【179】隊長、編むことにする
隊員たちは山中の保養地と、麓の村の拠点を行き来しますが、わたしは保養地詰め ―― ”詰め”と表現すると、なんか大変そうですが、実際はそんなことはない。
キース中将は私生活で問題起こすようなタイプではないので、言葉は悪いが放置で大丈夫。
わたしたちは保養所という名の豪邸の周囲を日に三回、十人一組で巡回する。
豪邸内にも一応隊員を配置してはいるが、数は少なめの三人で、三時間で回す。非常に緩い態勢……だが、脅威はある。
自然豊かな大地のど真ん中なので、野生動物が多数生息している。それこそ狼とか熊とかその他中型肉食獣とか。
気を抜いたら背後からばすっ! とやられる、弱肉強食(本物)の世界に居るわけだ。
こちらも徒党を組んでおりますし、隊員はみな銃器の扱いに長けているし、外巡回の際は猟師の息子とか、猟経験のある者を配置し、彼らに指揮権を与えるなど、できうる限りの対策を取っている。
銃器を所持して自由に動け、徒党を組んでいる我々人間はこれでいいのだが、外界との連絡手段である馬が狙われるのだ。
馬は肉食動物にとって美味しい食糧になり得るうえに、通常は厩に繋がれているので危険が迫ってきても逃げ出すことができないし、肉食動物と戦う武器もない。後ろ足の蹴りはなかなかのものですが、それほどアテに出来るものでもない。
移動手段として有能な馬なのだが、肉食動物ホイホイという面を持っている。
もちろんそのままにはしていない。
外の異変に気付き教えてくれる賢いヤツ ―― ということで、軍用犬を五頭ほど連れてきております。
外巡回の際にも最低一頭は同行させ、従卒が馬の世話をしている時は見張りを担当し、キース中将が一人で散歩する際には二頭伴ってお出かけと、犬たちは親衛隊であるわたしたちより仕事をしているかもしれない。
いや、親衛隊が暇なのは良いことなんですけどね。
そんな感じで普通に弱肉強食の世界で、優秀な部下たちと共に緩く缶詰になっているわたし。麓の拠点は小隊長たちに任せているので、降りなくていい……はずだったのですが、
「憲兵隊より事情を聞きたいので、麓まで降りてくるようにとのことです」
憲兵より呼び出し食らいましたー!
召喚状紛いのお手紙が届きました。
「……行かないわけにいかないしな。閣下に断りを入れておくか」
わたしは保養地詰めというのはキース中将もご存じ。更に一日三回、朝昼晩に「何ごともありませんでした(熊補捉しましたが、スルーで済みました)」と報告に上がっているので、断りもなく居なくなるわけにはいかない。
「その召喚状を見せろ」
夕食後のキース中将へ報告に上がった際、呼び出されたこと、二日から三日ほど保養所を不在にすることを告げると、呼び出し状を出せと言われた。この位はわたしでも想定できていたので、軍公文書用封筒ごと手紙を差し出す。
「はい」
リゾート地でよく見かける背もたれが非常に倒れている椅子に体を預けているキース中将は、便箋を取り出して開き眺める。
プライベートのキース中将は髪をしっかりと撫でつけておらず、アッシュブロンドの前髪が降りて、形の良い額を隠している。
え? 撫でつけないなんて、普通じゃないの? いやーこの時代の男性はきっちり・かっちりが基本。我が家を比較に出すのもなんだが、休日であろうとも、父さんとデニスは髪を撫でつけているから、撫でつけていない成人男性というのはほとんど見かけない。
ついでに格好は紺色のズボンに、落ち着いたアイボリーのベストに白いシャツ。白いシャツはもちろん長袖で、ロイヤルブルーでヘリンボーン柄のアスコットタイに、黒の靴下に黒革のストレートチップシューズ ―― 前世では完全にお出かけスタイルだが、この時代ではゆるゆるな格好。髪を撫でつけていないので、更にゆるさは増す。
実際閣下がこういう格好をしているのは見たことがない。
部屋でおくつろぎ中でも、上着を着用していらっしゃいますから。いや、閣下はかっちりし過ぎなんですけどね!
キース中将の眼前の大きな窓は、鬱蒼と生い茂る木々と月を映した湖面と、夜空にある月の両方という贅沢な景色を切り取っている。
窓から差し込む月明かりが、大理石の床に反射して眩しいこともあり、室内の明かりはキース中将の隣に置かれている机の上のスタンドと、少し離れたところの燃える暖炉だけ。
柔らかで仄かなスタンドの明かりと、外から夜の寒さと共に室内に入り込む青白い明かりに照らされているキース中将は、いつも通り儚い。詐欺だけど。
なにはともあれ、テレジア、エルヴィーラ、今日もお前たちのキース中将は格好いいよー。
「サーシャの小僧の字で間違いないな」
室内にはわたしとキース中将しかいませんが、サーシャは止めてサーシャは。
本名不明の脱臼癖のある懐刀さんでいいんですー。この手紙の差出人はオットー・マルムグレーン大佐でしたけど。
キース中将は手紙を畳み封筒に戻し、隣に立っているわたしに放り投げると同時にクシャミをした。
「く……」
夜は冷えてきますよねー。デザイン性を重視しているので、カーテンのない窓の側にいたらクシャミの一つや二つ出ますわ。
「閣下、ブランケットはいかがですか?」
「ブランケット?」
「はい。寒さ対策で持ってきたのですが、小官の部屋は普通サイズですので、ストーブで充分暖を取れたため、鞄から出してすらおりません」
保養所のメインの広いリビングは暖炉の他に五つくらいストーブに火を入れなくては ―― 初秋とは言えこの保養所はかなり冷える。とくにメインである、大窓のリビングは、窓を冷気が押しているのが分かる。
「ならば借りるか」
「ただいま持って参りますので」
誰もいない部屋へと戻り ―― 保養所に来ている女はわたし一人なので、一人部屋なのだ。当たり前なのだが、ちょっと寂しい。
誰かキース中将に惚れない女軍人いないか……そんな人いたら、既に採用されているな。
無駄なことを考えてしまった。
召喚状紛いの手紙を鞄に放り込み、かぎ針編みのカラフルなグラニースクエアをつなげたブランケットを持ってキース中将の所へと戻った。
やはり寒かったのか、この保養所の存在意義とも言える、一面の窓の側から椅子を持って暖炉前に移動していた。
「閣下、どうぞ」
受け取ったキース中将は広げて、大きさに驚いていた。
ふふふ……なにを驚いていらっしゃるのですか? キース中将。わたし仕様のブランケットですよ。大きいに決まってるじゃないですか。
「これは、お前が編んだのか? クローヴィス」
「はい。これでも小官、編み物は得意なのです」
「大したものだ。これなら売り物にもなるだろう」
「お褒めにあずかり光栄です。継母は編み物が得意でして、教えてもらったのです」
継母と冬は暖炉の前で編み物したな。
娘とこうしたかったと継母は、笑顔で様々な編み方を教えてくれた。このブランケットの柄も継母に教えてもらった。
実母は編み物じゃなくて裁縫と刺繍が得意でした。どちらも女子力が高い。そしてわたしは二人の母から、縫い物と編み物に関してお墨付きをもらっているが、見た目が女子力をマイナス値にしている。我が国の冬場の最低気温を余裕で超えるくらいにはマイナスだ。
「いい家族だな」
「はい。自慢の家族です。ブランケットを掛けますので閣下、お座りください」
「それは自分で」
「そうですか」
キース中将はそう言い、座ってから自分でブランケットを広げて膝にかけた。
この寒さに対して無謀ながらスタイリッシュな保養所に、昔ながらのグラニースクエア柄のブランケットは合わない気もするが ――
椅子に座り直したキース中将と、暖炉の薪が爆ぜる音。
風邪なんて引かないで、休暇をお過ごしください。医者呼んでくるの面倒なので。
「それでは失礼いたします」
「ああ、クローヴィス。言い忘れたが、三日後には報告するように」
往復で約一日かかるから、実質的な滞在は一日から二日ってことか。
憲兵に二日連続尋問なんて地獄だー。いや多分されないけどさー。
「はい」
「それと……ちょっと頭を下げろ」
「はい」
えっとそれは、鷲づかみの合図では?
いや、分かっていても下げなくてはならないのが部下というもの。
案の定、頭を下げると鷲づかみにされた。
「三日後とは言ったが”遅くなったので夜道を走ってきました”は無しだぞ。そして三日後の夕食前には戻れ。そうでなければ、山狩りするからな。それとサーシャの小僧の右肩を壊すからな。覚えておけ」
「ぎょ、御意」
なんかわたし、そいうことしそうですもんね。するつもりはないけれど、なにかに手間取って夜一人で山岳マラソンしそう。いや、しませんよ。そんなことしたら懐刀さんの両肩が壊れてしまうー。
「もののついでに教えておくが、オットー・マルムグレーン他、多数の名を持つサーシャだが、現在の本名はジークムント・フォン・リースフェルトだ。捨てた旧名は知らなくてもいいだろう」
知りたくないです。捨てたものに触れたくはありません。間違って拾って届けるなんて真似したくないです!
「はい。ですが貴族だったのですね」
同じ庶民扱いしてたけど、フォンの称号を持つ貴族だったんですね。
名前からアディフィン王国、神聖帝国、アブスブルゴル帝国というのは分かりますが……どこの貴族なんだろう?
「元は庶民だ。出生名簿を偽装するならフォン持ちのほうが簡単だと、主席宰相閣下が言っていた。なにが簡単なのか分からんが、あいつは主席宰相一門の末端貴族扱いだ」
「そうなのですか」
「貴族の称号を持っているほうが、各国の諜報がやりやすいからだそうだ」
庶民が立ち入れない場所はあっても、貴族が立ち入れない場所はそうそうありませんからね。
特にその貴族のバックが大きければ大きいほど、制限は緩和されますもんね。
「お教えいただき、感謝しております」
額を手の腹で押された。
「ブランケット感謝する。休暇の間、ずっと借りていていいか?」
そして唐突に、だが通常でもある儚い笑みを挟んでくる。
「どうぞお使いください」
礼をしてキース中将の元を後にした。
ブランケット気に入ってもらえたなら嬉しい。そうだ、閣下に作ってみようかな。でも閣下なら、なんでも持ってそう。いや、絶対持ってる。でもそれを言ったら、閣下にはなにも渡せないから。思い切って作り始めようかな。




