【142】隊長、遠い目をする
ボイスOFFがヘル少尉を呼びに行き ―― 何故か一緒にやってきたキース中将。
警護対象なにしにきたんですか! と思ったが、
「用を足しにきただけだ」
そう言われたら返す言葉ないわー。
もっとも上官なので、返す言葉なんてないんだけど。
ふくらはぎを撃たれ、トイレの床で肩を決められ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったチェンバレン少尉。
「立たせろ」
ご命令通り立たせるとキース中将は、容赦なく頬を張った。士官としては小柄なチェンバレン少尉は、見事に吹っ飛んで便器に顔面を強打した。あと衝撃と恐怖で漏らしたみたい。
だからな、チェンバレン少尉。キース中将は雰囲気儚い美形だけど、性格はガチガチの軍人なんだよ。変なことすると鉄拳が飛ぶのは当然なんだよ。
「軽く治療し、着替えさせた後に第三会議室につれてこい。クローヴィス、広報室長と作戦本部長、ブルクハルト・ハインミュラー中尉を全館放送で第三会議室に呼び出せ。大至急だ」
……ん? どういうことなんだろう?
「急げ!」
「はい、閣下」
わたしは放送室へと駆け出した。後からボイスOFFが当然ついてくる。
スカーレット・チェンバレン少尉が軍服を裂いてトイレに潜んでいた一件 ―― わたしはキース中将が狙われたと思ったのですが、なんか違うみたいだな。
放送室で全館呼び出しをかけ、第三会議室へと戻ると、ふくらはぎに巻かれた包帯から血を滲ませた、水色の医療用スモックに着替えた裸足のチェンバレン少尉がいた。
小柄な女性少尉チェンバレン ―― 彼女が小柄なのは、士官学校卒ではなく、大学を出てから試験を受けて軍に入ったからである。
士官学校は採用基準身長に男女区別はないのだが、チェンバレン少尉が採用された試験は、女性の採用基準身長が男性よりも低めに設定されている。
ちなみに大卒から軍に入った女性は、今のところ三人しかいない。
そのうちの一人がチェンバレン少尉……わりと輝かしい経歴を持っているのに、なにをしているのだ。
それからあまり時間をおくことなく、広報室長と作戦本部長シヒヴォネン少佐とハインミュラーが集まった。
「マキネン中佐。広報課所属のスカーレット・チェンバレンで間違いないな」
栗色の髪をしっかりとまとめている、広報課を預かる女性士官マキネン中佐。
所属の部下が規則を破ったとなると……。
「間違いありません」
「総司令官室フロアのトイレに、軍服を自ら裂き潜み、喚き散らしたところを親衛隊隊長が取り押さえた。この意味は分かるな? マキネン」
「申し訳ございません!」
規則というのは、総司令官室のあるフロアにやってきたこと。あのフロア、わたし以外の女性の立ち入り禁止されているのだ。正確には「親衛隊隊員と庶務以外立ち入り禁止」なんだけど ―― 女性立ち入り禁止にしている理由は分かるね?
「ハインミュラー」
「はい」
ハインミュラーはピンクに近いファンシーなストロベリーブロンドという、乙女ゲームのヒロインのような髪を持っている。
もっともそのファンシーな髪は、軍人なので七三に分けられ、ぴっちりと撫でつけられている……ストロベリーブロンドの七三は、記憶が戻るとなかなかに慣れないものだ。ストロベリーブロンドといったらふわふわ……。
更に顔つきは三白眼で頬が痩けていて、唇が妙に薄いという、ストロベリーブロンドと相性の悪い顔だち。いや、あくまでもわたしの偏見ですけれどね。
ところでキース中将、なぜこいつを呼んだのですか?
キース中将は副官のリーツマン中尉から、分厚い茶封筒を受け取り、なにかの束を掴み取り出し床にぶちまけた。
そういうことするのなら、事前に教えておいてください。一体なにをぶちま……うえぇぇぇ……。
わたしの足下近くにも飛んできた紙は写真で、ハインミュラーとチェンバレン少尉の情事を撮影したものだった。キスとか軽く抱き合っているとかいう、誤魔化しがきくような可愛いものではなく、肉体関係があるのが誰の目にも明らかで、言い逃れできないような写真。見事なポルノグラフティー。この二人、付き合っていたのかー。
「なっ! ……なん……で」
ハインミュラーが必死に写真を拾い集めようと床に這う。
「立て、ブルクハルト・ハインミュラー」
キース中将は拾い集めることを許さなかったが、ハインミュラーは立ち上がれもしないようだ。シヒヴォネン少佐が腕を掴んで無理矢理立たせる。
そして別方向からがちがちと音がする……音はチェンバレン少尉から。どうも歯の根がかみ合っていないみたい。
あのさ、君たちはいったい何をしようとしていたの?
わたしの脳内は疑問で溢れかえっていますが、聞くこともできないので、ポルノグラフティーの主役である二人が逆上しないよう、注意を払うことにしましょう。
キース中将は足を組み直してから、指を組んだ。
「ブルクハルト・ハインミュラー中尉」
「は……はい……」
声が掠れている。
「お前は策士という柄ではない」
ハインミュラーは参謀本部に所属していますが、単に作戦本部長シヒヴォネン少佐の護衛でしかありませんからね。参謀とか軍師とかそういうタイプじゃない。
といいますか、恋人をトイレに潜ませて「きゃー」させる程度の策で、自分は策士だと思うほど頭悪いのですか? 士官学校を出ているのに、頭悪すぎだろ。同じ学校を卒業しているわたしにもダメージが来るじゃないか。
「アイラ・マキネンには大佐昇進の話が出ている」
おお! 女性初の大佐になられるのですね! もっともアイラ・マキネン中佐は、我が国初の女性士官で、結婚せず軍に残って三十年という大ベテランですので、最初に大佐になるのも頷ける。
「フィリップ・ゾンネフェルト少佐だけは、それに反対している」
腕をつかまれたまま立っていたハインミュラーは、ゾンネフェルト少佐の名が出ると、体を少しばかり震わせた。
腕をつかんでいるシヒヴォネン少佐はその震えから、なにが起こったのか分かったようだ……わたし? 全然分かりませんよ!
「ハインミュラー、お前はクローヴィスに対する妨害工作として、親衛隊の誰かに暴行未遂疑惑をかけようとした。そのためにチェンバレンを使った。そうだな?」
は? はぁ? ……ちょっと待てハインミュラー! お前馬鹿だろ! この騒ぎ、射撃競技会前の揺さぶり? 馬鹿過ぎるだろ、ピンク七三分け!
「……」
「答えなくてもよい。お前の証言があろうが、なかろうが、その方向でこの件は片付けられる。来年には中佐に昇進する可能性のあるクローヴィスを、国家代表にしたくない。来年には大佐に昇進すると目されているマキネンの部下に失態を犯させ、その責任を取らせ昇進をなかったことにしたい。自分が昇進できないから、女性士官の昇進妨害に精を出すとは、実にゾンネフェルトらしい」
か、カスだ! 紛れもないカスだ! 何処に出しても恥ずかしいカスだ! 満場一致でカスだ!
いや、女性の昇進に含むところがあるのは、人間だから仕方ないとは思う。
それを解消するのに、自分の昇進じゃなくて、足を引っ張るという手段しかとれないのがカス! それに乗っかったピンク七三ハインミュラーもカスだろ。
やだなー、こんなカスと競技会で競うの。まあ優勝を賭けて争うわけじゃないからいいけど。
ハインミュラーの腕を掴んでいたシヒヴォネン少佐も、思わず手から力が抜けてしまったらしい。まさに脱力ですよねー。そしてハインミュラーは再び自分のポルノグラフティーの上に崩れおちた。
「ハインミュラー」
キース中将、今度は「立て」とは言われなかった。
「は……い」
やっとの思いで顔を上げているのが分かる。
「ゾンネフェルトが中佐に昇進できないのは、あれの女性蔑視が問題視されているからだ。我が国では士官学校出の中佐は、駐在武官として各国へと赴く。お前はゾンネフェルトを側で見ているから分かるであろうが、赴任先の国の女性に対し、あのような態度を取ったらどうなると思う?」
「……」
無言になるなよ、ハインミュラー。そこは「ご立派な方です!」って大声で言えよ。ゾンネフェルトに付いてこんな騒ぎ起こしたんだから、恥じることなく宣言しろ!
「実際ゾンネフェルトは駐在武官の補佐官として海外に赴任した際、その国の女性に対し甚だしい侮辱を行ったことで強制送還されたのだ」
婦女子にもてすぎて強制送還されたキース中将と、女性に侮辱行為をおこなって強制送還されたゾンネフェルトか……。
「ゾンネフェルトの中佐昇進が流れるのは、あれの態度が原因に他ならない。出世させ国外に出すことができないのだ。アイキオが中佐に昇進し、ブリタニアス君主国の駐在武官に選ばれたのは、アイキオが女だからグロリア女王の歓心を買えると判断したからではない。グロリア女王の御前に、我が国の代表としてゾンネフェルトは出せん。さすがにゾンネフェルトもグロリア女王相手ならば取り繕うであろうが、そんな底の浅い態度など見破られる……と、主席宰相閣下が仰っていた。あの人はブリタニアスのグロリア女王とは付き合いは長いからな」
ブリタニアス君主国の駐在武官は、我が国にいる二人の女性中佐のうちのもう一人。そっか、ゾンネフェルトは競って負けたのかー。でもキース中将の話しぶりでは、競う以前の問題っぽいが。
「もしもゾンネフェルトをブリタニアス君主国の駐在武官として派遣していたら、今日の海上輸送援助協力の協定は結べなかったであろうな。ブリタニアス君主国のグロリア女王は象徴だが、それは国民にとって尊き存在。その女王グロリアに礼を失する態度をとった小役人が属する小国など、援助するはずなかろう」
「……!」
びっくりしているが、納得もしているという、複雑な表情を浮かべている。気付けよ、ハインミュラー。
「ゾンネフェルトはまあいい。将来などないからな。ハインミュラー、お前の狙撃の腕はクローヴィスに劣る。それは分かっているだろう」
四つん這いで顔を上げていたハインミュラーだが、そう言われて顔を落としてしまった。お前の視線の先、自分とチェンバレン少尉のポルノグラフティーまみれだが、大丈夫か? わたしはお前等の愛の営みにうんざりしてるけど。




