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19.砂漠の国の王子様

 「如何なさるおつもりですか?」


翌朝、高等部の体育館で壁画を描いていた俺様のところに昨夜の言葉通りにやって来た惣太郎の用件は、学院長から、アラビア某国の王子殿下ご一行様ご来校に伴う歓迎行事の責任者に任命された旨の報告だった。


俺様の元にも朝一番にシスター・マーガレットから連絡が入り、ご来校日程に間に合うよう、体育館の壁画を全て完成させて欲しいとのご指示だった。


体育館の壁画については、残っているのは高等部と初等部の二ヶ所のみで、もうどちらも絵のモチーフも決めてあったので、集中してやれば、あと1週間もあれば終わる筈だった。


「ご同行されて来られる蓮花様の従兄に当たられるサイード殿下は、蓮花様のご縁談のお相手なのでしょう?」


「……」


何も答えない俺に、勝手に俺様が諦めたと勘違いしたのか、


「綾麿様が身を引かれるおつもりなのでしたら、最早ここには用はありません。社長にもこれ以上ご迷惑をお掛けするわけには参りませんし、歓迎行事の件は、まだお引き受けしたわけではありませんので、丁重にお詫びを申し上げてご辞退させて戴きます。綾麿様がお引き受けになられましたこの壁画が完成致しましたら、丁度夏休みにも入りますし、これで引きあげましょう」


では早速学院長先生のところにお返事をしに参ります、と出て行こうとした。


「うちのトラックを8台ここに回させろ」


「はあ?そんなに荷物をお持ちになられていらっしゃったのですか?」


それにしても、8台とは!


又勝手に早合点している惣太郎の相手をしてやるつもりはさらさらない。


「王子殿下ご一行様は何時頃ご来校されるんだ?何でも構わねぇから夜迄引き延ばす手立てをついでに考えておけ!」


「……」


途端に訝しげな顔をして俺様を見てくる惣太郎が気にくわねぇが構やしない。


俺はここの壁画を早く片付けるべく、再び描きかけの絵に集中する為に向き直った。


「諦めたのではないのですか?」


「何で俺様が身を引かなきゃならねぇんだ?蓮花だって日本に残る事を望んでいる。俺はアイツの夢を叶えてやると約束したんだ」


「蓮花様の夢?」


「ああ、アイツは声楽の勉強をもっと続けたいんだ」


惣太郎は暫く黙ったまま俺の事をジッと見ていたが、やがて大きくため息を一つ吐くと、


「何故それを?綾麿様には蓮花様と接触なされる機会などそうそうなかった筈です。なのに何故、蓮花様が日本に残りたがっていらっしゃるとお分りになられたのですか?」


惣太郎の声には先程迄の刺々しさは一切なく、その口調は至って穏やかなものだった。


「あの歌を聴いたからな」


「歌?あの晩の歌ですか?あの歌は私には、蓮花様のもう一つの故郷、遠い砂漠の国に想いを馳せて、歌っていらっしゃるように思えましたが」


確かに俺だって、母さんの歌を聴いてなけりゃ、惣太郎と同じように感じていただろう。


「あの歌を……、母さんもよく歌っていたんだ」


「亡くなられた奥様が?」


「そうでしたか、奥様が……。奥様のお導きとは、それはそれは……」


「ハハハ、私の出る幕など、端からなかったという訳ですね。ハハハハハハ」


そう自嘲気味に呟くと、踵を返して、さっさと出口の方に向かって歩きだした。


「おい、どこへ行く?」


去ろうとしている背中が、何だか妙に愁いを帯びていやがったから、つい声を掛けちまった。


「トラック8台必要なのでは?それとも他にもまだ何か?」


だがそれは俺の杞憂だったのかもしれない。振り返った惣太郎は、もういつもの調子に戻っていた。


「ああ。発表会ってやつをやってやろうと思ってな、一世一代の。普通やるもんなんだろ?」


「ああ成る程、そういう事ですか」


それだけで惣太郎は全てを理解しちまったようだった。


(全くコイツは……)


「畏まりました。最高の舞台をご準備してご覧にいれましょう」


(我が生涯かけてお仕えする事になる主たるお二人への、これが私に出来る、最初で最後の結婚のはなむけですから……)



◇◇◇◇


 「ようこそ聖フロイス女学院へお出でくださいました、アクラム殿下、サイード殿下。私は当女学院の学院長を務めさせて頂いております、シスター・グレイスと申します。こちらはシスター・マーガレットでございます。主に学生の皆様の生活面でのサポートをさせて頂いております。そしてこちらは経済学部の講師・宮下先生です。本日のご案内役を務めさせて頂きます。貴国と我が国では文化の違いなどもございますが、今回のご来校をきっかけに当女学院と貴国との友好が深まり、相互交流の礎となればと願っております」


「ありがとうございます、シスター・グレイス。私も全く同じ気持ちですよ。こちらの女学院には私の大切な愛娘が幼少の頃よりお世話になっておりますし、日本は学生時代を過ごした、私にとってもかけがえのない青春の思い出の地。第二の故郷とも思っております。本日は賓客としてではなく、あくまでも蓮花の父兄としてこちらに見学に伺った迄の事です。堅苦しい挨拶はこの辺に致しましょう」


「まあ、ありがたいお言葉。光栄の極みでございます」



◇◇◇◇


 お父さんとサイードは、予定通りに来日して、くっきりとした入道雲と真っ青な空のコントラストが美しい真夏のとある日、同行者は五人のSPだけというお忍びで、この聖フロイス女学院に見学にやって参りました。


「そうですわ!それでしたら校内のご案内は、大変失礼ではございますが私共はご遠慮させて頂いて蓮花さんにお願いした方が、親子水入らずでお寛ぎ頂けて反って宜しいかもしれませんわね。この敷地内のセキュリティは万全でございますから、どうぞご安心くださいませ」


「蓮花さん、如何かしら?」


私はシスター・グレイスのご提案をありがたくお受けさせて頂く事にしました。


「はい、シスター・グレイス、ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせて頂きます」


「お父さん、私がご案内致します。それで宜しいでしょう?」


「ああ、そういえば、お前と共にゆっくり歩く時間など、これまでなかなか持てなかったからな」


「シスター・グレイス、お心遣い痛み入ります。それでは少しのんびりと敷地内を散歩がてらに回らせて頂きますが、宜しいですか?」


「ええ、勿論ですわ。ご自由にご散策くださいませ。私共はこちらにて待機致しておりますので、何かございましたら、ご面倒お掛け致しますがご連絡戴ければ、速やかにご対応させて頂きますわ」



◇◇◇◇


 「中々良い環境だな。なあ、サイード」


お父さんは上機嫌でここを気に入ってくれたようでした。


私は取り敢えずテニスコートを目指して足を進めておりました。お父さんもサイードもテニスはかなりの腕前で、私はそんな二人から手解きを受けたお陰で、そこそこ出来るようになったのです。まあ今日はテニスは出来ないですけれど。


今日は真夏の日射しが眩しい上天気。それでも、自然のままの鬱蒼とした林を残した女学院の庭は、一歩林に足を踏み入れさえすれば、ひんやりとした天然のマイナスイオンが肌に心地よくて、高原気分を満喫できます。


「ええ叔父上、本当ですね。噂には聞いておりましたが、これ程素晴らしいとは。これでしたら安心して蓮花を預けていられますね」


私の従兄のサイードは、私より五つ上の26歳。小さい頃から私の事を実の妹のように可愛がってくれた、一人っ子の私にとってはかけがえのない優しいお兄さんのような存在なのですけれど、ただそれだけ。それ以上でも以下でもないのはお互いに同じだと思っておりました。


ですから急にそのサイードとの将来を考えろと言われても、どうやっても私達二人が一緒に居るイメージが湧かないし、今のこの良好な関係を崩したくもないしで、正直困ってしまって……。


「蓮花、何だか暫く見ないうちに又綺麗になったのじゃないかい?もしかして何かあったのかい?」


いたずらっ子のようにニヤッと笑ってそんな歯の浮くようなセリフをさらっと言って私の頭を撫でてくるサイードは、完全に私の事を、未だに小さな子供だと思っています。


「ヒ・ミ・ツ。私だって今年もう21よ!何かあったって不思議じゃないでしょう?」


ちょっと悔しくなってそう言い返せば、サイードから返ってきたのは、意外にもいつものふざけた口調ではありませんでした。


「ふーん、私にも言えないんだ」


私はその声のトーンの低さに驚いて、


「サイード?」


思わずサイードの顔を見上げると、


「なーんてね!」


サイードは又いつもの優しい笑顔に戻っていました。


(なんだ良かった~。何かいつもと感じが違ったから怒っているのかと思っちゃったけど、気のせいだったみたいね)


私はサイードの少しおどけた笑顔の下に秘められた熱い眼差しに、全く気付いておりませんでした。


「それで?まず何を見せてくれるんだい?」


「テニスコートよ、クラブの練習で使用している。二人共好きでしょう?」


「そうか、今日は誰も居ないんだよね?残念だなぁ。テニスコートで出逢った砂漠の王子と可愛い女子大生。なーんて小説さながらの恋バナを咲かせる滅多にないチャンスだったのに!」


サイードは、王子様という身分だけでも十分人目を引くのに、その上、前に家族写真を見せて貰った事が有るのですけど、お母様がイギリス人のブロンド美人で、そのお母様譲りのサファイアのような青い瞳のいわゆるイケメンですから、女性にモテモテらしいのです。


サイードが微笑み掛ければ、ときめかない女の子なんていないのじゃないかと私も思います。


なので今も特定の相手は作らずに、そうやっていつも女の子に囲まれて浮き名?を流している、昔風に言うならプレイボーイなのです。


でも私にはそれが不思議でなりません。お父さんの国は一夫多妻制の男性優位社会で、いくらでも奥さんを娶れるのですから、気に入った女性がいたら結婚すればいいわけで、浮き名を流して遊んでいなくてもいい筈なのに、何で未だに誰とも結婚しないのでしょう?


サイードの年齢で奥さんが一人もいない人は珍しいと、以前お父さんも言っていました。お父さんに聞いたところでは、王家の中でも独身を貫いている成人した王子は、サイードだけらしいですし……。


などと、あれやこれやと思いを巡らせながらも、まさかそれに自分が関わっているとは露ほども考えていない私なのでした……。


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