21.決闘?!星見の広場
これが最後の壁画……。
◇◇◇◇
「な……んで……」
最後の壁画は、明らかにこれ迄の壁画とは趣が異なっていました。
「ど……して……?」
私は、初等部の体育館に足を踏み入れた途端、まるで絵本の世界に迷い込んでしまったような、そんな錯覚を覚えずにはいられませんでした。
体育館の壁一面に描かれていたのは、生き生きとした笑顔弾ける初々しい女の子。
その少女は溢れんばかりの生命力を漲らせて、体育館の壁をところ狭しと走り回っておりました。まるで今にも私の方に360度あちらこちらから駆け寄って来そうな大迫力で、その少女の楽しさいっぱいの笑い声がそこかしこから聞こえてくるような躍動感に満ちていました。
そしてそれは……、私が幼い頃から思い描いてきた密やかな夢の数々だったのです……。
◇◇◇◇
面白そうな遊戯施設がたくさんある遊園地で、回転木馬に乗って笑顔で手を振る幼い少女。
透明度の高いエメラルドブルーの珊瑚礁の海で、色とりどりの熱帯魚達と戯れる少し成長した少女。
大きなショッピングモールで友達と一緒に楽しそうに買い物をしている、更に成長して大人の女性へと少しずつ歩みだした、まだ瑞々しい少女。
絵が進むにつれ、小さく幼かった少女は少しずつふくよかな大人の女性へと変わり始めます。そして蕾が徐々に膨らみ始めて、やがて鮮やかに開花するように、一際大きなメインの壁画で、その少女は、満開の桜並木をオリエンタルな文様の絨毯に乗って、何故かペンキ缶と刷毛を手に持った美しい若者と二人、幸せそうに寄り添いながら未だ見ぬ外の世界に向けて旅立って行くのでした。
(何で?何で?)
(どうしよう、涙が止まらない)
ずっとずっと夢見ていた風景がそこかしこに描かれていました。
そう、私はずっと憧れていたのです。
こうした何気ない毎日に……。こうして普通の女の子として暮らす事に……。
もう言葉になりませんでした。私はその絵の前で、無防備な子供のように、ただただ泣きじゃくっておりました。
「どうやら私の予感が当たってしまったの……かな?」
いつからそこに居たのか、背後からサイードの声がしました。
「この絵の女の子、いいや、これ迄の壁画に描かれていた女の子全部……、蓮花だよ……ね?」
「そしてこのペンキ缶と刷毛を持っている若者が……、この絵を描いた用務員の人……かな?」
その声にはさっき迄の張り詰めた空気はもう無くなっていて、温かい人柄が感じられる少しおどけた感じのいつもの口調に戻っていました。そんな優しいサイードに、私は何か言わなければと思うのに、何をどう伝えればいいのか分からなくて、言葉が見付かりません。
そこえ、
♪ピンポンパンポン♪
♪ピンポンパンポン♪
夏休みで静まりかえっていた学院に、突如、校内放送を告げるメロディが流れてきたのです。
あまりにも場違いというかおかしなタイミングのその放送に、止めどなく流れてどうすれば止められるのかと途方に暮れていた私の涙は呆気なく止まり、いったい何事かと、思わず顔を上げてスピーカーの方を仰視していると、
「アクラム殿下、サイード殿下、そして蓮花様、お寛ぎのところを大変失礼致します、経済学部講師・宮下でございます。学院内のお散策はお楽しみ頂けましたでしょうか?」
(えっ?宮下先生?)
突然、颯爽と登場した宮下先生の校内放送は、初めてこの学院にいらしたあの朝の凛々しいお姿を彷彿とさせる完結明瞭な話し方で、やはり先生は素敵なお方だと、私は改めて憧れる想いを自覚致しました。
「これより本日のメインイベントでございます、アクラム殿下、サイード殿下、両殿下、聖フロイス女学院ご来校歓迎イベントにつきましてご案内申し上げます」
(えっ?何?イベント?)
何も伺っていなかった私は、何の事やらさっぱり分からずに戸惑いを隠せませんでした。まあ今日この後は、一緒に帰宅して、久し振りに家族水入らずでご飯を頂くだけなので、時間は何とかなるからよいのですけど。
「お父さん、ごめんなさい。知らなかったのだけれど、この後、何か企画してくださっているみたいなの。もう少しお時間いいかしら?」
やはりいつの間にか私とサイードの傍にやって来て、こちらは未だ変わらずに難しい顔で放送に耳を傾けていたお父さんに、慌てて私がそう取り成すと、
「フン、どうせ私に話が有る者がおるのだろう?」
「何をしようと、何を聞こうと、私の気が変わる事など無いというのに、全く愚かな事よ!」
「お前もだぞ、蓮花、解っておろうな!」
「えっ?お父さん、何を言って……、」
お父さんの今迄見た事もないような剣幕にびっくりして、不安は募るばかりです。
(お父さん……、いったいどうしちゃったの?)
「これより日没後、星の塔の前にございます通称・星見の広場におきまして、ささやかな発表会を行わせて頂く予定に致しておりますので、皆様におかれましては、誠にご足労をお掛け致しまして恐縮ではございますが、ご参集賜りたくお願いを申し上げます」
(発表会?)
(何?発表会って?)
「は?何だ、発表会とは。しかも我々を呼びつけるとは、何だか知らないが、たいした度胸だな!」
唖然としているサイードに、
「感心している場合か!だからお前は甘いというのだ。礼儀も弁えぬ男に後れを取るなど、我が一族、いいや、我が国の恥ぞ!」
「いいな!何が有っても、一歩たりとも引いてはならんからな!」
おっとりと、寧ろ突然降って湧いたこの状況を楽しんでいるようにさえ見えるサイードに対して、歯痒さを顕にしてお父さんが噛み付いたものの、サイードは慣れたもので、
「叔父上、そのようにカッカとなされては、ニヒルな二枚目が台無しですよ。せっかくのお誘いです。頭を冷やしがてらのんびり歩いて、星見の広場とやら迄行ってみようじゃありませんか?」
「私は逃げも隠れも致したくありません。どんな男かは知りませんが、堂々と挑戦を受けてやりますよ」
二人の会話を傍で聞いていた私は益々混乱に拍車がかかって、思わず割って入っておりました。
「サイード、さっきから何を言ってるの?お父さんも、いったい何の話をしてるの?」
「蓮花、お前は本当に身に覚えがないのか?」
「えっ?身に覚えって……」
「いや、まあいい。ちょうど良い機会だ。今日ここではっきりさせようじゃないか」
フッと不敵な笑みを浮かべたお父さんは誰に言うでもなくそう呟くと、さっさと一人で歩いて行ってしまいました。
「ちょっと待ってよ、お父さん。場所分からないでしょう?」
私が慌てて後を追うと、
「そうですよ、叔父上。日没迄にはまだ少し間があります。こちらが先に行く必要などありません。のんびり散歩がてら、ぎりぎりに行ってやろうじゃありませんか」
サイードも後に続きながらお父さんの背中に声を掛けた。
「いいや。こういう事は、如何にこちらのペースに相手を巻き込むかが勝敗の重要な鍵になる。それには敵陣を逸早く把握してこちらの環境を調えておく必要があるからな。だからこれでいいんだ」
まるで決闘にでも行くかのような変なコメントを残して毅然とした態度を崩さず闊歩してゆくお父さんに、益々不安が募るばかりでした。
「どうやら叔父上は、敵をノックアウトしてやるつもりのようだね」
クスクス笑いながら、サイードがお父さんのいきり立つ背中を見つめています。
「ちょっとサイード!何暢気な事言ってるのよ!本当にどうしちゃったの?二人共」
私はピリピリしたお父さんとクスクス笑っているサイードを交互に見比べながら、お父さんが少しでもおかしな行動をしそうになったら止めて欲しいと、サイードに懇願しました。
それなのにサイードは、全く聞く耳を持ってくれません。
それどころか……、
「はぁ~、君は本当に何も解ってくれていなかったんだね。まあ仕方ないか。離れて暮らしていたし、その上、君はまだ幼かったしね」
「ああ、そうだ。でもせっかくだから一つだけ良い事を教えておいてあげるよ。もしおかしな行動を誰かがするとしたら、それは叔父上じゃない、きっと僕だよ」
なんて、更にとんでもない発言をしてくる始末でした。
「はぁ?サイード、ふざけてる場合じゃないわよ。お父さんの様子、本当に変だったもの」
「大丈夫、大丈夫。とにかく、星見の広場とやらで何があるのか早く見に行こう。全てはそれからだ」
そう言ってサイードは私の手を取りました。
サイードと手を繋いだ事なんて、それこそ小さい頃から数えきれない程あります。
ダンスだっていつもいつもサイードとレッスンしていたのだし……。
それなのに、今日のサイードの手の熱さや、ギュッと繋いだ手の感触や、私を引っ張るように歩くその腕の力強さや、何もかもが私が小さい頃から知っていたサイードとは別人のような気がして、ただの親戚の従兄のお兄さんだったサイードが、一人の大人の男の人だったのだと、今更ながら漸く気付いた私なのでした……。
◇◇◇◇
学院の南側中心に聳え立つ円柱の、まるで中世の物見の塔のような外観の星の塔は、学院内のあちらこちらから確認出来るので、お父さんもそれを目指して歩いていたのでしょう、私が先に立って案内しなくても、無事に辿り着けておりました。
最上階が観測室兼監視ルームになっていて、ぐるっとそれを囲むようにテラスがあります。
そして塔の上には、最上階の観測室に設置されたコンパクトながら最新鋭の監視カメラのカメラ部分が顔を覗かせていて、24時間360度回転しながら稼動しておりまして、今尚、侵入者はいないか、異常はないかと監視し続けているのです。
また今は格納されていて見えないのですが、国内有数の大きさを誇る巨大な望遠鏡も設置されていて、天文部の生徒達が毎夜天体観測を行っております。
勿論、授業に使われる場合もありますし、場合によっては外部の専門家の方々が、観測の為に訪れる事すらあります。
◇◇◇◇
どこかで蜩が、
「カナカナカナカナ」
「カナカナカナカナ」
と、往く夏を惜しむように鳴いていました。
私達が到着した時、そろそろ日暮れを迎えようとしていた星の塔は、夕陽をその側面に浴びて、暮れなずむ夏の夕暮れの切な過ぎる風情と相まって、何故か私に、寂しさと懐かしさがない交ぜになったような、胸が締め付けられそうな程の哀愁を思い起こさせます。かつて幼かった夏の終わり、お母さんと別れて寮に帰らなければならなかったあの日のように……。
今こうして此処にいる自分自身が不思議でなりません。、でもその一方で、以前にこんな夢を見た事があるような、そんな気もするのです。
(これはその夢の続きなの?)
(それとも今が夢の中なの?)
私はサイードと手を繋いで星の塔を見上げながら、ぼんやりそんな事を考えておりました……。




