【156】隊長、夏期休暇を終える
充実した夏期休暇が終わり ――
「こちらの手に落ちたのですか」
登庁するとボイスOFFに接触すると言われていた、偽聖職者スパイは我が軍が捕らえるのに成功したという報告を、キース中将から受けた……のだが、
「おそらくあれは、囮だろうな」
どうもそれだけで片付くような問題ではないらしい。
偽聖職者スパイ、自称ジャンルイジ・クリオーネは司令部の独房に収容され、取り調べを受けているので、その様子を建物の反対側から双眼鏡を使って観察してみたのだが、あり得ないくらいにペテン師だった。
もう少しペテン師感を抑えるべきだと、アドバイスしたくなるほどペテン師感が溢れだしていた。
そんなペテン師感を隠しきれないジャンルイジは最近、取り調べには素直に応じるようになったらしい。
最初は口を開かなかったようだが、残念ながらここは軍で、尋問を受けている男は聖職者を偽ったペテン師なので ―― 何があったのかはすぐに分かる。
ペテン師ジャンルイジの調書にも目を通したが、ほぼ閣下のご推察通り。
むしろ「閣下から台本でも貰って、覚えてきたの?」と言いたくなるような始末。
それにしてもペテン師を囮に、誰を我が国へと送り込んだのだろう?
「本物の聖職者だろうな」
キース中将は黒い手袋を嵌めた人差し指で、机をこつこつと叩きながら、そのように ―― きっと当たってるんだろうなあ。
「それはそうとクローヴィス」
「はい、閣下」
「お前と入れ替わりにネクルチェンコ、ニカノロフの両名が休暇に入った。休暇の調整を行ったクローヴィスならば覚えているだろうがな」
スパイは殴る蹴るして吐かせるのがデフォルトという、ブラックな軍隊ですが、休暇はしっかりと取ることができます。というか、義務付けられています。
部下がきっちりと有給を消費しないと、上司の査定に響くくらいに、休暇を取ることが大事にされています。
それはどのような職務でも同じこと ―― 親衛隊隊員もしっかりと休まなくてはならない。
隊員を休ませないと隊長のわたしのみならず、キース中将の査定にまで響くので、夏期休暇は完璧に消化してもらわなくてはならない。
「はい」
「ネクルチェンコ、ニカノロフ両名が抜けた穴はスタルッカが補う。今まで以上にスタルッカを伴うように」
ボイスOFF、あの声じゃなかったら、喜んで連れて歩くのですが。なにせあの声、生理的に苦手で。
生理的に苦手な声って、どれほど聞こうが慣れるもんじゃないんだねえ……。
「はい。閣下、伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「構わんぞ、クローヴィス」
「スタルッカ軍曹は、もう軍の寮に越したのでしょうか?」
偽聖職者スパイの一件が済み次第、ボイスOFFは軍の独身寮に移動させると閣下が仰った。
「いいや。まだなにかありそうなので、わたしの従卒見習いとして司令部に置くことにした」
「そうでしたか」
ペテン師ジャンルイジじゃなくて、本物が接触することを考え……って! キース中将も巻き込まれるじゃないですか!
「仕掛けてくるとしたら深夜帯だ。クローヴィスがスタルッカと一緒にいるのは日中なので、主席宰相閣下もなにも文句は言ってこなかった」
「日中仕掛けて来る可能性もあると?」
「そうだな。そういう意味でも、スタルッカとは離れるな」
ボイスOFFに守られながらボイスOFFを守るのですね。
「はい」
一方的に守られるのは趣味じゃないので、それはいいですね!
任せてください。ボイスOFFに近づく不審者に、細心の注意を払いますから。
キース中将の元を辞してから、夏期休暇中にあった出来事に関する書類にざっと目を通す。
わたしの休暇直前に起こった陛下暗殺未遂事件に関しては、異変を見逃した先遣隊の四名は降格になった。これは仕方ないだろう。
シーグリッドをはめた、憎きオレクサンドルだが、陛下暗殺未遂事件後、全く動かなくなってしまったので、まだ逮捕できていないそうだ。
もしかして、閣下が休暇中だから相手にとって不足ありで、休暇明けまで待ってたの? だとしたら、お前色々凄いわー。
そして八月上旬にドネウセス半島のバルニャー王国に共産連邦が宣戦布告し、海軍が攻撃を開始。これは新聞で読んだから知ってる。
バルニャー王国は対岸の国の、さらに向こう側だが、関係ないともいってはいられない。
現在、陸の孤島化している我が国は必要物資を全て海上輸送で賄っているので、共産連邦の海軍が出てくるというのは、なかなか厳しい出来事だ……が、物価の値上がりはなく、物資は安定供給がなされている。これは閣下の手腕が成せる技だそうです。
凄いなー閣下。
閣下にお任せしておけば、治世が安泰過ぎて……何処の国でも「帰ってきて統治して」って願うよな。
バルニャー王国への共産連邦の宣戦布告を知り、対共産連邦同盟を組んでいる各国は海軍を出し、これを迎撃する ―― やっと用意が整い、三日ほど前に連合艦隊が出撃したとのこと。
遅くない? 一瞬思ったが、わたしは閣下の先読みを聞かされ、バルニャー王国が共産連邦海軍に攻められるのを知っていただけで、他の国は知らなかったんだ。そう思えば編成はかなり速いな。……外交筋とかいうもので、注意喚起くらいはなさっていたのかも知れない。
ちなみに我が国の海軍はこの艦隊には入っていません。
もちろん同盟に参加しているので、することはするよ ―― 我が国は隣のフォルズベーグの地を占領している、新生ルース帝国へバルニャー王国を攻めている共産連邦海軍が、補給しにきたら追い返すという役割です。
新生ルース帝国は共産連邦とは無縁だと、国際会議の場で『共産連邦の特務大使』が証言しているので、同盟側は新生ルース帝国が共産連邦に襲われ、物資を奪われぬように援護するという名目で艦隊を出すのだ。
戦争は名目とか、大義名分とかそういうものが大事なのでね。
同盟を組んでいるので、出兵は当然のことなのだが、これにより、我が国と共産連邦がことを構える図が出来上がる。
要するに一気に緊張が高まったということだ。
ここから閣下が想定する開戦までは約四ヶ月 ―― 持たせること出来るのだろうか?
「リリエンタール閣下なら、何事もなくやってのけるかと」
わたしの副官ボイスOFFの一言。
「そうなのだろうが」
分かってはいるのだが……。閣下に任せ切りというのも。
もちろんわたしに、開戦時期と対戦相手のコントロールなどという、神業のようなことはできないが……閣下、イヴ・クローヴィスはいつでも閣下のお役に立ちたいと思っております! 御用がおありでしたら、いつでもお呼びください!
「非常に混沌としてまいりました」
ボイスOFFが持ってきてくれた、隣国の開戦から現在までの経過だが、ボイスOFFが言う通り、まさに混沌と評するのが相応しい感じになっていた。
ノーセロート帝国軍は、唐突に現れたウィレム率いるフォルズベーグ義勇軍と合流し、正統な王であるウィレムと共に侵略からの開放という名目で各地に軍を展開している。
対する新生ルース帝国だが、相も変わらず無限にわき出てくる物資で応戦中だ。
武器は完全に共産連邦のものだが、共産連邦から武器持参で駆けつけたものが多数いるのだと未だ言い張っている。
とは言え表立って共産連邦が後ろ盾になっているわけではないので、大国の後ろ盾がある国王軍のほうが圧倒しそうなものだが ―― そうはいかないのが人間というもの。
なんでもエジテージュ二世が吃驚するくらい、ウィレムがフォルズベーグ国民に人気ないんだって。
エジテージュ二世は皇帝に上り詰めた英雄の息子ということもあり、国民から絶大な人気を誇っているため、国王なのに国民にあまりにも人気のないウィレムに驚愕したそうだ。
ウィレムが不人気な理由だが、一度新生ルース帝国に敗れたというのもあるけれど、なんか元々王家は人気なかったらしい。
つい一年前まで我が国と同じく専制君主制国家だったフォルズベーグだが、社会体制も随分と古めかしかったらしく、貴族の専横は酷く、国王はそれを諫めるようなことはほとんどしなかった。
我が国でも貴族に対して庶民は「けっ!」と思うことは多々あったが、フォルズベーグはその比ではないとのこと。
貴族の専横とそれを諫めない国王 ―― ウィレムは王太子ではなかった王子であり、更に言うとコレと言って突出した能力があったわけでもなければ、庶民に親しまれるような王子でもなかった。
王家人気も最低なら、個人人気もないという……エジテージュ二世、ウィレム一行を仲間にしたの後悔してそうだな。わたしなら後悔する。あんな軽挙妄動王子。
もっともウィレム四世がわたしの知っているウィレムなら……の話だが。
セイクリッドが成りすましているとしたら、もっと後悔するな。




