下に給仕してもらって飲むというシチュエーション。
デキャンタに移している時にちらりとラベルを見たのだが「ヴュー・レオミュール」と書かれていた。ヴュー・レオミュールとはこの世界におけるロマネ・コンティ、要するに超高級ワインの代名詞で、ゲームにもちらりと登場したアイテム。
ほら庶民派男爵令嬢ヒロインと、貴公子たちの物語だから、それっぽいアイテムが登場するんですよ。
……で、そんなノーブルアイテムの肴がわたしが作ってきた、黒パンのサンドイッチなんですけれど。具材もパンも調味料も、全部軍の支給品というごくごく一般的なものでして……不釣り合い極まりないのでは?
「イヴ、とても美味しいよ」
「そう言っていただけると、作ってきた甲斐がありました」
「わたしの為に作ってきてくれたのかな?」
「はい、もちろんです!」
まさかこの山中で、世界最高級赤ワインが登場するとは、思ってもおりませんでしたが。
ゲーム内ではアレクセイがヒロインの誕生日を祝うのに持ってきた、年間四五○○本しか作られない代物ヴュー・レオミュール。
思えばアレクセイのやつ、王侯貴族垂涎の的であるこのワインを、どうやって手に入れたんだ? たしかにアレクセイも皇子だけどさ。
閣下が下さったルース皇后の財産を使ったの? まーヒロインに金を使うのは構わないけれど……でももう少し節制しろよ! そして相変わらず、高級ワインの味が分からないわたし。いや、でも雰囲気楽しめてるからいいよねー!




