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20.壁画の暗号(メッセージ)

 「はぁ……、全くお前は!何を余計な事を言っているんだ!そんな事だから、ちっとも蓮花に伝わらないんだぞ!」


「アハハハハハ、申し訳ありません、叔父上。今迄ずっとこうして蓮花のよき理解者のお兄様を演じ続けておりましたので、つい癖で。ですが正直、蓮花にあんな不安そうな顔をされたら何も言えなくなってしまいますよ。私は蓮花にはいつも笑っていて欲しいのです」


「サイード、すまない……。だが、あと2年で蓮花もこの学院を卒業だ。ここを出たら、どんなにあの子がそれを望もうと普通の暮らしなど出来ない事位、あの子だって解っている筈だからな。お前と一緒になるのがあの子にとって一番いいのだ。だからもう少しだけ待ってやってくれ」


「はい、叔父上。こう見えて私は結構気が長いのですよ。蓮花に初めて会ってから、もう15年待ちました。あと2年位何て事ないですよ。私が妻に迎える女性は蓮花だけと心に決めておりますので、どうぞご安心ください」


「サイード、ありがとう」



◇◇◇◇


 「もう、何やっているのかしら、あの二人……」


気配が無くなったので後ろを振り返ったら、いつの間にかお父さん達はかなり後方に居て、散歩を楽しんでいるのか、二人で何か話しながらのんびり付いて来ていました。


校内だけと言ってもこの学院はかなりの広さなので、さっさと回らないと、結構時間が掛かってしまいそうです。


仕方ないので、遅くなりそうだったら適当に回るところをはしょってしまおうと考えながら歩いておりましたら、いつの間にかテニスコートに到着しておりました。


程なく到着した二人に、


「ここが私が毎日クラブ活動で練習しているテニスコートよ」


と報告すると、


「ほお、これはなかなかいいコートだな」


と、お父さんが感嘆の声を漏らしました。


「ええ、本当に。こんなにいいコートを見ますと、久し振りにやりたくなってしまいますね」


お父さんに賛同したサイードも、フォアハンドの素振りのポーズをとったりして嬉しそうです。


「そうだな、そう言えば最近忙しくてテニスもすっかりご無沙汰だったな。んっ?あれは何だ?」


すると、お父さんが何かに興味を示して、コートとは別の方を一心に見つめています。お父さんの視線の先を目で追うと、その先にあったのは、兎オタクが描いたあのシンデレラの絵でした。


興味を持ったらしいお父さんが絵の方に引き寄せられるように歩いて行ってしまったので、自然と私達も後に続いて行く事になりました。


「これは……、こんな場所によく描けたものだな!」


近くで改めて観たお父さんがちょっと興奮気味に感心しています。


「どうやら童話のシンデレラの、0時の鐘と共に、シンデレラが慌てて帰るシーンのようですね。んっ?ですが、落とした靴がガラスの靴じゃないですね。これ、蓮花が今履いてるこの学院の靴じゃないか!?成る程、パロディーってわけか」


サイードは、すぐにこの絵がもつユニークさに気付いたようでした。


「確かにこれは大した物だね、プロのイラストレーターに描いて貰ったのかい?」


サイードの問いに私は首を振りました。


「いいえ、これを描いたのは、うちの学院の用務員さんよ」


「用務員さんって?」


用務員さんの意味が解らないサイードに、私は説明してあげました。


「用務員さんは、学院内の維持管理、雑務全般を任されている人の事よ。電球を換えたり、植木を剪定したり、塗装を直したり……」


私の説明で理解したらしいサイードは、


「じゃあフェンスの塗装を直しがてらにこのイラストを?それは益々凄い腕前だね。私の屋敷にもお願いしたい位だよ。そう思われませんか、叔父上?」


と益々感心しきりです。


「ああ、全くだ」


お父さんもすっかりこの絵に魅入られたように絵の前に釘付けになって、その場を離れません。


「この人の絵なら、他にもあるわよ?」


「他にも?本当か?もしそうなら是非観てみたいものだな。なあ、サイード」


私が兎オタクの絵の情報を示唆しますと、途端にお父さんは目を輝かせて、他も観たいとサイードにも同意を求めています。


こういう、気に入った物に夢中になってしまうところは、娘の私から見てもまるで小さな子供みたいで、お母さんはいつもそんなお父さんを見ると呆れながら笑っていますが……、私は、遠く離れて暮らしている他国の王族でもあるお父さんのそういう一面を見ると、何だか安心すると申しますか、自分の家族なんだと実感すると申しますか、とにかく、お父さんが私達にだけ素顔を見せてくれているような、そんなくすぐったいような嬉しさを感じてしまうのです。


「この後、チャペルやホールの方を回ろうかと思っていたのだけど、絵が観たいのならそちらを回るけど?」


実はシスター方や宮下先生からも、是非体育館の壁画をご覧戴いて欲しいと頼まれておりましたので、元々そちらも回るつもりではいたのです。私も結局、高等部と初等部の壁画はまだ見られておりませんでしたので、興味もありましたし……。


「はい叔父上、私も同感です。蓮花、他の絵はどこにあるんだい?」


「体育館よ」


こうして私達は、次に中等部の体育館へと向かったのです。



◇◇◇◇


 「これも何かの物語なのか?」


兎オタクが描いた中等部の壁画の前で、早速お父さんが訊ねてきました。


「これは日本の昔話で“かぐや姫”よ」


「「かぐや姫?」」


「そう、日本人で知らない人は居ないのじゃないかしら?それ位、日本では有名な童話よ」


私が二人に説明すると、


「ふうん、そうなのか。だけど、何だか妙に気になるな」


「何が?」


私はサイードが食い入るように見つめている最も大きな壁一面に描かれたメインの絵のところ迄行ってみました。


「ああ、さっきのシンデレラの絵は後ろ姿だったからはっきり分からなかったけど、ね……」


「えっ?何の話?」


「いや、ごめん、何でもない。私の思い過ごしかもしれないし……」


何かを考えている風のサイードでしたが、考えがまとまらないのかそれ以上私に教えてくれる事はなく、一旦その話をそこで打ち切って話題を変えてきました。


「だけど面白いね、この絵も。私はストーリーを知らないけれど、これってプロポーズしているところなのかな?」


「えっ、ええ。かぐや姫は月から来たお姫様なのよ。だから月に帰らなければいけないの。でも美しいかぐや姫の評判を聞き付けた五人の身分ある男性が求婚するのよ。そんな五人にかぐや姫は無理難題を出して、それを成し得た人と結婚するって答えるの。それがこの場面」


私がその絵の説明をすると、


「へぇ、成る程。だけどこの五人の求婚者も又変わっているよね。日本の昔話なんだよね?それなのに、一人は山高帽にツイードのスーツという洋装だし、一人は作業服を着て、手に何故かペンキ缶をぶら下げて刷毛迄持っているし、その上残りの三人は、我が国の民族衣装を身に纏っているように見えるけど」


という最もな突っ込みを入れてきたのです。


私の反応を窺うように顔を覗き込んでくるサイードは、まるで何もかもお見通しのようでした。


「さあ?私もこの絵にどんな意味が有るのかは知らないわ。作者の用務員さんに直接伺ったわけじゃないし」


私が曖昧にそう答えると、


「ごめん、そうだよね。他にも有るの?」


「えっ?」


「この人の絵だよ」


すっかり兎オタクの絵に心酔しているらしいサイードは、早くも次の絵が観たいと先を促してきました。


「えっ、ええ。学院内の全ての体育館に有るから、次は大学部の体育館に案内するわね」


こうして次に私は大学部の体育館に二人を案内しました。



◇◇◇◇


 「これは又不思議な絵だね。これも日本のおとぎ話なのかい?」


サイードは壁一面に描かれた一寸法師の絵に興味津々のようです。


「ええ、これは“一寸法師”っていう、日本の昔話よ」


「「一寸法師?」」


「そう、一寸というのは長さの単位なの。メートル法でいう3cm位かしら?ご覧の通り、一寸法師は背の高さが一寸しかない小人なのよ、それでも鬼と勇敢に戦うの。鬼というのは、何と言うか……、悪い怪物みたいな生き物の事なんだけど……」


私の説明を黙って聞いていたお父さんは、


「我が国にも変わった民話は数多く伝わっているが、やはり日本も歴史有る国だけあって、随分と面白い民話が有るものだな」


と一人で納得して何度も頷いています。


「本当ですね、叔父上。しかもこの絵も又素晴らしい。今にもこの一寸法師とやらが動き出しそうだと思いませんか?」


「ああ、そうだな」


「でも、これもやはりパロディーなんだろう?この一寸法師とやらが漕いでいる舟がペンキ缶になっているけど」


サイードはやはり気付いたようです。


「ええ、そうよ。本当の一寸法師はね、お椀の舟をお箸の櫂で漕いで、針を刀にして都に行って、そこで大きなお屋敷で働かせてもらうの。そしてある日そこのお屋敷のお姫様と外出中に鬼がお姫様を攫おうとしたので立ち向かって、逆に鬼に食べられちゃうのだけど、お腹の中で針を刺して鬼を降参させて、逃げ帰った鬼が忘れて行った、望みが叶うという打ち出の小槌をお姫様が使って一寸法師を大きくして、二人は結婚して末永く幸せに暮らすというお話よ。因みにお椀っていうのはお味噌汁などの汁物を入れる器の事」


私の説明を黙って聞いていたサイードは、真っ直ぐに物語の結末、お姫様が一寸法師を大きくして二人が祝言を挙げている様子が描かれた一番端の絵のところ迄行って、その絵をじっと見つめています。


今度は私は付いて行く事はせず、そんなサイードの背中を、何となく気まずい思いで見ていました。


暫く最後の絵に見入っていたサイードは、私のところに戻って来るなり、


「次はどんな絵を見せてくださるのですか、姫君?」


と、おどけた口調で先を促しましたが、その表情はその言葉とは裏腹に驚く程硬いものでした。


「知らないわ。残りの絵は最近出来たばかりで、私もまだ観た事が無いのよ」


私が素直にそう答えると、


「そうか、なら君も観たいだろう?早く次に行ってみよう」


急かすような事を言うサイードの表情は、やはり変わらずに厳しいままで、私はそんなサイードの表情には覚えがあって、それはついさっき彼の問い掛けに対して「秘密」と言ってはぐらかした時に一瞬見せた表情と全く同じで、私はそんな彼の心の内を図りかねておりました。



◇◇◇◇


 そうして私は、あの夜以来初めてとなる高等部の体育館を訪れました。


一歩中に足を踏み入れた途端、四方八方の壁に描かれた、まるで今にもアニメーションのように動き出しそうな大迫力の絵に圧倒されて、私はその場から動けなくなってしまいました。


特に嫌でも目が行く左側の最も広い壁に描かれた見事な絵。それは正にこの体育館で楽しげに踊る男女の姿でした。


「美女と野獣だね」


いつまでも中に入らない私を入り口のところに残して、お父さんとサイードはさっさと中に入って絵を観て回っておりましたが、いつの間にか私の横に戻って来ていたサイードが一言そう呟きました。


「だけど野獣が又ペンキ缶持って作業服着てるね」


私の返事を初めから期待していなかったのか、そもそも私に言ったのでは無かったのか、サイードは独り言のようにそれだけ言うと、


「次に行こう」


と、あんなに褒め称えていた絵の感想も述べずに素っ気ない態度で出て行ってしまいました。


まだお父さんが一枚一枚熱心に見入っているのに……、


「ちょっ、サイード!待って、まだお父さんが……、」


私は背を向けて歩き出したサイードを慌てて呼び戻そうとしたのですけれど、彼は私を振り返る事も無くさっさと出て行ってしまいました。


驚いた事に、暫くして戻って来たお父さんの顔からも先程迄の笑顔がいつの間にか消えていて、厳しい表情で私を見ると、黙って私の横を通り過ぎて行ってしまいました。


私は二人を追いかけなければと思いながらも、どうしても名残惜しくて、最後にもう一度振り返って絵を見直しました。


すると私が振り返って見た視線の先、左側の壁を彩る可憐な美女は、手を携えて踊る野獣を見つめて、恥ずかしそうに頬をうっすらピンク色に染めて、幸せそうに微笑みを浮かべておりました……。


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