【151】イヴ、深夜に自宅を抜け出す
八月七日が来てしまいました! もちろん待ちわびていたのですが……。
既に夕食も食べ終え、カリナとの夜の勉強も終わり ――
「ドレスコードとかあるのかな……」
入浴も済ませたわたしは、下着姿でベッドに転がってます。
深夜に閣下がいらっしゃる。窓から忍び出る ―― 両親は知っているけれど、知らないふりをしてくれる。この状況に相応しい格好とは?
……わかんないー。
少しはお洒落したほうがいいような、でも窓から外出するのにお洒落? 軍服は不自然じゃないけれど、今は休暇中だし。
あー何を着よう……。
悩みに悩んで、青緑色のハイウエストでロングなトランペットスカートと、七分袖のアイボリー色の立ち襟フリルブラウスを。
お前フリルって顔じゃねーよと言われそうだし、自覚もしているが、女のブラウスはこの時代基本フリルなんだよ! 軍服の下に着用するシンプルなドレスシャツ大好きだよ!
あとは家から抜け出しやすいように、編み上げの黒いショートブーツと、何があっても大丈夫なように黒革の手袋をポケットに。
お金とかは要らないだろうが、万が一のことを考えて、拳銃は持って行こう。
どこに下げようかな……そうだ! ガーターベルトに挟んでおこう!
「飾り気というものが……」
鏡に映る自分の姿の飾り気の無さにびっくりだ!
「ああ、そうだ。閣下からいただいたダイヤモンドペンダントを」
輝くペンダントを付けてから、どんなに頑張っても代わり映えしない顔に化粧を施す。それにしても、口紅を塗っても男にしか見えないって、どんな顔だよ。
これで女装になるのなら、まだ救われるが……女装にすらならないんだよなあ。
……あ、このブーツ、ヒールがあるから、閣下より高くなっちゃ……。でもヒールのないブーツなんて持ってないしなあ。
ん? 庭を誰かが横切った。カーテンを閉めていない窓からのぞいてみるとクライブが、塀に立てかけていた梯子を家のほうに。あ、わたしの窓に掛かった。
これは知らないふりをしておくべきだよな。
……ということは、そろそろ閣下、お出でになるの?
閣下からいただいた懐中時計で時間を確認……そろそろお越しになる時間だ。そうだ、懐中時計も持って行こう。
ヒールのない靴にしようかな、閣下が我が家の敷地に入ってきた。
気配を感じるよ。えっと、素知らぬふりをしておくべき? だよね。今更ブーツを履き替える時間もないので、窓に背を向けてベッドに座って待とう。
梯子を登ってくる音に緊張が高まる。
”コンコン”と窓を軽く叩く音が聞こえたので振り返ると閣下が。
ゆっくりと窓を開く。窓、内開きでよかった。
「閣下」
「付いてきてくれるかな? イヴ」
閣下が白い手袋で被われた片手を差し出してきた。その手を握る。
「はい」
わたしも梯子を使って外へと出るのだが、二階から庭へと出るのに梯子を使ったのは初めてかもしれない。
いつも気にせず飛び降りているので……よい子には真似しないように言っておこう。
デニスに言わせると「真似できないから、注意する必要なんてないと思うよ」らしいが。
梯子を伝い大地に下りる。
地面にはランタンが置かれていた。閣下は口元に人差し指を立て”静かに”と合図をしたあと、ランタンを手に取られ ―― そしてもう片手でわたしの手を握り、軽く引かれ裏口からこっそりと敷地の外へ。
「クローヴィス卿に見咎められずに出てくることができたな」
「ふふ……そうですね、閣下」
二十四歳にもなって、家から抜け出し外出とか……ずっとここに住み、どこもかしこも見慣れた建物なはずなのに、今日は不思議と違って見える。
見慣れているのに全く違って見える景色 ―― 夜を恐れるような子供でもないのに少し不安で、閣下に握られている手に力が籠もった。
気付かれた閣下が振り返って笑われる。
そうして連れて行かれたのは三つほど角を曲がった空き家。どうやら閣下が購入されたようだ。
その家の庭に二頭の光沢ある馬が佇んでいた。
鞍が乗せられ馬銜も手綱もしっかりと整えられている。
「郊外に出たい。付いてきてくれ、イヴ」
「はい、閣下」
用意してきて良かった、革手袋。
「用意がいいな、イヴ」
ポケットから手袋を取り出して嵌めていると、閣下からお褒めの言葉を。
「はい。荒事があっても対処できるように持ってきました」
太もものガーターには拳銃も忍ばせておりますので、何事があっても任せてください! いまのわたしは、きっと「きりっ!」とした顔しているはず。そう思いたい。
馬に跨がり閣下に少し遅れる形で、ガス灯に仄かに照らされている道を併走する。
「やっと一緒に馬を駈ることができましたね、閣下」
「そうだな」
「あの……閣下。わたし、軽装なのですが、よろしいのでしょうか?」
閣下は夜会に出ることができるレベルの正装。
闇よりも上質な黒の燕尾服。ベストやシャツ、ネクタイに手袋全て白。あまりしっかりと見てはいなかったが、カフリンクスなどの小物も銀台座で、白いものを使っているはず。
閣下とお会いするのだから、せめてセミフォーマルなワンピースを着ておくべきだった。
何故わたしは、カジュアルな格好を選んできてしまったのだ!
「イヴはそれで良い」
暫し馬を走らせガス灯もなくなる、郊外の道へ ―― 道の所々にかがり火みたいな明かりが灯っているのは、閣下が用意なさったのでしょうか?
「ああ、そうだ」
この先、なにかあったかな? と思いながら進んだ先には、ぐるりと塀が巡らされている場所が。
閣下が特に合図を送らなくても門が開き中へ。もしかしたら閣下がお持ちの土地なのかもしれない。
塀の中も点々と明かりが灯っており、揺れる柔らかな明かりと閣下に誘われながら進み ―― 閣下が騎乗している馬の歩みが遅くなってきたので、わたしもそれに合わせ、なだらかな丘で歩みが止まった。
満天の星を背にし、正装し黄金の馬の手綱を持っている閣下は、格好良いというよりも、迫力があるね。
閣下、身長は高めだけれど、特に体に厚みがあるとか、肩幅が広いとかいうのないのに、何とも表現しがたい威圧感が。
「イヴ、少しそのままでいてくれるか?」
「はい」
そう言われると閣下は下馬なさり、黄金の馬の鞍に下がっていた袋を手に取り、馬の尻を軽く叩くと、馬はどこかへとゆっくりと向かった。
閣下が袋から取り出したのは小さなケースに見える。
「イヴ」
小さな袋を放り投げ、片膝をつかれた閣下の手の小さなケースを開け ―― ああ! 指輪だ!
「わたしと結婚して下さい、イヴ」
…………。
「はい! 喜んで」
前にもプロポーズされていたような気もするけど、指輪と一緒にプロポーズは別だよね。
「あの、閣下。降りてもよろしいでしょうか?」
「降りてきてくれるのか? 麗しきわたしの天使よ」
ひゅ……ひゅあああああ。天使って! 天使って! 馬から降りるー!
あのさ、膝付いてぱかっと指輪を出されてプロポーズされる……までは、ワンシーンとかで見たことあるけど、その先ってどうするの? どうするのが正解なの?
人生において間違っちゃいけないシーンだよね。
どう……。くぉぉぉ!
左手袋を力一杯脱ぎ捨てて! 跪いたままの閣下に差し出す。
「閣下。その手で小官の指に、その指輪を嵌めていただきたい所存です!」
拳のままだわ、どう見ても殴り付ける一歩前だわ、やや風圧が……。動揺するにも程がある!
閣下はというと余裕の表情でケースから指輪をはずし、わたしの手を取り、薬指にキスをしてから、手をゆっくりと開いてくださりすっと指輪を通してくださった。
そして手を持ったまま跪き、わたしを見上げているので ―― 引っ張って立ってもらう。
「閣下、あの……その……」
とても嬉しいのだが、こういう時ってどうしたらいいの?
「イヴ」
顎を軽く捕まれ軽いキスをされた。
「イヴ。あちらにガゼボがあるので、移動しよう」
唇が離れるとそう言われ、わたしが降りた馬に乗られた。
「はい」
「スピードは出さないが、しっかりと掴まっているように」
「は……」
わたしは閣下の後に乗り……腰に手を回すとか恥ずかしくてできない!
「大丈夫です! 掴まらなくても、落ちませんので!」
鞍の端にしっかりと掴まりますので、ご心配なく。ふ……ふふふ……婚約指輪だ。嬉しい。
でもなんか、宝石がとっても大きい感じがする。
暗がりだから、そう見えるのかな?




