【107】隊長、無事を知り安堵する
「ルース語を母国語としていた人間という可能性もある」
全員が円卓に戻ると、閣下が目を閉じたまま静かに語り出した。
「クローヴィス大尉はフランシスに”行方不明になった子供を捜したい”と申し出た。その情報の出所はセシリア・プルック ―― フランシスはまずプルックに関して調査するようオーフェルヴェックに命じる」
史料編纂室室長室での出来事ですね。覚えております。
「結果オーフェルヴェックは王立学習院にたどり着き、憲兵大佐と鉢合わせることになった」
それわたしも聞きました。あの頃は悪役令嬢がまだ国にいました。元気にしているかなー悪役令嬢。
「その時点でフランシスが調査に乗り出した。アミドレーネ出版の記者だと聞いたので、出版物を求め記事に目を通し、すぐにおかしい事に気付く。あれにおかしいと気付かれたら終わりだ。調査方法はくどくどと語らぬが、アミドレーネ出版はそこにいるノア・オルソン以外の三名は共産連邦の間諜だと判明した」
「いや、まさか、そんな……」
オルソンが力なく呟くが、室長が「そうだ」と言ったからには、そうなんだろう。円卓についている人たちも、すんなりと受け入れている。過去の実績がものを言ってるんだろうなあ。円卓についている、癖があって我の強い将校たちを納得させる実績って……想像するだけで怖い。
「零細出版社は間諜が好む隠れ蓑だ。同志に暗号文を発信しても気付かれ辛く、零細故に不渡りを出し倒産、借金取りから逃れるためという名目で行方をくらますことができる。どこから資金が出ているのか分からない出版社では目を付けられるが、零細でいまにも倒産しそうな出版社を不審に思う者はいない」
閣下は目を開き、全員を見回される。
「殺害されたセシリア・プルックだが、善良な農婦の幼馴染みではないようだ」
「でしょうなあ」
「ただフロゲッセル領の村に、セシリア・プルックは存在していた」
「善良な農婦が幼馴染みと言っていたのですから、存在していて当然でしょう」
善良な農婦ことベッキーさんは嘘をつかない。
この絶対的な証言者の存在こそが、偽りだらけの間諜の証明となるんだな。
「善良な農婦、及び村の状況を鑑みて、セシリア・プルックはあの村にいた時点で文章を認めることができた。だからこそ、手紙が届いても誰も不審に思わなかった」
「まあ、確かにそうでしょうな」
「あまりにかけ離れた人間になりすますことはないでしょう。過去と決別しているのならいざ知らず、名乗り手紙のやり取りまでするのですから」
キース中将とヒースコート准将は、閣下の思考について行けているようだ。わたし? その場にいたにも関わらず……いいんだ! 気にしない! わたしはわたしにできることをするんだ!
「記事を構成する文章はルース語を母国語としている。善良な農婦は地方色はあるがロスカネフ語を使用していたであろう? クローヴィス大尉」
「はい」
あの村にいたのなら母国語はロスカネフ語だよねえ。
もっとも二十年ほど前はルース帝国と交流があったから、国境を接しているあの辺りに住んでいる人は片言程度ならルース語くらいは言えそうだけど。
「村で教育を受けられるのは、男爵家の者か教会関係者。未だ地方では女性に対する教育の重要性は理解されていない。女性であるセシリア・プルックが教育を受けられたとなれば、神父の娘であったと考えるのが妥当であろう」
神父の娘! そういうことか!
「フロゲッセル領の前の神父は在俗輔祭から叙聖された。神父になる前に子供を二人もうけている。子供の名はセシリアとイクセル」
「その報告は受けていないぞ、ヴェルナー」
「陛下より調査を命じられたのは”あの女”ことイーナ・ヴァン・フロゲッセルのことでしたので。あの小さな村を出た娘として名前は挙がりましたが、こちらはすぐに確認できたので、それ以上の追跡調査は行いませんでした」
「そうか……そうだな」
ヴェルナー大佐、存在しないインゴット持参で現れたヒロイン・イーナのこと調べていたんですものね。
閣下がアディフィンで語った「あの女」はやはりヒロインのことだったんだ。
それにしてもヒロインはなぜ、純金のインゴットを持って現れたのだろう?
更に言うとなぜ前女王ヴィクトリアは、ヒロインに王位を譲ろうとしたのだろう?
レオニードに心を惹かれたから……という理由ではなく、王弟殿下がいらっしゃるのにも関わらずヒロインを後継者に据えようとした理由 ―― どう考えてもガイドリクス陛下のほうがヒロインよりも血が濃いのに。……機会があったら閣下にお聞きしてみよう。
いまは、ヒロインのことだ!
「ヴェルナーの言う通り、プルックは神父の一家だった。ヴェルナー、掴んでいる部分を説明せよ」
在俗輔祭であり妻子がいる場合、神父になる際には奥さんも修道女にならなくてはいけなかったりと色々条件がある ―― ちなみに離婚して神父になるということはできない。離婚すると叙聖の権利を失うのだ。
「はい、リリエンタール閣下。前神父は十八年ほど前に亡くなり、新たな神父が遣わされ、それに伴い妻であった修道女と子供たちは、修道院に入るために村を離れました。妻の修道女は既に亡くなっています。また二人は修道女、修道士として存命ですが、どちらもロスカネフを既に出ております」
殺されてなくて良かった!
皆さんもほっとした表情を浮かべている。うん、神父と修道女の子供で叙聖されているとなると、それだけで共産連邦に殺害される恐れがある。
また、みんな信仰心はあるので ―― 食事の前や眠る前にお祈りしたりが当たり前の世界なので、聖職者を保護しなくてはという気持ちを持っている人が大勢いる。
「セシリア・プルックから善良な農婦宛ての手紙は二種類。片方は修道女、もう片方は偽者。教会に届き、修道士が代書してくれている方は幼馴染みで、郵便配達員が直接届けていたのは偽者と解釈すべきであろう。さて、偽セシリアが間諜となれば、殺害された理由も変わってくる。おそらく女間諜は、海軍に出向いた際、自分が殺害されるなど思っていなかった。だからプリンシラに助けを求めなかった……と考えるべきではないか」
無名の女記者から一転、女間諜というわけですか。
「プリンシラの協力者だったのにも関わらず、海軍本部で殺害された理由だが、ガイドリクスに接触していないイーナ・ヴァン・フロゲッセルが、愛人であるエクロースに進言したためであろう」
「わたしに接触していないフロゲッセル……とは?」
陛下の声が震えているのだが、それは恐怖とか驚きじゃなくて、歓喜にちかいようだ。実際表情も嬉しそう。
「言葉通りだが」
「リリエンタール。わたしは結局、イーナとエリーゼ姉妹すら確認することができなかった。お前とフランシスは、情報を掴むことができたのか?」
「知りたいか? ガイドリクス」
「知りたいに決まっているであろう」
誰だって知りたいと思いますよ閣下。
「主席宰相閣下。我々はなんのことか、全く分かっておりません。その話しぶりからすると、イーナと名乗る女は最低でも二名はいた……ということなのでしょうが」
腕を組んだキース中将が「早く話しやがれ」と言わんばかり ―― 部下に対しては穏やかだけど、上に対しては結構攻めるタイプらしい。この性格でよくここまで出世なさいましたね、キース中将。実力があるって凄いわー。
「キース中将が仰る通りです。そしてなぜ情報を掴んだところで、我々に教えて下さらなかったのですか? ……もっとも、リリエンタール閣下は陛下と違い、我々の力など必要ないのかも知れませんが」
ヒースコート准将の身も蓋もない台詞。
頭脳面において、我々は閣下の手助けにならない! ……少なくとも、わたしはお役に立てないわー。
セシリアの手紙を見ても特に違和感覚えなかったくらいの人間ですので。
でもキース中将とかヒースコート准将は、閣下のお役に立てると思うのですよ!
などと思っていたら、閣下が手を一回叩かれた。
あれは召使いを呼ぶ時の叩き方。
「フランシス」
閣下が室長の名を呼ぶと、リドホルム男爵がこちらに近づいてきて、あの法曹界特有の白髪巻き毛のかつらに手をかけて、ずるりと外す。
するとそこにいたのは、
「酷いな、みんな。それなりに付き合いがあるのに、全然気付いてくれないんだもん」
室長だった。
かつらが外れる瞬間までリドホルム男爵だったのに。
たしかに! たしかに……リドホルム男爵だったんだよ! 自分の目の節穴を嘆くべきか、室長の変装術の凄さを称賛すべきか? ……まあ、嘆くべきだな。わたしの立場上、褒めてる場合じゃない。
「イーナどもは、ここまでの変装術の使い手とは言わぬが、知識を持った人間ならば、ある程度はできるであろう」




