【137】隊長、隣に座る
クライブ・カールソンは商業会議所を通して雇用契約を結び、我が家で住み込みで働くことになる ――
カールソン一族……だけではないのだが、国内には「普通に生活を送りながら、テサジーク家に仕えている人」がそれなりに居るらしい。
カールソン一族もその一家で、四代くらい遡っても、親類縁者ほぼ庶民で、役人になった人もいなければ、テサジーク侯爵家との繋がりもない。
その彼らがどうやって諜報部員になったのかは知らないけれど ―― とにかく、どれほど身元を調べられても、貴族との繋がりが見付からない家なのだそうだ。
もちろん出生証明を偽っていることもなく、クライブ・カールソンは「クライブ・カールソン」その人であり、間違いなくクライブ氏と親子であり、年齢も十六歳で間違いはない。
近所の何も知らない人たちに聞いたとしても「カールソン家のクライブ、十六歳。ダークブロンド、ヘイゼルの瞳をした、ちょっと出来の良い息子だ」としか返ってこないのだそうだ。
「ヤグディンの姉が二流以下と言われたのは、簡単な成り代わりしかできなかったからだな」
馬車の中で二人きりなのを良いことに、向かい側に座っているキース中将に、昨日特殊警護員と閣下のお城で顔合わせをしましたと告げたところ、わたしが知らない界隈の事情を教えて下さった。
「簡単なんですか」
「諜報部としては簡単なものあつかい。むしろ見付かるのを前提にした成り代わりとのことだ」
見付かるの前提ってなんだろ?
「種類があるのですか?」
「ツェツィーリア・マチュヒナは、存在しない人間を完全に作り上げていた辺り、かなり厄介らしいぞ」
なるほど。わたしの中ではどちらも”成りすまし”分類なのだが、スパイ業界では違う扱いなんだ。
「一人二役は演じやすい。一人の中に二人分の情報が入っているからな。だが二人一役となると、自分が演じていない時間が存在するので簡単にはいかない」
なぜ自分が演じる人間の難易度を上げたんだ? 二人一役ヒロイン。
「色々とあるのですね」
わたしとキース中将を乗せた馬車が向かっている先はモルゲンロートホテル。
我が国で最も高額なスィートルームが存在する超高級ホテルです。マカロンを出す喫茶店が唯一入っているホテルですよ。
キース中将が宿泊するわけではなく、閣下にお礼を述べるため。
閣下は本日ホテルにて、プレゼンテーション中なのです。
もちろん閣下はプレゼンするのではなく審査する側。
そのプレゼンの合間にお邪魔して、キース中将が直接お礼をするのだ。何のお礼か? 閣下が我が軍に、荷馬車用の馬を寄付して下さったことに対してだ。
閣下はご自分の馬とわたしの馬(らしいです)やフリージアンなどを運び込む際に、荷を牽くことに長けている、シャイヤーやペルシュロンなどの重種馬を五百頭も一緒に我が国へと持ち込み、うち三百五十頭を国に寄付して下さったのだ。
戦争になると軍用馬は幾らでも必要になる。とくに荷物を運ぶ重種馬は、本当に重要だ。
なにせ前線の兵士たちの元へ物資を運ぶ手段は、この時代、馬車しかないのだ。
開戦予定地グノギーリャ平原は我が国の端であり、大陸で最も優れた耐寒性能を所持して生まれて来るロスカネフ民(自称)をして「あそこ寒くて住めねーや」と言われ、手つかずになっている大地である。
もちろん国境警備隊はいるが、冬期間にルース人が国境を越えようとしたことはおろか、人の姿を見た警備隊はいない。
共産連邦の北東の端、北シビルはもっと寒いらしいが……。
とにかく開戦予定地は非常に寒い土地でして、更に最果て駅よりも更に進んだ場所なので、物資の最終輸送手段は馬車頼みなのだ。
というわけで、戦争が近くなると馬は徴発対象になるのだが、荷牽き馬に農耕馬、乗り合い馬車など、生活に馬はまだまだ欠かせない時代なので、度を超した徴発すると、市民の生活に様々な不具合が生じる ―― 生活を脅かさないようにするには、徴発ではなく、近隣から購入を考えるべきなのだが、戦争の気配が漂うと、馬の値段は跳ね上がる。
そもそも買えるものなら買っている。それを国内徴発で賄うのは、現在我が国が、微妙に孤立状態にあるせいだ。
国境を接している一国とは国交がないばかりか戦争を控え、もう一国は数ヶ月前に戦争が始まっているので、とうの昔に馬は徴発されきり、売るほど残ってはいないだろう。
残りは海からの輸入になるのだが、この不穏なご時世、資金が幾らあっても、馬そのものが飛ぶように売れてしまうので、伝手がないととても五百頭もの馬は入手できない。
黄金の馬みたいな、王室専用馬とかは別ね。
「荷馬車用の馬は、徴発しなくて済みそうだ」
「それは心強いですね」
閣下が三百五十頭の馬を寄付して下さったおかげで、国内輸送に打撃を与えないで済むらしい。
もっとも兵站総監であるニールセン少佐は「馬の餌」の確保に必死 ―― 兵站部に所属しているデニスからの情報です。
昨日寄付されたのに、なんで餌の準備に追われてるって分かるの?
馬は三週間ほど前に到着していたけれど、生物には検疫がつきもの。彼らは検疫所にいて、昨日検疫期間が明けたのさ。
検疫所にいる時点で、餌は国持ちといいますか、最終的に軍行きなので、兵站部が餌の調達を行っていたそうですよ。
「それにしても手際がよいというか……よくこの時期に、五百頭もの健康な重種馬を調達できたものだ。それが主席宰相閣下なのだろうが」
昨日騎兵隊員が閣下のご自宅に馬を運んでいたのは、三百五十頭も馬を寄付して下さった閣下への感謝を表すため、陛下が軍に依頼したのだ。
この時点で馬は国に寄付されたものなので、陛下が感謝を示した形。そして今朝、その馬全てが軍の所有となったので ―― 改めて軍の総司令官がお礼に上がるのだ。
「イヴをわたしの元に連れてきてくれただけで充分だ」
ホテルの一室で休憩中の閣下の元を訪れたキース中将に、閣下がそのように言い放たれた。
「それはそれです」
キース中将はソファーに腰を下ろし、わたしはその後に立っている。当然の立ち位置なのだが、
「クローヴィス、主席宰相閣下の隣に行け」
そちら側に立ち守れということだろうと、閣下のソファーの側に立ったら、キース中将が微笑んだ。見事なまでの儚さ。これは儚い。まさに危うさすら含んでいるような……
「馬鹿かお前は」
儚い笑みなのに、発せられる言葉はいつも通り。やはり儚い詐欺。そんなあなたが、上官として大好きです! キース中将。
「クローヴィス大尉は真面目だからな。わたしの隣に座れと命じられぬ限り、立ったままなのは仕方のないことだ」
閣下がほぼ中央に座られている、四人がけのソファーの隣を叩く。
「ここに腰を下ろすがよい、クローヴィス大尉」
室内には事情を知っているネクルチェンコ少尉と五名がいる……事情を知られていても、部下の前で閣下の隣に座るのはどうなの?
「部下がおりますので」
仕事中、部下の前で閣下と談笑するのは恥ずかしいのもありますが、隊長としての威厳といいますか、部下に生暖かく見守られたりするのは嫌なのです。
「そうか。キース」
「ネクルチェンコ、コーヒーを飲みに行く。付いて来い」
「はっ! キース閣下」
「主席宰相閣下、職務中の部下と談笑までは許可いたしますが、子供ができるような真似はするなよ」
キース中将! そんなことしませんって! そして全く言葉を濁さないところが、キース中将!
「了承した」
キース中将とネクルチェンコ小隊が部屋から居なくなり、二人きりに。
閣下は再び革張りのソファーを叩き、
「イヴ、隣に座ってくれるかな?」
「はい」
ここは素直に座るべきだよね。そして、言うべきだよね。
「閣下。お会いできて嬉しいです……昨日お会いしているのに、こんなことを言うの、おかしいのかも知れませんが」
会えて嬉しいことを、しっかりと伝えないと!
「そんなことはないと思うが。わたしも会えて嬉しいよ、イヴ」
閣下がわたしの軍帽を脱がせ、前髪を避けて額の傷に唇で触れてくる。もうすっかり傷は治っているはずなのに、なんか……そこだけ感覚が敏感になってるみたいだ。
恥ずかしいのに嬉しいという、この気持ち。
キース中将が戻って来られるまで、昨日の出来事について話をして過ごした。もちろん戻って来られた時、キース中将より背後の部下たちにたいして決まりが悪くて、思わず軍帽深く被っちゃったけど。




