【153】イヴ、脚を見せる
仄暗いガゼボの中で、二人だけで踊る。
わたしは身長の関係上、あまり多くの人と踊ったことはないので、それほど比較できるわけではないのだが、閣下のリードはお上手だと思う。とても踊りやすい。……ただヒールの関係で、わたしの方が身長が高くなってしまっているので、閣下は踊りづらいかもしれないなあ。
閣下の肩近くに添えた手。その指に光る婚約指輪。
「イヴはダンスも上手なのだな」
「ステップを覚えるのは得意です。優雅さとかになると……」
基本体を動かすのは得意なので、問題なくマスターしたのだが、女性らしさとか、艶とかそういうものは……リズム感も兼ね備えているのに、組み手をしているようにしか見えないという。
「気にすることはない。楽しく踊ればよい」
……そうだよね。二人きりの時は、優雅さとか気にする必要ないよね。閣下のお言葉に甘えよう。
そして、優雅さとかなにかを考えなくてもいい、楽しいワルツが終る。
閣下は握った手を解くこともなく、背中に添えた手もそのまま。
「イヴ」
「はい、閣下」
顔がかなり近いので緊張するのですが、ここは目線を逸らすべきところじゃないよね。だから絶対に視線を逸らさない。
「イヴはとても可愛らしい性格だ。偶に突拍子もないことをしてくれるのも、非常に好ましい。純粋で清らかで輝いている性質は、わたしには眩しすぎることもあるが、それでも目を離すことができない」
ぶわっ! って。きっと今のわたし、手汗がぶわっ! ってなってる。
口もぱくぱく動くだけ! 動揺のあまり眼球が変な動きをしないように、堪えるのが精一杯。
「一目惚れではあるがそれだけではない。わたしはイヴの内面も愛しており、その比重はだんだんと大きくなっている。イヴはどれほどわたしを魅了してくれるのか。時に怖くなるほどだ」
閣下の表情に照れは一切なく、声も穏やかなまま、リズムも一定。
さすが演説しなれている閣下、隙がない!
「ただな」
閣下が小首を傾げ、少しばかり視線を上に向けられた。
「どうなさいました?」
「イヴがあまりにも美しいので、事情を知っている者は一様に”閣下は異常なまでに面食いだったんですね。そりゃ四十近くまで、結婚できなくて当然です”と言われてしまうのだ。たしかにイヴの容姿は神々しく麗しい故、あれたちの言うことも分かるが、わたしがイヴに惹かれているのは、外見だけではないのだが」
「はあ……」
わたしはなんと言えばいいのだろう。
「イヴの守られ慣れていない故に見せる、ふとした弱さや、子供のような無邪気な仕草をあれたちが知らないのは、わたしの優越感を擽るのも事実だがな」
女子力が皆無なわたしに、閣下はいつも、まっすぐな言葉を下さるのですが……嬉しいのですが恥ずかしい!
「まだ関係を明かせぬ故、人前で声を掛けることはできないが、イヴがわたしを見つめてくれる優しく憂いを含んだ眼差しは、何物にも代えがたい」
遠回しな言葉を理解出来ない故の、閣下のダイレクト攻撃なのですが……わたし、閣下にそんな視線向けてた? いや、確かに「閣下だ!」と内心では少し浮ついて、視線で追っています。お話できなくて残念だなあ……と思うことも。ああ! 内心が閣下にダダ漏れしているだけだ。
わたしのそんな気持ちを、閣下は隙なくすくい上げて下さる。
「わたしも、イヴと同じ気持ちでイヴを見つめているよ」
もう、嬉しさと恥ずかしさで顔が上げられない!
閣下の肩に思わず顔を埋めて、ぐりぐりと押しつけると、閣下は背中に回していた手で頭を撫でて下さった。
凄く嬉しい。ずっと撫でられていたい。でも恥ずかしさも襲ってきて、ぐりぐりするのが止まらない。
子供扱いされているよう……あっ! わたし化粧してた! 閣下の漆黒の高級燕尾服に化粧の跡が……きっとついている。
恐る恐る顔を上げ……やっぱり白っぽくなってる。押しつけてこすりつけてしまったので、生地の中まで浸透してそう。
「閣下。申し訳ございません。肩にファンデーションがついてしまいました! クリーニング代は出しますので」
どうせ顔変わらないんだから、化粧なんてしてくるんじゃなかったー!
閣下の燕尾服に、こんな跡を残してしまうなんて。
「クリーニング代など気にすることはない。むしろイヴと共に過ごしたというのに、燕尾服にファンデーションの一つも付けずに帰宅したら、ベルナルドに”何をしていたのですか”と言われてしまう」
なにってお祝いをして下さ……。
「婚約者同士なのだ。ファンデーションが付くくらいまで近づくのは、当然であろう」
わたしの額に閣下の額が触れてくる。
緩くわたしの頭を撫でていた手が後頭部に添えられ ―― キスされた。
軽いキスですぐに離れたのだが、いつも通りふわふわとした気持ちに。
「ところでイヴ。踊っていた時に気になったのだが、右足太ももの硬いものはなんだ?」
「あっ! はい。それは拳銃です! 何事があった場合でも、閣下をお守りできるように」
スカートをたくし上げ、右足を腿上げして銃を見せる。
「弾帯も巻いております!」
多少の銃撃戦になっても大丈夫!
「イヴ、脚をしまいなさい」
閣下が額に手を当て、目を閉じてしまった。……ふふ、今になって恥ずかしいことしてるのに気付いた。かつて蒸気機関車内で閣下に下着姿を披露していたこともあったわたしですが、今は恥ずかしさが。
しゅるしゅるとスカートを下ろし、無意味にぱんぱんと払う。
パリュールを装着して、わたしは一体なにをしているのだ。
「全く。イヴはわたしの理性を試したいのか」
「え、あの」
「あまりわたしの理性や自制心を試してくれるな。イヴの魅力的な脚を見せられて平常心を保つことなどできない」
「あの、閣下……その。武器を装備していると、脚というより武器庫というイメージが強くて、羞恥心もなにも」
実際そういう気持ちしかないし、きっと現場でわたしの脚を見ることになる人たちだって、そうとしか思わないだろう。
「絹のストッキングを履いた美しい太ももを、そう簡単に晒してはいけないな、イヴ」
そういう意味で美しいと言ってくださるのは、閣下だけかと。
筋肉の付きが美しい、憧れるなどと言われることは、結構ありますが。先日の陛下暗殺未遂の一件で、騎兵隊や近衛隊から「どんだけ筋肉ついてたら、あの体勢で銃が撃てるんだ」と聞かれる始末。
「あまり男は信用せぬほうがよいぞ、イヴ。色々と託けて、イヴの柔らかな肌に触れたがる男は大勢居るのだから」
肌は柔らかくても、その薄い皮一枚の下は、びきびきの筋肉ですので……でも、きっと男性にしか分からないことがあるのだろう。
「あ、はい。注意いたします」
「頼むよ、イヴ。それにあまりイヴが注意を払わぬと……そのうちイヴがキースに叱られる事になるだろうからな。あれは根っから軍人ゆえ、すぐに手が出るから。気を付けてくれ」
なんでキース中将に叱られるの? と思う反面、凄く納得もしてしまう。
「閣下。時間です」
ハクスリーさんにそう言われ ――
「名残惜しいが、そろそろイヴを帰さなくては」
帰宅時間になったらしい。
「本当に、名残惜しいです」
家に帰りたくないのではなく、閣下と一緒にいたいという気持ちが強い。
「嬉しいことを言ってくれる。だが帰さなくてはな」
「ええ。帰らなくては」
「さてイヴ。馬車までわたしが連れていこう」
閣下が両手を広げられた。ん? 閣下は一体なにを?
「えっと……」
「馬車まで道がないから、わたしが抱えて行こう」
「え? あの歩けますけど」
何を仰ってるのですか? 閣下。すぐそこですよ、馬車。
走ったら一秒か、二秒程度で辿りつけるような距離ですよ。
閣下はわたしが履いてきたブーツを手に取り、やって来たハクスリーさんに手渡した。
「ヒールでは歩きづらい」
余裕なんですが。このヒールを履いたままでも、ネクルチェンコ少尉よりも早く走れる自信すらあります。きっと閣下もわたしが余裕で歩けること知ってますよね。
「わたし、とても重いですよ」
興味本位というか、怖いもの見たさ的な気持ちで抱き上げると、閣下の腰が魔女の一撃を食らうことになるやも知れません。
「イヴ」
「はい」
「それほどわたしはひ弱ではない。イヴを抱き上げて馬車まで運ぶことは出来る」
なんだろうこの、譲る気はないという閣下の眼差し。
でもね、使命感とかそういうのじゃない。それはそれは楽しそうで……もう!
パリュールが収められていたジュエリーケースを運びにガゼボに戻ってきたハクスリーさんの表情は、これ以上ないってほどに心配そうだった。
閣下の腰、心配なんでしょう。
だってわたし、サイズといい重みといい……護衛をして下さるハクスリーさんも、知っているでしょうからね。
「分かりました。でも、なんか思ったよりデカくて運び辛かったら、すぐに下ろしてくださいね」
危険を感じたらすぐに地面に投げ捨てて下さい。本当にお願いします!




