【112】隊長、嫌われ者の説明を受ける
戦費は投資なので返済する必要はなし ―― 閣下の高貴さによる縁戚関係で、我が国の戦費は充分! あとは兵士を育てるだけだね! こればかりは閣下が用意……できないと言い切れないのが閣下だ。
キース中将は手ぐしで髪を整えてから、身を乗り出して閣下に尋ねた。
「主席宰相閣下、戦争について教えていただきたい」
「なにを知りたいのだ? キース」
「戦争の全体像……いや、リヒャルト・フォン・リリエンタール、或いはツァーリ・アントンが作った物語の全容を知りたい」
「全容か」
「此度の戦争は、全てあなたの計画通りに進むのでしょう。それを前もって教えて欲しいのです」
戦争が閣下の計画通り……なんですか?
「お前の使命はロスカネフを守ること。それ以外は必要ないのでは?」
「ことが起きてから驚きたくはないのです、主席宰相閣下」
「お前が驚く姿が見たい気もするが」
「ここで全容を聞いても驚きますよ」
「そうか。では説明しよう。今年から来年に掛けてこの大陸で起きた戦争は、わたしの支配下にある」
「でしょうな」
えええ! そうなんですか! ……とわたしは驚いたが、円卓についている方々は、不敵な笑みを浮かべたヒースコート准将が一言呟いただけで、誰も表情は変わらない。後姿しか見えないキース中将だって、きっと表情は変わっていないはず。
驚くところなんじゃないんですか!
そのくらいは閣下なら当然なんですか? 凄すぎませんか?
「フォルズベーグ対共産連邦の後ろ盾を得たアレクセイの争い。そして新生ルース帝国対ノーセロートの戦い。さらにはバルニャー王国に共産連邦海軍が攻め込み、新生ルース帝国を排除したノーセロートにも横合いから共産連邦が殴り付け、そのままアディフィン王国の端にも侵攻する。バルニャー王国を攻めた共産連邦海軍はブリタニアス君主国の海軍と戦端を開き、そして共産連邦陸軍中将グスタフ・オゼロフ率いる十万の軍団とロスカネフ王国軍二万が、極寒の十二月下旬にグノギーリャ平原にて戦うことになる。これで良いか? キース」
「……」
キース中将が言葉を失っているのが後姿でも分かる。円卓についている方々も、先ほどとは違って完全に表情が驚き入っているというか。
あ、室長の表情はそのままですね。さすが室長…………で、ええええー! なんですか、閣下。一体なにが起こるんですか? 大規模戦争じゃないですか! 第一次世界大戦的な規模の戦争が起きるんですか?
「ああ、そうそう。不確定な部分としては、アブスブルゴル帝国の皇位継承に関する事件が起こる可能性があるくらいか」
キース中将は手ぐしでまとめた髪を再びぐしゃぐしゃにして……中将閣下の髪型じゃないですよ。直しましょう、キース中将。
「自分で聞かせて欲しいと言っておきながらですが、聞かなければ良かったと後悔しきりです」
キース中将の声には自嘲が入り交じっていますね。
「共産連邦の後ろ盾を得たアレクセイがフォルズベーグを落とした。これはいつものことだが、港が欲しいために行った戦争であり、フォルズベーグは敗北した。これにより共産連邦は港を得た。今は七月。共産連邦の北、凍海もこの時期は航行が可能となる。そうドネウセス半島の北側バルニャー王国を海軍が攻めることができる。いつもは冬が来る前に帰らなくてはならないが、今年は違う。フォルズベーグという港ができた。物資はその港から調達できる」
フォルズベーグの陥落は共産連邦に海での自由まで与えてしまう。
もう少し頑張れよ、ウィレム! 死んでるかも知れないけれど。
「新生ルース帝国は、共産連邦とは関わりないと、リリエンタール閣下の親戚でもある、特務大使イワン・ストラレブスキーが会議で証言したのでは?」
「そうだな、ミルヴェーデン。そのままでは、共産連邦はどうすることもできなかったが、ノーセロートが軍を送ると言いだした。エジテージュ二世親征軍の隊列が伸びきった時、共産連邦が宣戦布告しわたしの狗が攻撃を仕掛ける。心理的な部分に触れると、エジテージュ二世の父親は冬にルース帝国と戦い、大規模焦土作戦と稀な寒さにより敗北した。よってエジテージュ二世は北の冬を極端に恐れているであろうから、ノーセロートから見て北に位置するフォルズベーグを攻めるのは夏、軍を引くのは秋にしたいと考えている筈だ」
別にそんなに怖がらなくても。フォルズベーグより更に高緯度にある我が国ならまだしも……なに、寒さがそんなに怖いのか!
「確かに、三十万近い兵士が数千になって帰還した同じ轍を踏みたくはないでしょう」
まあ容赦の欠片もない焦土作戦で、暖も取れずに大勢の兵士がルースで凍死したのは知ってますが。
「わたしの狗がノーセロート軍に攻撃を仕掛けるのは九月の終わり」
「九月終わり……ですか。今は七月初旬、ノーセロートの大軍が一週間もしないうちにフォルズベーグに到着し奪還戦争が始まるはずです。とても二ヶ月持つとは思えないのですが」
ヴァン・イェルム大佐の疑問はもっともかも。なにせエジテージュ二世は父の英雄皇帝に似て、戦争は得意らしい。
それになにより大軍だし、閣下が仰るには冬が怖いらしいから、短期決戦で早々に軍を引き上げるだろう……ん? 閣下の口元が笑いを象っている。
「ロスカネフでルース人の感情を語らねばならぬ日がくるとはな。あの故英雄皇帝のルース遠征。たしかにルース帝国は勝ったが、あれは国が勝っただけであり、そこで生活していた者たちは地獄の苦しみを味わった。敵国の兵士を飢え凍えさせるために、自分たちの住処が焼き払われたのだ。むろん焼き払われずとも故英雄皇帝軍に略奪されたであろうが、攻め込まれねば生きていられた者たち、そして住処を失い移住せざるを得なかった者たち……ルース人は故英雄皇帝は嫌いだ。その息子も当然嫌いであろうな。わたしがお前たちから向けられる視線ほどかどうかは知らぬが」
議場をざっと見て……うん、閣下に含みがある年代の人のほうが多いですね。重鎮なんで当然そのような年代になってしまうわけですが。
閣下、わたしは敵意は持っておりません。閣下なら察してくださるはずー。
「リヒャルト。君は一人に嫌われていなければ、世界中の人間から敵意を向けられても何とも思わないじゃないか」
「まあな、フランシス。わたしは侵略者の直系として、総人口十五億人中、十億人くらいに嫌われている自覚はあるが、果たしてあのエジテージュ二世にその自覚はあるかな」
閣下がわたしの方を見て微笑まれた。
閣下ー! 嫌いじゃないです! 閣下! 大好きですー! きっとこの気持ち届いている筈。もちろん室長にもバレてると思うけど。
「ふふふ……ふっ!」
「十億人に憎悪を向けられても何処吹く風どころか、楽しそうだねリヒャルト」
「こんなに楽しい会議は初めてだ。それで何処まで話していた、フランシス」
「ルース人のエジテージュ息子嫌いまで」
「ああ、それか。とにかくルース人の一部は、非常にノーセロートを嫌っている。そうであろう? レイモンド」
閣下に話を振られたヒースコート准将は頷く。
「わたしの部隊の一角を成しているルース帝国からの亡命者たち。その者たちは共産連邦は嫌っておりますが、それ以上にノーセロートを、なによりエジテージュ二世を嫌っておりますな。しっかりと管理していなければ、それこそ国境を越えて、新生ルース帝国ならまだしも、第17師団まで助けてしまいそうな程です」
ヒースコート准将は、ルース帝国の士官学校を出ていることもあり、祖先がルース人な軍人を、まとめていらっしゃいますからね。
そして感情としては分かる。
ルース人にとってルース帝国も共産連邦もルース人の国家。新生ルース帝国も同胞の立てた国だ。
だがノーセロート帝国は過去の経緯から、純然たる外敵として認識されている。
その同胞が立てた国に攻め込むノーセロート帝国に、妨害を仕掛けたいという気持ちも分かる。
きっとわたしだって、そういった経緯で故国を追われ、数十年後にそいつの息子が近くを通って自分たちに近い民族が立てた国を襲うと聞かされたら、きっとゲリラ戦仕掛けるわ。うん、これはもう100%感情なんだが、我慢できないと思うな。
「エジテージュ二世が取る、フォルズベーグを助けるという英雄的行動。だがエジテージュ二世は自分がどれほどフォルズベーグ人に嫌われているかを知らない」
あれ? 二世がルース人に嫌われているってお話だったような。
「若い人は知らないか。あのね、故英雄皇帝のルース遠征、そして焦土作戦により撤退。これ故英雄皇帝以外に視点をあてるとね、寒さ厳しい十一月に、燃料とか備蓄食糧を全て焼き払われたルース住民たちは、身一つで食べものを求めて彷徨い、大勢が死んだわけ。でね、運良く食糧のある土地にたどり着けたルース人たちは、その土地の住人を襲って食糧を奪ったの。ルース帝国と国境を接していたフォルズベーグの東の穀倉地帯に大挙したのさ。この大量のルース難民流入による食料庫たる穀倉地帯の食糧強奪事件により、フォルズベーグは翌年食糧不足に陥ったんだよ。帝政から共産連邦へと政変後、フォルズベーグがルース人を受け入れなかった理由にもなってるね」
室長の説明を聞き……地続き国家あるある過ぎて泣けてくる。
三十万近い兵士や軍馬を略奪で養おうとした故英雄皇帝。それ自体は戦争では珍しいことじゃないけど、養うためには単純に考えて、三十万人から物資を略奪しないと補えないよね。
その最低でも三十万人の備蓄を、当時のルース皇帝は根こそぎ焼き払ったわけだ。
結果として三分の二くらいは故英雄皇帝軍と同じく飢えと寒さで死んだが、残りの三分の一くらいは生き残り食糧を求め、そして故英雄皇帝の遠征から逃れるためにも近隣諸国へと逃げ込んだはずだ。
普通に考えてこの三分の一くらいの人たちは、働き盛りで体力のある男たちだろう。そんなのが飢えきった難民として国境越えてきたら……戦争そのものとは違う、やるせない地獄が延々と続いたのか。それは辛いな ―― 多分その状況になったら、国は殺害を命じるだろうし、命じられたらわたしたち軍人は射殺するけどさ……。




