【110】隊長、敵司令官の名を知る
衝撃の事実から ――
「エミール・ヤグディン。そういうことだ。お前の姉が殺害されたのは、当然のことであろう」
閣下がそのように話し掛けると、ヤグディンは黙って頷いた。
「補足すると、次期皇帝の狗候補として宮殿につれて行かれるようなスパイと、党員番号すら貰えないヤグディン姉弟とでは、雲泥の差があるんだよ。君たち姉弟のような末端が、どうこうできる相手じゃないんだよねえ。そうだろう? ヤグディン君」
室長の言葉にも、ヤグディンは大人しく頷く。
なんていうのかな、一瞬にして牙が抜けたっていうか……
「スパイって上位には勝てないことを、しっかりと躾けられているから、復讐なんて気持ちはなくなってしまうんだよ」
室長がまたもやにっこりと笑ったが……これはきっと腹黒な笑みに違いない。
わたしに室長の心の内など分かるはずもないが。
「スパイ同士のつぶし合いが行われていたのですか?」
フィゴ元海軍長官の問いに閣下は首を振られた。
「ツェツィーリア・マチュヒナはルース帝国の狗ではあったが、共産連邦のスパイではない。帝国崩壊後、打倒共産連邦を目標に独自に活動している勢力だ」
「忠誠心に溢れているねえ。狗の鏡だよ」
室長の台詞は、完全に馬鹿にしていました。さすがにわたしでも分かります。
「ヤグディン姉弟は共産連邦のスパイで、マチュヒナはルース帝国の残党ということですか」
「そういうことだ、キース」
「狗が野犬になった……という認識でよろしいのでしょうか?」
「そうらしいぞ。いまだわたしの狗だと言い張る獅子が、そのように証言した」
議場の室温が一気に下がった!
閣下とレオニードの組み合わせって、我が国的には……もうルース帝国はないし、閣下は共産連邦には関係ないって分かっていてもそうなるよね。
ちらっとヴェルナー大佐を見ると、うん、怒ってるっていうか、なんて言っていいものか、怖いのは確かです。
「その狗、信用できるのですかな?」
「信用せずともよい。だが良く働いてくれるぞ。今回の戦争においても、わたしの狗がこの国の勝敗に大きく関与する」
キース中将の後に立っているので、表情は分からないのですが、殺気が! 殺気が!
「どういうことですかな? 主席宰相閣下」
「わたしの狗は現在、共産連邦国軍第17師団長を務めている。この17師団は、共産連邦の首都ルカテリングラードの北側の民族で構成されている、非常に寒さに強い師団だ。それこそ耐寒においては、ロスカネフ軍と互角であろうよ」
閣下がそのように仰ると、円卓についている士官の皆さんが「ああ」と言った感じで顔を見合わせた。
「たしかに4104率いる17師団は厄介ですが、勝てないと仰るのですか?」
「勝てぬとは言っておらぬ。キースならば、わたしの狗が指揮する、物資豊富な北方民族構成の師団相手でも勝てるであろうよ」
「白々しいというか、なんというか」
なんで高官会議ってこう、殺伐とするんだろうね? 和気藹々でなくともいいのですが、せめて殺気を控えていただきたい。いや閣下からは殺気は微塵も感じられませんよ。それ以外の威圧感はありますけど。なんだろう、この威圧感。
「だが大きな被害は出したくあるまい? キース」
「本心を言えば、一兵たりとも失いたくはありません。戯言の部類ではありますが、思うだけならば自由なので」
一兵も失わずに勝てる相手じゃありませんもんねー。でも気持ちは分かります、キース中将。
「冬に戦いを設定した理由は、北国であることを生かし、慣れている寒さを味方につけるためだ。そして敵には寒さに弱い師団を送り込んでもらわねばならぬ。幸い共産連邦の領土は広大でな、雪など見たこともないような地域に住む者たちで構成されている師団も数多くあるのだよ」
「……それは……」
キース中将の声が掠れてる。
「わたしの狗のライバルである共産連邦党員幹部番号8522は、南方民族で構成された軍団の長を務めている。わたしの狗がノーセロートの英雄皇帝の息子を撃破しフォルズベーグの大地を奪ったとしたら、ライバルはそれ以上の戦果を挙げなくてはならない。例えば、連合軍総司令官だったリヒャルト・フォン・リリエンタールがいる国を討つなどな」
党員番号8522……番号は覚えていないのでアレですが、我が国侵略前線指揮官予想で、レオニードと張る1.0から1.3のオッズの男、グスタフ・オゼロフ中将のことなのかな?
グスタフ・オゼロフって中将だから、軍団(師団×2)を率いてくる。その数およそ十万人ってことですよね……うわあああ、我が国が徴兵で賄う兵士の三分の一強が……。
ちなみに共産連邦は人の数が多いから、一師団五万人編成なんだ。うわー羨ましいー……くなんかないや!
「なるほど。一個師団でエジテージュ二世に勝ったピヴォヴァロフ少将に対抗するためには、二個師団を与えられているオゼロフ中将としては、リリエンタール閣下に勝つしかないと」
ヒースコート准将が肩を震わせて笑っている。
どこが笑いどころなのか分からないのですが……。
「笑うなヒースコート。直接相手をするのがわたしだから、二個師団で勝てると書記長が判断を下すということなのであろう。主席宰相閣下が指揮を執っていたら、共産連邦戦線軍が投入されるであろうよ」
閣下だったら共産連邦から大将とか元帥とかが来て、指揮を執っちゃうってことですね!
閣下が凄すぎるのか、キース中将引いては我が国が舐められているのか? 間違いなく閣下が凄すぎるのだろう。共産連邦において戦線軍って五十万人編成の軍隊を指す言葉だ。
「もう年なので、連合総軍を率いるなどという、面倒なことはしたくない」
「わたしはあなたより年上ですが?」
「お前は血気盛んだからな、キース」
そう言って、ちらりとまだ顔に痣の残っている、ヴェルナー大佐に視線を向けられた。
そうですね、血気盛んですものねえ、我が国の総司令官閣下。
「良く言う。まあ、わたしの実力と我が国の国力では、オゼロフの二個師団との正面衝突が限界なのも事実ですが」
「一ヶ月持ちこたえろ。然すれば交渉にて奴らを引かせよう」
閣下、お願いいたしますー。
敵のトップを討って戦いを終わらせる……というのは、我が国では不可能。共産連邦の首都にいる書記長ネストル・リヴィンスキーは殺害できません。
閣下は以前初代書記長ヤコフ・イサーコビッチ・ルカショフを憤死させましたが……敵国のトップを倒すのは、国力的に無理ですわー。
戦って「あれ? 簡単に勝てない」「おや? 思ったより被害が大きい」「んー。引きづらいな」「お! 交渉か。よし、これで成果を出そう」相手にこう思わせ交渉の場に引きずり出さなくてはならない。
わたしたち軍人は、交渉の場を設けるまで耐える。
退却を命じられない限り、我々は絶対に引かない。そうして耐えて耐えて ―― あとは政府の方々、要するに閣下に交渉してもらう。
わたしたちは引かなければ勝ちなので、絶対に引きはしないが、共産連邦は侵略して首都を陥落させて初めて勝ち。
大国ってやつは、いつも首都を陥落させにくる! 我が国は共産連邦以外の大国は知らないけどね。
「リリエンタール閣下。本当にリヴィンスキーを引きずりだすことができるのですか?」
「なんだ? フィゴ。わたしを信用していないのか?」
「信用といいますか、わたくしめがリヴィンスキーの立場でしたら、怖くて絶対に出てこられませんぞ。交渉の場で閣下に良いようにされ、気付けば国土の半分を失っていた……になりかねませんからな」
フィゴ元海軍長官の一言に、みんな声を出して笑った。
「たしかに」
「絶対に負けると分かっている交渉の席だものなあ」
「リヴィンスキーは交渉の達人だったか?」
そして各々の感想が ――
「俺だって絶対交渉なんてしたくねえよ」
キース中将がしみじみと呟いた。そうですねー、キース中将。
そんな閣下の策略で、九年後には「謀ったなリリエンタール!」になると思いますが、諦めてくださいねー。




