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【154】イヴ、独占する

 閣下に抱き上げられ、馬車のほうへと移動しています。

 怖い! 怖いよ! 落とされるのが怖いのではなく、閣下が無理なさっているのではないかという恐怖が。

 世の中にはヒロインさんとヒーローさんの定番やり取り「重いでしょ?(そうは言っても重くても40kg半ば程度)」「重みなんて感じないよ(戦うと強い腕力所持系)」がありますが、残念ながらわたしはモブ。風景以下のモブ。

 ヒロインではないので、成人男性なら片手で持って当然の重みで済むような体重ではないのです。

 「重いでしょ?」じゃなくて「重っ!」と表現するのが正しい重みなのです。

 痩せろよ?

 体を動かすと筋肉が付くタイプだし、食事を減らして注意力散漫になったり、八つ当たりするわけにもいかない立場ですから。


「イヴ。肩か首につかまってくれないか」

「え、あ、はい」


 恐る恐る閣下の首に抱きついてみる。

 緊張し過ぎで「きゅっ!」と締めてしまわないよう……そっちのほうが心配だ。

 ホワイトタイを着用している紳士に抱きかかえられるなんて。


「そう怖がらなくとも良い」

「閣下、その……重いですよね」

「重みはあるが、わたしはイヴ以外の女を抱き上げたことはなく、この先も抱き上げることはないので、わたしにとってこれが普通だと断言できるぞ」


 ぽふー。なんか凄いこと言われてるような気がします。

 舗装されていない地面を進み、ハクスリーさんの手によりドアが開けられた馬車に乗り込み、座席に下ろされた。

 閣下、苦悶の表情浮かべていなかったし、呼吸が荒くなってもいない、指先がぷるぷるもしていないので、大丈夫だったようだ。

 無蓋馬車にはランタンが二つ、わたしが履いてきた靴と、ジュエリーが入っていたボックス。そしてバイオリン、座席にはクッションがおかれていた。


「抱き上げて歩いている時、安定感はあったかな? イヴ」


 閣下は向かい側に腰を下ろされ、白い手袋を嵌めた手で、車体の縁を叩く。

 それが合図だったようで、馬車が走り出した。


「はい」


 馬車に腰を下ろしてから考えると、閣下は特に苦もなくこの重いわたしを運んでくださった。


「もう少し筋肉があったほうが、安心できる……などという希望はあるかな?」

「希望……ですか? またわたしを抱き上げると仰るのですか?」

「もちろん。挙式の際も、写真撮影も、ベッドに入る時も抱き上げるつもりだ」


 三番目に聞いちゃいけないことを聞いた……と言いたいが、さすがにこの年になってベッドに入る如きで顔赤らめてたら馬鹿だ!


「えっと、そのー。あまり無理をしないで下さい」

「そうか。ところでわたしは、人を抱き上げて降ろすのは初めての経験だったので、どこかぶつけてしまったりしなかっただろうか?」

「いいえ。全く」


 もどかしいほどゆっくりと座席の上に置いてくださいました。

 この座席、凄くいいものなので、もう少し粗雑に置いても全く問題なかったと思いますよ。

 革張りの座席をポフポフと押して、そんなことを考えていると、


「初めてのことなので、アドバイスを求めたのだが、これが皆役立たずでな」


 閣下がそのようなことを仰る。

 アドバイスを求められたのですか。そして皆さん役立たずだったんですか。

 皆さんって誰のことだろう?


「壊れ物を設置する時のようにだとか、もっとも大事なものを置く時のようになど、どれもこれも全く役立たずで困った」


 誰がどのアドバイスなのか気になりますが。


「わたしにとって最も大切なイヴを座席に降ろすためにアドバイスを求めたというのに、最も大事なものを置く時のようなと言われても意味がない。壊れ物を設置するときなどというが、そもそもわたしが壊れ物を飾り付けたりしないことは、知っているはずだ」


 アドバイス求められたほうも困ったのでは? と思ったが、指輪のデザインで閣下を煽った人と同一人物な気もしたので、差し引きゼロで収まっているのかも。


「とても……大事にされているのが伝わってきました」


 本当に大切にされているのが伝わってきた。

 わたしがそう思っていることを、閣下は察して下さると思うが、それに甘えず、言葉で伝えていかないと。


「そうか、良かった。それでイヴ、婚約指輪の話なのだが」

「はい」

「王侯貴族の婚約指輪はほとんどが、代々受け継がれてきたものを使うのだが」


 あ、はい。わたしが貴婦人の指のサイズとはかけ離れていたので、新しいものになさったのですね。


「イヴも知っての通り、わたしは複数の王位継承権を所持しているため、どれかの指輪を使うと、その王家の跡を継ぐ決意をしたと取られてしまう恐れがあるのだ」


 ああ、それは面倒ですね。たかが指輪一つでそんなことになるなんて。


「本当は各王家に送り返したいのだが、受け取ってしまった遺産ゆえ、返す手続きが必要であったり、ルース帝国の遺品ゆえ行き場がなかったりと……いままで興味がないので放置していたのだが、いざ使う機会に直面したところ、面倒しかないことに気付いた」


 常人にはよく分からない面倒が、閣下に襲い掛かったのですね。


「結婚してしまえば問題はない。その際は好きな宝飾品をどれでも、好きなように使うといい」


 ありがとうございます。ですが……


「サイズ……」

「ああ、それは心配ない」

「?」

「イヴ。王侯貴族は美食三昧で、三十を越えるとほとんどが肥満になる。肥満でなくとも太めなのが多い。わたしが知っている王族で、三十を越えても太っていないのはババア(グロリア)くらいのものだ。話が逸れたが、王侯貴族の女の指を飾っていた指輪というのは、なかなかの大きさを誇る。もしかしなくとも、イヴが着用しようとしたら、サイズを小さくしなくてはならないものも多数あるぞ」


 美食三昧で指がむちむちですか。

 ま、まあ……そういうこともあるよね。

 我が国の王族の皆さまは、すらっとしているので……そう言えば、アディフィンで見かけた閣下の異母姉にあたるアディフィン王妃……。


「数々の財宝を見せていただくのを、楽しみにしています」


 身につけられそうなものには、大きさ的な意味で興味があるが、わたしでは身につけることができない華奢なアクセサリーを見るのも楽しみだ。


「そうか。いままで放り込んでいたが、良い機会だ。展示方式にし、管理することにしよう」

「宝石の博物館みたいになるんですね」

「たしかにそうなるな。飾り付けが終わったら教えるので、是非とも見に来て欲しい。もちろん、それ以外の時も訪れて欲しいが」

「はい」

「そうだ、イヴ。結婚式の準備なのだが」


 はっはっはっ! 済みません。式の準備関連、閣下と両親に任せきりで。

 競技会も終わりましたので、これからは少しずつ、関わりたいなと思っております。

 閣下にこの話題振られる度に、毎回そう思ってますけど、実際はね!

 自分の結婚式なんだから、もう少し関われ!


「ウェディングブーケなのだが、イヴが希望するドレスにはキャスケードが合うとのことだ」


 キャスケードってあの、滝のように流れる縦長デザインのものですね。


「良いのではないかと」

「メインは白百合でどうかと提案されているが」

「白百合ですか?」

「そうだ」


 白百合のキャスケードかぁ……。


「あの、閣下」

「なんだ、イヴ」

「せっかく設けてくださったブーケトスタイムですが、そこはカットでお願いします」


 この世界、王侯貴族はブーケトスはしない。

 たしかに前世でロイヤルウエディングを視聴していても、ブーケトスのシーンはなかったと記憶している。

 カットされているのかもしれないけれど……それはこの際関係ないからいいや。


「ブーケトスせずともいいのか?」

「はい。したくはないのです」


 庶民は祝福のお裾分け的な感じで、ブーケトスはするのですが……。


「突然どうした? 大聖堂であろうが、ブーケトスしても構わぬのだぞ」

「ゆ、ゆ……ゆ……」

「どうした? イヴ」


 閣下! わたしの内心を読んで! と思うのですが、こんな理由、閣下でも読み切れないか!


「ゆ、ゆり……」

「百合がどうした?」


 恥ずかしさに声が出ない。無理矢理声を出すと、きっと大声になる。

 馭者のハクスリーさんにも聞こえてしまうが……いや、聞こえてもいいか!


「閣下の姓が百合の谷(リリエンタール)なので、ブーケトスとして百合を他者に譲るのが嫌です! でも百合のブーケ以外は嫌なのです!」


 自分でも何言ってるのかなーと思いますが、なんか百合をお裾分けするの嫌。

 かといって百合じゃないブーケも嫌……子供っぽいを通り越しているのはよく分かりますが、感情はよく分からない。

 嫌なものは、嫌なのだ。ほっといてくれ! 

 しばらく馬蹄と車輪の音のみになり ―― 下を向いて目を閉じていた。


「イヴ」


 閣下の手が伸びてきて、顎を掴まれ顔を上げられた。


「はい……閣下」


 怖々と薄目を開けて見た閣下のご表情は、笑っておられた。


「ブーケトスはなしだな」

「ありがとうございます」

「イヴ。わたしはイヴに独占されたいと、いつも思っている。遠慮などせずに、いつでも独占したいと、遠慮なく言ってくれ」


 なんかわたし、凄いこと言われているような気がしますが、でもわたしが言ったことって、そういうことだよね。

 改めて閣下にそう言われると……。


「では今、アントーシャを独占させていただきますね!」


 顎に触れていた閣下の手を掴んで頬ずりしたら、しばらく閣下が俯いてしまわれた。

 微かに御者台のほうから笑い声が聞こえてきたような……わたし、なんか失敗してしまったのだろうか?


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