【162】隊長、夜の司令部で思案する
八分後には司令本部の西口にたどり着いた。
西口は人の出入りではなく、車の燃料や馬の餌、食堂で出される料理と、その際に出るごみの回収などに使われる搬入口だ。
性質上、夜間は完全に閉じられているが、もちろん人が出入りできる箇所なので、詰め所があり夜間でも警備がいる。
「クローヴィス大尉。どうなさいました?」
小銃を担ぎ門を守っていた衛兵がこっちの顔を知っていたので ―― 整備の職務怠慢で燃料切れになったため、車か馬車が必要なので取りに来たと告げる。
「クローヴィス大尉が背負っている方は?」
「憲兵大佐だ」
まだ背中で眠っているが、向かうと決めてすぐに「誰」になるかを尋ね、マルムグレーン大佐として司令本部に入ると打ち合わせしていたので。
「うげっ……失礼いたしました」
衛兵の気持ちは分かる。憲兵大佐なんて、悪いことをしていなくてもできる限り会いたくない相手だ。
「わたしたち二名、ご一緒させていただきます」
「ああ」
わたしとボイスOFFだけならば二人きりで通してもらえたのだが、マルムグレーン大佐という司令本部所属ではない軍人連れのため、詰め所の二名が同行することになった。
そういう手順なので、わたしとしてはなんの問題もない。
それはそうと……キース中将に報告してから向かうべきかな?
……いや、明日でも……でも……やっぱり、ちょっと時間は掛かるが、報告してから車か馬車を出そう。
ただの燃料切れならまだしも、将官自ら行っていた捕り物の現場に遭遇し、捕らえられた人物が閣下を狙っていたことを知りながら、報告を後回しは駄目だよな。
「しかし……西口から入るとキース閣下がいるフロアまで遠い」
軍の司令本部というのは、宮殿とか王宮よりもずっと大きい上に、襲撃された場合を想定し、若干迷路じみた作りになっているので、道順を覚えるのが大変だ。
わたしは士官学校卒業後からここに配属され、いまは総司令官の護衛責任者の任を拝しているので、隈無く覚えているけれどね。
でも夜の建物って随分と雰囲気違うなあ。
……夜何回か建物内を歩き回って慣れよう。
「そうですね、隊長」
やたらと響く足音を聞きながら、マルムグレーン大佐から少しだけ聞けた先ほどの男 ―― オディロン・レアンドルについて、キース中将への報告すべき事柄を脳内でまとめておこ……ん? この匂い。アンモニア臭だが、その他にも混ざってる。
「全員、止まれ」
そう告げるのと前後して、背中の重みがすっと引いた。
「大尉」
「分かっています、大佐」
危険を察知し目を覚ましたマルムグレーン大佐を廊下に降ろし、ホルスターから拳銃を抜く。
ボイスOFFと衛兵二名に動くなと指示を出し ―― 背中を壁に付けながら、足音に注意を払いながら近づきたくはないのだが、異臭漂うほうへと進む。
この辺りにトイレはない。あったとしても、こんな強烈な匂いがするトイレなんて聞いたこともない。
となれば、この異臭の正体は漏らした人間が最低でも一人いるということ。
夜勤中に隠れて酒を飲み泥酔した結果の痴態というのなら、あとで処分するだけでいい。
見回りの途中で、発作かなにかが起こり倒れてしまったのならば、急いで手当しなくてはならない……わたしの勘では、どちらでもない気がする。
とにかく何らかの事情で意識を失い、失禁するはめになった兵士がいるのは確かだ。
失神で済んでいてくれるといいのだが、下手をしたら息の根を止められている可能性も捨てきれない。
足音を消し曲がり角まできた。
銃を撃てる体勢になり、曲がり角から身を躍らせ、視線を向ける ―― 倒れたランタンが映し出していたのは首がおかしな方向に曲がり、鼻血を流し口から泡を吹いている兵士が二名ほど見えた。
あれ、完全に死んでる……よな。
周囲に注意を払いながら小走りで近づき、倒れていたランタンを拾って、開いたままの目に近づけてみるが、瞳孔は開いたまま。
二人とも呼吸も脈も確認できないので、死んでると判断するしかない。
敵の気配を感じないので、四人を呼び寄せ ―― 若い衛兵一名が死体を見て、華麗にリバースしたが、それは仕方ないことだろう。
「これは」
「遺体の徽章から、西棟の四番詰め所に所属しているようです。そちらへ向かおうと思いますが、よろしいでしょうか? 大佐」
「ああ」
「担ぎ上げてもよろしいでしょうか?」
「……仕方ない」
マルムグレーン大佐を右肩に乗せ、左手に拳銃を持ったまま走り出した ―― 衛兵二名が付いてこられなかったので、すぐに早歩きに変えましたけどね。
部屋には十五名ほどおり、いきなりやってきたわたしたちに驚いていたが、話を聞かされてもっと驚き、八名で隊を組み現場へと向かった。
「クローヴィス大尉、賊でしょうか?」
深夜警備隊のまとめ役の兵長が尋ねてきた。
憲兵大佐ことマルムグレーン大佐に話し掛けないのは、全く知らない大佐とか兵長からすると怖すぎるからだ。
「だろうな。だが正面からではなく、忍び込んだところを見ると賊の数は少ないはずだ。となれば暗殺目的だろう」
「標的はキース中将でしょうか」
普通に考えて、もっとも偉い人が狙われるよね。
わたしが二人の死体と遭遇することになったのは、このルートがキース中将の寝泊まりしているフロアへの最短ルートだから。
見回りが殺害されたということは、見回りルート上に目的があったものと考えるべきであり、その目的となり得るのはキース中将が最有力だ。
「兵長。仲間を回収した兵士が戻り次第、全員でキース閣下の元へ向かう。用意しろ」
わたしがすべきことは、キース中将の安否確認と、司令本部内での殺人事件とオディロン・レアンドルについて報告すること。
「はっ!」
詰め所備え付けの銃器 ―― 拳銃を二丁ほど取り出し、弾丸をいくつかポケットに詰め込む。
そうしていると半泣きになりながら仲間を回収してきた兵士たちが帰ってきた。
ついさっきまで元気だった仲間が、変死体になってたら恐怖と理不尽が入り交じって、半泣きにもなるだろう。
そんな混乱中の彼らを同行させる理由だが、いざと言うときの通信手段。
まだ電話は通信の主流じゃないので。
遺体を回収してきた彼らが準備をしている間、わたしは遺体を検分する。医者じゃないので詳しいことは分からないが、おかしな方向に曲がっている首についている痣。
手で締めたのは明らかだ……次に遺体が所持していた武器を確認すると、弾丸は全て残っていた。
「兵長。二人が所持していた武器は、これで全てか?」
「はい」
「そうか。おそらく敵は一人で、相当大柄。特に腕力に長けている。潜入の常套手段である軍服をどこからか調達……という可能性はないものと考えられる。よって目的地まではフォーメーションはΟを取る。兵長が先頭を、殿はわたしが務める。遺体の体温から考えて、司令本部内に詳しいわたしたちのほうが、先に到着できるはずだ。だが言い換えれば、途中で遭遇する可能性もある。注意しろ」
「はい、大尉……あの……」
「なんだ?」
「大柄な単独犯と、なぜ分かったのですか?」
「それか。遺体の首に残っている痣だ。こちら側は親指が掛かった跡だが、わたしの親指と比べても大きい。余程変わった体格でもない限り、わたし並に大柄な……多分男だろうな。この腕力から考えて」
いくらわたしでも片手で人の首の骨を折るのは……無理だとおもう。
進んで人の首の骨とか折るつもりないので、一生分からないままだが……でも、こいつ侵入した場面で躊躇わず首の骨を折っているということは、過去にやったことがあるな。……すっごい危険じゃないか!
「単独犯についてだが、二人は同時に殺害されている。背後から近づかれ首を掴まれた。だから発砲の痕跡はない。誰も銃声は聞いていないだろう?」
人気のない夜の建物だ。銃声がしたら、誰か気付くはずだ。
準備を整えていた遺体回収から帰ってきた八人も、互いに顔を見合わせてから頷いた。
「軍服を着用していない大柄な人間が夜の司令本部にいたら、とりあえず発砲するだろ?」
わたしの問いかけに全員頷く。
日本の警官はそんなに簡単に発砲しないが、こちらの世界の軍は、不審者がいたらとりあえず撃つので。
「二人とも一発も発砲していないところから、犯人を視界に捕らえていないことが分かる。それで視界に入らないように動いているということは、一目で侵入者だと分かる格好なのだろうと推察できる。軍服を着用していたら、とりあえず所属を聞くだろう? 特に最近は徴集で、見慣れない兵士が増えたからな」
徴集後は敵国スパイの成りすましも増えるとは聞いていたが、首に残っている手のサイズからして、こんな目立つヤツを送り込むことはないだろう。諜報部殺しのわたしが言うのだから間違いない。
「補足しておくと、二人の首の親指の跡、右と左についているだろう。これは背後から同時に片腕で締められたことが分かる。成人男性二人を同時に片手で殺せるようなヤツだ。注意しろ」
自分で分析しながら、人間感のない賊だなー。
強すぎませんかね? さきほどヒースコート准将が捕らえた刃物振り上げ男、オディロン・レアンドル並じゃない?
そんなのが二人もいるの?
……二人もいるのか?
わたしはあの場をすぐに離れたが、オディロンが移送中に逃げ出したということは?
いや、オディロンの狙いは閣下だとオルフハード少佐が言っていた。
オディロンはかつて閣下の策により捕らえられた元聖職者で、捕らえた閣下に対する復讐のために我が国へ来たとのこと。
詳細は聞いてないけどね。すぐに車が止まっちゃったから。
「さて、準備は整ったな。では、向か……いや、待て」
死臭立ちこめる詰め所から出ようとしたところで、もっとも重要なことを見逃していたことに気付いた。
「大尉?」
静かにするよう口元に人差し指を立てる。辺りの気配を窺ってみるが、おかしな感じはしない。
「大事なことを見逃していた」
「大事とは?」
「その二人が殺害された理由だ」
兵士たちはその問いに驚き、ソファーカバーが掛けられた二人の遺体へと視線を移した。




